鈴々、ものの見事に罠にはまる
おそらく、並列して改稿してたのが原因で同じ話が二重になったので再度投稿。
「うわー、鬼の形相とはこのことやね」
真桜は、猛烈な勢いでこちらにやってくる鈴々を眺めながら、何とものんびりした感想をもらした。しかし、その声音は少しばかり上擦っており、近くで聞いていた凪と沙和は真桜がかなりテンパっていることを簡単に察することができた。
それも無理のない話ではあった。彼女たちの叔母である平国香──祭の目論見通り、単騎でこちらの構えた陣地に馬鹿みたいに鈴々がつっこんで来たまでは良かったのだが、そこから予定が大きく狂い始めたのである。
「あんなの非常識なの」
「まさか、あれだけの数の兵が時間稼ぎすらできないとは」
彼女たちも、たかが雑兵であの平将門を討ち取れないことぐらいは、先の奇襲の失敗で痛いほど承知していた。しかし、それでも前回は足止めくらいは可能だったのだ。
「つっこんできた馬の顔面を片手でひっ掴んで、そのまま近くにいた兵をなぎ払うって、冗談もほどほどにして欲しいわ」
「何で素手なんだろうとは思ったけど、憎たらしい演出なの」
沙和の言葉通り、鈴々のあまりの武を見せ付けられた兵たちは、まだ数の面では圧倒的な優位にあったにも関わらず、その大半が武器を捨てて逃亡に転じてしまっていた。
「馬鹿か、お主ら。あの孺子にそんな知恵があるはずなかろう」
布で四方を囲んだ陣地の中から素焼きの容器に入ったどぶろくを飲みながら出てきた祭が、三人にそう指摘した。
「じゃあ、姉さん、将門は何で武器一つ持ってないや?」
「さてな。もしかしたら、ただ単に忘れただけかもしれんぞ」
「それは流石にありえないと思うの。武器ももたずに戦場に出てくる武士なんて前代未聞なの」
「どちらにしても、素手の相手にこちらの兵がまったく歯が立たなかったのは事実です」
暗くなりかけた場の空気を、祭は闊達とした笑いで吹き飛ばした。
「何をそんなに沈んでおる?元々、兵の仕事はこちらの用意した場所まで、将門を誘導することだけ。向こうから来てくれるというんじゃから、手間が省けたと喜ぶべき場面じゃろう。見てみぃ、将門のやつこれ以上ないほどに頭に血がのぼっておる」
「言われてみれば、確かにそうなの」
「わざわざ桃香はんを拐かしただけの意味はあったということやね」
「しかし、誘拐などと、そこまでする必要があったのでしょうか」
「仕方ないじゃろ。部下が良かれと思ってやったことじゃ。それをドンと受けてやるのも将の器よ」
祭個人としても非戦闘員を巻き込むのは性に合わなかったのだが、危険をおかして敵の拠点まで忍び込んだ部下の努力を考えれば、何もせずに開放するという訳にもいかなかった。
まっ、将門を倒せば、ここら辺も物騒になる。先に保護しておいても問題はないじゃろ。祭は自分に自身にそう言い訳すると、意識を前方の鈴々に戻した。
「手筈は分かっておるの?」
「ばっちりなの」
「策は隆々ってな」
「問題ありません」
三人の覇気を含んだ声に祭は満足げに頷くと、馬に飛び乗って決戦の地へと駆け、そこで余裕綽々という顔で鈴々がやってくるのを待った。待ち合わせの相手はすぐにやってきた。
「おい、孺子。刀はどうした?」
「国香、桃香ねえは何処なのだ」
祭の手前で馬を止めると、鈴々は感情を全く感じさせない声音でたずねた。
「ああ、あの娘か、兵になぶりものにされるのが耐え切れなかったらしくてな。舌を噛んで──」
「──殺す」
鈴々が手綱を引こうとした瞬間、近くの茂みから声が響いた。
「今なの、真桜!」
「はいよ!」
沙和の合図に従って、真桜が手に持っていた槍を地面に突き刺す。
すると、まるで魔法のように、鈴々が乗っている馬の足元で地面に亀裂が発生した。
普段の鈴々であれば、たとえこのような状況であろうとも、見事に馬を御してみせたのだろうが、この時ばかりは、前方の祭にあまりに意識がのめり込み過ぎていた。
結果、鈴々はぶざまに馬から振り落とされ、したたかに地面に叩きつけれらた。
これが真桜と沙和の神技の力である、物体の弱点を見る<物見>と精神の隙間を見る<心見>の力であった。
そして、最後に<人見>──人体の秘孔を見る神技をもった凪が、まだ体勢を整えきれていない鈴々に襲いかかった。
凪の目には、鈴々の秘孔たちが、まるで夜空の北極星のように見間違えようもなく光って見えていた。例え、いかに鈴々の身体が固かろうと人体であることには変わりがない。経絡秘孔を突かれて無事であるはずがない。
「取ったっ」
彼女の全身全霊を込めた必殺の拳が鈴々の正中線にある秘孔を続けざまに打ち抜き、何かが砕けたような音が周囲に響き渡った。
「満足したかなのだ?」
その感情の篭らぬ声と共に、凪が装備していた鉄製の手甲が後かたもなく崩れ去った。
事態が飲み込めず、今度は逆に呆然とすくんでしまった凪の身体が真桜たちが潜んでいた茂みへと吹っ飛んだ。
その次の瞬間、凪がいた場所を、容易く人殺せる威力を秘めた鈴々の下からの蹴りが通り過ぎた。
「戦場で呆ける馬鹿があるか。しかし、凪の秘孔が効かんとはな。こうなれば我慢比べじゃの」
そう言いながら祭は馬に乗ったまま、先ほど先端に凪の服の襟をひっかけて強引に投げ飛ばした大弓を右の手の内で持ち直し、左手で馬にくくりつけていた酒を一気にあおった。
「これは勝ったの。馬上の方が断然有利なの」
「そうとも限らんで。相手は馬の顔掴んでぶんぶん振り回す化け物や。むしろ、馬なんか乗ってても隙が増えるだけや。まっ、祭の姉貴に限ってはそうでもないんやろうけどな」
「祭さんの弓使いは紫苑かあさまに並びますからね──すいません、力及びませんでした」
「気にすることないで。凪はよくやったのわ。それにまだ想定の範囲内ってやつや」
「そうなの、後は祭さんに任せて、わたし達は頑張って応援するの」
後ろから聞こえてくる声援に、祭は苦笑を浮かべた。
「尻尾を巻いて逃げたいところじゃが、こうも言われてわ、カッコつけるしかないのう」
「逃げたければ逃げればいいのだ。どうせ、大した差はないのだ」
どのみち全員死ぬのだから。殺気を抑えることもなく撒き散らしている鈴々を見れば、その言外の意味を汲み取るのは容易だった。
「ふむ、あの三人はワシに言われて動いただけじゃ。見逃してはくれんか?」
鈴々は何も言わずに、ただ首を振った。
「そうか、これでまた一つ負けられない理由ができたの」
相手の瞳にあるのは恨みというよりは怒りであるように思えて、祭は将門という武士の純粋さを改めて惜しんだ。彼女は決して鈴々のことが嫌いではなかった。ただ一門の長としては最悪の類だとは思っていたが。
「せめて、好いた男でもおれば、少しは変わるかもしれんがの」
好みの男が、自分より強い男では、一生可能性などないじゃろうな。祭は心の中でため息を吐くと、鈴々に矢を放つのだった。