一刀、鈴々と刀について理解を深め合う
連続して、一週間以上開いたので反省
「この道で当ってるんだよな?」
一刀は大国玉の集落から少し離れた山の中にある鈴々の隠れ家に向けて一人で歩いていた。何故、一人かと言えば、予定では一緒に来るはずだった七乃に急用が生じたからなのだが、彼はおそらくそれは嘘だろうと思っていた。
本人たちの意志とは関係なく、七乃は未だに二人をくっつけることに妙に拘っているのだ。
大国玉に来てから半月あまり、”天の御使い”としてのお披露目や、呆れるほどに通信速度の遅いスマホから何とか引き出した大雑把な漆喰の情報を元に材料の目星を付ける作業で、一刀は割と忙しかった。
その間、鈴々との接触は数えるほどしかなく、話してもポツポツとブツ切りの会話が行われるだけだったので、一刀は彼女に嫌われたのだと判断していた。
七乃の計算違いは、彼女自身が鈴々の中で占めている重要性を過小評価したことであり、二人の間に突如として入ってきた一刀を、鈴々は早々には許さないだろうというのが彼の見立てだった。
彼としても鈴々のことを好ましく感じていたので、嫌われるのは残念なことではあった。ただ、既に体を重ねている七乃と鈴々を天秤にかければどちらに傾くかは自明なわけであり、それも致し方ないかとは思っていた。
「”まっ、明日会ってみれば分かるんじゃないですか”か」
昨日の夜、寝物語の代わりに説いた己の説を一蹴した七乃の言葉を思い出しながら、一刀は次の一歩を踏み出そうとして──叶わなかった。
容赦のない鈴々の攻撃が彼を襲ったからだ。
「情けないやつなのだ」
「言い訳のしようもない」
「狐だって、今時こんな見え見えの罠には引っ掛からないのだ」
「お説教は後で聞くから、とりあえず、ここから下ろしてくれないか?天地が逆転してるとどうにも不安でさ」
鈴々は小さくため息をつくと、彼女の隠れ家の周囲に張り巡らせていた人の気配を伝え、獣を遠ざけるための結界としての効果しか期待してなかった粗末な罠にかかり、宙ぶらりんになっている一刀の足にからみついていた縄を一閃した。
「これが鈴々に勝った男かと思うと情けない限りなのだ」
「そもそもアレは、勝ったとか負けたとかじゃないと思うけど」
落下の痛みはほとんど無かったものの、一刀は何となく落ちた際に地面に激突した部分を撫でさすりながら立ち上がった。
「それは鈴々なんかに勝っても嬉しくないってことなのだ?」
「いや勝てたこと事態は嬉しいよ。それで祭さんとも仲良くなれたわけだし」
一刀の答えに鈴々は少しだけ口を尖らせると、何も言わずに一刀に背を向けると来た道を戻り始めた。
やっぱり、嫌われてるよな。自分の答えのマズさに気づきもせずにそんなことを思いながら、一刀は彼女の後ろを追うのだった。
獣道を抜けると一刀の前にはかなり開けた土地が出現した。奥の方には雨風を防ぐのに十分そうな二軒の木造の建物があり、その内の一軒の開け放たれて入口からは赤々と燃える火を見ることが出来た。
「こんな山奥で、ほんとに一人で刀を打ってるんだな」
「山奥というほどではないのだ。大国玉の近くではここら辺が一番風の通りがいいから、ここにしているだけなのだ」
「風の通りって大切なの?七乃さんの屋敷にはふいごあったと思うけど」
「ふいごはより熱くするための風なのだ。鈴々が言ってるのは、周りを涼しくするための風のことなのだ」
ああ、廃熱ってことか。一刀は平安時代の知恵に関心しかけたが、ふと一つの思いつきが彼の頭をかすめた。今まで一度もソレがそういった役割の為に存在すると考えたことはなかったのだが、一刀が教わり経験的にも正しいと分かっている知識を元に考えれば、ソレはそういった役割のために存在するはずなのだ。
「煙突って無いの?」
「エントツなのだ?」
やっぱ、無いのか。一刀は諦めかけたが、ひしおの件もあったのでもう少し言葉を足した。
「何っていうのかな。天高くのびた筒なんだけど、その先から熱い空気を逃がすんだよ」
「何でそんなことするのだ?」
「えっとさ、熱い空気って冷たい空気より軽いからなんだけど」
「湯を沸かすと上の方が下より熱いのと同じことなのだ?」
「そうそう、それそれ。その仕組みを使って、上の方に熱を逃がすと、より効率的に周りを涼しくできるんだと思う、たぶんだけど」
「熱いと何でも軽くなるのだ?」
「あー、基本的にはそうだと思う」
もちろん、応用的な知識など一刀は持ち合わせていなかったのだが、彼は何となく口を濁してしまった。キラキラとした目でこちらを見てくる鈴々の前で自分の無知をさらすことが何となく躊躇われたのだ。
「凄いのだ。そんなこと考えたこともなかったのだ。つまり、鈴々ももっと熱くなれば、もっと速く動けるようになるってことなのだ」
「いや、それは止めといた方がいいと思うけど」
「何でなのだ?」
「ほら、燃えちゃうだろ」
一刀の指摘に鈴々は見るからにシュンとなった。
「ほんとなのだ。けど、それだと一刀が言ったエントツも燃えちゃうと思うのだ」
「それは燃えないように煉瓦とかで作るんだけど──そんなもんないか」
自分の言葉を自分で否定して、一刀は平安時代に自分の知識を役立てることの難しさを改めて感じた。最初は言葉が通じることもあって、心の何処かで簡単に済むのではないかと考えていた一刀だったが、そんな安易な期待はとっくに捨ててしまっていた。
彼が暇なときに自分の現状を分析して思い至ったのは、この世界には彼の知識を受け入れるための土台が存在しないということだった。そして、彼の日本史の知識が告げるところでは、日本にその土台が形成されるのは、はるか先のことなのだ。これはつまり、彼が一人で土台作りから始めなくてはいけないことを意味していた。
まあ、無理だよな。一介の学生に過ぎない自分の身上を冷静に判断して、一刀はあまり大それた考えを抱くのは止めていた。彼に出来るのは、精々が一つや二つ、この世界に本来ならまだ存在しないものを作り出すぐらいのことだけなのだ。
ずいぶんと難しい顔をしているのだ。鈴々はもの思いにふけっている一刀を見て、心配そうな表情を浮かべていたが急にその顔つきをガラりと変わった。その顔はいわゆる会心の笑みというやつで、彼女が自分の思いつきを素晴らしいものだと考えていることを如実に語っていた。
「そうなのだ、せっかくここまで来たんだから、一刀のために一振り刀を打ってやるのだ」
「えっ?いや、悪いよ。鈴々、自分の刀打ってたんだろ」
「気にすることないのだ。どうにも、気に入る刀が打てなくて煮詰まっていたところなのだ。気分回転にちょうどいいのだ」
一刀は鈴々がクルクルと顔色を変えながら回っている図を想像したが、特に修正などはせず、走っていく鈴々を、思ったより嫌われてなかったらしいと考えながら小走りで追いかけるのだった。
───
──
─
鍛冶場の鈴々は、一刀の想像をはるかに超えていた。
その真剣な顔もそうだが、何よりも驚かされたのはその手の動きだった。何せ、微塵の躊躇いもなく燃え盛る火の中に平然と突っ込まれているである。
「あ、熱くないの?それ」
「<鉄身>の力なのだ。この程度なら、ちょっと熱めの湯に入ってるくらいの心地なのだ。鍛冶は火の熱さが命なのだ。文句は言ってられないのだ」
鈴々さまと一緒にいるとうちの鍛冶たちが自信なくしちゃうんですよね。大国玉の集落にも鍛冶場があるにも関わらず、一人で鈴々が山奥で刀を打っている理由をたずねたとき、七乃が奥歯にものがひかかった様子でそう言っていた理由が、一刀にもやっと理解できた。
「これは確かに自信なくすのも無理ないか」
「七乃も似たようなこと言ってたけど、世には鈴々より選れた鍛冶師はいくらでもいるのだ。炎の色を見るだけで火の熱さを測れる彼らの方が、ずっとずっと凄いのだ」
燃え盛る火の中に置かれた鉄の位置を素手で微調整しながらの鈴々の言葉を、一刀は内心でそれは違うなと思っていた。彼らが絶望するのは、世の鍛冶師たちが長年の経験によって手に入れる力を、火の中に手を突っ込むという方法であっさりと可能にしてしまう<鉄身>という才の在り方なのだ。
そんなこと、理解すら出来ないだろうな。一刀は真剣な表情で炎に空気を送っている鈴々の横顔を眺めながら、鈴々の傲慢さを想い、あるいはそれは人の傲慢さであるのかもしれないと思った。鳥が空を飛ぶのは鳥が鳥だからであって、それに嫉妬する人間の方がどうかしているのだ。
「そういえば、こっちの刀って真っ直ぐなんだよな」
灼熱した鉄に槌を振り落とす作業が一段落したのを見計らって、一刀はずっと気になっていたことを言った。
「一刀のところでは刀が曲がっているのだ?」
「曲がっているっていうか、反ってるだよね。三日月みたいな形っていうのかな」
鈴々は槌を地面に置くと、今まさに打っていた鉄を強引にしならせて反りを作った。
「こういうことなのだ?」
「そういう風に反らせるんじゃないとは思うけど、形的には」
「これはつまり、この出っ張っているところでものを斬るってことなのだ?」
「正直、俺は使ったことがないから自信はないんだけど、もう少し先の方で斬っていたような気が」
鈴々はしばらく目の前の反った鉄を見下ろしながら、ブツブツと何かを呟いていたが、突如顔を上げると、一刀に飛び掛かり、両手両足を彼の体の後ろに回す形で抱きついた。そうなれば自然と、彼の手は鈴々を支えるように彼女を抱きしめる形になる。
「凄いのだ、一刀。こっちの方がたぶんよく斬れるのだ」
「喜んでもらえて良かったよ」
二人とも鍛冶場の熱で、顔にはかなり汗が浮かんでいたが、鈴々はそんなことも気にせず一刀のほほと自分のほほをすりよせた。
七乃さんとはまた違う、甘い匂いがするよな。一刀が割と失礼なことを考えていると、頬ずりを止めた鈴々が、ぴったりと彼の顔を見つめていた。
「やっぱり、一刀は凄いのだ」
「そんなこと無いと思うけど」
「一刀は、鈴々のこと嫌いなのだ?」
「嫌われてるのは俺の方だと思ってたんだけど。その、七乃さんのこともあるし」
「七乃と一刀が一緒に寝てることを言ってるなら、そんなこと気にすることないのだ。選れた雄は、多くの雌をはべらせるものなのだ」
「けど、近頃、鈴々、俺にそっけなかっただろ?」
一刀は鈴々を責めるように言いながら、その汗ばんだ額に口付けをした。
「あ、あれは、一刀が七乃みたいな身体つきが好きなのかなと思って、それで──」
鈴々さまに恥をかかせたら承知しませんよ。一刀は誰かが言ったそんな言葉を思い出して、鈴々の口をかつて自分もされたのと同じ方法でふさぐと、鈴々を抱きしめたままゆっくりと近くの棚に腰をかけ、彼と彼女の下半身を密着させた。
「これで気にすることないって証明になったかな?」
「こ、こんなに大きくなるものなのだ?」
「それだけ鈴々が欲しいってことだよ」
一刀がそう言うと、どちらともなく二度目の深く長い口付けが始まったのだった。
───
──
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「あれ?随分とお早いお帰りでしたね」
次の日、屋敷に二人で揃って帰ってきた鈴々たちを見た七乃の顔には、ほれ見たことかという表情が浮かんでいたそうな。