2.ご飯=給餌に給仕+膝の上 ~希望は自分で食したい~
「はい、あ~ん」
差し出された匙にはおじや?リゾット?が湯気を立て、きのこと黄金色のあんが絡み合い甘辛い出汁のにおいを漂わせ、黄色の卵が彩りを添え見た目もおいしそうだ。
胡椒のようなスパイスの香りが食欲をそそり、胃が早く食べろと咆哮を上げている。
これが自分で食べているならば一にも二にもなくかぶりつくのだが、しかし自分の手は現在ひざの上。
さらに言うならば畳の上ではなくあぐらをかいた膝の中に抱え上げられている。
着物越しに伝わる背中の体温に暑い、と感じているのは残念なことにどうやら私だけのようだ。
そんな中後ろから腕をまわし、抱えるような体制から匙を差し出している人物は「早く食べて」と期待に満ちた目を向けている。
ご丁寧に口の中を火傷しないようにふーふー、と息を吹きかけ、冷ましてくれた。
その仕草が少し、ほんの少しだけかわいいと思ったがその後の展開が予想できるだけに口には出さないでおく。
そんなこと言おうものなら逆に私に対する褒め殺しに合う。
我が身はかわいい、そんな羞恥には耐えられまい。
純日本家屋のお屋敷にこれまた立派な日本庭園。
着物を着た人々にかしずかれ膝元のお盆には黒い漆を塗った漆器。
お膳一つ一つに美しい花の模様などが描かれており、昔のお殿様が使っていそうな一級品が鎮座している。
こんな状況でなければどこぞの大名のお姫様気分を満喫できただろう。
腹に飼っている獣がうるさいのもありここ最近で日常化してしまった状況にため息をひとつこぼして目の前に差し出されている食事を始める。
「いただきます。」
どうすればこぼさずうまく食べられるかといったタイミングなど、手慣れたものになってしまった。
最初はあんなに抵抗してたってのに、慣れって怖い。
食べ物に罪はないのでしっかり咀嚼し食べる。
今日も繊細な塩加減でおいしゅうございます、ご馳走様です。
この辱めから逃れるのは食事をしないという選択が一番なのだが、いかんせん折角作ってくれた料理を残すという好意には抵抗がある。
大学時代からの一人暮らしでは一向に料理が上手くなることはなかったが、食事の用意の大変さはわかるつもりだ。
元彼に手料理をねだられた時は焦ったものだ、出来合い物を加えてなんとか誤魔化して乗り切ったのも今となってはいい思い出である。
しかし自分で食事をした方がおいしさをより実感できるし、何より自分のタイミングとペースで食事をしたい。
しかし自分で食べる、と強張ったところでその願いが叶えられることがないのは既に連戦連敗が30回を迎えるころに止めた。
ねばーぎぶあっぷ?そんなもん若いやつに言ってくれ。
世間の世知辛さやらを身にしみてる私にはムリムリ。
なんたって私の座右の銘はこうだ。
『人間諦めも肝心』
ここに味方はいない。
だからといって文字通り敵がいるというわけでもなく、危害が加えられることもない。
ただこの状況から救い出してくれる救世主的な誰かがいるということはない、ということだ。
こういった甘やかしに対して現在私は四面楚歌。
むしろ率先してこの目の前のハタ迷惑な人物に手を貸すだろう。
傍に控えてくれている女中さんですらそれはもう微笑ましいものを見る眼差しをくれている。
むしろ自らがやりたい、と思っていそうな。
やめて、イタイよその視線、間違っても25歳(♀)に向ける類のものじゃない。
かつてこれほどの心身的疲労を受けたことがあろうか、いやない。
大事なことなので倒置法を使って強調しておく。
つまり救いの手が差し伸べられることはない、というわけだ。(泣)
ならばせめて直に床に座りたい。
何よりも暑い、今は季節的にまだ許せるがこれ以上気温が上がるようなら絶対に逃げ出すつもりだ。
そもそも自分のみで座った方が安定しているし食べやすい。
なぜわざわざこんな不安定かつ面倒なことをするのか。
もちろん私も最初は戦ったさ。
そりゃあ涙ぐましいほどの努力、努力、努力。
さらに加えて努力、も一つおまけに努力。
もうこの言葉に尽きる、この言葉しかないというほどにがんばった。
がんばったさ、私は。
泣きわめいて、怒鳴り散らして、暴れて。
年甲斐もなく子供の癇癪のように思いつく限りの行動を起こした。
こんな公開処刑のようなプレイはやめてほしい、と。
こんな愛されキャラ王道展開はもっと若い子、女子高生とかせめて20歳までだろう、と。
何度も言うが20代の折り返し地点の女にすることでは断じてない。
あれ、なんか悲しくなってきた…
しかしあろうことかこの人物は泣きだしたのだ。
自分のことが触れられたくないほどに嫌いなのか、と。
ここで膝から降りたいと粘りに粘るほどさめざめと泣き続ける。
見上げても目を合わせることも難しいような巨体の男が目を真っ赤にはらした姿はけっこうシュールだ。
いい大人がやってもかわいくも何ともないが、こちらの良心がいたたまれなくなる。
作戦か、作戦なのか。
まったく厄介極まりない。
なんかいじめっ子のような気分になってしまった。
至極全うな主張をしている私は決して悪くない、はず。
結果はまぁ冒頭に戻る時点で聞かないで欲しい。
ちらりと下から伺うようにいそいそとデザートの果物を差し出そうとしている人物を見上げる。
見るだけなら眼福。
いやもうほんとに。
どこぞのハリウッド俳優といったカンジだ。
が、近づきたいとか隣に並び立ちたいなどとは露ほども思わない。
自分の平坦・平凡さを嫌でも思い知らされるから。
観賞用としては最適ではあるのだが。
これが目の前で泣きだしてみろ、なぜかこっちの良心が痛みだすのもわかるってもんでしょう!?
顔がいい奴ってのは何をやっても徳だよな、けっ。
青みがかった腰まである長い黒髪にすっと通った鼻筋は文句なしの美形だ。
少しつり上がり気味で、何処までも澄み渡った、湖底のような深い色の瞳はいつ見てもきれいだと思う。
女性的な美しさというものとは違う精悍な美がそこにはある。
これでウン百歳というのだ、アンチエイジングのプロもびっくり。
お肌の手入れに困ったことなどなかろうよ、ちくしょう。
目が合うとふにゃりと目元を和らげ、それはもう溢れんばかりの幸せを隠そうともせずに笑う。
せっかくの美形も台無しな表情である。
きっと頭の中は花が咲きまくっているに違いない、お花畑のごとく。
残念極まりないな。
これはこれでギャップ萌えに走るお姉さま方もいそうだが。
かいがしく世話を焼くことを至上の喜びとしているようで今も口の周りを布巾でぬぐってくれた。
汚れてましたか、すんません。
その前にさんざん年齢うんぬんかんぬん言ってたくせにいくつだよ自分、というツッコミは脇に置いといてほしい。
この人物は私の世話を焼くのが大好きなのだ。
むしろ積極的にやりたがる。
言えば下の世話もしてくれそうな熱意が怖い。(お食事中の方は失礼)
「お腹一杯になった?しっかり食べなきゃだめだよ。ミーシャは人間で、ちっさくて、その上か弱いんだから。」
「私が小さいんじゃなくて皆が大きいだけ。私はいたってふつうのサイズ。」
「でも手首だってこんなに細くて、折れちゃいそうだ。この前だって食中植物に食べられかけて危ないとこだったし、昨日も階段でつまずいて青痣も作って。その前にもやぶ蚊に刺されて寝込んだじゃないか。」
「つか、なんで階段のことまで知ってんの。仕事でいなくなった後のことなのに。」
あの時はどれだけ心配したか、と眉を下げてすでに涙ぐんでいる。
しんどかったのはこっちだっての。
不眠不休で看護をしてくれただけにあまり強く言えないが。
ちょっと大きすぎて気持ちわるっと思った蚊に刺された後3日間寝込んだのは記憶に新しい。
というより一昨日までの出来事だ。
そしてやっと昨日布団から出ることを許され、朝食後の一人満喫時間を意気揚々と浮かれていた際の階段でのアクシデント。
寝込んでたせいで足腰が弱っていたんだ、と信じたい。信じさせてくれ。
マンガの中にあるかのようにびたーん、と音がして顔面から地面に衝突したのだ。
鼻が赤くなって某トナカイの歌のような状況になってしまった。
あれは恥だ、なんたる屈辱。今思い出しても赤面もの。
また過保護が爆発して部屋に逆戻り、さらには布団へ直行なんてことになりかねなかったので黙っていたし、周りにも告げないように頼み込んだというのに。
この情報どこから漏れた。
チクッたやつ出て来い。
するとやはり斜め上を行く回答をくれた。
「ミーシャのことなら何でも知ってるに決まってるじゃないか。むしろ知らないことがあるなんて許せないね。昨日も図書室でよだれを垂らして寝てたとか、お風呂で足を滑らせて転んだとか、あと――」
「もういいっ、もういいから」
答えになってない答えをありがとよ。
まだいろいろあるのに、という呟きはスルーしておく。
この変態ストーカー過保護男め。
疲れた。まだ朝だというのに根こそぎ気力を奪われた。
このまま部屋へUターンし、ベッドに包まれて二度寝という楽園へ飛び立ってしまいたい。
ここでひとつ注意しておくが私はけっして小さくはない。
162㎝という身長は日本では少し高いと言えるはずだ。
ヒールによっては160㎝後半になってしまい、下手をすると男の子を傷つけてしまうことも多かった。
昨今の日本はだいぶ平均身長が伸びてきたとはいえ、まだまだ160cm後半の男児は多い。
これで終わるどころか恋にさえ発展しなかったこともある。
思い出すのはよそう、視界が曇ってきた。
「ミーシャはかわいいなあ。天気いいし、今日のお昼は縁側で食べよう。部屋まで迎えに行くからいい子で待ってるんだよ。」
幼子にするように頭をいい子、いい子となでられる。
そんなことされて喜ぶ年齢はとっくに過ぎ去っているのだが何を言っても馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘付け。
まったく聞きゃしない。
でもこの大きなあったかい手に頭を撫でられるのは悪くない。
絶対に言ってやんないけど。
が、にこにこと嬉しそうにしていたかと思えばとたんに顔をしかめた。
原因は部屋にすっと音もなく入ってきた執務補佐の燕浪さんのせいだろう。
「そろそろお時間です。」
小説からそのまま切り取ったかのような執事のセバスチャンをイメージしてもらえれば手っ取り早い。
着ている物は燕尾服やスーツではなくしっくな藍色の着物だが。
背の高い細身の引き締まった体。
切れ長の目からは隙を伺わせない気迫を感じるのに柔和そうな容貌と目元のしわがそれを覆い隠している。
ロマンスグレーというのだろうか、ダンディーなおじ様である。
ちなみに年齢不詳、以前聞いたらはぐらかされた。
若かりしことはさぞやモテタだろう。
今も現役かもしれない、着物の襟から漏れ出てくるフェロモンにノックアウトしそうです。
私にとってはいつもおいしいお菓子をくれるやさしいおじいちゃん。
黒の補佐官、裏の支配者なんて呼ばれているが私にその矛先が向くことがないのでよしとする。
「まだもう少し大丈夫だろう。」
ぎゅっと小さい子が人形を抱きしめるように腕を回された。
瞬間ぐえっ、と乙女にあるまじき声が出そうになるのをなんとか抑える。
ギブギブ、口から魂が出る前に胃袋から先程の朝食と再びお目見えしそうだ。
「お昼を一緒に食べられたいなら早々に仕事に行かれた方が御身の為と思われますがな。それとその手をすぐに離してください。ミーシャがかわいそうです。あんまりオイタをするようならお昼どころか夕食を食べることすらままならなくなることも可能ですがね。
と、言うよりそのまま嫌われてしまいなさい。さすれば昼食は私が二人で堪能できますからな。」
さすが燕浪さん、私のことを助けてくれつつもしっかり攻撃かつ釘をさすことも忘れない。
HP -500 大ダメージを受けた、敵は不適な笑みを浮かべている。
なんて脳内PRGを連想してしまった。
燕浪さんの背後に、阿修羅の幻を見た。
抱き付き魔はあからさまに顔をしかめ駄々っ子のように粘っていたが、結局のところすごすごと部屋を出て行った。
あれは連行されていった、という表現の方がしっくりくるな。
売られていく子牛のようだ。ドナドナ~。
目は口ほどに物を言う、と昔の人はよく言ったものだ。
燕浪さんのあの視線に耐えられる人はいまい。
最後に笑顔で「いってらっしゃい」と言いながら、ばいばいと手を振って見送る。
もちろん救世主である燕浪さんにも愛想を振りまく。
これ大事。
二人して顔をデロデロにして手を振り返してくれた。
燕浪さんのあの表情を向けられるのは現在私のみ。
普段とのギャップが堪りません。鼻血ものです。
ついでに言うとこれをするともれなく休憩と称して一緒におやつが頂けるのだ。
ダンディーなかっこいいオジサマと二人でお茶。
つまりこれは私にとっての大事なお勤め。
ストーカー男は「仕事がんばってくるからね。お昼まで寂しいだろうけどいい子にしてるんだよ。」と泣きそうになりながらも仕事へ出かけて行った。
むしろ言ってる本人が寂しさで死にそうだ。ウサギか。
あとここであまり笑顔を振りまきすぎてはいけないのだが、しかしこれから訪れる安息の時間のことを思うと自然と溢れ出てくる。
これは後々面倒なことになるのを防ぐために必要不可欠なことなのだが、いかんせん詳細はまたの機会としよう。
ようやく開放された束の間の安息時間を無駄にはしたくない。
こうして心身ともに疲れる朝の一仕事を終え、私の一日は始まる。