1 柊をぼっち飯から解放しよう。
柊の学校へは、正面から入るわけにもいかず、学校裏手に鍵の壊れた金網張りの入口を利用することにした。少しばかりの探索の末に見つけ出したポイントだ。
今は猫なのだから、少々無茶なアクションで入り込むこともできなくはない。だが、そこは元社畜の性。石橋は叩きまくってから渡ることにしていたし、むしろ叩いた末に渡らないまである。
さて、柊の学校まで足を運んでいるのは、またしてもあのクソったれの『神』が、「次の試練は柊の学校で起きる」とあらかじめ啓示していたからだ。そして、その試練とは、今朝方下ることとなった。
『明智よ……明智よ……』
「……出たな、神め」
『美玲の力によって、柊が学校に行き始めているわけだが』
「西沢だけじゃなくて、俺も頑張ったよ? 俺の働きも認めてね?」
『たまに行かないこともあるが』
「そうだな、学校フケて公園のベンチでぼーっとしてることもあるよな」
『そんな貴様の不甲斐なさのために、哀れ柊はいまだ昼食を共にする友達もできず、毎日ぼっち飯だ』
「なんで悪いことは俺のせいになるんだ! そもそもいまの流れなら、西沢が飯誘ったっていいくらいだろ?」
『貴様は何もわかっていない。自分のような不登校の問題児がいきなり食を共にしたら美玲の立場が微妙になると踏んでいる柊の心がわからんのか、この人でなしの畜生めが』
「その畜生にした張本人が言っていい言葉じゃないからね?」
『だからこそ、柊はぼっち飯に別れを告げなければならない。それこそ貴様の『試練』だ」
「何でそんなことやらなきゃいけないのかがいまいち疑問なんだが……柊をぼっち飯から解放すればいいわけだな?」
「期間は一週間」
「きっちりしてるな」
『タイムイズライフ』
「なんか正鵠射ている格言が来た!」
『できなければ一生『ししゃも』』
「あー、もう、パターンだな。飽きたわ、それ」
『できても一生『ししゃも』でもいいが……』
「すまない。俺が全面的に悪かった。その試練、見事達成して見せよう」
そんなこんなあって、俺は涙を飲んで、学園生活を嫌々エンジョイするハメとなった。
学校裏手から敷地内に入り、旧校舎を回り込んで緑の芝生を踏んでいくと、だいたい緑の木の下で弁当箱を広げている柊の姿を発見できる。
だが、今日はそこに至る前に、あまり出くわしたくない場面に直面することになった。
「槻谷くーん、お昼ご飯代カンパしてくれって言ってるよねー」
「……全部渡したじゃないか」
「500円が全部? お前何? そんな貧困家庭に育ってるの? かーわいそー」
三人のガラの悪いチャラチャラした男たちが、背の低い、垢抜けない感じで、ボサボサの頭をした少年に絡んでいる。
「かわいそうな槻谷くん! かわいそ! かわいそ!」
「かーわいそーっおっとおっ!」
「がはっ!」
がすっと鈍いがして、チャラ男のボディーブローが槻谷と呼ばれた少年にくい込む。
堪らず、槻谷は苦悶の声を上げた。
「こいつ。ドン引きだわー」
「だせぇな。もういいよ。明日はもっとましなメシを食える分、持ってこいよ」
「そうそう、多めに持ってきたら、お前の飯代くらいは残してやるからねー」
ゲラゲラ笑いながら、三人は少年を後にして去っていった。
あ〜、はいはい、いじめね。
身体的ないじめは久しぶりに見たが、学生にはつきものだよな。
「みゅう」
俺は槻谷少年に歩み寄ると、そっと声をかけた。
「……んだよ? ほっとけよ」
槻谷は憎まれ口を叩く。弱い者はさらに弱い者を叩く。人間の摂理ね。
あるいは、同情をこめた俺の鳴き声が気に食わなかったのか。
基本的に、いじめというのはいじめられるほうが悪い。
なぜ? 人生がそう言っているからだ。
世の常として『いじめてた奴』は、「昔いじめをしてたけど、間違ったことをしてたって反省してるんだ」とか言って無害になっただけで賞賛され、いじめられる痛みも知らず、その後も順風満帆な人生を送る。
では、『いじめられていた方』はどうなる?
人間不信になって自信を失い、心に消えない傷を負った挙句、「いじめられてたって言っても、昔のことでしょ? いつまで引きずってるの、みっともない」と罵倒され、一生苦しむ事になる。
かくのごとく、人生において、「いじめられるほうが悪い」という俺の主張は、クソみたいに正鵠を射ている。
「ちくしょう……なんでいつも……」
そう呟きながら、フラフラと旧校舎の裏手から、芝生のある方へと歩いていく。
俺は槻谷に歩調を合わせながら、トコトコと並んで歩いた。
「なんだよ……お前……?」
いや、単にこのまま芝生の方まで行って柊と合流するだけなんだが。
決してお前に同情とか、慰めとかをしようとしてるわけじゃない。
所詮世の中は、やられる奴が悪い。
まあ、心の中で突き放しながらも、何となくほっとけないんだよな。
俺が高校の時も、クラスカースト最底辺、やはりいじめられてたやつはいた。
もちろん柊と違って、俺はそいつを助けたわけではない。
でも……なあ……。
「ついてくるなよ」
「にゃあ」
いや、むしろお前が俺の行く方向に行かないで欲しいんだが。
お前の事など知らんわ、マジで。タイムリミットは刻々と過ぎてるわけだしな。
「付いてくるなって、言ってるだ……」
ふと槻谷少年が声を荒らげかけた時、鈴を転がすような女生徒の声が聞こえた。
「ししゃも?」
「ぬあー」
俺が返事をする。
柊だ。ランチボックスの入った袋を手にしている。
どうやらいつも俺がやってくる方向を学習して柊が迎えに来たらしい。到着が遅い俺を心配したのか、はたまた、一人飯を食うのが悲しくなったのか。
「あ……お前……クラス同じの……」
槻谷が口を大きく開ける。
スクールカースト最底辺仲間として、柊を認知していたのだろう。
「なに?」
柊は冷淡な瞳で槻谷を一瞥する。
「にゃー」
「うるさいって言ってんだろ、この糞猫!」
「ちょっと」
俺を蹴りあげようとする槻谷に、ずずいっと柊が詰め寄る。
「その猫、私の飼い猫なんだけど。探してたの」
その言葉を咀嚼した瞬間、槻谷の顔が赤くなり、バツの悪い顔になる。
「学校に猫なんて……」
「勝手についてきちゃうのよ」
柊はそう冷たく言うと、俺の頭を撫でるため、すっと槻谷を無視してしゃがみこんだ。
「……君だって、底辺なのに……なんで僕ばっかり」
呪詛めいた呟きを吐き出し、槻谷はその場を去ろうとする。
と、その背中に、柊が待ったをかけた。
「まって」
槻谷が怪訝そうに眉をしかめる。
柊はじっと槻谷を見た。
「唇、切れてる」
そう言って、スカートのポケットから真新しく折りたたまれたハンカチを取り出し、槻谷に差し出した。
「いらないよ……血が付いたら、なかなか取れないし……」
「いいから」
「…………」
恐る恐る、といった体で槻谷はハンカチを受け取る。
柊は俺を抱き上げると、槻谷と向き合って、小首をかしげた。
「あなた、虐められてるの?」
「………ほっといてくれよ。所詮君も最底辺だろ?」
柊は肩を竦める。
「そりゃ、ほっとくけどね。私にはなんの関わりもないことだし」
そう言って、俺を抱き抱えたまま弁当箱の入った袋を持ち、いつものランチスポットへと歩いていく。
そうして、槻谷とすれ違おうとするとき、柊はポツリとつぶやいた。
「私たちは確かにクラスカーストの最底辺だけど、いじめをする奴らなんて、私たちとは比べようもないくらい下だから」
「……君になんて、僕の苦しみがわかってたまるか」
柊はくるりと半身を槻谷のほうに向けると、微かに微笑んだ。
「そうかもね」
「みゅう」
言うねえ、柊。
くだらない戯言だが、嫌いじゃないぜ?
まあ、今はそんなことより、ぼっち飯卒業しろよ、柊。