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「風邪をひくよ、エミリー」


ああ、またこの夢だ。

耳に馴染んだ声を聞き、私は内心溜息をついた。しかしいつもと何かが違う。

はてと首を傾げようとしたところ、肩にふわりと何かがかけられた。


「これをかけなさい」


肩を覆った柔らかい布とともに、背後から逞しい腕が回された。

そう、私自身を抱き込むように。

驚き慌てて振り返ろうとしたが、気持ちに反してゆっくりとしか振り返られなかった。

そして目に飛び込んできたのは吸い込まれそうなほど鮮やかな青い瞳。


え、え、ええー!?


思わず叫びそうになり気づいた。声が出ない。いや、思う通り体も動かない。


「ありがとう、アルフォンス」


そして、意思に反して私の口から穏やかなお礼の言葉が出た。


「温かいわ」


そう言って自分が微笑んだのが分かった。意図せず動く自分の体に混乱しながらも、この後の展開に頭を巡らす。これも何度も見てきた夢の一幕だ。

であるならば、次の展開は。

思い至ってハッとした瞬間、青い瞳が近づいてきて、そして私の唇にそっと柔らかいものが触れた。

今度こそ見張った視線の先に、ガラス張りの窓が見えた。


そこに映った一組の男女。男は女を抱きしめ窓に背中を向けている。

そして男の腕の中、接吻を受けながらも男の肩越しに窓を凝視する女は、艶やかで豪奢な金の髪とエメラルドグリーンの瞳を持った…エミリーだった。









「そうきたか!」


叫んで布団を跳ね飛ばす。なんとか意志の力で夢を脱出できたようだ。

ムシャクシャしながら頭を掻き毟る。毛根が大打撃である。


「敵もさるもの…そうきたか…」


私は唸った。どうやら夢は、いや、アルフォンスは私を逃す気はないらしい。


初めての変化に、私は再び唸り声を上げた。

これまでの夢はアルフォンスとエミリーを第三者的な立場からただ眺めているだけだった。だから私は冷静に、客観的に二人を捉えていたし、それが一定の安心に繋がってもいた。

しかし今日の夢は違う。私自身がエリミーの視線でものを見ていた。思考と行動は別々ではあったが。

まるで二人の間で起こった出来事だけでなく、アルフォンスへの想いも思い出せというように。


そう、思い出す。

ここまで強制的に夢で見せられたのでは思い出すも何もあったものではないが。


前世。


その単語が頭に浮かび、私は爽やかな朝に相応しくない、苦々しい気持ちになった。


メルヘンか。


自分でツッコミを入れるしかない。だって高校生にもなってこんな荒唐無稽な話、誰にも話せるわけがない。

私自身が今も鼻で嗤ってしまうのだから。


成長するにつれ、この夢に対する疑問は大きくなっていった。

誰に聞いても、ここまで同じ夢を繰り返し見る人はいない。

それに夢にしてはリアルなのだ。

夢の中では私の存在は登場人物達に認識されていないようなのだが、私自身にははっきりとした意識がある。だから夢から覚めても鮮やな記憶が残るし、その場の匂いや登場人物達の声まで覚えている。ちなみに裁判官なんぞを仕事にしている私の父の声は、登場人物の一人であるアルフォンスの国の法務大臣に似ている。なんというか、偶然にしても流石である。


そうしてある日、唐突に思い至ったのだ。


ああ、これ私の前世だわ、と。


その事実はストンと私の胸に落ちた。

次いでその違和感のなさに驚愕した。

いや、だってそうだろう。前世って、字面でしか見ることのない、現実世界には入る余地のない単語ではないか。

裁判官の父と経営コンサルタントの母に育てられた自他共に認める極めてリアリストな私は混乱した。

誰に言われるまでもなく、こっそりと脳外科の診察を受けるほどに。

そしていたって正常という診察結果をもらった病院の帰り道、忙しい両親に代わって祖父母と接することが多かったから、おっとりした祖母と詩歌に嵌っている祖父のメルヘンな影響が夢に強く出ただけだと自分を慰めた。


それから私は開き直った。

この夢が前世だろうが前世じゃなかろうが、別に今の私に害はない。

見ろというなら見てやろうじゃないか。無料で見られる映画か舞台とでも思えばいいじゃないか、と。

そう思い切ってしまえば、豪華な王宮や時代がかった街並みは興味を引いたし、絵に描いたような美しいエミリーは私の自尊心をくすぐった。

そして何よりアルフォンス。

黒い髪と晴れ渡った空を思い起こさせる青い瞳。これぞまさに美丈夫といった、精悍で洗練された立ち姿。しかも王子様。

前世の私ってばいい男捕まえたのねーと、時に親のような気持ちで二人を見守ってさえいた。

まあ、しばしばアルフォンスの大袈裟な愛情表現に苦笑したりはしたのだが。


しかし。


現実でされようものなら、苦笑どころでは済まないことを思い知ることとなったのだ。









「エミリー。今日も素敵だね。まるで妖精女王のようだ」


…寒い。寒すぎる。

なぜこんな寒いセリフを吐けるのか。

わたしは思わず両腕を擦った。お前は妖精女王なるものを見たことがあるのかと問いたい。

私の横では由紀子が噴き出している。朝から娯楽をありがとう!と言わんばかりの表情で。


私は無視を決め込んだ。

しかし彼のメンタルは強い。非常に強い。この二年間、それは嫌という程思い知らされた。無視如きではへこたれないのである。


「エミリー、どうかこの哀れな恋の奴隷に、君の一欠片の意識を向けてくれないか」


そう言って机に置かれた私の手を取って素早く手の甲に接吻。

奴隷が許可もなく触るな勝手に接吻するな図々しい、と言えればどんなに気持ちがいいだろう。

しかし淑女の嗜みで黙って手を引っこ抜き、口付けられた手の甲をハンカチで拭くに留めた。


「妖精女王は本日ご機嫌斜めだって」


由紀子の言葉に木下はシュンと眉を下げる。毎度のことだが、私を苛立たせるのに由紀子は一役買っている。


再び伸ばされた手に、私が警戒したその時。


「日下部、呼ばれてるぞ」


クラスメイトからのお呼びがかかった。

教室の入り口を見てみれば、セミロングの髪をふわりと巻いた、大きな瞳が可愛らしい女の子。スカーフの色で一年生と知れる。


ああ、またか。


私は溜息を吐きながら重い腰を上げた。


「エミリー」


「絵美里だってば」


呼び止める木下を軽くいなして、私は呼び出しに応じるべく教室を出て行った。









「私、木下先輩が好きです」


校舎裏に着くなり、彼女は私にそう告げた。

そんなこと、呼び出された時点で分かっている。こちとらこの手の呼び出しは飽きる程経験済みなのだ。


「でも、木下先輩は日下部先輩のことが好きだって…。私、諦めようとしました。でも、日下部先輩が木下先輩を何度も振ってるって聞いて。それなのに、いつも一緒にいるし、抱きしめられたりしてもそんなに嫌がっているようにも見えないし…」


そしてキッと私を睨んだ。


「思わせぶりな態度はやめてください!もう木下先輩を解放してあげてください!」


ああ、今年もこの季節がやってきたんだなぁ。


爽やかな五月の風に吹かれながら、私はしみじみとそう思った。


この手の呼び出しは高校入学当時から始まった。木下に懸想する女子の多いこと多いこと。まるでベルトコンベアーに乗せられたお菓子のように、次から次へと大量生産される。


しかしそれも仕方ない。木下は見た目がいい。そんじょそこらの芸能人など太刀打ちできないほど格好いいのは私も認めてはいる。

加えて成績も優秀で、学年主席の座を譲ったことはないし、三年になった時には満場一致で生徒会長に推薦された。

さらにクウォーター。日本女子は青い瞳に弱いのである。しかも噂では、件のオーストリア人の祖父は貴族の称号をお持ちであるらしい。


つまりは、少女漫画もびっくりの、笑えるほどのハイスペックな人物、それが木下・アルフォンス・聖司なのである。


うっかり遠い目をした私に向かって、一年女子はさらに言葉を投げつける。


「木下先輩を弄んでるようにしか私には見えません!付き合う気がないのなら、ちゃんと距離を置くべきです!」


そう言う彼女に、私は引き続き遠い目をしながらも微笑ましい気持ちになった。

初めての呼び出しは、高校入学一年目の五月だった。そう、ちょうど今と同じ季節である。三年目の今となっては風物詩のようなものだ。

彼女達は皆木下に告白し、そして振られる。大半はそれで諦めるが、中には諦めきれない女子もいる。何度もアプローチし、何度も玉砕する。そして次第に私に目が行くようになるのだ。

目の上のたんこぶとばかりに憎しみを向けるようになり、そして我慢の限界を迎えると私を呼び出す。そもそもの総数が多いので、私は何度も呼び出しを受けることになる。

言うことは皆一様に同じ。

木下を解放しろ。思わせぶりな態度をとるな。悪女。エトセトラエトセトラ…


私は声を大にして言いたい。


私の方が切実に解放されたがってるっつーの!!


しかし私の声など彼女達の耳には通らない。そして通ろうが通らまいが、時間が経てば彼女達は自然と木下を諦めていくことを、私は経験上知っている。

木下のその異常なまでの私への愛情表現によって。


皆最初は木下の私への態度を冗談だと思うらしい。周りを楽しませるための、お茶目なサービス精神なのね、と。

しかし一年も半ばを過ぎると流石に気づく。奴は本気だと。大真面目に愛を語っているのだと。

そしてようやく木下への恋に終止符を打ち、あろうことか木下の応援に回るのだ。


なぜだ。

なぜ手のひらを返すように皆木下の応援に回るのだ。


私は待っている。救世主を。

諦めることなく挑み続け、いずれ木下から私を解放してくれる猛者を。


なので、彼女達は私にとって救世主予備軍。多少鬱陶しいものの、基本的には歓迎すべき者たちなのだ。


改めて彼女に向き直る。

ひたむきな乙女の何と愛らしいことか。


「頑張って」


「……は?」


思わず漏れた私の言葉に訝しげに眉をひそめる一年女子。

私は慌ててその場を繕った。


「貴女の気持ちは分かったよ。私も出来る限り木下とは距離を取ろうって思ってる。だから貴女も頑張って。諦めないで、何度でも告白し続けて!」


そう、ネバーギブアップ!

最後まで諦めない者が勝利を掴むのだ!


思わず彼女の両手を掴んで力強く語りかけてしまった。私も多少木下に毒されている。


驚き固まりながらも、ようやく私の言葉を飲み込めたのか、彼女の瞳から私への敵意が消えかけたその時。


ぐい。


強い力に肩を引かれ、思わずよろけた。しかし倒れることなく支えられる。木下の硬い胸板によって。


慌てて下から木下を見上げると、彼は静かな目で彼女を見つめていた。


悲しむようにも、諭すようにも見える。穏やかな湖面のような瞳。


木下は何も言わない。

私も彼女も、木下の雰囲気に呑まれ動けない。


そして長い沈黙の後、木下は静かに言った。


「ごめんね」


その言葉に真っ先に反応したのは一年女子。

我に返ったようにハッと再び木下を見つめ、そして最初と同じ憎々しげな視線で私を睨みつけてその場を走り去った。


ああ、私の救世主が…


ガックリと項垂れる私。最近の若者には根性がないのか。大好きな木下を見習えと言いたい。


「エミリー」


エミリーじゃない、絵美里だってば。


もう何度も繰り返したセリフを心の中で吐いて、私は渋々木下に目線をやった。

眉を下げて困ったような表情をした木下。


「ごめん、出しゃばって。……迷惑だった?」


「うん」


沈黙。


「迷惑だったかな?」


「うん、すごく」


即答した私を数秒見つめ、彼は気を取り直したように私の髪をすいた。


「愛する人を守るのも男の役目だからね」


私の言葉なんか、聞いちゃいねえ。


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