一刀たち、今後の方針を話し合う
すっかり狼少年ですが、目標を下げたら、それに比例することは目に見えているので、次こそは七日以内で。
「おっ、気がついたみたいやで」
「うぅぅ、良かったのぉ。凪ちゃんの目が覚めなかったら、わたし、わたしぃ」
凪が目を開けると、そこには目いっぱいに涙をたたえた沙和と、涙こそ浮かべていないものの目の下にくっきりとクマを作った真桜の顔があった。
何やら、また心配をかけてしまったようだな。凪は自分が家の中で寝かされているらしいことを認識すると、ぼんやりとそんなことを思った。今では真桜たちの暴走を抑える役回りが多い彼女だったが、昔はその活動的な気質を反映して、三人の中で凪が一番生傷が絶えなかったのだ。
最後にこんな顔をさせたのは、わたしが馬から落ちたと──瞬間、気を失った直前の光景が凪の頭の中に響き渡り、彼女は身体がきしむのも気にせず、起き上がろうとした。
「一刀さまは、一刀さまはご無事なんですか!」
飛び上がらんばかりの凪の身体を、膝立ちの体勢の二人の腕が即座に寝具の方へと押し戻した。
「それなら、心配することあらへん。さっきも蜂の巣相手に、よう分からんことしてたで」
「っていうか、三人の中で一番の重傷は、凪ちゃんなの。二日も目を覚まさないから、このまま目を覚まさなかったらどうしようって──」
「まったく、七乃さまも大丈夫やって言うてるのに、ずっとこんな調子なんや。ほんま勘弁してほしいわ」
真桜は苦笑というにはあまりにも慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、沙和のほほをつたう涙をそっと指で拭った。
「すいません、心配をおかけしました」
二人にやんわりと寝具に押し付けられた状態のまま、凪は首の動きだけで謝意を表した。
「ほんとなの、今度こういうことになるときは、前もって断りを入れてほしいの」
「それは──出来る限り、努力します」
「いやいや、あんたら真面目な顔して何言うてるん」
二人の腕が凪から離れると、誰からともなくクスクスと笑い声が部屋に響いた。
「こうやって、三人でおしゃべりするのも何か久しぶりな気がするの」
「せやね、将門さまの下についてから、何かと忙しなかったちゅうのもあるし」
「というより、三人で夜に集まる機会が減ったからではないでしょうか」
「うん?そりゃ、夜警の仕事もたまにはあるやろうけど、そんなの昔からのことやし」
真桜は、凪がその褐色の肌をわずかばかり赤く染めていることに気づかず、純粋に首を傾げた。
「違うの、真桜ちゃん。凪ちゃんが言ってるのは、一刀さまとのことなの」
「ああ、確かに。2,3日に一回は呼ばれるわけやから、都合が合わんのも無理ないか。せやけど、実際に相手をしているうちが気づかんことに気づくとは、凪も大概ムッツリやね」
「じ、自分は単純に事実を口にしただけです」
「けど、気になってるのも事実だと思う。そうじゃなきゃ、そういう話になったりしないの」
沙和の的確なツッコミを、凪は紙一重で避けてみせた。
「それは、家族の相手ですよ。気にならない方がどうかしてるのでは」
だが、所詮は多勢に無勢というものであった。
「ふーん、つまり凪ちゃんは、沙和達じゃなくて、相手の一刀さまが気になっているってことなの?」
「違います、あげ足を取るのは止めてください。自分が何で、一刀さまのことを気にしなくてはいけないんですか!」
「いや、気にしないちゅうのもおかしな話やろ。少しばかり情けないところがあるとはい──」
「一刀さまは、情けなくなんかありません!」
一瞬の沈黙の後、凪の顔が誰の目に見ても明かなほど真っ赤に染まった。
「確かに、アレで結構、男気もあるとは思うわ」
「そこら辺の男だったら、あの二人の伽の相手をすると聞いただけで逃げ出すと思うの」
ニタニタとした顔で頷いている二人に、凪は顔にまだ赤みを残したまま、おずおずと疑問を口にした。
「責めないんですか?二人の想い人に懸想しているんですよ?」
「恋は乙女の必須"あいてむ"なの。そもそも何股もしてるのは一刀さまなんだから、凪ちゃんを責めるのはお門が違うの」
「ウチは出来れば、独り占めしたいけどなぁ。けど、どうせ出来ないんやったら、何処の馬の骨とも知れん女より凪がええに決まっとる」
わたしだったら、きっとこんな風には言えないだろうな。きっぱりとそう言い切った二人を凪は血縁としては誇らしく、恋敵としては眩しい思いで眺めた。
「こんなに素敵な人たちが側にて、自分なんかがいくら想い寄せても、叶うわけありませんよね」
何か悟りきった顔をしている凪を見て、沙和と真桜は互いに顔を見合わせると、これ見よがしに溜め息をついた。
「前々から思ってたんだけど、凪ちゃんはちょっと自己評価が低過ぎるの」
「せや、凪ほどのぺっぴんさんなら、ちょっと甘えてしなだれかかるだけで、男なんて入れ食いやで」
「甘える、ですか」
世紀の難問を前にしたかのように眉をひそめる凪に、残りの二人は小声で意見を交わし合った。
「これは荒治療が必要やで」
「けど、沙和たちではどうしようもないと思うの」
「せやな、ウチらがちゃらんぽらんやから、凪がこないに凛としてしまったようなもんやし」
「今更、沙和たちに甘えろって言ったところで、無理なお話なの」
三人がそれぞれの理由で難しい顔をしていると、部屋の外から七乃の声が響いた。
「姉妹水入らずのところ申し訳ありませんが、少しお時間よろしいですか?」
その声を聞き、再び起き上がろうとした凪を、真桜が慌てて押し留めた。
「まだ無理しちゃあかん」
「この程度の傷、寝ていなくても直してみせます」
「誰もそんなこと求めてへんから!」
二人が押し問答をしている隙に、沙和が部屋の戸を開けると、そこには七乃の他に、一刀と鈴々、そして祭という、将門軍の主要メンバーがそろい踏みをしていた。
「思ったより、元気そうなのだ」
「とはいえ油断は禁物ですよ。命の危険はないとはいえ、普通の人なら三ヶ月はまともに動けない怪我ですから」
「何、凪ならあと二、三日も寝れば、動けるようになるじゃろ」
「流石にそれは無理があるんじゃ」
会話を交わしながら入ってきた一刀たちは、伏せている凪を中心に車座に座りこんだ。凪は最初、寝具の上で正座の姿勢を取ろうとしたが、皆の執り成しもあって、寝具から上半身だけを起こした状態で話に加わるということで落ち着いた。
そこからは、一刀が床に頭がつかんばかりに深々と頭を下げてきて慌てたり、祭が薬と称して酒を飲ませようとして七乃に止められたりと、様々な騒ぎがあったが、凪は自分が幸せ者であると心の底から感じていた。周りの人間が彼女の無事を心底喜んでいることに気づけぬ彼女ではなかったからだ。
「それで凪さん、あなたや一刀さんを襲った刺客についてお話をうかがいたいんです。他のお二人の話からは、どうにも分からないことがありまして」
各人が凪との会話を一巡終え空気が緩まったところで、七乃は頃合を見計らって本題を切り出した。
「あの者は捕まったんですか?」
「いえ、一度は捕まえたんですが、鈴々さまがお二人を抱えて山を降り、改めて戻ってみると影も形もなかったそうです」
「すいません。わたしに意識があれば、そんなことには──」
「過ぎたことはもうよい。それより、そやつは本当に貞盛じゃったのか?」
祭の問いに、凪は口ごもった。祭の実子である貞盛を悪く言うことは、引いては祭を侮辱することに他ならなかったからだ。
「まったく、その聞き方では威圧してるようなものじゃないですか。凪さん、お分かりとは思いますが、今は正確な情報が欲しいときです。気兼ねなく見聞きしたことを口にして下さい」
七乃の言葉に促されて、凪はぽつりぽつりと口を開いた。
「刺客は、血液を使って植物を賦活していました。それにあの見事な黒髪と実力。世は広いとはいえ、そうそういるとは思えません」
「凪さんは、定盛殿と面識はあるんですか?」
「いえ、ありません。ですが、鈴々様は確か、同じ頃に都に上がった仲なのでは?」
話を振られた鈴々は、重々しく首を横に振った。
「この前も話したけど、あいつは仮面をしていたのだ。判断がつくはずないのだ」
「そりゃ、そうですよね、鈴々さま。仕方がありませんよ」
「まっ、鳥は三歩歩くと記憶を忘れるというしの」
「そうなのだ?それは何とも便利なのだ」
こほん。わざとらしい咳払いをすると、七乃はずれかけた話題を元に戻した。
「つまり、実質的に凪さんの証言が一番信用に足るということです」
「<神技>はたとえ双子同士であっても異なるものだと聞いています。わたしが見た限り、アレは祭さまがいつもわたしに話してくれた定盛殿のものに相違無いと思います」
「うーむ、ただ愛紗の場合、頻繁にあの力を使って怪我人やら病人やらを治しておったからのう。わしがもちろん信用の上とはいえ、凪たちにあやつの<神技>の話をしたのも、調べようとすれば容易く分かってしまうことじゃったからじゃし」
「つまり、祭さんは<神技>を真似ただけの贋物だと思っているわけですか?」
「親の欲目を差し引いて聞いて欲しいんじゃが、わしにはそやつが愛紗だとは思えん。すまんの」
そう言いながら祭が凪に小さく頭を下げると、謝られた方は慌てて首を大きく左右に振った。
「謝らないで下さい。そもそも落ち着いて考えてみれば、今の状況で貞盛殿が一刀さまや祭さまを殺そうとする動機がありません」
「そうなんですよね、そこが問題なんです。例え、貞盛殿が鈴々さまに成り代ろうと画策していると仮定しても、こんな闇討ちまがいの行動に出る必要がないんです」
「確かに、ウチならまずは内側に入り込むわ」
「たとえ、祭さんを最後には殺そうと考えていたとしても、今は協力し合った方が得策なのは子供に分かる道理ですからね」
「それなら、贋物を使って仲間割れを狙ってきたということなの?」
「それはそれで釈然としません。わたし達を本当に疑心暗鬼にさせるには、この手法は少しばかり杜撰過ぎます。もちろん、貞盛殿がこちらに付いてくれれば心強いですが、今の段階で言えば、絶対に必要な人材というわけでもありませんし」
やっぱり、結論は出ませんでしたか。まっ、結論が出ないのが結論ってやつでよね。七乃は場に沈黙が満ちるのを感じて、とりあえずの目標を達成したことを確認した。
現在の状況で最も危険なのは、意見の食い違いが目に見えて現れることだ。それを防ぐという意味で、現状の見通しの悪さを共有してもらうというのが、彼女が今回の話し合いの場を設けた最大の意図だったのである。
「とりあえずは様子見かのう。わしも伝手を使って愛紗の行方については探りを入れてみるが」
「幸いなことに、鈴々さまの関東での地盤は順調に固まりつつあります。相手の次の手を見てから──」
七乃が締めの言葉を途中まで言いかけたところで、鈴々がふと口を挟んだ。
「七乃は馬鹿なんだから、考え過ぎるのはよくないのだ」
こいつ、何言ってんだ。敬意の多少はあれど、場のほとんど人間がそのような想いで鈴々を見つめる中、言われた本人である七乃は、素晴らしい忠告を受けたでも言わんばかりに、首を大きく縦に二度も振った。
「ああ、そうですよね、そうか、何でそんな基礎的なことを忘れてたんだろう?要するにコレ、考えさせるためだけの手なんだ、そうすると、あれがこれで、それがああなって、こうなるから──」
ブツブツと小声で何かを呟きながら両手を複雑に動かし始めた七乃に、一同を代表して、祭が疑問の声を上げた。
「おぬし、何をしておるのじゃ?」
「放っておくのだ。七乃は物を考えるとき、いつもあんな風な動きをするのだ。しばらくすれば終るのだ」
「初耳じゃな」
「俺も初めてみました」
「せやな、あんな姿うちも初めて見たわ」
「わたしもなの」
「自分もです」
「当然なのだ。鈴々だって、いつも物を考えてるわけじゃないのだ」
自信満々にそう言い切った鈴々に周囲の人間は不信の目を向けたが、やはり一番付き合いが深いのは彼女であったので、とりあえずは放っておくことにした。
鈴々の言葉通り、しばらくすると七乃の手の動きはピタリと止まり、彼女は何事も無かったかのように満面の笑みを浮かべて、こう宣言した。
「皆さん、これからみんなで仲良く都に上がりましょう」
「お主、気でも違ったのか?それでは先ほどと言っておることが真逆のようなものではないか」
七乃は笑みを保ったまま、祭に対して小さく首を振ってみせた。
「いえ、本質は変わっていません。さっきまでのは守りに入って相手の出方を見る手、今言ったのは攻めながら相手の出方を見る手というだけの話です」
「それは一体、何が違うのだ?」
七乃に抜本的な方針の転換をもたらした当の本人は、いかにも不思議そうに彼女に問いかけた。
「単純な話ですよ。うちの軍の基本は鈴々さまの武だってだけの話です」
「そんなの当たり前の話なのだ」
「そうなんですよ、わたし馬鹿だから、そんなこともすぐ忘れちゃうんです」
つまり、相手が攻めてきたのを守るのではなく、攻め返すというわけじゃな。確かに、わしらにはその方が性に合っているとは思うが。二人だけの世界を作っている主従を極力無視して、祭はその策の良し悪しと、不明瞭なところを冷静に計算した。
「あえてこの時期に、都に上がる理由は?」
「源護が、祭さんたちを殺害したかどで鈴々さまを訴えています。それを取り下げさせるには、本人たちが出ばるのが一番確実ではないかと。あと都には遅かれ早かれ一度は上がるつもりだったんですよ。これほど大掛かりにするつもりはありませんでしたけどね」
「一石二鳥というわけか。それで、この地はどうする?地盤が固まりつつあると言ったのは、そっちの方じゃろうが」
半ば答えを予期しながら、祭は確認のために問いを続けた。
「わたし達ちょっと急に強大なり過ぎたと思うんですよね。他に選択肢が無いっていうか、誰もかれもが鈴々さまに忠誠を誓いにくる有様でしょ。どうせ地盤を固めるなら、より強固な方がいいじゃないですか?そのためには余計な石は排除した方がいいかと思いまして」
確かに今の状況で大きな戦になれば、どれだけの相手がこちら側につくかは疑問なところじゃしな。長年、勢力争いを繰り広げることで、長いものに巻かれる土豪たちの性質を熟知した祭は、そう寸評した。
「しかし意外じゃな。おぬしなら一度腹の中に収めてから、じわじわといたぶるのが好みかと思っておったがの。時間はかかっても、その方が堅実じゃろ?」
「わたしの好みとしては、そうなんですけどね。ただ最悪の可能性を考えますと」
「良兼ともまだ連絡がつかんしの」
「そういうことです」
交わった二人の視線の内には、何か漠然とした不安感のようなものが漂っていた。
おそらく、祭さんも同じ気持ちなんでしょうね。七乃は珍しく酒一つ飲んでいない祭の姿に、焦燥のようなものを感じとっていた。七乃は刺客の正体が平貞盛本人だろうと当たりをつけていた。凪は自ら前言を覆していたが、<神技>というものは他の<神技>の持ち主の存在を仮定したところで、そうそう簡単に真似できるようなものではないからだ。
「分かった、好きにせい」
まっ、それは最も似通った<神技>の持ち主である祭さんが一番良く分かっているはずの事柄ですけど。そう他人事のように思いながら、七乃もまた話がまとまったにも関わらず、どうにも気分が晴れなかった。先ほど話した通り、平貞盛がそのような行動に及ぶ理由が彼女には思い当たらなかったからだ。
それはつまり、この中にいる誰でも鈴々さまを裏切るかもしれないということです。
「えっと、話終わりました?」
暗い靄の中に沈んでいこうとする七乃を止めたのは、一刀の声であった。
「はい。一刀さんも都についてきてもらいますので、そのつもりで」
「分かりました」
何の気負いもなく頷くと、一刀は声を張り上げて、部屋の外に控えていた人を呼んだ。
「えっと、実は手に入った蜂蜜を使って新しいパンを作ったんで、みんなに食べて欲しいんだけど」
「そんなことしてたんですか?」
「俺に出来るのは、それくらいしかありませんから」
いや、他にもあると思いますけど。七乃は何度聞いても、一刀が頑なに口を閉ざす「けんじゅう」という物品のことが頭に浮かんだが、滅多に見せないほど目を輝かせている鈴々の顔を見て、野暮なことを言うのは止めた。
「ふむ?見た限り、普通のパンと変わりないように見えるがの」
「えっと、これは中に具が入っていて──」
「口上をいいから、さっさと食べさせるのだ」
全部終った後で、この場の何人が生き残ってるんでしょうかね。急に騒がしくなった部屋の中でそんなことを思いつつ、七乃は改めて笑みを作ると、自分もまたその騒ぎの渦の中に身を投じるのであった。
「あれですよ、一刀さん。これだけ期待させたんだから、がっかりの時はオシオキですからね」
言い訳をすると、三回ほど書き直したからなんですが、どうにもシックリこないんですよね。作者のキャラ運用能力の無さが恨めしいです。最初は凪さんに種馬の種馬たる由縁が炸裂してたりもしてたんですが、やっぱ病み上がりを襲うには違うよなという気がしたので、今の感じに落ち着きました。
七乃さんはああ言ってますが、別に誰も死んだりしませんので、あしからず。
たぶん、もう一話あって、良兼パートあって、都に上がる途中で凪さんを含む三姉妹で一度って感じかな。