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吾輩が、猫ですかっ?!

 吾輩は猫ではない。断じて猫ではないのだ。

 名前もある。明智正五郎(あけち しょうごろう)

 アラサー、社畜。だったはずだ。


 今でこそ灰白色の毛皮にピンとたった耳が特徴のロシアンブルーとかいう種類の猫の姿であるが、誰が何と言おうと、俺は猫などという畜生ではないのである。

 たしかに社畜ではあったが、それとは意味的に天と地の差があると思う。

 どうか信じて欲しい。信じて。


 かすかな残像を生じさせながら、俺の眼下で黄色の棒の先についたふさふさが左右に振られる。

 

 やれやれだ。浅はかな人間というのはこれだから困る。

 本物の猫畜生ならともあれ、社畜生活で鍛えたこの忍耐力に、この程度の誘惑が通じると、本気で思っているのだろうか?


「ほーれほれほれ」

 鈴を鳴らすような綺麗な声で、ふさふさを左右に振る少女――まだJKのガキが、さらに挑発する。俺は努めてそのふさふさに目をやらないように、そっぽを向く。

「どしたの、ししゃも、ほらほらほら」

 知らん。俺は『ししゃも』じゃない。そんなものに興味もなにも……。

「むー、こうだ!」

 プルプルと全身を痙攣させていた俺の顔をくすぐるようにパタパタ。

 こ、このガキ――。

 やめろ、そんなことをしても――!


「――にゃ!」

 はしっと、俺はふさふさを押さえ込むかのように前足を踏みつける。

「おっとー!」

 しかし、ふさふさは俺の前足を見事にすり抜けた。

 左右に振られるふさふさにつられるように、俺は顔を左右に高速に振る。

「にゃにゃにゃ!」

「あはは、残念ー!」


 舐めるな、ガキが! 俺の本気を舐めるなよ?

「みゃっ! みゃみゃみゃみゃーーーー!」

「お、やる気だね! ほーれほれほれ!」

 俺は理性もなにもかなぐり捨てて、前足で猫パンチを繰り出し、あちらへ飛びこちらへ飛びつき、ふさふさを手中に納めんと、獅子奮迅の働きを見せた。



 ……違うのだ。

 こんなの、断じて俺じゃない!


****


 話は数日前に遡る。


 まれに見るブラック企業のアラサー社畜であった俺こと明智正五郎は、ある日、激務に耐え兼ねて、帰宅直後に玄関で倒れ込み、意識を失った。

 正確な日時は覚えてない。ただ、今が九月下旬だし、茹だるような暑さに汗だくで帰途についていたのは覚えているから、せいぜい残暑の残る九月のいつかだろう。

 とにかく、毎日の業務に追われ、日付すら曖昧な毎日だったのだ。

 終電で帰宅する。速攻でシャワーを浴び、缶ビール一缶とコンビニ弁当を速攻で食べ、速攻で寝る。

 朝は早く、夜は遅い。残業代なんてつかないし、有給休暇なんて、どこのパラダイスの言葉かとうに忘れた。転職しようにも時間がない。このまま、死ぬまでこの会社に丁稚奉公するのだと諦めかけた時、本当に死んでしまった。


 と、思った。そのときは。

 気がついたとき、俺がいたのは小さな洋室のフカフカなクッションの上。

 壁際に多数並べられたハーブから良い香りのする、綺麗に片付けられた部屋だった。

 マスコットグッズやぬいぐるみなどはそれほど見当たらないが、明らかに女の子――しかも若い、几帳面な子――の部屋だとわかる感じだ。

 

「ししゃも、起きた? 一緒に遊ぼうか?」

 クッションの方からずずい、と上半身を乗り出してきたのは、美しい光沢をした長い黒髪の、若い女。目鼻立ちはすっと整っており、大きな黒目がちな瞳が印象的な、やや硬質な美貌をもった少女だった。

 ……って、大きめなサイズのTシャツで上半身を乗り出してるから、胸が! 胸の谷間が!  

 まあ、言う程大きくないみたいだけど。

 部屋を見渡すと、壁際に高校のものだと思われるブレザーがかかってるし、よくよく見てみると顔つきもあどけなさが残る。とすると――なんだ、JKか。

 それなら胸のサイズも発展途上の標準サイズといったところか。

 なるほどなるほど。


 ――って…………。


 ええええええ? じぇ、JKええええええ!?

 なに俺? なんか血迷って援交しちゃった?

 記憶にないんですけど? 昨日帰ってから飲んだビール一本で一夜の過ちを犯した?

 いやいや! 青少年健全育成条例に反することは神に誓ってしてないんですけど!? 

 と、その時、壁に立てかけてあった姿見に映った自分の姿に、俺は目をぱちくりした。

 猫?

 ……猫、だよな?

 ふさふさの、灰白色の毛皮をまとった。

 右手を上げてみる。

 姿見に映った猫も、手を挙げる。

 舌を出してみる。姿見に映った猫も、以下同文。

 うん、猫だ。

 …………。

 ……ってええええ? 俺が、猫に?

 

 ちょ、神様! 説明ぷりーず!

 

 思考回路が停止した俺はそのまま剥製のように硬直し、横向きにクッションに倒れこんだ。


「ししゃも? ししゃも! どうしたの!?」

 そう、薄れゆく意識の中で、JKが慌てたような声を出していたことを覚えている。

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