一刀、七乃に真名を許される
この前の後書きで、新キャラが出ると言ったな。それは嘘だ。
「いいんですか?」
どんどん小さくなっていく鈴々の背を、七乃の肩越しに眺めながら、一刀は少しばかり当惑していた。七乃は先ほど伝令に来た男に軍勢を集めるように命じると、それ以上は特に急ぐでもなく、先ほどからゆっくりと馬を歩かせ続けていたからだ。
「問題ありませんよ。国香の軍勢ごときに、鈴々さまが遅れを取るはずもありませんし」
「それはそうなのかもしれませんけど」
「そもそも、わたしが止めても、あの方がお聞きになるとは思いません」
七乃の言葉にこめられた明らかな自嘲の念に、一刀は虚をつかれた思いだった。何せ、先ほどまでの会話を聞く限り、二人のうち主導権を握っているのは、どう考えても七乃の方だったからだ。
「意外ですか?まあ、鈴々さまは単純な方ですからね。わたしでも普段の行動を御すくらいは出来ます。ですが、およそ戦のことに関して、あの方がわたしの意見を汲んだことなんてありませんよ」
「戦の知略には優れているってことですか」
「まさか、鈴々さまは典型的な猪武者ですよ。いえ、典型的とは言えないかもしれませんね。何せ、この関東にあの方より大きな猪がいるとは思えませんし」
猪とか出るんだ。一刀たちをのせた馬は大国玉の集落の中央を通る道を進んでいたが、やはり近くで見ところで、竪穴式住居は竪穴式住居だった。
「なら、止めないと危ないじゃないですか」
「そりゃ危ないですよ。このまま国香たちを全員討ち取ったりしたら、少なくとも関東の武士の半分は鈴々さまの敵に回ります。朝廷だって黙っていないかもしれない」
七乃の見立ては、一刀の記憶にぼんやりとある平将門の軌跡とかなりの程度まで一致していた。将門は国香たち皆殺しにした後、その遺族たちと血みどろの闘争を開始することになるのだ。
「そこまで分かっているなら、何で?」
「何もしなかったとお思いですか?わたしはこれまで何度も鈴々さまに、国香たちとの相続争いで譲るところは譲るべきだと忠告しました。ですがあの方は、強い者が全てを取ればいいと、本当にそう思っていらっしゃるんですよ」
強いやつが正しいのだ。そう言いながら無邪気な笑みを浮かべている鈴々の姿が、会ったばかりの一刀にも容易に思い浮かんだ。
「そんなの、子供の喧嘩じゃないんだから」
「あの方にとっては、全てが子供の喧嘩の延長のようなものなんですよ。どうですか、一刀さん。わたしと一緒に鈴々さまを裏切るというのは?貴方とわたしの力を合わせれば、この関東を本当に平定することすら夢物語でもないと思うんですが」
「それは無いんじゃないですか」
「何故です?もう分かっていると思いますが、鈴々さまがいなくても、一刀さんがあの三人組に命を奪われるような事態は起きなかったはずですよ」
心底不思議そうに問うてくる七乃に、一刀は右手で後頭部をかいた。もしこれが何らかのテストなら、適切な答えとは言えないのだろうなと思いつつ、彼は自分の考えを口にした。
「そういうことじゃなくてですね。な、真樹さん、鈴々のことすげぇ好きじゃないですか。だから裏切るとか、ありえないなと思って」
しばしの沈黙があった。一刀は自分の答えが何か不味かっただろうかとかなり焦ったが、七乃の身体が馬による振動とは異なる理由で震えていることに気づいて、最終的には口を尖らせた。
「何も、そこまで笑うことないじゃないですか」
「し、失礼。別に、一刀さんを笑ってるわけじゃないんですよ。ただ、鈴々さまを裏切らない理由なんて”すげぇ好きだから”で十分なんだなと思ったら、どうにも笑いが止まらなくてですね」
「真樹さんのツボが俺には理解不能です」
「そうなんでしょうね。わたしが馬鹿だから、そんなどうでもいいことで延々と悩んでいただけの話で。それと、七乃で構いませんよ。鈴々さまが真名を許してるのに、配下のわたしがそれでは格好がつきませんし」
「そういうものなんですか?」
「いえ、一般的には真名の許可は極めて個人的なものです。これは個人的なケジメみたいなものですよ。それに、別に嫌ではありませんし」
こういうとき、どういう反応を示すのが正解なのか、皆目検討がつかなかったので、一刀はとりあえず黙っておくことにした。その結果として、これみよがしなため息が一つ。
「まあ、真名のない世界からきた方に、その機微を理解しろというのが無茶な話なのかもしれませんけど。一刀さん、今のは正直、関心しませんね」
「えっと、どうするのが正解だったんですか」
「さて、それは次までの宿題としておきましょうか。どうやら手勢も集まったようです。まあ、今頃、間違いなく、国香たちは血祭りになってるでしょうけどね」
「そうですか?」
七乃は身体を大きく捻って、一刀の顔をまじまじと見た。
「そんなに鈴々さまの強さが信じれませんか?」
「いや、そうじゃなくて。鈴々、素手だから」
一刀は先ほどから、あの折れ曲がった刀で戦うのは流石に無理だよなとずっと思っていたのだった。
「──なんで、それを早く言わないんですか!」
「いや、言いましたよ。いいんですかって」
七乃はそれ以上の口論はするだけ時間の無駄だと悟ったのか、身体の向きを前に戻すと手綱を強く握りしめた。
「とばしますよ、しっかり掴まっていてください」
一刀が返事をする間もなく、馬は鈴々の向かった方へと走り始めたのだった。
七乃さんの好感度が1上がったの回。
裏切る理由ばかりが次々と思い浮かぶんだけど、結局は裏切りもせずにずっと仕え続けて、最後まで自分一人ではその理由に思い至れない、うっかりな人というイメージが割と自分の七乃さん像な気はする。
もちろん、本編では美羽が好きでたまらないと自覚しているわけだけど、自分の人生の全てを美羽に捧げるほど好きなんですねと人に指摘されると、すげぇビックリしそうだなと勝手に思ったので、そういう話を書きました。
次こそ新キャラを出します。