12.物事÷視点=異なる解釈 ~王の威厳は今何処?~ (Side香麗)
Side 香麗(側付き女中 兼 暗部)
「何匹?」
静寂に包まれた室内で呟かれた言葉は何もない暗闇へ問いかけたもの。
するとハリのある男の声で“5”と返答がどこからともなく返ってきた。
「首尾は?」
今度も即座に“完了”とのこと。
首肯を1つ返しておいた。
言葉が無くとも先を汲み取れないようでは、暗部は務まらない。
暗部に求められる気質は苛烈にして淡白、冷静にして冷徹。
主への忠義に生き、己と物事へ執着を見せない。
どれもこれも自他共に備えているものだと自負していた。
けれどここ数ヶ月、どうもそれは怪しくなりつつあることも認めている。
例外と位置付ける存在が現れたから。
暗部の仕事は実に多岐に渡る。
そんな中、ここ最近新たな任務が加えられた。
『守衛報告書』と正式名が付いていたが、単に『観察記録』である。
要は、その日どのように観察対象者が過ごしていたかを詳細に綴っている報告書だ。
執務中傍にいられないことに耐えかねた王が望んで命じられたことだが、これが予想以上に私たちに熱意を抱かせた。
任務は交代制なので書いている者も日によって異なる。
何かあってはいけないと情報共有化の為、一通り自分以外が書いた文章に目を通すのだが、読んでいるだけでささくれ立っていた気持ちも落ち着く。
書いている者が感じた微笑ましさは文章に滲み出ており、また今後の改善点も記されている。
文章を書いているのは残念ながら私ではない。
しかし王に提出する前に目を通し、私が見た・発見した事など足りない点は付け加えている。
その報告書は夜、王の下へ届けられる。
報告書に目を通している王の表情、語るのは遠慮させていただく。
王へ憧れや、忠信を寄せていた者の気持ちを次々と萎えさせた実績があるからだ。
私もあまり語りたいものではない。
“ミーシャ”、この国に現れた人間。
彼女は華奢で小さすぎる、女の自分ですら易々と抱えることができてしまい、その儚さに不安を覚える。
羽虫1匹に刺されただけで数日は寝込む羽目になる上、一人で扉の開け閉めも難しい。
屋敷内ほとんどの扉が僅かばかり開いているようになり、勝手に閉まらないようにつっかえ棒が挟まっている。
以前起こった御手洗騒動から徹底されるようになったことの1つ。(詳しくは第4話参照)
すべては彼女の為に。
他者など基本的にさほど気に掛けない鬼がこうまでして動くのは彼女一人だけ。
そして自分自身もその魅力に取りつれた一人であることを否定はない。
間近で彼女の世話ができるなんて自分は幸運だ。
仲間からは妬ましそうな目で見られるがこの役を替わる気は毛頭ない。
習慣の違いからか時折突拍子もないこともするが、それも含めてすべてが可愛い動作として映る。
ミーシャが現れるまで王の為に影ながら動いてきたが、こちらが驚くべき表情ばかりなさるので彼の方への認識を改めざるを得ない事態となっている。
例えば先日、庭で鍛錬の一環として素振りをしていた王の腹筋を見たミーシャに『イイ体してるよねぇ~、かっこいいねぇ~』と悩殺ものの超可愛らしいセリフをうっとりと呟かれ、王は心臓をぶち抜かれ、くらくらとする目眩を覚えていた。
“驚き”というよりかは“呆れ”に近い感情だ。
こういう方だったとは、心なしか精一杯努めてきた自分が少し残念に思えてしょうがない。
***
王が彼女にこの世界で生きていくことを懇願していたその時、屋根裏に潜み全てを見ていた。
王が話していくほどに彼女が肩を落としていく。
自分には、彼女の中で荒れ狂う渦が見える気がした。
絶望か、それに近いものが、彼女の胸を染めて行く。
今までも存在していた黒々とした深い淵が、さらにその口を広げて彼女を飲み込みそうになっている、そんな情景が浮かぶ。
王は必死で言葉を紡いだ。
けれど彼女も必死だった。
視界の先の少女を見下ろすと、彼女は今にも泣き出しそうに思えた。
その口からは何の音もこぼれてはいなかったのに、お願い、と叫んでいるような気がした。
かえれない、なんて言わないで。だいじょうぶだって言って。
お願い、お願い、お願い、お願いお願いお願い――。
身を焦がすような悲痛な願い。
縋るような問いは沈黙によって拒絶された。
息が上手くできなくなるような、視界が暗くなるような絶望が彼女を襲った。
***
あれ以来、ずっと傍に。
日常生活が何かと困難な彼女を助ける為に女中として傍にいる、というのがミーシャへ話した表向きの理由。
本来の目的は警護。
あまりぴったりと貼り付かれているのも気が抜けないだろうと部屋の外に控えたりはするが、1日のうち傍を離れるのはほぼない。
それに常に存在を感じさせるようでは暗部としても女中としてもやっていけない。
暗部はもちろんだが、女中というのは常に存在を気取られることなく仕事をこなすことが求められるからだ。
私以外、常に見えない処にいる護衛は四六時中ミーシャに張り付いている。
彼女に関しては本当に些細なことが大惨事に繋がるから気が抜けない。
何が起こるか分からないから滅多なこと意外では離れられない、離れてはいけない。
いい例が、何度も言うが“御手洗閉じ込め事件”だ。
彼女がいると屋敷が華やかになり、賑やかになり、鮮やかになった。
ついでにどこか浮ついた空気ではあるがそれは致し方ない、そこを責めるのは酷であろう。
今までを振り替えりながら、ふと空を見上げる。
澄んだ夜の空に、幾千万もの星たちが輝いていた。
波一つ立たない池の水面が、巨大な水鏡となって星空を映し出している。
きっとこんな景色一つですら彼女はひどく感動して喜ぶ。
自分たちには見慣れた、たいして価値のないものでもひどく目を輝かせてくる。
一度だけ何かの拍子で話してくれた。
『故郷は平和で便利で望めばたいていのものは手軽に手に入る場所だった』と。
そんな恵まれた場所から来たのに何の変哲もない景色や季節にこちらが驚くほどの反応を見せる。
けれど同時に、『時間に追われて心の豊かさは薄れ、自然は徐々に蝕まれている。だからこちらは空気一つとっても澄んでいて気持ちいい』と。
だからこそ、この光景を見せたいと思う。
彼女は感情が豊かだ。
喜怒哀楽が実に分かりやすい。
特に『喜』が顕著で、表情の変化があまりなかった自分の頬の筋肉もつられてよく動くようになったと思う。
王は片時もミーシャを離すのが嫌なようで出来得る限り引っ付いている。
力加減が分からなかった当初、手を引っ張った際指から『ごきり』と音がした。
指が攣ったようだ。
抱き上げ方が乱暴のあまり、勢いが付きすぎて張り出していた柱に頭を打った。
『ごつん』と音がしてタンコブができた。
甲斐甲斐しく箸で食事を口に運んだ際、箸が喉の奥に刺さったようで『がきっ』と音がした。
涙目になり痛々しく、浮かれていた王ではこれ以上は危険な為、しばらくは私が給仕した。
力加減をある程度覚える為、燕浪様による極秘強化特訓が行われていたようだが、詳細は知らない。
一刻でも早く精進してもらわなければミーシャがあまりにも不憫だ。
私を含め暗部の皆が思わず胸元にある短刀を投げつけたくなったこと、一度や二度では足りない。
だいぶマシになったことは認める。
それでもまだまだなようでミーシャが時折顔を顰めることがある。
王には刃が届く前になんとかしていただかなくてはならない。
そうでないと、いつ手元がすべってしまうか分からないからな。
王の辿る道は遠く険しい。
***
菓子を作りたいから手伝ってほしいと懇願された。
否やはない。
厨房を貸し切り、平焼きを大量に作った。
彼女の故郷ではこれを“どら焼き”というらしい。
場所が変われば呼び方も変わってくるのは当然のこと。
しかし中身はクリームではなく、あんこを詰めるのだと言う。
食べてみて、なるほどと納得する。
クリームだと甘すぎて食べられないという者もいるが、あんこだと上品な控えめな甘さが口に広がる。
くどくなく、食べやすい。
『料理をあまりしてこなかった』と自己申告があったのだが、おなじみの謙遜かと思った。
彼女はよく自分を卑下して物事を語る。
これは国民性だと言われた。
けれどその時は本当に苦手なようだった。
手つきがあまりにも危なっかしく、あんこを詰める以外は手元を見ていてもらうだけにした。
もしあのすべらかな肌に火傷を負うなんてことになっていたら、という不吉なことを考えるのはよそう。
私たちの配慮不足で起こった出来事だったのに彼女は、仕事の手を煩わせてしまった“お詫びとお礼”だと言う。
なんて心根がやさしいのか。
気にしなくていいのに。
むしろ心配して仕事なんて放り出し、みな率先して捜索に参加した。
彼女の故郷ではこうしたお礼やお詫びの品はふつうにやり取りされるのだという。
大きな物をあげてはもらう方も気を使うが、こういった小さい物だともらう側も受け取りやすく、渡す方も大勢に配るときには渡しやすいだろうと。
受け取り手への細かい気配りまでできるとは、なんと出来た娘であろうか。
そういう習慣がない我々には物珍しく映ったが有難くいただいた。
永久保存しておく術がないわけでもなかったが、彼女がそれを嫌がったので皆きちんと食べたようだ。
ちなみに王は駄々をこねて次回も作ってもらえるように約束を取り付けていた。
その様は実に見苦しいものだった。
いままで尊敬して仕えていた自分を振り返った。
***
“スイカ狩り”はなかなか興味深いものだった。
(当初は“スイカ割り”と言っていたが、“スイカ狩り”に改名しようと言っていた)
なんだか目から鱗が落ちた。
なんせ私たちは強暴で手をつけると面倒だから、という理由でアレを避けていた。
だがそうではなく、自ら進んで立ち向かい心身共に鍛える道具と成りうるのだという発想の転換が出来ていなかった。
面倒ごとを避けていた私たちは反省した。
彼女の故郷では夏の恒例行事だと言うではないか。
小柄な体格の民族であのような生物に挑んでゆくなど、なんて無茶な。
武器が優れているのだろうと思い、話を聞きたがったが彼女自身はあまり詳しくないようだった。
女性は戦いに出向かないのだろう、無理もない。
これに倣って我らも毎年の行事とすることとした。
彼女も参加出来ずとも見ているだけでも懐かしいだろうし、我らも夏の暑さで緩んでいる気の引き締めにも繋がる。
なんていい案だ、一石二鳥ではないか。
しかし、これほど勇敢な民族はいないだろう。
勇ましく、尊敬に値する。
ちなみに王はさっさと退治できたものを、いい格好を見せようと時間を引き延ばしていたせいで彼女に被害が及んだ。
良い所をみせたいというのはその場にいた全員の感情だ。
そのことで屋敷中の者から非難轟々、半暴動化しようとしていた。
私もそれには賛成だ。
それなのに自分の見せ場の為に彼女に被害を及ぼすなど浅ましい、暴動に参加し積極的に煽ってやった。
いままで忠実に仕えていた自分を見つめ返した。
***
餅を食べたいと言いだした時、何か体を極限まで動かしたいのかと心配した。
確かに怪我が心配で運動らしい運動を許してはいなかったが、そこまでして運動したい何かがあるのかと。
なんせ餅は我らが1週間不眠不休の断食で水のみ生き残り訓練後のみに使用するからだ。
あれは強力すぎてよっぽどのことがない限り使わない。
ふだん使うにはもっと効力の弱い別のものがある。
相当もろもろが疲れ果て、廃れてないと逆に身体的効力が活発になりすぎて危険なのだ。
ましてミーシャの体は小さい。
その分、薬の効力が効きすぎてしまう。
熱を出した時に処方する薬も私たちが飲む4分の1の量だというのに。
実は最初、半分の量を飲ませたら病の熱は下げられた
だが、反対に変に気が高ぶって、熱に浮かされたように精神的に高揚してしまった。
その間起こったことをミーシャはまったく覚えていなかった。
泣いたかと思えば突如笑い出し、怒り出したかと思えば、高笑いをあげ王を片足で踏みつけていた。
王は顔を赤らめ、恍惚とした表情を浮かべていた様は不気味だった。
はるか昔の研究者は実験で血液循環が活発になりすぎて汗腺という汗腺から血を噴出し死亡したという。
その為、めったなことでは食べない。
しかし彼女の故郷では毎年冬には欠かせない料理だという。
突然恋しくなったという希望で、急遽訓練しかやることのない警備隊を駆り出した。
多く作ればヤツらも常備品として使えるのだから手伝え。
彼女と我々が一緒に食べる分には薬草を混ぜないようにして作った。
彼女は一緒に食事をすることを非常に好む。
我々が栄養剤としてのみ作り、彼女しか食べないというのはひどく心を痛めるに違いない。
薬草の入っていない餅を食べるのは初めてだったが、結構美味かった。
新たな発見だ、彼女の故郷は食文化も進んでいるようだ。
我々も固定観念に捕らわれず、新規開拓していかなければならない。
そうでなければミーシャはこちらの食文化にすぐに飽きてしまいそうな気がする。
ちなみに王は今まで何かと政務をサボっていたツケが来たらしい。
机に縛り付けられ燕浪さまに絶対零度の怒りを向けられ憔悴しようが何をしようが終わるまで開放されなかった。
全てが終わってもそのまま放置されていたのは自業自得だろう。
誰一人として救いの手を差し伸べなかった。
途中彼女は栄養剤入りの餅を持っていき、回復させたことでさらなる地獄に落としたのは良かったのか、悪かったのか。
いや良かったのだろう。
他の者の仕事がはかどる。
まったく嘆かわしい。
いままで献身的に仕えていた自分を考え直した。
***
またある時は夏の暑さにへばってしまった。
気候の変化に弱い体のようだ。
警備隊の女隊員のように上半身サラシ状態で過ごしたいなんて言われた日にはド肝を抜いた。
そんな格好をしたら邪な目で見る輩続出と仕事にならない主で屋敷は大混乱必須。
何かを感じ取ってくれたのかすぐに言葉を撤回してくれて助かったが。
食事もままならぬようで果物を3切れ口に運べればいい方。
しだいに痩せていく姿に焦った。
燕浪さま直々に古今東西奔走しありとあらゆる妙薬から食事、呼吸法などをかき集めていた。
故郷は年中過ごしやすい気候だったのだろう、春のような。
これでは冬はどうなるのだろう。
燕浪さまも夏の今からすでに心配しておられ、冬の暖かさ対策に今時分から手配を開始されている。
準備はし過ぎても困ることはない。
“甚平”というもの、あれは動きやすい。
画期的な衣装だと思う。
気ものでは動きにくいがあれならばそういった不都合は生じない。
今後あらゆるところで使用されそうだ。
彼女の民族は発想力も優れているのだな。
ちなみに王は彼女に構ってもらえない鬱憤を屋敷中に振りまき、被害者が多発した。
我ら暗部はあの空気に当てられ慣れているのでたいしたことはない。
他者に当り散らさねば自信を保てぬなど軽蔑に値する。
いままで真摯に仕えていた自分を殴ってやりたくなった。
***
王の姉君が訪れた。
彼の方は実に自由奔放だ。
夫をもたれたのは私の知る限り、彼の方しかいない。
幸せはそれぞれの為特に何も言わないが、夫である剴暈殿はよく付き合っていられると思う。
彼女の故郷では旦那や妻といった関係はありふれたものだそうだ。
人は一人では生きられない、助け合って支えあって生きていくのだそうだ。
彼女を見る限り、我らと比べると確かに華奢で儚く、弱弱しい。
確かには生き辛く助け合いが必要不可欠だろう。
生まれて1年で独り立ちする我らと異なり、大人と認められるのは20歳だと言う。
やはり小さい分、長年見守られながら過ごすのだろう。
そうでなければ一瞬で命を落としてしまう。
夫婦や恋人と長く共に寄り添いあい暮らしていくのは、生きていく為の民族として知恵として長年培われてきたものといったところか。
ちなみに王は壮大な兄弟喧嘩を勃発させた。
いつものことだ。
この二人がそろうと碌なことにならない。
少しは後処理をする側のことも考えてもらいたいものだ。
掃除に片付け、修理と次から次へと仕事が舞い込む。
天災ならまだしも原因は人災、しかも兄弟喧嘩。
ちょっと堪えてさえくれれば被害が起こることもなく、やらなくてすんだ仕事である。
王は自分にしか意識を向けられず、周りに配慮の“は”の字もない。
ましてや彼女の目前でそのような頼りない姿をさらして至極情けない。
いままで献身的に仕えていた自分は“主”と呼ぶのは王から燕浪さまへ移そうかと熟考した。
***
屋敷内はいい方向へ変わってきている。
王や燕浪さまがあのような表情をされるのだと、始めて見た際はあごが外れるかと思うほど驚いた。
驚いたなんてもんじゃない、世界が終わるのかと思った。
思わず空を仰ぎ見た。
あぁ、今日も平和だな、なんて確認する作業も行わなくなった今日この頃。
ようやくあの恐怖の腑抜けた笑顔、もといふやけた笑顔にも慣れた。
もしかしたら自分もああいう顔をしているのかもしれない。
気をつけよう、なんせミーシャは王のその顔を見て顔を引き攣らせていることが多々あるのだから。
同列に扱われるのはなんとしても避けたい。
以前より仕事は増えたが不満はない。
すべてが彼女に繋がるから。
その為なら多少休みがなくても問題ない。
少しでも平穏に暮らしてくれればいい。
今はまだ多くの真実を隠されているのだとしても、真実から遠ざけ、目隠しをしたままの期間が少しでも長ければいいと願う。
全てを知っても今のように柔らかい笑顔を向けてくれるだろうか?
いつかは知られる時がくる。
それでも願わくば、今このときが一分、一秒でも長からんことを――。