一刀、鈴々と死合う
「いました、いましたよ、七乃さん!」
「ええ、あの大弓にあの髪色、戦いの相手は間違いなく国香でしょうね」
鈴々の燃えるような赤い髪はかなり遠くからでも、その存在を確認するのに役に立った。彼女は今、馬に乗った銀髪の女性の周りを一定の速度で回っているようだった。
「強いんですか?」
「弱くはないですが、本来であれば鈴々さまの相手ではありませんよ。ですが、馬上から弓を射ってくる相手に、素手で戦いを挑むのはさしもの平将門でも、少しばかり苦労するでしょうね」
それでも少しなんだ。一刀は改めて鈴々の強さに舌を巻く思いだった。
七乃の言葉は、彼女たちの乗る馬が鈴々たちの元へと更に近づくと実証された。
馬に乗り圧倒的な優位にあるはずの祭の呼吸がかなり乱れ、その額には玉の汗が浮かんでいたの対して、下にいる鈴々には汗一つ浮かんではいなかったからだ。
「お主、本当に人間か?」
残り数本になった矢を弓につがえながら、祭は疲れを隠さぬ声音でたずねた。
「両肩を砕いたはずなのに、まだ弓を射れるお前だけには言われたくないのだ」
「ぬかせ、お主とって知っておるだろう。これがわしの神技<快癒>よ」
超常的な回復力。それが祭の持つ神技の正体であった。彼女はこれによって、この戦闘だけで10を超える骨折を一瞬のうちに治し、かれこれ30分以上も鈴々と戦い続けていた。
「褒めてやるのだ。近頃でこれほど鈴々と戦えやつはお前が始めてなのだ」
鈴々は口元に笑みを浮かべた。それは武人であるならば、真剣勝負の場で是非とも浮かべてみたいと思うような、何とも太い笑みであった。
「なんじゃ、褒美に何かくれるでもするのか?」
「それなら、苦しまずに殺してやるのだっ!」
「そんなもの、御免こうむるわ!」
こちらが放った矢を正面で掴み、投げ返そうとしている鈴々を見て、祭は乗っている馬に何とか急制動をかけた。投げ返された矢は、馬の鼻先ぎりぎりをかすめて、近くの木々の一つに深々と突き刺さった。
この孺子、およそ戦闘にかけてはまさに天才よ。祭は、もう半ば自分の敗北を受け入れていた。
<快癒>は死なない限りは、たとえ身体の一部を切り離されても引っ付ければ治るという反則じみた神技であったが、不死身というわけではない。この力は治した分だけ体内のカロリーを消費するのだ。
経験的にそれを知っている祭は、過剰な飲酒によってある種のストックを作り出していたが、己の腹具合でそれがもうとっくに尽きていることを把握していた。
「おかしいの。反則なの」
「確かに、わいらの神技はほとんど制限無しに使えるけど、<鉄身>もそうやって言われたら納得できへんわな。そんなもん勝てるはずないで」
「いや、おそらくそれは違う」
二人の不平に、凪は冷静に反論した。
「将門は防御と攻撃の一瞬だけ、それも身体の一部にだけ<鉄身>を発動させているんだ。だから、あまり疲れていないんだと思う」
「一部だけってどれくらいなの?」
「そうやで、身体の半分だから疲れも半分とか、そういうことやったら、十分にズルっこや」
「たぶんだが、将門はほとんど右手の指先の第一関節まで部分しか<鉄身>を使っていないはずだ」
凪の言葉に、一瞬だけ沈黙が流れた。他の二人も、鈴々がやけに右手をぶんぶん振り回しているなという印象はあったのだ。
「やっぱり、反則なの」
「同感や」
「そうだな」
三人は目配せをし合うと、こっそりと陣の方へと移動を始めた。鈴々それを視界の端に捉えていたが、とりあえずは放っておいた。どうせ早いか遅いかの違いなのだ。そうは思っていても、苛立たしい気分になることは変わりなかったが。
「大将を見捨てるとは、武士の風上にも置けない奴らなのだ」
その言葉に、祭はため息をつくと、自分の姪に、おそらく最後になるであろう忠告をした。
「のう鈴々(・・)、前にも言ったが、お主の言う武士というのは、この世にただ一人お前だけのことよ。この関東にいるのは、ただ日々を生きるのに精一杯の人間たちだけじゃ。理想を追うのが悪いとは言わんが、それに他の人間を巻き込こもうとするのはやめい」
「遠く海のむこうの渤海の国は、力によって滅ぼされたというのだ。強いものが全てを手に入れる。それが今の世というものなのだ」
鈴々のその言葉には、どこか棒読みめいたところがあった。
「まったく、いらん知恵をふきこまれおってからに。あの女狐の言葉を信じて、何人の輩を血の池に放り込むつもりじゃ?」
「妙なことを言うのだ。武士は強いから、武士なのだ。強ければ、負けない。それだけの話なのだ」
そりゃ、お前は死なんかもしれんがな。祭は言い返そうかと思ったが、結局止めた。この石頭を止めるにはもはや力しかない。そう決意してのこの度の挙兵だったはずだ。今更、未練が過ぎるというものだろう。
「そうか。なら、わしは武士なんぞにはなりたくないの」
「当たり前なのだ。これから死ぬお前が、武士になれるはずないのだ」
鈴々はそう言うと、右の足を勢いよく地面に叩きつけた。
「なっ」
地面が二つに割れた。
正確には沼が、というべきだろう。先ほど鈴々を馬から落とした亀裂が、今の一踏みで更に大きく広がったのだ。そして、祭の馬はその広がった亀裂に見事なまでに足を取られた。
「お返しなのだ」
「まっ、卑怯とは言えんわな」
馬から放り出されて地面に大の字で寝ころがっている祭の頭の上に、鈴々は先ほど沼を二つに割った右足の狙いを定めた。
「武士に二言はないのだ。せいぜい苦しまずに殺してやるのだ」
すまんの、紫苑。娘たちを守れなかったようじゃ。義姉妹の杯を交わした友に短く詫びを入れると、祭は反射的に<快癒>が発動しないように意識を集中させた。死ぬときは死ぬものだ。それについて特に異存はなかった。
「助けててええええええええええええええ」
静謐ですらあった鈴々と祭の間にあった空気を、一刀の叫び声が打ち破った。
「素晴らしい大声です、一刀さん。やはり男の方は肺の大きさが違いますね」
七乃が鈴々の近くで馬から降りると、ほとんど同じタイミングで一刀も馬から転がり落ちた。
「あ、あんたね、突然、人を馬の上から振り落とそうとするって、何を考えてるんですか」
「別に振り落とすつもりはありませんでしたよ。腰の辺りにある紐みたいなやつはしっかり握ってましたもん」
「もんって、誤魔化されてませんよ。ほんとに地面と俺の顔がスレスレだったんですからね」
「ああ、大丈夫ですよ。昔、悪戯をした鈴々さまの足に縄をかけて馬に引きずらせたことがありますけど、あの通り、ピンピンしておられますし」
「あれは恐ろしい経験だったのだ。二度とごめんなのだ」
どうやら、まだ少しばかり寿命が伸びたらしい。祭はそう判断すると、薄皮一枚でつながったばかりの首を動かして、状況を確認しようとした。
「七乃と、そっちは誰じゃ?」
「あっ、どうも始めまして、北郷一刀って言います」
「これはこれは。こんな体勢で失礼する。わしは平国香じゃ。まあ、あまり長い付き合いになるとも思えんがな」
「それなんですけど、国香さん。ここまで見事に完敗したことですし、鈴々さまの下につく気はありませんか?」
「──七乃、こいつらは桃香ねえを殺したのだ」
「あっ、そうですか。じゃあ、諦めて死んで下さい」
こうなれば集落ごと焼き討ちしての強行路線ですかね。七乃はさっくりと説得を諦めると、国香たちを皆殺しにすることを前提にした計画を頭の中でめぐらせた。十年以内の破滅が確実視されることはともかくとして、一刀が七乃たちの傍を離れていくだろうことが少し残念であったが、それも仕方がないと割り切った。
「いや、殺してへんから、この通りピンピンしとるから」
「そうなの、なぶりものとかは、単なる言葉の綾なの」
「そうです、祭さまが、そのような暴挙、許可されるはずがありません」
三人が抱えて運んできたのは、後ろ手で縄を縛られた鈴々とよく似た髪色をした一人の少女だった。
七乃は慎重に地面に置かれた少女に近づいていくと、目配せで真桜に縄を切らせ、その脈を確認した。
「すこし手首が鬱血してますけど、脈は正常です。それ以外に目立った外傷はないですし、信じてもいいんじゃないですか。この後に及んで、簡単にばれるような嘘はつかないでしょう」
「命惜しさに言うわけではないが、何もさせとらんよ。そもそも、義理とはいえ平真樹の娘に狼藉を働くようなアホは、うちにはおらんしな」
「よく言いますよ。拐かしだって、十分に狼藉の部類に入るでしょうに」
「まっ、そう言われると返す言葉もない」
何か言いたそうな三人組の様子を見るに、部下の独断専行といったところですか。うちにそれだけのことをしてくれる兵が何人いるかを考えると、やはり、これだけの将器、味方に引き入れたいですね。七乃はどうにか鈴々を説得できないものかと考え、一つの秘策を講じてみることにした。
「一刀さん、どうにか鈴々さまを止めてもらえませんか」
「えっ」
その秘策の名を丸投げという。
止めるって言われてもな。一刀は七乃の言葉に困惑したが、現代人のモラルとして殺人への禁忌は人並みにある。まして、鈴々のような小さな子が人を殺そうとしているのだから、それを止めることに関しては否はなかった。
「あのさ、鈴々。その、国香さんを殺さなくちゃ駄目なのか?」
「当たり前なのだ。敵に情けをかけられるのは武士の恥なのだ。ここでおめおめと生き延びるくらいなら、いっそ潔く死んだ方が、祭のためでもあるのだ」
一刀は平等をきすため相手の方にも意見を聞いてみることにした。
「そういうものなんですか?」
「まあ、命を賭けて戦ったのじゃ。今更、死にたくないから助けてくれと、わしの口から言うつもりはないの。ただ、出来れば、むこうの三人は助けて欲しいが」
「あいつらだって、鈴々を殺そうとしたのだ」
「お主なら、そう言うだろうとは思っておったよ」
祭は諦めようにそう呟いた。ここで折れるような相手ならば、ここまでの事態に発展することもなかったのだ。
「じゃあさ、俺が鈴々と戦って勝ったら、この人たち生かしておいてくれるか?」
「い、一刀さん?気でも狂ったんですか」
「止めておくのだ。さっきので鈴々といい勝負が出来るとでも思ったのなら、それは大きな勘違いなのだ」
「いや、いい勝負が出来るとは思ってないよ。ただ、先に一撃入れられたら、もしかしたら勝てるかなと思っただけで」
あれ?この感じ、もしかして本当に勝算がある感じですか。七乃は素早く計算をめぐらせた。実際、彼女の神技を使えば、先に一撃を入れられるという条件なら、鈴々に勝つことも出来るのである。状況的に考えて、一刀に同じことが出来るとは思えないが、ここは一つ賭けてみるのも悪く無い。彼女はそう結論した。どうせ失敗しても、一刀が痛い目をみるだけなのだ。
「鈴々さま、そこまで言われて、挑戦を受けないのは武士の名折れってやつじゃないですか」
「うん。確かに、そんな気はするのだ」
「ここは一つ、一刀さんの攻撃を見事に耐え抜いて、本物の武士の凄さを、この思い上がったスカポンタンに見せ付けてやってください」
「わざわざ攻撃を受けるのだ?」
「そりゃ、そうですよ。もちろん、鈴々さまがちょっと本気になれば、こんなひょろひょろの雑草みたいな男の攻撃が当たるはずありませよ?だけど、もしその攻撃をよけたとしたら、鈴々さまが、この雑草野郎の攻撃に怯えたみたいじゃないですか。いいんですか?関東一の武士が、こんなちんけなへなちょこ野郎に恐れをなしたと思われて?」
ちょっとした言葉の綾。言葉の綾。一刀は心の中で念仏のようにそう唱えて、平常心を保った。これが七乃からの援護射撃であることは間違いないのだ。それ以外の要素が混ざっていることもまた明白であったにしても。
「よくないのだ。一刀、かかってくるのだ。その一撃とやら、この平将門が見事に受けきってみせるのだ」
「きゃー、鈴々さま、素敵ー」
なんかこう釈然としないよな。一刀は鈴々の後ろ側に回り込みながら、人生というものの不条理さを噛み締めていた。そもそも、これが本当に効くのかどうかも定かではないのだ。
一刀は鈴々の肩に両手を置くと、その肩幅の小ささに愕然とした。これからしようとすることの絵面を考えるに、どうやっても児童虐待以外の言葉が思い浮かばない。
「これが、その自慢の一撃というやつなのだ?」
「いや、それはこれからだけど。鈴々、先に断っておくが、人の生死がかかってるんだ。本気でやるぞ?」
「構わないのだ。へなちょこ野郎の攻撃なんて、怖くもかゆくもないのだ」
「そうか──」
小さく息を吐くと、一刀は両の手を力強く握り込み、作ったこぶしで、思いっきり鈴々の両側のこめかみを捻りを入れながら圧迫するのだった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ」
平将門──死因、こめかみへの矢による一撃。
本当の死因は違うってWikipedeiaにも書いてありましたが、それはそれ。
どうも調べるに、当時は武士じゃなくて武夫って表現しかなかったみたいだけど、それはそれ。
まだ前のから一週間経ってませんが、国香および源トリオの生存が一つ目の大きな歴史分岐点だったので、区切りのいいところまで書きました。
これで国香の殺害に端を発するアレコレが回避されるはずなんですが、あまり正史から外れると、作者のキャパをオーバーしてしまうので、基本、正史で戦った人とは戦って、仲間が増えていく感じのお話になると思います。