一刀、七乃と祭と話す
もう一つの方は書きあぐねているのに、こちらは妙に筆がのる。ただの逃避だけど。
「──つまり、お主は千年後の関東からやってきて、そこの知識では、わしらは全員男じゃったと、要するに、そういうことか?」
全然、要せてませんけどね。七乃は二度目になる一刀からの説明を頭の中で咀嚼しながら、少しばかり余裕がある脳の片隅でそんなことを考えた。とはいえ彼女からすれば、祭の様子は最初に一刀の話を聞いたときの自分の似姿でもあるわけで、そこまで愉快な見世物というわけでもなかったが。
「にわかには信じがたいが、その音や光の出る板を見る限り、否定もできんか」
一刀の手の中でいじっているスマホを恐ろしげに見ながら、祭は力なく呟いた。
祭さんをして、これです。他の人たちに本当のことを言うのはやめておいた方が無難でしょうね。先ほどより老け込んだ感すらある祭を眺めながら、七乃はとりとめなく思考をめぐらせていた。
「祭さん、それを見せれば、全ての人が一刀さんの話を信じると思いますか?」
「まあ、無理じゃろうな。妖術の類と思われるのが関の山じゃろう。天の御使いか。確かに、それぐらいしか手はなさそうじゃの」
「俺の柄じゃないと思うんですけどね」
「安心せい、北郷。神を名乗るのに向いてるなんぞは、人でなしの証拠じゃ」
「それ、暗黙裡に大国玉の神社を仕切ってるわたしを口撃してません?」
「別に一般論じゃよ。それはそれとして、お主は人でなしの類じゃとは思うが」
「それには俺も少し同意です」
「少しとは、北郷。お主、人が良すぎるぞ」
二人の思わぬ連携に、七乃は不満げに唇を尖らせた。
「酷いですよ、二人とも!まあ、わたしも同じ意見ですけど」
そのおどけた答えに、まず一刀が笑い声をあげ、次いで祭まで押し殺した笑い声をもらし始めたので、最後には何がおかしいのかよく分からないまま七乃も笑ってしまった。
前の方では鈴々たちが、何事かと振り返っていたが、今の彼女たちにはそれすらもツボである。しばし、三人の乗る馬の上には調子外れの笑い声が満ちた。
「何がそんなにおかしいんやろな?あの三人」
「放っておくのだ。きっと難しい話をし過ぎて頭がおかしくなっただけなのだ。しばらくすれば治るのだ」
そんな鈴々の寸評も知らず、この間の抜けた一幕から最初におりたのは祭だった。
「じゃが、事情はおおむね把握した。わしは真桜たちと、北郷の補佐をすればいいわけじゃな」
目じりの涙を拭いつつ、七乃が頷いた。
「そういうことですね。ほんとは、祭さんにはもう少し緊急度の高い仕事をしてもらいたいんですけど」
「無理を言うものではない。昨日まで敵対していた将が、何食わぬ顔で威張り散らしておったら、下の兵がいい気持ちせんじゃろが」
「全ての兵が鈴々さまと同じ考えだったら、祭さんに腕っ節を披露してもらうだけで済むから楽なんですけどねー。けど、半年以内には平国香に相応しい地位を御用意してみせると、わたしの真名にかけてお約束しますよ」
こやつ、何人殺すつもりじゃ。鼻歌でも口ずさんばかりの七乃の言葉に秘められた意味を読み取って、祭は醗酵の足りないどぶろくを飲んだような気分になった。とはいえ、彼女が調べた限り、鈴々の軍勢は今のところ、平将門の武に惹かれた無法者どもの集まり以上のものではない。これからのことを考えれば、多少の荒療治は必要であった。
「老骨をそんなに働かせるもんではない。ゆっくりで問題ないぞ、ゆっくりでな」
「またまた、そんなにスベスベの肌してらっしゃるくせに、過ぎた謙遜は嫌味ですよ、まったく」
「そうか、まあ、わしが口出しすべきことでもなかった」
「──えっと、それで俺は何をすればいいのかな?」
二人の雰囲気から話がついたと察して、一刀はスマホをいじるのをやめて会話に割り込んだ。
「ああ、そういえば、その話がまだでしたね。一刀さんにはしてもらいたいことが二つあるんですけど、その内の一つは、ここに来る前に話していた漆喰の製造です」
「漆喰というのは、あの都の寺の壁に塗ってあったりする、アレのことか?」
「その漆喰です。そういえば、祭さんは、都からこっちに来られたんでしたよね。アレの製法って分かります?」
「いや、考えたこともないのう。ただ、たぶんじゃが、製法は木工座の秘伝じゃろう。知ろうとしても、知れたとは思えんが」
「ですよねー。どうやら一刀さんの知識によると、アレって築城に応用できるみたいなんですよ」
「ん?わしが知る限り、漆喰の壁というやつは爪で削ぎ落とせるような代物じゃが」
「と、祭さんがおっしゃっていますけど?」
「えっと、ちょっと待って。もしかしたら、詳しいことが分かるかも」
一刀は手元のスマホでgoogleのトップページが読み込まれているを見ながら、自信なさげに言った。
先ほど一刀が祭に自分が未来から来たことを証明するときに、ポケットからスマホを取り出して驚いたことが二つあった。
一つは、表示されている時計の時間が目覚めた際に確認した16時45分から1分だけ進んでいたこと。
もう一つは、ごく微弱だがスマホに電波が届いているということだった。
つながり易くなったって嘘じゃなかったんだ。一刀は頭の中で思い浮かべた白い犬と禿に感謝しながら、祭とやり取りをしつつ、とりあえず駄目元で自宅に電話をかけた。
予想に反して、電話は簡単につながった。
「も大おお大おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
スピーカーモードにしたスマホから流れてきたのは、聞くに耐えないノイズであったが。
一刀たちが乗っている馬が怯えたこともあって、通話はすぐに中断された。だが、彼も流石に一件では諦めがつかない。
友人のケイタイ。ノイズ。
歯医者。ノイズ。
チケットぴあ。ノイズ。
結果、祭から少し怯えられた対価に、一刀は電話は無理らしいと結論した。
次に一刀はメールを試みた。少なくとも送ることは可能だった。ただ送れるだけのアドレスに緊急に送り返して欲しい旨を記したメールは、未だに一通も返ってきてはいなかった。
そして、最後にWebである。
「えっと、一刀さん、まだですか?」
「ごめん。ちょっとまだ時間かかりそうです」
一刀の記憶では数秒とかからないはずの読み込みが先ほどからずっと続いているのだ。
「そうですか。まあ、詳しいことが分かるというなら、否応はありません。この話は後にしましょう」
「何とも、締まらんのう。本郷、お主、何か自分からやりたいことはないのか?」
「やりたいことですか。俺が元にいた場所には、俺みたいな状況に陥った人の話がそこそこあるんですけど、それの定番だと学校なのかな」
「そのガッコウというのは何じゃ?」
「えっと簡単に言うなら、人に知識を教える場所ですね」
「大学や国学のようなものだと理解すればよいのか?」
「その大学と国学がどういうものだか自信がないんですけど、身分とか関係無しに誰でも平等にそこで学べるというのが、俺のいたところの学校の理念みたいなものでした」
「なるほど、昔、空海上人がそういった施設を都に作ったという話を聞いたことがあります」
「まことか?わしは聞いたこともないが」
「無理もないですよ。本人の死後、しばらくして潰れたはずですから」
その言葉に、祭はむべなるかなという様子で頷いた。
「のう、一刀。お主の優しい心持ちは分かるが、今のわしらの状況を考えれ──」
「ちょっと待ってください、祭さん。その学校というのはそちらでは本当に誰もが通えるものなんですか?」
「というより、義務教育って言って、9年は基本的に誰でも通わないといけないことになってるかあな」
「それは何故ですか?」
祭は小さく肩をすくめた。その仕草を七乃は目ざとく見つけると、自分の質問の意図を補足した。
「一刀さんは確かに優しい方です。ですけど、祭さん。およそ支配する立場にいる者が、たかだか千年でみんな徳にあふれた素晴らしい人格者になると思いますか?」
「普通に考えて、ならんじゃろうな。なるほど、で一刀、お主のところでは何ゆえ、そのギムキョウイクとやらを実施しておるんじゃ?」
二人の質問に、一刀は途方にくれてしまった。何故、国は国民に教育を施そうとするのか。それは一介の高校生に過ぎない彼には、いささか荷が重い質問であった。
「何でって言われてもな。俺のいた時代では、文字が読めなかったりある程度の計算ができないとかなり不便なんですよ。基本的な常識がないと、たぶん働くのに困るだろうし」
「一刀さん、それは前後が逆です。多くの人が文字を読んだり計算が出来るから、そういった様式になったんですよ。その証拠に、この関東にしっかりと読み書きが出来るものなど、100人といないでしょうが、それで困ったことはほとんどありません」
「けど、確か江戸時代には日本の識字率は世界一だったはずだし」
「なんじゃ、そのエドジダイというのは?お主のところの国学の名か何か」
「江戸時代っていうのは、今から六百年くらい後のことを指す呼び名ですね」
「千年後と言ったと思ったら、今度は六百年後か。せわしないやつじゃの」
「いえ、悪くないですよ。きっと、今に近いの方が、わたし達にも理解しやすいでしょうから。ねぇ、そのエドジダイもギムキョウイクだったんですか?」
「当時はそういうのは無くって、けど、寺小屋ってところで、みんな、読み書きと簡単な計算くらいは学んでいたのかな」
「その時点で自主的に学ぶ程度の必要性は存在しているわけですか。何故だと?」
一刀はしばらく目をつむって考え込んだ。計算の必要性の答えはすぐに出た。まだ平安時代にはそこまで浸透していないということなのだろうが、金勘定が出来ないと何かと不便だからだ。しかし、文字を読み書きする必要性については、いまいち適当な答えが出てこなかったので、彼は二人に正直にそう答えた。
「銭か。なるほどな、アレを誰もが使うとなれば、計算が必須になるのも道理じゃわな」
「アレってそんなに流行るんですか。確かに便利ではありますけど、精々が都で回るくらいかと思ってましたよ。一刀さん、エドジダイに支配者はどういう風に文字を使っていましたか?」
七乃はまだ追及の手を緩めなかった。必要性や知識欲もあったが、初手で一刀を甘やかすと後々、彼が知識をひり出す努力を怠るかもしれないという懸念によるところが大きい。祭を味方に引き入れられたことで展望が開けたとはいえ、鈴々たちの陣営の台所事情はまだまだ厳しい。使えるものなら、本当に何でも使いところなのである。
そんな七乃の熱意に押されて、一刀も時代劇の中で見たような気がするという何とも曖昧なものであったが、一つの答えにたどり着いた。
「人が沢山通るところにある立て札に、命令を書いたりとか、かな。いまいち自信ないけど」
「人が沢山。一刀さん、それはどれくらいの数を想定してます?」
「江戸は確か百万都市だったはずだけど」
ぽろりと漏れた一刀の言葉に、二人は呆然とした。
「ひゃ、百万って、あの百万ですか?」
「流石にそれは冗談じゃろ?」
「いえ、ですが、その規模を前提にするなら一般の人間に文字を読み書きさせる必要性が理解できます。いちいち目の前で声に出して命令を読み上げることが不可能な人数でも、一定数の人間が文字を読めるという状況なら、命令の類を行き渡らせることは可能ですから」
「まあ、理屈としては分かるが。しかし、今すぐどうこうという話ではないようじゃな。関東の全域を集めたところで、百万の半分にも及ばんわけじゃし」
「そうですね。一刀さん、とりあえずは漆喰の方に集中してもらえますか」
そう口ではいいつつ、内心では七乃はガッコウというものの導入を真剣に検討していた。鈴々の望みの先にあるのは、関東の都からの独立である。それは言い換えれば、都の貴族たちが関東で行ってきた様々な政を鈴々たちが引き継ぐということを意味していた。
そして、政の根幹には文字があるのだ。読み書きが出来る人間の確保は、5年、10年という長さで考えるなら、決して軽んじることができる問題ではなかった。
もちろん、当面の間は他の方法で凌ぐしかないわけですけどね。七乃は脳内でいくつかの策をめぐらせて、ニヘラと笑った。
「のう、七乃。何か妙なことでも考えておるのか?随分と不気味な顔をしておるが」
「へっ?いやですよ、祭さん。この清廉潔白の申し子と名高い、平真樹に対して、悪巧みなんて」
あっ、悪巧みしてたんだ。七乃以外の二人は同時にほぼ同じ感想を抱いたが、武士の情けでそれ以上の追い討ちはかけないであげたのだった。
「あっ、二人とも大国玉が見えてきましたよっ。帰ったら、盛大に宴を開かなくちゃいけませんね!」
関東の土地に、七乃の声が虚しく響き渡って、消えた。
七乃さんに、いわゆる「西欧近代」の遺産を理解させるかというのは少し悩んだのですが、そこまで頭良くない感じにしようということになりました。あんまり理解度高いと、ちょっと違うお話になっちゃいますからね。
次は、七乃さんといちゃいちゃする話、たぶん。