一刀、鈴々と七乃と出会う
――――気がつくと、本郷一刀は何故か森に独り倒れていた。
首だけを一度、二度と振ってみても、彼の視界に入ってくるのは、木と、木と、木だけだった。
白昼夢でも見てるのかな。先ほどまでコンクリートに囲まれた都市の中にいた者としては当然の感想を抱きながら ゆっくり立ち上がろうとしたところで、一刀は手に握りしめていた物体にやっと意識がいった。
スマートフォン。先ほどまで彼が信号待ちをしながらいじっていた文明の利器だ。
考えがまとまる前に、一刀の指先は、反射的にパターンロックを解除していた。
16時45分。示された現在時刻は、一刀の記憶の中にある時間から、現在時刻が一分と進んでいないことを告げていた。
そこから導き出される結論は──
「駄目だ、わけ分からん」
周囲に乱立している樹木たちを改めて見回して、一刀は自分の状況を合理的に説明する術を早々に放棄した。
これは、彼が神算鬼謀と呼べるような知性もなければ、博覧強記と呼べるような知識もない、どこにでもいる普通の高校生であることを考えれば、仕方のないことであった。
「ん?」
どうしたものかと途方にくれていた一刀の耳が、遠くの茂みの向こうから木々のざわめき以外の音を捉えた。抑揚と空白の伴った音の連なりは、獣には使いこなせない知性の響きでもある。
「助かった」
他者の存在を感じ取って、一刀は茂みの方に向かって遮二無二に歩き出した。
「すいません、聞きたいことがあるんですけど」
なるべく好感がもたれるような笑顔を浮かべながら、一刀は茂みの間を抜けたが、彼の健気な努力はすぐに無駄に終わってしまった。自分が話しかけた対象の姿を見た瞬間、その顔からはあらゆる表情が抜け落ちてしまったからだ。
そこには三人の男がいた。
彼らは全員アジア系の顔つきをしており、一人は蝋燭のようにひょろながく、一人は蹴鞠のように丸く、最後の一人は逆に特徴がないのが特徴だった。
彼らの格好は一刀が街でたまに見るホームレスのように薄汚れていたが、それが問題だったわけではない。
問題だったのは、彼ら三人がその手に持った鈍い光を放つ鉈のような刃物の存在だった。
山賊。頭に思い浮かべた単語を、一刀のどこか冷静な部分が一笑に付した。現代日本には強盗はいても、山賊などいるはずがないからだ。
「えっと、あの」
一刀の言葉にならない言葉に、三人の真ん中にいた長くも丸くもない普通の男が反応した。
「おいおい、兄ちゃん、ずいぶんと面白い格好して──」
人間って飛ぶんだな。次々と天高く舞い、10メートルはあろうかという木の上の方に引っかかっていく三人の男たちを眺めながら、一刀は自分の常識が書き換わっていくのを感じていた。
何せ、駆け抜けざまに男たちを無造作に太刀の鞘でふき飛ばしたのは、彼よりはるかに背の小さな、どうみても15より上にはいかない赤毛の少女なのだ。
うん、俺なんか酷く常識外れの何かに巻き込まれてるよな。一刀も日本のサブカルチャーに浸った育ってきた身である。ぼんやりとだが既に自分の状況を受け入れる準備は出来てきていた。もちろん、自分の頬をつねってみることも忘れなかったが。
「まったく馬鹿なやつらなのだ。こんなところで寄り道しなければ、逃げられたかもしれないのに」
己の身の丈ほどはあろうかという直刀を棒きれのように身体を軸にくるくると回しながら、少女があどけなく唇を尖らせていると、彼女の声を聞きつけて青髪の美しい女性が馬を引きながら現れた。
「所詮は烏合の衆ですからねー。鈴々さまの強さに尻尾を巻いて逃げたものの、振り上げた拳を納められなかったってところじゃないですか。しかし、三姉妹ではなくて、ただの三人組でしたか──まあ、ある意味ではその方がよかったのかもしれませんね」
「七乃、何か言ったのだ?」
「いえいえ、鈴々さまの強さの前では、あんな奴ら屁でもありませんでしたねと言っただけです」
「当然なのだ。あの程度の不意打ちで、鈴々をどうにか出来ると思う方がどうかしてるのだ」
「そう言われちゃうと、援軍にきたわたしの立場がなくなっちゃうんですけどねー」
わざとらしく座り込んでのの字を書き始めた七乃を見て、鈴々は慌てて彼女に近寄った。
「そんなことはないのだ。七乃がいなかったら、鈴々の命は危なかったのだ。一生恩に着るのだ」
「ほんとですか?一生分の恩となるとかなり大きいですよ?」
「武士に二言はないのだ」
「それな━━」
あっ、いたいけな少女がとんでもない言質を取られようとしている。一刀は己の正義感が命ずるままに二人の会話に飛び込んだ。
「えっと、すいません。助けてもらって、どうもありがとうございました」
ちっ。何処からか露骨な舌打が聞こえてきた。
「気にすることはないのだ。もののついでというやつなのだ」
「でも俺が助かったことには変わらないから。鈴々のお陰でほんとに助かったよ。改めて、ありがとう」
一刀は深々と頭を下げた。
そして、頭を上げると同時に、その顔面に先ほど三人の男たちを軽々と吹き飛ばしていた鉄の鞘が激突した。
「い、いきなり、鈴々の真名を呼ぶとは何事なのだっ!」
「あー、死ねばいいのにとは思いましたけど、実際に死なれると少し目覚めが悪いですね。自業自得のくせに、はた迷惑な人です。もう一度死ねばいいのに」
「いや、流石にこの程度では死なないけど」
鼻の頭にあるかすかな痛みを、手で撫でることで散らしながら、一刀は笑って返事した。
「は?」
「ふーん」
いかにも事なかれ主義の笑みを浮かべている青年の姿を見て、片方は呆けたように口をあんぐりと開け、もう片方を口角を楽しげに上げた。
「鈴々の一撃を耐えるとは、なかなか見ごたえのあるやつなのだ。お前──お前、何っていう名前なのだ?」
「俺は本郷一刀だけど、そっちのは、つまり呼んじゃいけない名前だったってことだよな」
一刀はいちおう反省した素振りで頭を下げた。どこの蛮習だとよという気はしないでもなかったが、彼だって外国人が平然と土足で自分の家に上がってきたら、理由はどうあれいい気はしない。郷に入れば郷に従えというやつである。
「ああ、別に鈴々で構わないのだ」
「鈴々さま!?正気ですか?真名を教えるということは、自分の心臓を差し出すのと同じ行為なんですよ」
マジで。一刀はその真名とかいうやつを、慎重に扱おうと心の中で強く誓った。
「理由はあの一撃で十分なのだ」
「確かに、この関東を探しても、そんな化物みたいな人間、五人もいないと思いますけど」
七乃はしぶしぶという様子で引き下がった。一刀の方に実に粘度の高い視線を送りながらではあったが。
「一刀できれば、鈴々にも一刀の真名を教えて欲しいのだ」
「ああ、悪い。俺のとこでは、その真名って風習がないんだ。強いていうなら、一刀って名前が真名ってことになるんじゃないかな」
現代日本での常識を聞いて、二人はそれぞれの理由で顔を驚きに染めた。
「ほら、七乃。真名をこうも平然と晒し続けるなんて、一刀は剛毅な男なのだ。こんなやつ滅多にいないのだ」
「真名の風習がない?一刀さん、失礼ですが、貴方どこから来られたんですか?」
「それは逆に俺が聞きたいだけど。ここって日本でいいんだよな?」
「日本?何か勘違いしているのだ。ここは常陸国は真壁郡の野本なのだ」
「常陸国って、鈴々、冗談はよしてくれよ」
「冗談なんて言わないのだ。鈴々は七乃と源護との調停をするために下総の豊田郡からわざわざ野本まで出てきたのだ」
「まっ、調停なんてする前に源護のところの三姉妹に襲われちゃったわけなんですけどね」
入ってきた情報を咀嚼して、一刀は1つの信じられない可能性に行き当たった。
だが、彼がこの前テスト勉強で暗記した知識が正しければ、源護たちと敵対した人間は1人しか存在しない。ありえない可能性を全て排除した後に残ったものこそ、それがどんなに信じがたろうが真実となる。
「鈴々、お前いったい誰なんだ?」
相手の声にこもった恐れにも似た感情に気づく素振りも見せずに、鈴々は平然と答えを口にする。
「そういえば、まだ名乗ってなかったのだ。こっちにいる七乃が平真樹、そして凛々が平将門なのだ」
ありえない名乗りから逃れるように、一刀はずっと持ったままだったスマートフォンに視線をやった。
16時45分。それが世界が彼に与えた答えだった。
将門記でした!
七乃さん萌えが昂じて書き始めました。
三国志でないのは、作者が『天の華・地の風』くらいしか演義ものを読んだことがないためです。というより参考資料をあたる時間があまり確保できなさそうなので、元から資料が薄い時代を選びました。
同じキャラで異なる関係性を上演するための、ト書きのようなものだと考えてくださればいいです。
他に原作との違いとして、一刀さんに、時間軸の差による絶対防御、スマートフォンによるWikipedeiaレベルの知識チートが、武将たちに固有技能がつきます。
具体的には、将門(鈴々)なら「鉄身」ですね。というより、そこからの逆算ですけど。
基本として原作と同じゆるゆるハーレムものです。一人くらい、敵対的な存在がいた方が話が回しやすいので、そいつだけが敵という感じでしょうか。本物はムカデに食われました。
週一で細々と更新していく予定。