凍る世界3
「最初の一撃は予想外で少し隙をつかれましたが、分かっていれば大した事はない。攻撃思考が一直線で、容易に予測できます。どんなに威力のある攻撃でも当たらなければ意味はありませんよ。おそらく、実戦経験がほとんど無いのでは?」
奴は明らかに僕一人に向けてそう言っていた。
確かに奴の言う通り、実戦――否、誰かと相対して能力を使うのすら初めての事だ。
奴は、いくつもの実戦を経験してきているのだろう。
これだけのやりとりをすれば僕に実戦経験がない事などすぐに明らかになる。それをわざわざ口にするという事は、どういう意味が。
相変わらず、挑発のつもりなのだろうか。
「だったらどうだというんだ?」
奴の真意を読み取るために聞き返す。
「フッ、つまりあなたじゃ私にはどうやっても勝てないという事ですよ。どんなに力があったとしても、戦闘というものを理解していなければ、全く相手になりません」
そこで、フェンリルはちらりと視線をベータの方へと向け、すぐに僕の方へと返す。
「そちらのお嬢さんの方は実力、経験共に相当なもののようですが…いかんせん能力がサポート向きの様ですね。パートナーがあなたでは宝の持ち腐れ、というやつですかね」
「あんたねえ、黙ってれば言いたい放題――」
「何か間違ったことを言いましたか?」
言い返そうとしたベータの言葉を遮り、再びフェンリルは話し出す。
「私は本当に残念に思っているのですよ。もし、あなたに会うのがもっと後、実戦を幾つか積んだ後だったなら、もっと良い勝負が出来たのではないかと思うのです」
「何が言いたいんだ?」
上から見ているかのような奴の物言いに、いい加減苛々してきていた僕は強い語調でそう口にする。
「やるならさっさとやれば良いじゃないか。『楽しいお遊び』じゃなかったのか?」
「だからこそ、言っているのですよ。あなたには見所がある。私をもっともっと楽しませてくれるだけのね。けれども、今のままでは私が一方的に勝ってしまって終わりです。ここであなたを見逃して、成長を待った方が良いのではないか、と私は考えているのですよ」
フェンリルは相も変わらずの不敵な笑みを浮かべたまま、その真紅の瞳でまっすぐに僕を見据えていた。
「あの位で勝った気になるなよ。まだこっちには――」
「手がある、とでも言いたいのですか? 良いでしょう。試してみますか? すぐに私の言う事が真実だと分かりますよ。たとえどんな攻撃をしようとも、もう私にはあなたの攻撃は通用しませんよ」
「ああ、やってやるさ!」
僕は床を蹴って、フェンリルへと一気に間合いを詰める。
「エン君! 落ち着いて!」
ベータの叫びが聞こえたが、構わず渾身の一撃をフェンリルに向けて繰り出す。
無数の氷の刃が煌めき、フェンリルの体へと――当たりはせずに、前方に氷のきらめきが飛び散って行く。
「だから言ったでしょう?」
上空から言葉が降ってくる。見上げると、そこにはフェンリルの姿。
すぐさま右に飛び退り、目の前を雷が走り抜ける。
「あなたの行動などすぐ読めると」
雷が床に落ちる轟音と同時にすぐ耳元に声が。
はっとしてそちらを振り向くが時既に遅く、腹部への激痛と共に、一瞬体が宙へと浮き上がる感覚。
続いて左脇腹へと衝撃が走り、僕の体は一気に吹っ飛んで体育館の壁へと激突してその勢いを止める。
「うがあっ」
全身に激痛が走り、僕は耐えられずに声をあげた。
衝突で口の中を切ったのか、錆びた鉄の味が口の中へと広がる。
「エン君!」
駆け寄ってくるベータの気配を感じる。
ベータに支えられ、立ち上がったところに、
「これではっきりと分かりましたか? あなたでは私に勝てないという事が」
と、前方上空からフェンリルの声が聞こえて来る。
見上げると、そこには椅子に優雅に座り足を組んでいる様な格好で宙に浮かぶフェンリルの姿があった。
「手加減はしたんですよ。分かりますよね?」
笑みを浮かべている様に見えなくもないが、その目は笑っておらず、明らかな恫喝が見て取れる。
確かに奴の攻撃に僕は全く反応できず、完全に無防備な状態で受けてしまった。
こうしてベータに支えられながらでも立っている事が出来るというのは、奴の攻撃が強力な雷撃では無く、ただの打撃であったからだ。
奴の手加減したという言葉は嘘ではなく、奴にその気があれば僕はもう既にこの世とお別れしていたかもしれない。
しかし、
「だったらどうしろ、と…言うん…だ? 泣いて、許しを、乞え…とでも?」
肋骨が折れているのか呼吸の度に激痛が走ったが、何とかそう声を絞りだした。
「ふふふ、そうですね。負けを認めて、あなたの隣にいるそのお嬢さんを私が始末するのを黙って見ていたら、あなただけは見逃してあげましょう」
「あんたねえ!」
その言葉に、僕が反応を示すよりも先にベータが怒気を爆発させた。
「私を甘く見ないでもらえるかしら! 私があんたなんかにやられるはずがないでしょう!」
無意識だろうが僕を支える手にも力が入り、思わずその痛みにうめき声を漏らしそうになる。
「エン君、あなたもこんな簡単に負けを認めたりなんかしないわよねえ?」
フェンリルとはまた別の意味で凄みのある表情で、睨み付ける様にしてこちらを見るベータ。
「もちろん、これ位どうって事ないよ」
僕はベータにだけ聞こえる様に、小声で素早くそう言った。




