14.仕事<私情=理性<煩悩 ~王さまのとある1日~ (Side蒼志)
Side蒼志(王)
日が昇ると起床。
隣に眠るミーシャの顔を存分に眺める。
邪魔者がいない唯一の時間と言っていい。
じっくりと余すところなく、つぶさに堪能する。
これはその日の体調を確認する意味もあるので非常に大切な欠かせない事だ。
これを行わなければ1日が始まらない。
その後警備部隊の鍛錬所へ顔を出し、体を動かす。
これはもう長年の習慣なのでやらないと気持ち悪い。
しっくりこないのだ。
これで全体的に体が目覚める。
今日も調子がいい。
調子を崩すなど、この数百年味わっていないが。
宿直の担当者を粗方叩きのめした後は汗を流す。
返り血をつけた姿ではミーシャに会いに行けない。
以前その姿のまま部屋に戻ったらミーシャに『汗臭いから近づかないで』と言われた。
(←実際は『臭い!半径3mは寄るな』であった)
地の底までめり込む位には効いた言葉だ。
あれ依頼、欠かさず身綺麗にしてから戻ることにしている。
そうすると抱き上げても嫌がらない。
ほっとした。
それからは待ちにまった至福のひとときの始まりだ。
ミーシャは”低血圧”というものらしく、朝は意識が覚醒するのに時間がかかる。
屋根裏に潜ませている暗部からの報告によると、ぼんやりした顔でちまちまと行う着替えは思わず顔がほころんでしまう珠玉の一品とのことだ。
さらに見ていて手がワキワキしてしまう程にいいらしい。
その中に混ざれないことが残念で仕方がない。
悔しい。
無理矢理押し通ろうとしたらミーシャに肘置きを投げつけられた。
威力はたいしたことなかったけれど、脛に当たって地味に痛かった。
ほろり、と涙がこぼれたのは激痛からか心の痛さからか…。
その後はようやく朝食だ。
生き生きとしているミーシャはいい。
文句なしにかわいい。
けれど半覚醒のミーシャも捨てがたい。
口元まで差し出す匙にぱくりとかぶりつき、もそもそ食べる。
あぁ、見ているだけで涎が出てくる。
小さい口で一生懸命食べる姿。
何でも食べさせて上げたくなるけれど、3食の中で朝は一番食べる量が少ない。
元から朝はあまり食べていなかったらしい。
折角の食べさせるという動作が少なくなるのは残念だが、食べる時間は昼や夜と比べると倍近くかかる。
その分、目で癒されるから良しとしよう。
無意識での行動が多いので差し出す物は何でも食べてくれる姿は信頼されているのだと至上の喜びに浸れるのもこの時間だ。
昼・夜は奪い取られることもあるが、朝のこの時間は誰にも取られることはない。
自分だけが許された時間。
それだけに天にも昇れる気持ちだ。
ただ唯一の不満は時間が短いこと。
邪魔者たち筆頭の燕が幸せ時間終了を告げる時の顔。
何度殴ってやりたいと思ったことか。
邪魔者その2香麗の『さっさと行け』と意志の込めた目。
何度任を解こうかと悩んだことか。
実質アイツ以上の適任者はいない上に、(認めたくないが)ミーシャに(非常に)懐かれている。
執務で一緒にいられない時間も共にいるのだから当然だろうが。
幾度歯ぎしりをし、並んで歩くその姿を妬ましく思ったことか。
実を言うと今もギリギリと拳を握りこんでいる。
思い出すだけで顔がゆがむ。
ミーシャにだってしょっちゅう相談もされているようだし。
こんなに手ぐすね引いて待っているのに、どうして己には話してくれないんだろう。
ただただ悲しい。
今は照れて話せないのだと信じたい。
いつかきっとそれすらも乗り越えて何でも話してくれる時が必ずくる、はずだ。
執務に忙殺され、朝の仕事は終わる。
順調にいけばミーシャと一緒に昼飯が食べられる。
これが驚くほどに仕事の疲れを一瞬で吹き飛ばしてくれる。
いくつも体力回復薬は存在しているが、これほど効くものはない。
ミーシャがいれば永遠に疲れ知らずで動くことができるかもしれない。
けれど傍にいたら構いたいし、構ってほしくて我慢できないだろうからやっぱりダメだな。
己には仕事漬けなんて生活はほとほと無理だ。
奇特にも、仕事以外に楽しみを見出せない可哀想なヤツもいるそうだ。
はたまた仕事に追われて仕事まみれの状況という同情を禁じ得ないヤツもいるそうだ。
そんなことに追い込んでいるのは一体誰だ?あまりにも酷いじゃないか!!
燕に言ってソイツに罰を与えるなり、何か対策をしてやらなければな。
自分がそういう立場になったらミーシャ不足のあまり吐血する。
燕が解放してくれない程の仕事量の時がある。
そういう時は泣くなく諦めるしかない。
結構粘りに粘って頼み込んでも許しはでない。
その上アイツは同じ部屋で仕事をするようになった。
燕いわく『逃げ出さないように見張り役』だそうだ。
確かに1日に何回か休憩時間と称してミーシャに会いに行きはした。
燕の執務部屋が隣接していた為、極力気を付けて気配を悟られぬよう行動していた。
だからと言ってなんで顔を突き合わせて仕事をしなくてはならないんだ。
ミーシャにも『仕事で他者に迷惑をかけるな』、と忠告されてしまった。
きっと燕がミーシャに言わせたに違いない。
相変わらず姑息な手を使うヤツだ。
しかも『仕事ができるくせにしないヤツは嫌い』とまで言われた。
でもこれはあれだ。
ミーシャに“仕事ができる”と認められた、と言い換えることができる。
期待を裏切るわけにはいかない。
だから仕事を放り出せず、地団太を踏むことになるがそれなりにがんばっている。
だが、知っている。
仕事に忙殺されている時は燕がミーシャと食事を取り、せっせと食事を与えているのだ。
偶にあいつが何か仕組んでやっているのではないか、と思えて仕方がない。
仕事量の調節などあいつにはいとも容易くできるだろうからな。
部屋から出してもらえないなら、せめて食事を運んでくるのはミーシャがいい。
けれど、きっと持ってこられないだろう。
あの腕は華奢だから、お盆だって重いのにさらに食事が乗っていたら持ち上げられない。
だが、こんなに仕事が溜まっているならアイツだって忙しいのではないのか?!
アイツには時間があって己にはない理由がわからん!!
なぜだっ?!
午後はまた引き摺られるようにして執務室へ。
朝よりも大量に、かつ面倒くさい内容の仕事が増える。
『自分たちで考えて処理して来い』、と言いたくなるモノもある。
我慢だ。
ここで癇癪を起すとこの次に待っているミーシャとの休憩時間が没収される。
だから必死になってやる。
昼から休憩時間の間の仕事は自分で言うのもなんだが、1日で一番集中している。
どうにかして目途をつけた後、いそいそとミーシャの所まで向かう。
耐えて耐えて、そうして与えられるミーシャとの触れ合いは極上だ。
あの我慢があるからこそ、尚のこと至福に浸れるのかもしれない。
散歩をしている時もあれば、昼寝をしている時もある。
最近は文字の読める範囲が広がったようで読書に興じていることもある。
文字を読めるようになることはいいことだと思う。
けれどこれには不満が1つある。
折角ウキウキと会いに行ったのに、『キリがいいとことまで』と言ってなかなか構ってくれない。
しかし、ここで邪魔をしてはいけない。
本を閉じたり、取り上げたり、無理矢理体を持ち上げてこちらに向けたりするとその後拷問が待っている。
機嫌を損ねて一切構ってくれなくなるからだ。
それは夕飯時まで引き摺ることとなる。
触らせてくれないし、目だって合わせてくれない。
勿論口もきいてくれない。
学習したんだ、あの過ちは繰り返さない。
けれどそういう心情を読み取ってくれたみたいで朝に文字の勉強や読書をするようになったようだ。
本にミーシャの視線を奪われるということはなくなった。
自分の習慣までこちらに合わせて変えてくれるなんて!!
なんて心遣いが細やかな子だろう。
その後、嫌々仕事に戻る。
最初はミーシャで回復した気力があるから問題ないが、その内にその効果も切れてくる。
それでも早く終われば終わるほど憩いのひとときは長い。
最後の追い込みを掛けてようやく終了。
もう仕事はしたくない、書類は見たくない。
ついでに燕の顔もみたくない。
1日の内でミーシャよりもアイツの顔を見ている方が多い。
この数百年どうやって耐えてきたのか思い出せない。
あの瞳に映りたい。
黒曜石の様な吸い込まれそうな目に。
今日は何をして過ごしていたんだろう?
少しは一緒にいられなくて寂しいと思ってくれただろうか?
喜び勇んでいくとけれどその期待はほとんどの割合で砕かれる。
いつも誰かしらが一緒にいるから。
今度は燕じゃない。
あいつもこっちの目を盗み、休憩と称してミーシャに会いに行っていることぐらい知っている。
けれど文句をつけようにもあいつの書類は完璧に一分の穴もなく仕上がっているから何も言えない。
くっそう。
この違いはなんだ?
徐々に知り合いが増えてきたようで、ミーシャの周りはいつも賑やかだ。
橙軌や焚迅は護衛もあるから知り合いにはなるだろうと思ってはいた。
けれど屋敷の女中たちと親しそうに会話に入っていったり、いつの間にやら子どもたちと遊びに行ったり。
着々と交流を深めている。
いい事なんだとは分かっている。
ミーシャを繋ぎ止めるものがあればあるほど、きっとここにいてくれるから。
笑顔を絶やさずにいてくれるから。
でも理性と感情ってのは別ものなんだ。
このふつふつとわきあがってくる言葉にしがたい感情はどこへ持っていったらいいのかわからない。
自分だけのミーシャだったのに。
自分だけを目に写してくれたらいいのに。
自分だけに話しかけてくれたらいいのに。
欲は尽きない。
泣いて縋って閉じ込めてしまわないように。
きっとそんな事を思っているなんてミーシャは知らない。
けれどこの心の中はこんなにも黒い感情で一杯なんだ。
がんばって抑えるから、だからどうか離れないで。
この枷を外すのも繋ぎ止めるのもミーシャ次第なんだ。
夕食は癒しだ。
一番長い時間くっついていられる。
がんばった今日1日の褒美だ。
ゆっくりと会話を楽しみながら食べられるし、ミーシャの拙い動きもじっくり見られる。
この箸で食べさせる行為も手慣れたものだ。
最初は口の中に大量に入れてしまってむせさせてしまった。
量を慮れば今度は口の奥まで箸を入れ過ぎてケガをさせてしまった。
加減を見極めたら、次は熱過ぎて火傷をさせてしまった。
ここまでの道のりを辿ってようやく“今”がある。
怪我なんてさせることもなくなったし、安心して食べてくれるようになった。
なのに、次に阻んできたのは気候だ!!
ミーシャは気候の変化に弱いということに気付かなかった。
たしかに熱くなり出してからなかなか夜寝つけていないようだったし、くっつくのをひどく嫌がるようになっていた。
寂しかったが、己も寝汗をかいているようだから汗臭さが嫌なのかもしれないと少しだけ隙間をあけて寝るようになっていたのだ。
それがあんな事態を引き起こす前兆だったとは。
あの体の細さを思えば考え付いてもよかったのだが、認識がまだまだ甘かったと認めざるを得ない。
どうにも我慢できなくなって食事時に膝に抱き上げてしまった。
こんなに長い間離れていたことがなかったから耐えきれなかったんだ。
ミーシャに制裁を加えられたけれど。
ほどほどって大事だと、心底学んだ。
温厚なミーシャがあれほど怒ったっていうのは相当だ。
今では本当に悪かったと思っている。
日に日にやつれていく体。
食べても吐き、水分のみで生き延びているようだった。
もう何もかも手に付かなくなってどうでもよくなった。
もしこのままミーシャが消えてしまったらどうしようか、と怖かった。
震えが止まらなかった、止め方も分からなかった。
最凶だと言われていた自分はどこにいったのか。
昔の自分を知っているやつは大いに嗤うだろう。
こんなに簡単に自分を殺す方法はあったのだ。
燕が各地を駆け回っているとか、報告だとか、まったく耳に入らなかった。
入っていても抜けていった。
それでもようやく回復してくれた時、どれだけ安堵したか。
初めて何かに祈りたくなった。
ミーシャの寝入りは早い。
ちょこちょこと色々な所で体力を使うらしい屋敷での生活ではミーシャはこちらが驚くほどアッという間に眠る。
今はさほど見られなくなったが、前は廊下でよく息切れをしていた。
距離が長いとのことだ。
故郷はでは睡眠時間がそれほど取れず、慢性寝不足だったらしいので今は極楽らしい。
喜んでいるのは嬉しいのだけど、もっといろいろと語らいたいと思うのは我がままだろうか。
以前はいつまでも月を肴に酒を飲んでいたがそれもなくなった。
ミーシャが飲んでしまっては危ないからだ。
そもそも薬ですら既定量の3分の1で十分な体にこの酒は毒にしかならない。
毎晩飲んでいた酒を止めてしまって蔵の中で溢れかえっていると報告があった。
どうせ祭りで湯水のように飲むのだから問題ないだろうに。
さぁ、もう寝ようか。
明日も朝は早い。
暑さが和らいできてくれてよかった。
ミーシャにくっつけるようになったから。
もう秋に差し掛かろうとしている。
今日もミーシャの体を抱きしめて横になろう。
すぐに体があったかくなって心地いい眠りに誘われた。