3.鬼≠人間 ~何がどうしてこうなった~
抱きつき魔・ストーカー男と様々な名で呼んできたが(またの名を変態)、この世界の王の一人であるらしい。
蒼志という名があるのだけれど呼んでやる気はさらさらなかったが「呼んでくれない」といじけられたのがあまりにも鬱陶しかった為、ソウと呼ぶことで互いに妥協した。
これはささやかなわたしの意趣返しだ。
ちっさ、という意見は流しておく。
あともっと長ったらしい名前だった気がするんだがそこはまぁあれだ。
あんま生活していく上で覚える必要性もないし、スルーってことで。
断じて覚えられなかったとかではない。
東西南北の4つの国にそれぞれの王が治め、その中でここは東の国に当たるとのこと。
国のことは良くわからない。
まだ詳しいことを教わってないというのもあるし、屋敷の外へはまだ1歩も出たことがない。
私が出歩くのをひどく嫌がる人物のおかげでちょっと外へ遊びに行くという計画も実行出来ず仕舞い。
もっと言うと字が読めないから勉強もあまり進まないというのも大きい。
話せるのに字は読めないなんて。
異世界トリップの付加特典どこいった。
あれか、女子高生限定特典とかいうのか、こんにゃろう。
責任者出てこい。
脳のやわらかさは10代の頃に置き忘れてきたせいで、今から一から語学というのは厳しいのが現状。
はかどってない言い訳ならいっぱい出てくる、ヘンに知恵が付くから大人ってだめだな。
***
忘れもしないあの日、私はここに落ちた。
かの有名な小説の冒頭
“トンネルを抜けるとそこは雪国だった”、ならぬ“穴に落ちるとそこは鬼ノ国だった”といったところだろうか。
会社のある駅に到着し、満員電車の扉が開いた途端にホームへ降りたその瞬間に目の前が真っ暗。
なんだかんだと今まで遅刻はしたことがなかったのだけれど、前日にちょっとむしゃくしゃすることがあってその晩は珍しくお酒を飲んだ。
次の日も仕事があるにも関わらず、それも結構な量で最後はベッドにもはいらずそのまま座椅子で寝てしまった。
そのせいでか寝坊。
いや確実にそのせいなのだけれど。
朝はバタバタして片付けどころではなく、缶やおつまみのゴミもほうりっ放しで帰れば部屋はすごい臭いだろうと顔をしかめながら脇目も振らずに走った。
いつもの電車より何本か遅いものに乗りこみ、なんとか間に合うと胸を撫で下ろしたはずだ。
毎回毎回二度寝して慌しい朝を迎えるという事の繰り返し、学習しない自分の自業自得というやつなのか。
まったくその通りだ、と確実に傷を抉るように(その上から塩も塗りこんでくれそうな)友人が言いそうなことは横に置いておく。
というか置いておきたい。
人間わかっていてもそう簡単に欠点というものは直らない。
会社のある駅に到着し、電車の扉を後ろから押され、足をもつれさせながら体を傾けるようにして出た。
そして落下。
あるはずの地面がなく、私の足は着くべき床を見失った。
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ~
声の限り叫んだ、もう乙女とは思えんような声音をあげた。
ここでいっちょかわいらしく“きゃぁ”とか言えんとこが悲しいかな、私という人間である。
おかしすぎるところがありすぎて、もうどこからツッコんでいいのやら。
落ちながら電車の扉と思っていた箇所から漏れ出る光がどんどん遠くなっていくのを見つめていた。
モチロン、絶叫を上げながら……。
そして瞬時に悟った、もう戻ってはこられないと。
真っ逆さまに落ちた先はソウの膝の上。
そこは大きな湖のそばでどうやら昼寝をしていたらしい。
その際に下敷きになってくれた体を筋肉質ないい体つきだな、などと断じて思っていませんよ、そんな破廉恥な。
だって乙女だもん。
でも筋肉が硬すぎて痛かった。
よくあるトリップもの小説にある召還といった王道ヒロイン的な登場を何故できなかった、自分。
これは私だからこそといったところか。
呆然として何が起こったのかすぐには把握できなかった。
そりゃそうだ。
私は会社のそばの駅にいたはずだ。
これから会社へ行って昨日仕上げた仕事を上司へ提出し、またいつもの戦いの幕が開ける。
昨日面倒ごとを押し付けた挙句、自分は意気揚々と合コンなんぞへ行った営業マン。(おとといもそう言って帰っただろうが)
彼氏とデートだからと仕事を放り出して帰った後輩。(先月別れて泣いてたのは何処のどいつだ)
細かくめんどうな書類を帰り間際に出してきた上司。(それずっと机の上にあったやつだろ)
ついでにパソコンの調子も悪くて思うようにはかどらない仕事。(更新申請してもうだいぶ経ってるぞ)
イライラは昨日酒と共に飲み込み、今日を乗り切れば久々の土日両日の休み。
珍しいことだからと明日は買い物にでも行こうと浮かれ気分だった。
(というよりいろいろ買出しに行かないと日常生活にそろそろ支障をきたしだしてきたのが本音)
ソウが何やら懸命に話かけてくれていたようだがその言葉は耳をかすりもしなかった。
脳だけでなく、耳も働くのを止めてしまったようだ。
ここへきて早1ヶ月。
落ちてきた日から現実に引き戻されたのはしばらく経ってから。
後から聞いた話では1週間は人形のような状態だったらしい。
まるで夢を見ているかのようにただ世話をされ、ぼんやりと過ごしていたとのこと。
そんな中でもお腹はへるようだ。
食物をよこせと主張する胃に我に返り、呆れ、笑えた。
嫌でも夢ではないのだと実感した。
でも笑えるなら大丈夫だ、とも思えた。
この非日常に意識が戻って数日も過ごせばここが地球と違うってのも嫌でも理解する。
この国に日が経つにつれ慣れ始めていることに気がつき、順応能力の高さに驚いてしまう。
社会人3年もやってりゃ適応能力だってそれなりにあるってことだな。
ま、還りたいと泣いて喚けるのはせいぜい20歳まで。
淡々と事実を受け止めるに留まった。
どうやら私は“鬼ノ国”なる、地球とはまったく異なる世界にいるらしい。
そう、つまり異世界。
どこぞのライトノベルのようで、そんなことに憧れる歳は過ぎ去って久しいというのに。
鬼とは日本の昔話にあるような悪いことをしているイメージを抱きがちだが、そうではなかった。
まあ『節○の鬼』という昔話もあるわけだし、悪いばかりではないだろう。
彼らは人と変わらずに生活をしていた。
家屋や着ている物といったら昔の日本のように木造のお屋敷で着物といったかんじだ。
ただ食べ物に関しては和洋中と揃っているようでなんてご都合主義。
おいしい分には文句はない。
気候も日本と似たり寄ったりで四季があるらしい。
今はすごしやすい気候の太陽の日差しが柔らかい春である。
彼らは私たち人間と同じように田畑を耕し、狩をして花を愛でた。
季節の移り変わりに感謝し、生まれてくるわが子を慈しみ、散った命に来世を誓い合う。
そこには残虐非道なものはなく、多少の姿形の違いがあるぐらいのようだった。
そこには平穏そのものといった暮らしがあった。
日本昔話の中の光景が広がっていた。
着ている物も着物に草履。
洋服に慣れている身としては動きにくいこと、動きにくいこと。
走れないし、小股で歩かないとはだけてきてしまう。
ジャージが懐かしい。
昔の人は四六時中これだったというのだからすごい、の一言に尽きる。
姿形の違いとは、みんな総じて背が高い。
平均的に2mはある。
女の人ですら低くても180㎝、10歳の子供ですら私より背が高かった。
平均寿命もなんじゃそりゃ、的な長さで数千歳だとか。
あまりにも長いから途中でカウントするのを止めてしまうらしく正確にはわからないらしい。
もう好きにしてくれ。
さらに許せんことは皆が美しいということだ。
その上背が高いということはプラス足も長い。
なんだこれ、嫌味か。
なんだその8頭身いや9頭身か。
どこのマンガやゲームの世界だ、こんちくしょう。と、何度思ったことか。
ソウも勿論大きい。
おそらく2m30㎝くらいあるのではなかろうか。
そこまでの身長が欲しいわけではないが、足の長さは許せないものがあった。
敵か、敵だな。
筋肉もあり、ガッシリ体系なのだ。
王様?本当は軍人さんじゃないの?と初対面の人なら思うだろう。
というより書類仕事でなぜあの筋肉が出来上がるのか、と思っていたがおそらく鬼族は筋肉質なタイプなのだ。
細マッチョ?何それおいしいの?といったかんじだ。
女性もみんなボディービルダーのような体系なのだ。
女の子のふんわりとしたやわらかさ、とは程遠い体つき。
ソウを見て童話の儚い王子様なんて有り得ないんだなとしみじみと思ったものさ。
そんな中で私は人間だ。
しかしここは鬼の世界で、そして人間という種族は存在しない。
居ることはいるがそれは人権?がなかった。
この世界のよその国には他に2人の人間がいるらしい。
その2人がどうやってこの世界に来たのかはわからないが私と似たり寄ったりと思われる。
そしてその存在はペットとして扱いだという。
小さくて、弱くて、やわらかくて、かわいい。
それが鬼たちの人間への感情。
私に肉がついてるっていうのか。
確かに年齢から落ちにくくはなってきてるけど。
売られた喧嘩は買うぞ。
ま、そんなけ筋肉達磨な種族ならばそういう感想を抱くのも仕方ないかもしれない。
寿命が長い分出生率は低い。
子供に対しても国民全員で大事にするらしいので私もその範疇ということに当たるということか。
数百年に一人の割合で人間は現れるらしい。
定期的に来るわけではないらしく、来ても発見される前に死んでしまっている場合もある。
そうなると私は直接王であるソウの元に落ちてきた分、運が良い。
最初から最高権力者の元に来られたのだから。
ソウには「待っていた。こんなうれしいことはなかった、きてくれてありがとう。」とことあるごとに言われる。
人間はその国の鬼、全員のペット・愛玩動物だ。
保護は王の下でされるが国民の誰しもが愛でる権利がある。
人間が子犬や子猫などの小動物をかわいがる、なんてもんじゃない。
愛でて愛でてかまい倒してくる、というのが正しい表現だ。
今日までソウは、ペットを愛するように私を可愛がっているというわけ。
悪い人ではないのだ、ここまで無邪気に慕われるとほだされてしまう。
この状況下で嫌いにはなれる人はそうはいないだろう。
何より他に行き場のない私には地獄に仏といったところだ。
なにやら他にも人間に対してはいろいろと決まりはあるようだが、私が預かり知らぬことではあるし、どうやら私には害がないようなのでまあよしとする。
(というよりも害が起こりそうになる前にすべてはじかれてそうだ)
ペット・愛玩動物だから敬われるとか、腫れ物に触るという扱いをされるわけではないので環境としては過ごしやすい。
そんな絵本の中のようなお姫様展開や魔王的展開は望んでいない。
過剰なスキンシップなどを除けば皆、笑顔で好意的で快適な環境と言える。
衣食住は保障され、ただ幸せそうに生きていればいい、そういうことだと認識した。
地球へは戻れない、それは落ちてくる時になぜかすんなりと自分の中に入ってきた。
残してきたものはたくさんあるはずなのに心に寂寥といった感情は湧かなかった。
それは今も変わらない。
私は冷たい人間だ。
どこか人としておかしいのかもしれない。
ここまで育ててもらった両親や共に育った兄弟に何の思いも抱かないなんて。
友人へ懐古を感じないなんて。
単に諦めてしまったのかもしれないし、そこまで特別ひどかった覚えはないけれど日々の変わり栄えのしない生活に嫌気がさしてたのかもしれない。
もしかしたら神様がそういう人間を選んでこの世界に寄こすようにしている可能性もある。
それでよかった。
そんな人間でなかったらきっとこんな現実は向き合えなかっただろう。
深く考えすぎない、ケ・セラセラってことで。
ありがちなチート能力があるわけではない。
物語のような展開とは少し言い難い。
構い倒してくるストーカー王に胸やけしつつ、新しい自分を始める気持ちでいこうと思う。
ただ、周囲との身長差・及び付随する身体能力の違いは多くの弊害を私に及ぼした。