曲がった直線
その町では、不安は存在しないとされていた。
正確には、不安という言葉がなかった。
感じることはできたが、誰もそれを区別しなかった。
朝になると、人々は決まった方向に歩く。
理由はなかった。
歩くと、次の場所に着く。
それだけで十分だった。
立ち止まる者はいなかったし、立ち止まった結果どうなるかも誰も知らなかった。
彼も、毎日同じ道を歩いていた。
歩いている最中、胸の奥が少しだけ縮むことがあった。
空気が薄くなるような感覚だったが、息はできる。
その感覚には名前がなかったので、無視された。
町には計測器が一つだけあった。
それは人の内側を測るものだったが、表示される数値は誰にも読めなかった。
読めないので、問題は起きなかった。
数値は変動していたが、変動は意味を持たなかった。
ある日、その計測器が壊れた。
正確には、壊れたように見えただけだった。
数値が止まり、同じ形を保ったまま揺れなくなった。
それを見ても、人々は特に反応しない。
ただ、歩く速度が少しだけ遅くなった。
誰が決めたわけでもない。
全員が、ほんのわずかに遅れただけだった。
彼も歩いていた。
胸の縮みは、前より長く続いた。
それでも、歩けた。
歩ける以上、それは存在しないのと同じだった。
町の外に出るという概念はなかった。
内と外の区別がなかったからだ。
境界は存在していたが、意味を持たなかった。
その日、道が一度だけ曲がった。
理由はない。
今まで直線だったものが、曲がった。
彼はそれを見て、足を止めた。
止めた瞬間、胸の縮みが広がった。
広がったが、何かになることはなかった。
言葉にならなかったし、行動にもならなかった。
周囲を見ると、他の人々も止まっていた。
止まっていることに、誰も気づいていない。
止まるという状態が、まだ定義されていなかったからだ。
その場に、音が落ちた。
落ちたが、誰も拾わなかった。
音は地面に染み込んで、消えなかった。
彼は再び歩き出そうとした。
足は動いたが、前に進まない。
進んでいないのに、戻ってもいなかった。
胸の縮みは、そこにあった。
それは増えも減りもしなかった。
ただ、名前を持たないまま、位置を占めていた。
誰かが笑ったような気がした。
本当に笑ったのか、そう感じただけなのかは分からない。
確かめる方法がなかった。
やがて、人々は再び歩き始めた。
道は元に戻らなかった。
曲がったまま、直線のふりをしていた。
彼も歩いた。
胸の奥の縮みを連れて。
連れている感覚はなかった。
置いていくこともできなかった。
町は今日も機能している。
問題は起きていなかった。
ただ、計測器の表示は、誰にも読めないまま、動かずに残っていた。




