鋭い先が
「そうそう。これ、オレが以前に付き合ってた元カノの話なんスけどね」
かつて、とあるバイトで一緒に働いていたバイトの後輩L(仮名)と、街で偶然再会した。
ここは、Mの字でおなじみのファーストフード店。昼メシでも食いましょうや、と、ろくにこっちの返事も聞かず、のこのこ勝手についてきて、いまは対面に座っている。
特に聞かれてもいないのに、Lはべらべらと喋り始めた。
「いきなり夜中にケータイかかってくるから、なんだと思ったら、なんかスッゲえビビッてんスよ。『いますぐ来て!』なんつって」
袋を破って出したストローを、無駄な力をこめてコーラに突き立てるLに、私は適当な相槌を打つ。
「そしたら、なんか部屋の中でわんわん泣いてんスよ。こっちはもう、なにがなんだかわかんねえから、とにかくオンナ落ち着かせて」
アイスコーヒーに落としたガムシロップを、フタに通したストローで掻き回すと、ぶつかる氷が音を立てる。私がその手を止めるまで、Lは話に間を空けた。
「んで、なにがあったって聞いたんスよ。そしたら、そいつ、なんつったと思います?」
「さあな。さっぱりわからないよ」
私の返事がお気に召したのか、どこか得意げなLが鼻息も荒く告げた。
「『そこの釘、どけて!』っていうんスよ、それが!」
「釘……?」
「そうッス。ホームセンターなんかで売ってるフツーの釘ッスよ。それが、床の上に一本落ちてただけ。その先が自分のほうに向いてるからコワいつって。それ、どかすためだけに、オレを呼び出しやがったんスよ」
「その子、先端恐怖症かなにかだったのか?」
「センタ……って、なんスか、それ?」
「いや、いい。それより、なんで部屋に釘があったんだ。そんなに怖がるくらいだから、彼女のものじゃないんだろう」
「そう! そうなんスよ! さすが先輩、話が早い!」
「お世辞はいいよ。それより続きは」
私が話にのってきたのが嬉しいのか、狭いテーブルに手をついたLは身を乗り出してきた。
こういうとき、飲み物にフタがついている有難みがわかる。他人の唾が入らないから。
「それがですね、その三ヶ月くらい前からずっと、そいつ、ミョーなこといってたんスよ。どこに行っても釘が落ちてて、尖ったほうが必ず自分のほう向いてるって。オレは、ただの気のせいだっつってたんスけど」
「行く先々でってことは、それまでは外で起きてたんだな」
「そうッス! それで、ついに家の中にまで釘があって、とうとうキレちまったらしいんスよ。ほら、先輩って、コワい話とか好きでよく話してくれたじゃないッスかー。だから、くわしい人にちょっと聞いて欲しくって。やっぱ、これってアレなんスかね。なんか霊的なヤツが悪さとかしてたんスかね?」
「いや、違う」
私はきっぱりと否定した。
「じゃあ、ストーカーとかッスかね。あいつ、尾行られてるみたいなことはないって、いってましたけど」
「最初の何本かは偶然かもしれない。でもな」
さも意味ありげに、一息置いて告げる私。
「部屋にあった釘を置いたのは、お前だろ」
「はあ? なんでオレがそんなことにしなきゃなんないんスか!」
Lの反応は正しい。疑われたら、そう切り返すのが普通だろう。だが、おそらくこの件は、本人自身も言葉で説明しようもない、暗くてホントしょうもない動機しか考えられない。そう、たとえば。
「面白いからだよ。たまたま続いた偶然を、必要以上に怖がってる彼女を、ちょっとからかってやろうくらいに思ったんだろう。最初のうちは」
眉間にシワを寄せて腕を組み、にらみつけるように私をみつめるLはムスッとしたまま黙っている。
敵意ある視線からこれっぽっちも目をそらさず、私は逆に相手の目を覗き込みながら続けた。
「だが、やめられなくなった。嫌がらせってのはそういうもんだ。相手のリアクションが大きければ大きいほど面白くなる、そういう下衆な遊びなんだ。どんどんエスカレートして、潮時がわからなくなる。お前は、そういうふざけた遊びに取り憑かれたのさ」
「なんスか! まるでオレを犯人みたいに決めつけて! なにか証拠でも――」
「あるわけないだろ、んなもん。あったとしてもつかめるわけがない。いま、話を聞いてただけなんだからさ。だけどな、L。お前、彼女の部屋の合鍵を持ってたんじゃないのか? 彼女が普段どの道を通って帰ってくるか知ってたんじゃないのか? だったら仕掛けられるよな。ホームセンターで買ってきた釘を置く程度のことは」
「オレ、ヤッてないッスよ!」
「あのな、L。細くて先が尖ってるものってのは、呪いの道具としてよく使われるんだよ。釘とか針とかな。よくテレビの心霊番組なんかで、ワラ人形に五寸釘ガンガン打ち付けるボンクラ映像あるだろ? あれだよ、あれ。
もしも、やったヤツが、それを知らなかったとしても、遊び半分のつもりだったとしても、道具が揃って何事かが起これば、そりゃもう、ある意味『呪い』なわけだ。昔っから『人を呪わば穴ふたつ』って言ってな。呪われた相手はもちろん、呪ったヤツにもそれ相応のものが返ってくるもんなんだよ。
ああ、そうだ。大事なこと、聞き忘れてたわ。その彼女……それで、どうなったんだ?」
だん!
テーブルを叩いて勢いよく立ち上がったLは、怒りだかなんだかよくわからない複雑なふくれっ面をして、物も言わずに店から出て行った。
こういうとき、ファーストフード店の料金先払いシステムの有難みがわかる。食い逃げされるおそれがないから。
さて、邪魔者もいなくなったことだし、ハンバーガーでも頼もうかと思ったが、昼時で混雑する中、他の客たちからの無遠慮かつ興味津々な視線が刺さり、顔がチクチクする。しかたなく、飲み物を空にして、Lの飲み残しと一緒にゴミ箱へ片付けると、すごすごと逃げるように私は店を後にした。
それから、およそ一ヵ月後、Lは交通事故で死んだ。
地元では有名なツーリングコースでカーブを曲がりきれず、バイクごと崖から落ちたのだ。
偶然、木の上に落ちたおかげか、L自身はしばらく意識があったらしい。バイク仲間たちが助けを呼ぶ間、励ましの言葉をかけると弱々しく手を振って応えたという。
だが、それが悪かった。バランスを崩し、Lは落ちた。何度も何度も途中の枝にぶつかりながら。
バイク仲間や救急隊がなんとか崖下に辿り着くと、Lはもう動かなくなっていた。衝撃で割れたと思しきヘルメット、その隙間から覗く見開かれた目のあたりに、緑色の針が無数に突き立っていたという。
Lが落ちたのは針葉樹、大きくて立派な松の木の上だったそうだ。