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お嬢様第一侍女マリベル短編集

【連載版あり】お嬢様が王国裁判にかけられたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!

掲載日:2026/07/03

※本作は、連載版『お嬢様ああああああああああああああああ!!!!』と同じ登場人物・題材を用い、短編として構成と展開を再執筆した作品です。

 公爵家に、王国裁判所の紋章が刻まれた封書が届く。

 受け取った老執事は、まず封蝋を確かめた。

 次に宛名を確かめる。

 最後に文面を読み、静かに目を閉じた。

 長く公爵家に仕えてきた経験が告げている。

 これは、よくない。


「マリベルを呼びなさい」


 そばに控えていた若い従僕の顔が、見る間に青ざめた。


「マリベルさんを、でございますか」

「ああ」

「先に内容を少し柔らかくお伝えすることは」

「無駄だ」

「では、召喚状を隠してしまうという方法は」

「もっと無駄だ」


 若い従僕は、封書と老執事の顔を交互に見た。


「馬車はどういたしましょう」

「用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」

「まだマリベルさんは何もしておりませんが」


 老執事は召喚状を丁寧に机へ置いた。


「これからする」


 その見立ては、寸分違わず当たった。

 数分後。


「お嬢様が王国裁判にかけられたですって!?」


 公爵家の廊下に、魂を揺さぶる絶叫が響き渡った。

 銀盆を運んでいた侍女は壁際へ身を寄せる。

 窓の外では庭師が剪定ばさみを取り落とした。

 厨房では料理長が鍋の蓋を胸の前へ掲げ、無言で身構える。

 廊下の中央に立つ侍女マリベルは、王国裁判所から届いた召喚状を両手で持っていた。

 そこには、こう記されている。


『公爵令嬢エレノア・アルヴァインに対し、王国機関への組織的威圧、ならびに侍女マリベルを用いた私的制裁への関与について審理を行う。指定の日時に王国裁判所へ出廷されたし』


 マリベルは、召喚状を端から端まで読み終えた。

 そして、丁寧に折り畳んだ。

 怒りが深いときほど、彼女の指先は正確になる。

 折り目は美しく揃い、紙の端は一分のずれもない。


「組織的威圧」


 マリベルが、静かに呟いた。

 周囲の使用人たちが、一斉に半歩下がる。


「お嬢様が」


 声は穏やかだった。


「私的制裁を命じた?」


 ぱきり。

 硬い音がした。

 召喚状が破れた音ではない。

 マリベルの右手に、いつの間にか黒塗りの鉄扇が握られていた。

 黒い扇面には、金文字でこう刻まれている。


『お嬢様第一』


 マリベルは顔を上げた。


 黒い侍女服。

 白いエプロン。

 きっちり結われた髪。

 背筋を伸ばし、足音ひとつ乱さず立つ侍女。

 どこからどう見ても、公爵家に仕える礼儀正しい侍女である。

 ただし、その目だけは、王国裁判所を建物ごと正座させるつもりだった。


「お嬢様が王国裁判にかけられたですって!?」


 鉄扇が、ぱちりと開く。


「ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」

「マリベル」


 背後から、静かな声がして、マリベルの動きが止まった。

 今にも走り出そうとしていた片足を前に出したまま、ゆっくりと振り返る。


「はい、お嬢様」


 廊下の向こうに、公爵令嬢エレノア・アルヴァインが立っていた。

 淡い青色のドレス。

 穏やかな表情。

 伸びた背筋。

 けれど、握られた指先には、わずかに力が入っていた。


「今、何と言ったの?」

「お嬢様が王国裁判にかけられた、と申し上げました」

「そのあとよ」


 マリベルは一度だけ瞬きをした。


「王国裁判所へ赴き、事情を伺ってまいります、と」

「違います」

「では、誤解を解くため、関係者の皆様と丁寧にお話し合いを」

「違います」

「法廷の床と皆様の姿勢を、正しく整えてまいります」

「さらに違います」


 エレノアは額へ手を当てた。


「裁判所へ向かう前から、裁かれる側になるような発言はやめてください」

「お嬢様を裁こうとする者こそ、先に自らの罪を省みるべきかと」

「マリベル」

「はい」

「今回は、絶対に暴れてはいけません」


 廊下の空気が止まった。

 若い従僕が息を呑む。

 庭師が窓の外から、そっと頭を引っ込める。

 料理長は、遠く離れた厨房でなぜか胸騒ぎを覚え、鍋の蓋を持ち直した。

 マリベルに、お嬢様のために暴れるなと言う。

 それは魚に水へ入るなと言うようなものだった。

 鳥に空を飛ぶなと言うようなものだった。

 老執事に「馬車を用意しなさい」と言うなと命じるようなものだった。


「ですが、お嬢様」

「あなたが裁判所で暴れれば、相手の訴えが正しかったことになってしまいます」


 エレノアの声は穏やかだった。

 けれど、退くつもりのない意志があった。


「私があなたを使って王国の人々を脅している。そう疑われているのです。そこであなたが裁判官を正座させたら、どうなると思いますか?」

「裁判官の姿勢がよくなります」

「私の立場が悪くなります」

「……」


 マリベルは黙った。

 鉄扇を持つ手に、力が入る。

 分かっていた。

 何も考えずに暴れているわけではない。

 お嬢様を裏切った騎士。

 証拠もなく断罪しようとした王太子。

 濡れ衣を着せた聖女。

 彼らを正座させたとき、マリベルは一度として自分のために鉄扇を振るってはいなかった。

 すべてはエレノアのためだった。

 だからこそ今回は、振るえない。

 自分が鉄扇を開けば、傷つくのは敵ではない。

 お嬢様なのだ。


「マリベル」


 エレノアが、そっと名を呼んだ。

 マリベルは顔を上げる。


「私はこれまで、嫌なことがあっても自分が我慢すればよいと思っていました」


 エレノアの目には、わずかな不安があった。

 それでも、逸らさない。


「波風を立てなければ、誰かに迷惑をかけずに済む。私が黙っていれば、いずれ収まる。そう思っていたのです」

「お嬢様……」

「でも、それではいけないと、あなたが教えてくれました」


 マリベルの目が揺れた。


「私が傷ついていることを、私より先に怒ってくれた。私が自分を責めようとするたびに、それは違うと止めてくれた」


 エレノアは、小さく息を吸った。


「だから、今回は私が話します」

「……」

「自分の言葉で、していないことはしていないと言います。あなたの怒りを利用したこともないと、私自身が伝えます」


 エレノアは、ほんの少しだけ微笑んだ。


「だから、隣にいてください」


 マリベルは息を止めた。

 すぐに返事ができなかった。

 鉄扇で剣を弾くよりも。

 騎士団を正座させるよりも。

 王城へ突入するよりも。

 その一言の方が、ずっと強く胸へ届いた。


「はい」


 マリベルは深く頭を下げた。


「必ず」


 いつもの絶叫とは違う。

 静かで、重い声だった。


「必ず、おそばにおります」


 廊下の向こうで、老執事が静かに頷いた。

 若い従僕が、小声で尋ねる。


「今回は、マリベルさんもおとなしく従われるのでしょうか」

「表向きはな」


 老執事は、エレノアの隣に立つマリベルを見た。

 鉄扇は閉じられている。

 だが、持ち手がわずかに軋んでいた。


「あの子が我慢しているときほど、何をするか分からん」


 若い従僕は何も言わず、すでに用意されている馬車の確認へ走った。



 ***



 王国裁判所は、王城の東端に建てられている。


 灰色の石壁。

 高く細い窓。

 広い階段。

 飾り気のない正門。

 騎士団詰所のような活気はない。

 王城のような華やかさもない。

 大神殿のような神聖さもない。

 そこにあるのは、人を裁く場所だけが持つ、息苦しいほどの重さだった。


 正門前に、公爵家の馬車が止まる。

 扉が開き、最初に降り立ったのは一人の侍女だった。


 黒い侍女服。

 白いエプロン。

 きっちり結われた髪。

 背筋を伸ばし、足音ひとつ乱さず階段へ向かう姿。

 マリベルである。

 右手には黒塗りの鉄扇。

 正門を守っていた衛兵たちの肩が一斉に強張った。

 王都には近頃よく知られた噂がある。


 公爵令嬢エレノア・アルヴァインを傷つけた者は、最後には必ず膝をつく。


 恋人を裏切った騎士も。

 証拠もなく令嬢を断罪しようとした王城兵も。

 濡れ衣を広めた神殿兵も。

 その中心には、いつも一人の侍女がいると。


 職業は侍女。

 ただの侍女である。

 本人も、公爵家も、なぜかそう言い張っていた。


「公爵家侍女、マリベルでございます」


 マリベルは、正門前で完璧に一礼した。

 衛兵の一人が、恐る恐る鉄扇を指す。


「そ、その扇は、法廷内へ持ち込むおつもりで?」

「もちろんでございます」

「武器の持ち込みは禁止されている」

「武器?」


 マリベルは、不思議そうに首を傾げた。


「こちらは、お嬢様を日差しからお守りするための扇でございます」


 衛兵たちは鉄扇を見た。

 黒い。

 硬い。

 重そうである。

 金文字で『お嬢様第一』と書いてある。

 どう見ても日差しより、人の人生を遮るための道具だった。


「マリベル」


 馬車から降りてきたエレノアが呼ぶ。


「はい、お嬢様」

「衛兵の方々を怖がらせないで」

「承知いたしました」


 マリベルは鉄扇を閉じ、胸元へ添えた。


「本日は、裁判所の皆様の姿勢を整える予定はございません」


 衛兵たちは、まったく安心しなかった。

 予定がないだけで必要があれば整えそうだ。

 エレノアが階段を上がり始める。

 衛兵たちは即座に左右へ分かれて道を開けた。

 法廷には、すでに大勢の人間が集まっていた。


 傍聴席を埋める貴族。

 騎士団の関係者。

 王城の文官。

 大神殿の神官。

 噂を聞きつけた令嬢たち。

 全員がエレノアへ視線を向けた。

 そして、その半数以上が、エレノアの後ろに控える侍女を見ていた。

 法廷の最奥には三人の裁判官が座っている。

 中央にいる白髭の男が、王国裁判長グラント。

 その手前に立つのが、王国訴追官ベリオールだった。

 灰色の髪を撫でつけた、細身の男である。

 エレノアを見た彼の口元には、最初から勝利を確信している者の笑みが浮かんでいた。


「お待ちしておりました。エレノア・アルヴァイン公爵令嬢」

「召喚に従い、参りました」


 エレノアは静かに一礼した。


「本日は、私に向けられた疑いについて、事実を明らかにしたく存じます」


 その後ろでマリベルも頭を下げる。

 鉄扇は閉じられ、両手で持たれていた。

 裁判長グラントはマリベルを見てから重々しく告げた。


「審理に先立ち、確認する。侍女マリベルの自由な発言は認めない」


 法廷がざわめく。

 マリベルは顔を上げた。


「承知いたしました」


 穏やかな返事だった。

 傍聴席の何人かが、あからさまに安堵する。

 だが、すぐに気づいた。

 発言は禁止されたが、鉄扇は禁止されていない。

 むしろ黙ったマリベルの方が、何を考えているのか分からず恐ろしかった。


「それでは、審理を始める」


 裁判長が木槌を鳴らした。


「訴追官ベリオール。申し立てを」

「はい」


 ベリオールは立ち上がり、傍聴席へ見せつけるように一枚の書面を掲げた。


「本件は、公爵令嬢一人の言動だけを問うものではありません」


 よく通る声だった。


「公爵令嬢エレノア・アルヴァイン様は、自らの侍女を使い、騎士団、王城、大神殿へ圧力を加えた疑いがあります」


 傍聴席がざわつく。


「侍女が勝手に暴れただけだとおっしゃるかもしれない。しかし、同じ主のために、同じ侍女が複数の王国機関を制圧している。これを偶然と呼べるでしょうか」


 ベリオールは、エレノアへ向き直った。


「あなたは自らの手を汚さない。静かに立ち、傷ついた顔を見せるだけだ。その背後で侍女があなたの敵を黙らせる」


 マリベルの指先が、鉄扇の縁を押さえた。

 かすかな音がする。

 エレノアが視線だけを向ける。

 マリベルの指が止まった。


「これは偶発的な騒動ではない」


 ベリオールが言い切る。


「公爵令嬢による、王国機関への私的な支配です」


 法廷の視線が、エレノアへ集中した。

 エレノアは、ゆっくりと息を吸う。


「お答えしてもよろしいでしょうか」

「認める」


 裁判長が頷いた。


「私は、マリベルが行ったことのすべてを正しいとは申しません」


 マリベルの目がわずかに伏せられる。


「彼女の行動は、ときに行き過ぎます」


 騎士団関係者たちが深く頷いた。


「かなり行き過ぎます」


 王城関係者たちも頷いた。


「想像を超えて行き過ぎることもあります」


 大神殿の神官たちまで頷いた。


「ですが」


 エレノアの声が、法廷に静かに響く。


「彼女が怒ったのは、私が命じたからではありません」


 マリベルが顔を上げる。


「私が、自分の痛みをなかったことにしようとしたからです」


 法廷が静まった。


「私は誰かと争うことが苦手でした。何かを言われても、自分が悪かったのかもしれないと考えました。私さえ我慢すれば、周囲を困らせずに済むと思っていたのです」


 エレノアは、自分の胸元で重ねた手を見下ろした。


「けれど、マリベルは怒りました」


 口元にほんの少しだけ笑みが浮かぶ。


「私が傷つけられるたびに、私以上に怒ってくれました」


 マリベルの目が揺れる。


「彼女は、私の代わりに怒ってくれる人です」


 エレノアは、ゆっくりと後ろを振り返った。


「でも、それだけではありません」


 マリベルは何も言わない。


「私が自分の痛みに気づくまで、隣にいてくれる人です。私が間違ったことをすれば、主人である私にも遠慮なく意見する人です」


 エレノアは前へ向き直った。


「私が立とうとするとき、後ろから支えてくれる人です」


 マリベルは、言葉を発することができなかった。

 発言を禁じられていたからではない。

 胸が詰まり、何も言えなかったのだ。


「私は、マリベルの行動をすべて正当化するつもりはありません」


 エレノアはベリオールを見据える。


「けれど、彼女の怒りを、私が操った武器だと決めつけることも認めません」


 声は大きくない。

 それでも、法廷の隅まで届いた。


「そして私自身も、もう黙って傷つくつもりはありません」


 ベリオールの笑みが、わずかに歪んだ。


「立派なお言葉です」


 彼は書面を机へ置く。


「しかし、言葉で過去の騒動が消えるわけではないことを忘れてはいけませんな」

「消す必要はありません」


 エレノアは即座に答えた。


「何があったのかを、一つずつ確かめてもらいます」

「何ですと?」

「騎士団で何が起きたのか。王城で誰が何をしたのか。大神殿で、誰がどのような罪を着せようとしたのか」


 エレノアは目を逸らさない。


「噂ではなく、記録と証言でお確かめください」


 裁判長グラントが頷いた。


「証人を呼ぶ」



 ***



 最初に証言台へ立ったのは、王都騎士団長ヴィクターだった。

 黒髪長身の男である。

 証言台へ向かう途中、マリベルと目が合とほんの少しだけ眉間を押さえた。


「騎士団詰所での一件について証言を」

「承知した」


 ヴィクターは正面を向く。


「当時、騎士セドリックはエレノア様と将来を約束した立場にありながら、別の令嬢へ不誠実な接近を行った」

「その際に侍女マリベルが騎士団員を制圧したのでしょう?」


 ベリオールが問いかける。


「そうだ」

「ならば、騎士団への威圧があったと認めるのですね」

「違う」


 ヴィクターは即答した。


「あの場で最初に剣を抜いたのは騎士団員だ」


 傍聴席がざわめく。


「相手が侍女であることを軽んじ、複数人で取り囲んだ。結果として全員が正座させられたが、先に武力を用いたのはこちら側だ」


 騎士団の者たちが、一斉に目を伏せた。


「公爵令嬢が命令した事実は?」

「ない」

「では、マリベルについてどう評価しますか」


 ヴィクターはマリベルを見る。

 マリベルは、とても美しく微笑んでいた。


「危険だ」


 法廷がどよめいた。


「非常に危険だ。だが、少なくとも彼女は何が起きたのかを確認してから鉄扇を開いた」


 ヴィクターは淡々と続ける。


「事情も確かめず剣を抜いた我々よりは、冷静だったと言わざるを得ない」


 騎士団関係者たちは、さらに深く目を伏せた。



 ***



 次に現れたのは、王太子付き文官ユリウスだった。

 眼鏡をかけた青年は、分厚い記録の束を抱えている。


「王城における騒動について証言を」

「はい」


 ユリウスは記録を一枚ずつ机へ並べた。


「当時、エレノア様に対する断罪は、一人の令嬢の証言のみを根拠に行われようとしていました」

「ご冗談を……証言のみではないでしょう?」


 ベリオールが眉を寄せる。


「記録上は証言のみです」


 ユリウスは眼鏡を押し上げた。


「物証なし、現場確認なし、日付の照合なし。加えて、訴えられた出来事があった日、エレノア様は王城にいらしておりません」

「しかし、侍女が王城兵を」

「その件については、現在も王城警備部門で検証中です」

「何を検証しているのです」

「なぜ訓練を受けた王城兵が、一人の侍女に全員正座させられたのかを」


 王城関係者の何人かが、そっと顔を覆った。


「エレノア様が王国秩序を乱したと考えますか」

「いいえ」


 ユリウスは答えた。


「むしろ事実確認を求めたのは、エレノア様側です」



 ***



 三人目の証人は、聖女リリアーナだった。


 白銀の髪。

 白い聖衣。

 澄んだ青い瞳。

 神聖な姿で証言台へ向かっていたリリアーナは、エレノアを見た瞬間、瞳を潤ませた。

 マリベルの鉄扇が、わずかに開く。


 ぱちり。


 リリアーナは、すぐに正面へ向き直った。


「大神殿で起きた出来事について証言を」

「はい」


 リリアーナは胸元で両手を組む。


「わたくしは、自らの失敗を隠すためにエレノア様へ濡れ衣を着せました」


 法廷が静まり返る。


「浄化儀式が失敗したのは、わたくしの聖力が乱れていたためです。ですが、聖女が失敗したと知られるのが怖かったのです」


 リリアーナの声は震えていた。

 それでも、逃げなかった。


「だから、エレノア様が儀式を汚したことにしようとしました」

「その結果、大神殿で騒動が起きたと?」


 ベリオールが言う。


「はい。ですが、エレノア様はご自身の潔白を示したあとも、わたくしを見捨てませんでした」


 リリアーナはエレノアを見る。


「罪を認め、謝罪し、償うなら、立ち上がることはできると教えてくださいました」


 マリベルの鉄扇が、少しだけ緩む。


「そのような方を裁くなど、神意へ背く行いです」

「リリアーナ様、それは言い過ぎです」


 エレノアが即座に止める。

 マリベルが小さく頷いた。


「概ね妥当かと」

「マリベル」


 裁判長が木槌を鳴らす。


「侍女の発言は認めていない」

「大変失礼いたしました」


 マリベルは、深々と頭を下げた。

 あまりに素直な態度だったため、裁判長はかえって不安になった。

 ベリオールが冷たく言う。


「聖女様の証言は、エレノア様への個人的な敬愛に偏っているようですな」

「敬愛ではございません」


 リリアーナがきっぱりと否定する。

 マリベルの鉄扇が、さらに閉じた。


「信仰です」


 鉄扇が、ぱちりと開いた。


「リリアーナ様」


 エレノアが額を押さえる。


「違います」

「ですが」

「違います」


 マリベルが小声で言った。


「距離が近い」

「今は証言中ですのに!?」


 裁判長が木槌を鳴らした。


「静粛に!」


 法廷に、何とも言えない空気が流れる。

 ベリオールは苛立ちを隠すように書類を持ち上げた。


「よろしい。それではこちらから、決定的な証拠を提示しましょう」



 ***



 ベリオールが掲げたのは、一通の書状だった。


「これは三日前、公爵家から王国訴追院へ届けられたものです」


 衛兵が書状を裁判長へ運ぶ。


「差出人はエレノア・アルヴァイン公爵令嬢。内容は、侍女マリベルへの指示です」


 法廷がざわめく。

 裁判長が書状を読み上げた。


『私に逆らう者には、身分を問わず相応の姿勢を取らせなさい。騎士団、王城、神殿と同様に、王国裁判所にも公爵家の力を理解させること』


 空気が凍りついた。

 視線がエレノアへ集中する。


「私は、そのような書状を書いておりません」


 エレノアは、はっきりと答えた。


「では、こちらの証人に尋ねましょう」


 ベリオールが手を上げる。

 入ってきたのは、まだ若い配達人だった。

 名をヘルマンという。

 落ち着きなく帽子を握りしめ、何度もマリベルの方を見ては目を逸らしている。


「証人ヘルマン。この書状をどこで受け取った?」

「こ、公爵家の裏門です」

「誰からだ」

「名は知りません。公爵家の使用人らしい女の方でした」

「そして、王国訴追院へ届けた」

「はい」


 ベリオールは勝ち誇ったようにエレノアを見る。


「公爵家から届けられた。公爵家の封蝋が押され、公爵令嬢の署名がある」

「署名は偽造です」

「何を根拠に?」

「私が書いていないからです」

「それだけでは証拠になりませんな」


 ベリオールは傍聴席を見回した。


「侍女を使い、王国機関へ圧力をかけてきた。さらに裁判所まで従わせようとしていた。これほど明確な証拠があるでしょうか」


 法廷の空気が、少しずつエレノアに不利な方向へ傾いていく。

 エレノアは書状を見た。

 封蝋は、公爵家の紋章に見える。

 署名も、自分の筆跡によく似ていた。

 だが、自分は書いていない。


「その書状を、詳しく確認させていただけますか」


 エレノアが尋ねる。


「被告本人が触れることは認められません」


 ベリオールが即座に拒む。


「証拠を傷つけられては困りますので」


 その言い方に、傍聴席から小さな囁きが上がった。

 マリベルは、黙って書状を見ていた。


 封蝋。

 紙。

 折り方。

 端の繊維。

 そして、証人ヘルマンが握っている帽子。


 マリベルの目が、静かに細くなる。

 彼女は手を上げた。

 裁判長が即座に警戒する。


「侍女の発言は認めない」

「承知しております」


 マリベルは一礼した。


「ですが、お嬢様の身支度と公爵家の備品を管理する者として、証拠品の形式について確認をお願いしたく存じます」

「形式?」

「はい」


 裁判長は迷った。

 ベリオールが声を上げる。


「侍女の戯言です!」

「では、確認なさらなくても構いません」


 マリベルは、にっこりと微笑んだ。


「ただし、偽造された書状を正式な証拠として採用した責任が、のちにどなたへ向かうかは存じませんが」


 裁判長グラントが、すぐに書状を机へ置いた。


「確認を許可する。ただし、触れることは認めない」

「十分でございます」


 マリベルは書状へ近づく。

 数歩離れた位置で止まり、静かに観察した。


「まず、その紙は公爵家のものではございません」


 法廷がざわつく。


「なぜ分かる!」


 ベリオールが声を荒げる。


「公爵家の公式書状には、光へ透かすと百合の紋章が浮かぶ紙を使用しております」


 裁判長が書状を窓から入る光へかざした。

 何も浮かばなかった。


「次に、折り方が違います」

「折り方だと?」

「公爵家から王国機関へ送る文書は、下端を先に折り、上端を重ねます。開封時に宛名が最初に見えるようにするためです」


 マリベルは淡々と続ける。


「その書状は上から先に折られております。王国訴追院で使用される折り方と同じでございますね」


 ベリオールの顔が強張った。


「偶然だ!」

「続いて封蝋でございます」


 マリベルは、封蝋へ目を向けた。


「公爵家の封蝋は深い青色です。こちらは灰色を混ぜ、表面だけ青く見せております」

「見ただけで分かるものか!」

「分かります」


 マリベルは微笑んだ。


「公爵家の封蝋は、私が毎月在庫を確認しておりますので」


 裁判長が書状を記録係へ渡す。


「削って色を確認せよ」


 記録係が封蝋の端をわずかに削った。

 表面の青色の下から、灰色の蝋が現れた。

 法廷がどよめく。


「偽造だ……」

「では、署名も」

「筆跡については専門家の鑑定が必要でしょう」


 マリベルが答える。


「ですが、少なくとも公爵家から正式に送られた書状ではございません」


 ベリオールが机を叩いた。


「書状が偽造であったとしても、誰が作ったかは分からない!」

「そのとおりでございます」


 マリベルは素直に頷いた。


「ですので、次は証人ヘルマン様の帽子をご確認くださいませ」


 ヘルマンの肩が跳ねた。


「ぼ、僕の帽子?」

「内側の縫い目が、一か所だけ新しくなっております」


 マリベルは帽子を見つめる。


「糸の色が周囲と異なり、縫い幅も不揃いです。何かを隠すため、急いで縫い閉じたように見受けられます」

「憶測だ!」


 ベリオールが叫ぶ。


「はい」


 マリベルは穏やかに返した。


「ですので、確認をお願いしております」

「なぜ縫い目など分かる!」

「侍女ですので」


 裁判長が衛兵へ合図する。


「帽子を確認せよ」

「待ってください!」


 ヘルマンが帽子を抱え込んだ。


「これは僕のものです!」

「証人。提出しなさい」

「違うんです! 僕はただ頼まれて――」


 言いかけて、ヘルマンは口を閉じた。

 マリベルが小さく首を傾げる。


「まあ」


 声は優しかった。


「私はまだ、何を隠しているとも申し上げておりません」


 ヘルマンの顔から血の気が引く。

 衛兵が帽子を取り上げ、内布の縫い目をほどいた。

 中から落ちてきたのは、折り畳まれた一枚の受領書だった。

 金貨百枚。

 支払元は、王国訴追院の臨時調査費。

 受取人は、ヘルマン。

 法廷が騒然となった。

 ユリウスが眼鏡を押し上げる。


「裁判長。その受領書に記された整理番号を、訴追院の会計記録と照合すべきです」


 ヴィクターも低く言う。


「証人を保護し、関係書類を押収しろ。偽証の可能性が高い」


 リリアーナが聖杖を握りしめる。


「偽りの証言でエレノア様を陥れようとしたのであれば、聖鎖を用いてもよろしいでしょうか」

「まだです、リリアーナ様」


 エレノアが止める。


「まだ、でございますのね」

「使う前提にしないでください」


 マリベルは、ヘルマンを見ていた。


「証人ヘルマン様」


 裁判長が厳しい声で問いかける。


「誰から金を受け取った」

「ぼ、僕は……」

「正直に答えなさい」


 ヘルマンの膝が震える。


「訴追院の書記からです。書状を公爵家から受け取ったと証言すれば、金を渡すと……」


 傍聴席が大きくざわめいた。

 ベリオールの顔から笑みが消える。


「私は知らない! 部下が勝手にしたことだ!」

「では、会計記録を調べればよろしいかと」


 マリベルは深く一礼した。


「発言を禁じられておりますので、私はここまでにいたします」


 そして、本当に口を閉じた。

 だが、その沈黙は、法廷にいる誰の言葉より雄弁だった。

 裁判長グラントが、厳しい目をベリオールへ向ける。


「訴追官。説明を求める」

「これは何者かが私を陥れるために――」

「見苦しいな」


 傍聴席の奥から、低い声が響いた。

 一人の男が立ち上がる。

 反公爵派の中心人物、ダルガン侯爵だった。


 黒い礼服。

 冷たい目。

 公爵家への敵意を隠そうともしない表情。


「書状一枚を崩した程度で、何が変わる」


 ダルガン侯爵は、エレノアを睨む。


「公爵家が騎士団、王城、大神殿へ影響力を広げた事実は消えん」

「事実ではありません」


 エレノアが答える。


「事実だ」


 侯爵は吐き捨てる。


「貴様は清廉な顔をし、周囲を味方につける。騎士団長も、王太子の側近も、聖女さえも。気づけば誰も公爵家に逆らえなくなる」


 エレノアは、怒鳴り返さなかった。

 顔を赤くすることもなかった。

 ただ、目を逸らさない。


「私が望んだことではありません」

「望んでいないと言えば許されると思うな」


 ダルガン侯爵の手が上がった。


「裁判で裁けぬなら、ここで終わらせるまでだ」


 その合図と同時に、傍聴席の端にいた数人の男たちが動いた。

 外套の内側から短剣を抜く。

 私兵だった。


 悲鳴が上がる。

 裁判所の衛兵が動くより早く、私兵たちはエレノアへ向かって駆け出した。

 マリベルが静かに立ち上がる。


「マリベル」


 エレノアが呼んだ。

 その声は、止めるためのものではなかった。


「はい、お嬢様」

「ここは裁判所です」

「承知しております」

「やりすぎてはいけません」


 マリベルは鉄扇を開いた。

 黒い扇面に、金文字が輝く。


『お嬢様第一』


「法の妨げにならぬよう、丁寧に整えます」

「その表現がすでに不安なのですが」

「では」


 マリベルは微笑んだ。


「全員正座で」


 次の瞬間、姿が消えた。


 ぱん。


 一人目の短剣が宙を飛び、証拠品台の空いている場所へ真っすぐ突き刺さる。


 ぱん。


 二人目の手首から力が抜け、短剣が床へ落ちた。


 ぱん。


 三人目の膝裏が払われ、その場で美しい正座になる。


「なぜ正座!?」

「裁判所に適した姿勢でございます」

「違う!」


 四人目がエレノアの背後へ回り込もうとする。

 その足へ、法廷を区切っていた赤い仕切り紐が絡みついた。

 気づいたときには、男は証人席の柱へ括られている。


「なぜ裁判所の紐で!」

「備品は大切に、有効に使用いたします」

「使用目的が違う!」


「次の方」

「次の方ではない!」


 残った私兵たちが一斉に襲いかかる。

 その瞬間、法廷に白い光が満ちた。


「聖獣アルシオン!」


 リリアーナの声が響く。

 白銀の聖獣が光の中から現れ、エレノアの前へ立つ。

 低い唸り声だけで、私兵たちの足が止まった。


「聖鎖よ!」


 リリアーナが聖杖を掲げる。


「エレノア様へ害なす者を捕らえなさい!」


 金色の鎖が法廷を走った。

 私兵の腕を縛る。

 逃げようとしたヘルマンの腰へ巻きつく。

 書類を抱えて退出しようとしたベリオールの足首を絡め取る。


「なぜ私まで!」

「逃亡の恐れがございますので!」

「聖女が裁判所で勝手に人を縛るな!」

「女神エレノア様の神意でございます!」

「違います、リリアーナ様」


 エレノアが即座に否定する。

 ダルガン侯爵が怒鳴った。


「聖女まで公爵家の手に落ちたか!」


 リリアーナは胸を張る。


「手に落ちたのではありません!」


 マリベルの鉄扇が、少しだけリリアーナへ向く。


「救っていただいたのです!」


 マリベルは一瞬考えた。


「その表現であれば、許容いたします」

「ありがとうございます!」

「ですが、距離が近い」

「今は襲撃の最中ですのに!?」

「二人とも、今はそこではありません」


 エレノアが額を押さえる。


「はい、お嬢様」

「はい、エレノア様」


 二人は同時に返事をした。

 その間にも、私兵たちは次々と正座させられていく。

 ヴィクターが衛兵たちへ指示を飛ばす。


「入口を封鎖しろ! 一人も逃がすな!」


 ユリウスは、机の上の書類を素早く集めていた。


「偽造書状、受領書、訴追院の会計資料。すべて証拠として保全してください」


 騒ぎが収まったとき、法廷の中央には整然とした列ができていた。


 私兵。

 偽証人。

 訴追官ベリオール。

 そして、ダルガン侯爵。


 全員、正座していた。

 ダルガン侯爵が、怒りで顔を赤くする。


「このような屈辱が許されると思っているのか!」


 マリベルは微笑んだ。


「正座は刑罰ではございません」

「ならば何だ!」

「姿勢でございます」

「ふざけるな!」

「反省する際に、大変適した姿勢でございます」


 裁判長グラントが、つられるように椅子から降りかけた。

 隣の裁判官が、慌てて腕を掴む。


「裁判長は正座しなくて結構です!」

「そ、そうか」


 裁判長は座り直した。

 法廷は、一時的に混乱を極める。


 偽造証拠。

 買収された証人。

 訴追院の不正会計。

 反公爵派による陰謀。

 裁判所内での武力行使。

 もはや、エレノアを裁いている場合ではなかった。

 裁くべき者たちは全員、法廷中央で正座していた。



 ***



「静粛に!」


 裁判長グラントが木槌を鳴らした。

 重い音が法廷へ響き、ざわめきが静まる。

 エレノアは背筋を伸ばした。

 その隣にはマリベルが控えている。

 鉄扇は閉じられていた。


「判決を言い渡す」


 裁判長が正面を向く。


「エレノア・アルヴァイン公爵令嬢に対する、王国機関への組織的威圧、ならびに侍女を用いた私的制裁への関与について」


 エレノアは逃げずに顔を上げた。

 マリベルは、閉じた鉄扇を握る手にだけ力を込める。


「いずれも、罪なしとする」


 傍聴席が大きくざわめいた。

 裁判長は木槌を一度鳴らし、続ける。


「また、本件において偽造書状、証人買収、不正な会計処理、ならびに反公爵派による政治的介入が確認された」


 正座する者たちの顔色が変わる。


「王国訴追官ベリオール、証人ヘルマン、ダルガン侯爵および関係者については、別件として厳正に審理する」


 ダルガン侯爵が何かを叫ぼうとしたが、聖鎖が首元で締まったので侯爵は黙った。


「加えて」


 裁判長グラントは、疲れた表情でマリベルを見る。


「法廷内で複数人を正座させた行為については」

「姿勢を整えただけでございます」


 マリベルが微笑む。


「……今後、裁判所の規則を整備する」


 法廷に、何とも言えない沈黙が落ちた。

 エレノアは深く一礼する。


「公正なご判断に、感謝いたします」


 マリベルも頭を下げる。


「お嬢様に罪なしとのご判断、大変賢明でございます」


 裁判長は聞こえなかったことにした。

 侍女の発言は認められていない。

 認められていないはずである。



 ***



 審理が終わり、傍聴人たちが法廷を出ていく。

 ベリオールとダルガン侯爵は衛兵に連行された。

 正座の痺れによって、二人ともまともに歩けていなかった。


「エレノア様!」


 リリアーナが嬉しそうに駆け寄ろうとした。

 一歩……いや、半歩進んだところで、マリベルと目が合う。


 にこり。


 マリベルは、とても美しく笑っていた。

 リリアーナは、そっと半歩戻った。


「ご無事で何よりでございます」

「大変よろしい」

「マリベル、聖女様を教育しないでください」

「近頃は大変成長していらっしゃいます」

「そこを評価しないでください」


 エレノアは、思わず小さく笑った。

 リリアーナはその笑顔を見て、祈るように両手を組む。

 マリベルの鉄扇が、わずかに上がる。

 リリアーナは、もう半歩下がった。

 確かに成長していた。



 ***



 裁判所の長い廊下を抜ける頃には、夕日が石床を赤く照らしていた。

 エレノアは正門へ続く扉の前で立ち止まる。


「マリベル」

「はい、お嬢様」

「今日は、本当によく我慢したわね」


 マリベルの動きが止まった。

 鉄扇を握っていた指が、ほんの少し緩む。


「……お嬢様のためでございます」


 声は小さかった。

 いつもの絶叫でもない。

 敵へ向けた冷たい声でもない。

 鉄扇を振るうことよりも難しいことをやり遂げた者の声だった。


「ええ」


 エレノアは微笑む。


「ありがとう、マリベル」


 マリベルは目を伏せた。

 その場に崩れ落ちそうになった。

 だが耐えた。

 侍女なので。


「もったいなきお言葉でございます」

「ですが、最後には少し暴れたわね」

「襲撃されましたので」

「そうね」

「法の秩序を守るために行動いたしました」

「本当に?」

「やりすぎてはおりません」

「そこは認めます」


 マリベルが、ぱっと顔を上げた。


「お嬢様が、私をお褒めに」

「ただし、裁判所の中央に正座の列を作ったことについては、お説教です」

「はい」

「長いお説教です」

「はい」

「今回は裁判所ですから、かなり長くなります」

「はい」

「反省してる?」

「お嬢様を害そうとした者を正座させた件については、反省いたしかねます」

「マリベル」

「ですが、裁判長を正座させなかったことについては、お褒めいただけるかと」

「させるつもりだったの?」

「一瞬だけ」

「褒めません」


 エレノアは呆れたように息を吐いた。

 けれど、口元は柔らかく緩んでいた。

 マリベルの胸が温かくなる。

 お嬢様が笑った。

 ならば、今日の戦も勝利である。



 ***



 後日。

 王国裁判所には、新たな注意書きが掲げられた。


 一つ。


『証言は重要である。ただし、金銭の授受がないか確認すること』


 一つ。


『封蝋が押されていても、正式な書状とは限らない。紙、折り方、透かしを確認すること』


 一つ。


『公爵令嬢エレノア・アルヴァイン様を訴追する場合、先に事実と記録を確認すること』


 一つ。


『侍女マリベルの発言を禁じる場合、証拠品および鉄扇の所在を確認すること』


 一つ。


『正座は刑罰ではない。ただし、偽証が発覚した直後に発生しやすい』


 裁判長グラントは、最後の二文を消そうとした。

 だが、法廷にいた衛兵たちが一斉に首を横に振る。

 消してはならない。

 これは規則ではない。

 安全対策である。



 ***



 公爵家には、王国裁判所から正式な謝罪状が届いた。

 公爵は執務室で謝罪状を読み終えると、静かに机へ置いた。


「エレノア」

「はい、お父様」

「よく、自分の言葉で立ち向かったな」

「ありがとうございます」


 エレノアは穏やかに微笑んだ。

 その後ろで、マリベルが誰よりも誇らしげに胸を張っている。

 公爵は、次にマリベルを見た。


「マリベル」

「はい、旦那様」

「お前も、よく我慢した」


 マリベルは一瞬だけ目を見開いた。

 そして深く頭を下げる。


「……恐れ入ります」


 老執事が、満足そうに小さく頷いた。

 そばの若い従僕も、胸を打たれていた。

 マリベルさんも成長したのだ。

 暴れずに、お嬢様を支えることを覚えたのだ。

 そう思った。

 そう思った直後だった。

 玄関ホールから、慌ただしい足音が響いてくる。


「申し上げます!」


 別の従僕が、青ざめた顔で執務室へ駆け込んできた。


「隣国大使館より、エレノアお嬢様宛てに抗議状が届きました!」


 マリベルの顔から、すべての表情が消えた。

 公爵家の空気が止まる。


「マリベル」


 エレノアがすぐに名を呼んだ。


「はい、お嬢様」

「まだ内容を読んでいません」

「はい」

「何に対する抗議かも分かりません」

「はい」

「ですから、まだ怒ってはいけません」

「承知いたしました」


 マリベルは深く息を吸った。

 そして、完璧な笑顔を浮かべる。


「まずは内容を確認し、適切に対応いたします」


 屋敷中の使用人たちは思った。

 適切。

 それは、マリベルが口にする言葉の中でも、特に危険な部類に入る。

 従僕から抗議状を受け取ったマリベルが、封を開いた。


 一行読む。

 二行読む。

 三行目で、鉄扇が開いた。


「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」


 公爵家中に、絶叫が響き渡った。

 それは、もはやエレノアを呼ぶためだけの声ではない。

 公爵家における、非常事態発生の合図である。

 屋敷中の使用人が、一斉に手を止めた。

 老執事は何も聞かず、ただ静かに頷く。


「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を……」


 老執事は、すでに同じ部屋にいる公爵を見た。


「失礼。今回は最初からおいででしたな」

「ああ」


 公爵は静かに紅茶を置いた。


「すべて聞いている」


 そばにいた若い従僕が、震える声で尋ねた。


「今回は、裁判所ではございませんよね?」


 老執事は窓の外へ目を向けた。


「まだ分からん」


 公爵家の者たちは、もう誰も理由を尋ねない。

 お嬢様が呼ばれた。

 ならば、戦である。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


お嬢様第一侍女マリベルのお話は、他にもあります。

気に入っていただけましたら、第一作目の「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」もぜひ読んでみてくださいね。


また、第6作目の「番外編:お嬢様が魔王に攫われたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」も読んでみてくださいね。


また、本作とは異なる展開やエピソードを加えた連載版

「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」

も投稿しておりますので、そちらもお楽しみいただけましたら嬉しいです。


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このシリーズの『the・様式美』な面白さが素敵です。 読者も正座して読んだほうが良いのでしょうか?
これも駄目だ。腹が保たない! 頭の中に「ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」が響く。うん、死にます。笑い死にます。序盤から中盤まではちょっと違う?と思っていましたがやはり侍女…
AIすぎる
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