3 最底辺の嘆きに、これからどうすべきかを考えて。
「ごほっ! げほっ!」
激しく地面を打ちすえる音とともに、槻谷が背中から落下し、ひどく咽ぶ。
再び切れた唇の血を手の甲で拭いながら息を整えていると、槻谷のペラペラの財布を振っていたチャラ男が渋面になる。
「こいつ、本当に持ってきてないでやんの」
「マジかよ」
「立場わかってんの、槻谷くん?」
「………」
槻谷は答えない。ただ鈍く、すべてを諦めた目で見返すだけだ。
「返してやるよ」
そう言って財布を槻谷に放り投げると、チャラ男は「っとお!」という掛け声とともに、地べたを這いつくばる槻谷の腹の辺りに蹴りを当てた。
「がっ! はっ!」
「つまんね。次持ってこなかったらどうなるか、想像しとけよ」
「槻谷くん、幻滅だわー。ジュース飲めねえわー」
「いいよ、もういこうぜ。こんな奴放っておいて」
口々に汚い言葉を吐きながら、チャラ男たちが去っていく。
槻谷はしばらくヒューヒューと息を整えていたが、俺の存在に気づくと、若干眉をひそめて、旧校舎の壁に背中を預けた。
「お金、持ってこなければ、取られないから」
だれとはなしに言うと、微かに口を歪める。
槻谷は投げ出されたバッグを取り出すと、中をごそごそし始めた。
「今日は試しで、お金の代わりに、サンドイッチと水筒、持ってきたんだ」
そう言って、バッグからひしゃげた物体を取り出し、かぶりついた。
切った口内に染みたのか、「痛っ……!」と漏らし、きゅっと目を閉じる。
それから、サンドイッチをひと切れちぎって、俺に差し出した。
「ほら」
食わねぇよ、そんなもん。
猫の本能から、差し出されたものをクンクンしてしまったものの、すぐに鼻息を吐いて拒絶する。
「ご主人様に似て、生意気だな、お前」
槻谷はそう苦笑いして、サンドイッチを口の中に入れた。
それから、俺の頭を軽く撫でて、問わず語りに話し始める。
「……人生って、不平等だよな。あんなやつらがカースト上位でさ……。うだつの上がらない僕みたいなのには、人権なんてないもん。一度お金を取られたら、何度もたかってくるようになった」
まあ、それはわかる。
社畜の世界も同じだ。いったん「こいつは何でも聞く」とみなされると、理不尽に仕事を回された上、手柄は無能な上司が独り占めする。いいように使われた部下には過重労働と雀の涙のお賃金しか残らない。
結局、勝つものが正義なのだ。救いの歌なんか、聴こえちゃこねぇ。
「くだらないよ。負け犬は負け犬のままの人生しか送れない。……でも、それももうすぐ終わる。終わりにするんだ」
ん? んん? 何か、根性出しちゃったの?
今回も、お金渡さなかったみたいだし。
疑問符をつけながら「みゅう」と曖昧に鳴いて、軽く槻谷を慰める。
すると槻谷はほろ苦く微笑んで、再び俺の頭を撫でた。
「旧校舎の屋上の鍵、壊れたままかな……? こんな風の通りの良い日は、あそこは絶好の場所だがらなあ……」
「みぃ?」
まあ、戯言に付き合うのはもういいや。
槻谷の手をうまい具合に首で押し上げて払いのけると、俺はその場を立ち去ろうとする。
なにしろ残された時間は少ないのだ。こんな落ちこぼれに構っている暇はない。
……などと言いつつ、結局また、一部始終を見守ってしまったのだが。
そういえば、俺の高校時代にもいたよな、スクールカースト底辺のやつ。
クラス中から見下されて、いつも校内の隅っこで一人で飯を食ってた。
当時俺は上流でも下流でもない、波風すら立たない平凡な人生を送っていたが、どうにもそいつのことが気にかかっていた。人って、そんなに不平等でいいのか? そんな青臭い『青春の疑問』に頭を悩ましていたものだ。
まあ、よくあることだよな。
と。柊のもとへ向かう途中で、ふと、脳内にアイデアがスパークした。
あ、そうか。
あの槻谷少年と柊を一緒に飯を食う仲間にしてしまえばいいんだ。
シンプルイズベスト。なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう?
でも、まあ、しかしなあ……。
男女間のことだし、まして相手はウブすぎる高校生のガキ同士だ。
上手くいく保証はない。
だけど……。
とりあえずやってみましょうかね、『ボーイミーツガール』の橋渡し役。
西沢とのランチセッションを失敗したから、後ないし。
やはり俺も人生やめて猫生を送るのは嫌すぎる。人間の自我を持ちながら猫の姿で過ごす苦痛を羨ましがる奴がいるなら、鼻先にグーパンチ入れるよ、マジで。
タイムリミットまで、あと六日。