4.日常×身体差=事故 ~時には捨て身の戦法で~
「開かない。」
絶賛トイレに軟禁中。
この状態から軽く1時間は経とうとしているんじゃなかろうか。
うん、トイレの芳香剤臭が体に染み付く前に誰か助けてください。
***
そもそもなぜこんな悲惨なことになっているのかという説明の前に私の日常におけるお涙頂戴話から聞いて欲しい。
兎にも角にも体の標準サイズが異なるということは、私にとって日常品サイズも体に合わせて大きすぎるということ。
さすれば日常生活の些細な動作でさえ極めて困難になった。
まず、首が凝る。
首を真上にし、仰ぎ見なければ目線を合わすことができない。
よって片腕に座らされて運ばれるいわゆるお子様抱っこの回数が富に増えた。
楽ではあるんだけど、立派な年頃の女としてはあまりいただけない状況。
運動不足にもなる。
以前重くないのかと聞いたことがある。
ソウには『まったく重さを感じない、愛おしい存在を抱き上げているのだからある意味重い』と囁かれた。
(別に愛の言葉が欲しかったわけではない。)
さらに燕浪さんを筆頭に他の方々からは間近に体温を感じられるのが至福だと言われた。
(それは変態の言うセリフである。)
これだけ大人と子供のような体格差があれば気にするだけ無駄というもの。
ここ最近自分の足で歩くことが減ってしまっている。
年齢的に肉が落ちにくくなっているってのに。
でもちょっとしたことで生傷絶えない毎日を考えると私へのこの対応は正解とも言えるのかもしれないが。
さてさて、今述べたように何も私を猫っかわいがりするのはソウだけではない。
なんせ国民全員のペットという立場だから誰が私を撫でてもかまわないし、抱き上げてもいいし、ほっこりお茶を楽しみまどろんでいてもかまわない。
が、基本的にその割合はほぼソウが占めている。
不公平だとかいう意見が巻き起こらないのが不思議だ。
これが権力の持つ力というものなんですかね?
だから私には一人という時間が貴重。
誰かが傍に90%の確立でいる上に、寝ている時ですら誰かしら(基本、ソウ)がいる。
毎回人の布団に勝手に潜り込んでくる。
以前本気で嫌がって追いだしたら枕元で人の寝顔を一晩中じっと見つめる、という変態行動をしてきた。
起きた時に充血した目と一番に顔を合わせた時の恐怖ったらない。
思わず絶叫を上げてしまった私に罪はない。
次の日は部屋の外に追い出した。
一晩襖の前で待機していたらしい、襖を開けたら正座して待っていたので痺れているであろう足を踏んでおいた。
その後すぐに立ち上げれず、朝食を食べに来れないことで私まで食べるのを待たなければならなかった。
(待たずに食べてもよかったのだけどそうすると後々やっかいなのだ、拗ねるから)
痛み分けというやつだ。
もはや嫌がらせの域に達している。
そこで大人な私は諦めた。
私たちの間で男女の何かがあるわけではないので無の局地に辿り着いたとも言える。
ただ寝心地が悪すぎる。
強制的に添い寝をさせられるぬいぐるみの苦労というものを味わった。
かまわれすぎると鬱陶しがる猫の気持ちもよくわかった。
今となってはすべて慣れだ。
なので精神的に休まる時が少なくなってしまった。
おひとり様大好きな私としては痛いところ。
最近はあんまりにも一緒にいすぎて存在を気にしなくなってきてしまった。
それもどうかと思うが、熟年夫婦じゃあるまいし。
そんなこんなで体力の異なる私は障子を引くのも一苦労。
大きすぎる部屋でランニングができてしまう。
一つの部屋が大きいからか廊下も長く屋内だけで結構な運動量になる。
縁側なんて高さがありすぎて自力で這いつくばって上ったし、せめて布団の上げ下ろしぐらいは社会人として手伝うべきだろうと挑戦したがあえなく失敗。
逆に大きすぎる布団に押しつぶされ救出される事態となった。
ご飯の茶碗を持ち上げるのは無駄な努力といもので、持ち上げただけで腕はぷるぷると震える。
お箸に関しては何これ指の筋力トレーニング?的な重さで物を挟んで口元にまで行き着かなかった。
食べるなんて行為は夢のまた夢。
無念なり。
私専用の食器や日常品を作ってくれたのだが、生憎それが活躍する機会はとんと少ない。
というよりまったくない。
なんせ何もかもあのストーカー王やら周囲が給餌行為をやってくれるからだ。
私専用のができるまでは仕方ないと思い甘んじて受けていたがどうやら皆さん、この行為をお気に召したらしくそれ以来続いている。
介助がないと日常生活が送れない、というのは何とも不便極まりない。
今私には日常的に香麗さんという女中さんに付いてもらっている。
私なんぞのお守りをさせることになって大変申し訳ない。
香麗さんに言わせると今の状況は“役得”というものらしい。
そんなもんなのか真偽の程はわからない。
すらりとした美しさ、という表現が存在しないこの世界では女性も皆さんどこまでもたくましい体つきなのである。
香麗さんも例に漏れず文武両道、その二の腕は私の太ももぐらいあります。
お子様抱っこも余裕でしてくれます。
その姿にほろりと涙がこぼれ、ふわふわのかわいいものに飢えてきた今日この頃です。
とっても優しくて細かい気配りもできる、見た目は私より5~6歳上と言ったかんじだ。
見た目と実年齢が合致しない半ば不老長寿的な世界なので実年齢は不明。
紫色の髪を一つにくくり、あの凛とした美しさにきびきびと動く様はうっとりします。
女性の筋肉美は極めていくと反対に美しい芸術品のようになるということだ、新発見。
話が逸れてしまったが、つまり私の状況はトイレに入ったはいいが、いつもならちょっと開けておく扉が運悪く閉まったことで出られないという笑い話にもならない事故の最中なのだ。
さらにタイミングの悪いことに香麗さんがちょっと用事で外へ出ているときに事は起こった。
たかがそんなこと、されどそんな一大事。
たかがではすまないところが怖い。
外が騒がしくなってきた。
ようやく誰かが気付いて迎えがきたらしい。
この後の展開が容易に想像つくだけにやれやれだ。
***
「怖かっただろう、かわいそうに。」
泣きながら私を抱き枕かのように自分の胸におしつけ、窒息死させてくれようとしているのはもちろんソウである。
私の姿が見えない、とのことで屋敷をひっくり返すかの如く大捜索が始まっていたらしい。
最初は何かと一人になりたがる私はどこぞへ探検にでも出かけているか、日当たりのいい場所で昼寝でもしていると思われていたらしい。
(どこまでも猫扱いだ)
だから女中さん方はすぐに発見して邪魔してしまうのも悪く思い、のん気にゆっくりと探していたらしいのだけれど、私がお気に入りの縁側や部屋、図書室に庭、厨房(主にツマミ食い)になどにいないとなると慌てて執務中の王の元へ駆け込んだらしい。
日頃の日常生活ですら困難な私は些細なことで傷を作る。
だからあわやどこかでケガして動けないのでは、誰かに連れ去られた、くぼみにでも落ちたか、などなど。
不安は悪い方へと流れやすいもの。
ソウは最終的に血みどろの瀕死状態な想像まで行き着き血相を変えて探しまくったらしい。
当の本人はトイレにいる、という間抜けな状況ではあったけど。
知らぬが仏ってことですかな。
そこからはもう大わらわで屋敷中の人間で探してくれたということだ。
まったくもって申し訳ない。
ところで被害者の本人を差し置いてなぜここまで泣けるのか疑問。
そして力加減というものを覚えてもらいたい。
トイレで餓死などという死に方を免れたのはいいが、今度は窒息死に加え圧迫死を迎えそうだ。
う~ん、胸板が厚くて痛い。
アジア人顔の低い鼻がつぶれる、なんて現実逃避もそろそろ限界。
そろそろ三途の川とお花畑が見えてきそうだ。
3文の木戸銭なんて持ってないけど大丈夫だろうか。
ここはこの生き地獄から逃れる為に殊勝に謝り、一刻も解放を願うべく次の行動開始だ。
あと打開策として次からは扉の間に何か挟んでおこうと思う。
「心配掛けてごめんなさい。次からは気を付けるから。」
ソウだけでなく、燕浪さんや女中さんはたまた屋敷で働く人の時間を私の為に無駄にさせてしまっただけあって殊勝に謝る。
時は金なり。
ビジネスの基本だもの、お屋敷の皆さん本当にごめんなさい。
しばらくは大人しく皆さんのかわいい着物の着せ替えやら抱っこやら手をつないでの散歩にも付き合おうと思います。
あれっ、私っていくつだったっけ?
「ああ、いいんだよ。ミーシャのせいではないからね。これからはトイレも誰かと一緒に行くといいよ。うん、それがいい。そうしようね。」
なんたることだ、それは乙女としてなんとして阻止したいところだ。
う~む、ここは捨て身の戦法でいくしかない。
前にやった時は翌日まで精神的ダメージ引きずったが、背に腹は代えられない。
いい年した女がなぜに他人に好き好んで下の世話までされなくてはならないのか。
断固拒否、今度こそ羞恥で死ねる。
ちょっと体制を変えて自分からソウに抱きつく形をとり、すりすりと額をソウの胸にすり寄せる。
いつもは自分からこんなことは絶対にしないのでソウの頬はゆるみっぱなし。
ひじょうに残念な顔だ。恋も一瞬で冷める。
冷められてしまえ。
むしろ嫌われろ。
そんな奇特な人物がいればの話だけど。
「今日のお仕事終わった?この後はいっしょにいてくれる?あのね、庭にね、きれいな花が咲いてたの。向こうの世界では見たことない花だったからなんて名前か教えてほしいなぁ。あと天気もいいし散歩して、縁側でもらったお菓子を食べよ。あと今度から気を付けるからトイレは一人でさせてほしいな、落ち着かないもん。それくらい一人でできるもん。それにね、本も読んで。分からない字があって読み進めなかったの。今日は目いっぱい付き合って。」
お願い事などしない私からの言葉がうれしかったのだろう。
犬だったらきっとちぎれんばかりに尻尾を振っている。
もう目も当てられないほどにだらけきった笑顔である。
今思いつく限りのワガママ?を言ってみたが、自分で言ってて寒気がしてきた。
「いいよ、いいよ、もちろん。ミーシャといる為に今日は特にがんばったんだ。書類なんてほとんど片付けたし、もう仕事は終わり。珍しいね。こんなにおねだりをしてくるなんて。こんなかわいいおねだりいつでも大歓迎だよ。もっとふだんから言ってくれていいのに。長いこと一人ぼっちで閉じ込められてたし、寂しくなっちゃったんだね。今日はずっと一緒にいよう。お願い事は全部叶えてあげるからね。」
ソウは目元を緩ませながらうっとりと私を見つめ、額に口付ける。
いつもならこのセクハラに頬をつねって対応するのだが今日は甘んじて受ける。
頭を撫でられながらしめしめとほくそ笑む。
どさくさに紛れてうまいことトイレ介助も阻止できた。
今日という日を捧げてでも手に入れるべきものは手に入ったし、今日一日という犠牲は仕方ない。
トイレからなし崩し的にお風呂にまで侵入されるなんてことになったらたまったもんじゃない。
お風呂は今のところ強硬に一人で、というのを勝ち取っている。
本当なら、丸洗いしたいのだろうが、これに対しては一緒にご飯を食べないというあまりにもささやかな反抗で勝利を収めた。
ソウはこの世の終わりってなぐらい絶望に彩られた真っ青を通り越した真っ白な顔をし、しばらく動けなかったほどだ。
あまりにもささやかな行為だっただが、こちらがドン引きするほどに効果は絶大だった。
ちょろいな。
逆に簡単すぎて国の行く末が心配だ。
こんなんで大丈夫だろうか。
いや、平和な証ということか。
この後、私を取り巻く周囲がさらに過保護になったことは言うまでもない。
とほほ。