影の揺れ
部屋の隅に置いた小さなスピーカーは、特にこだわって選んだものではなかった。
ほどほどに安くて、ほどほどに音がよくて、机の端にちょこんと置けるサイズ。
買った当初、そこに不気味さなんて欠片もなかった。
最初の違和感は、影だった。
夜、デスクライトだけを点けて音楽を流していると、スピーカーの影が壁に長く伸びていた。
ライトの位置のせいだろうと思った。
だが、妙だったのは、影の“揺れ方”だ。
曲のリズムと、影の揺れが微妙に合っていなかった。
右に強くビートが鳴ったとき、影は左に揺れる。
バス音に合わせて上下に震えるはずが、影はふわりと横に広がる。
その日は疲れていたので、ただの気のせいだと思うことにした。
翌日も音楽を流した。
やっぱり影が変だった。
影だけが、まるで曲とは別の何かを“聴いて”揺れているように見える。
三日目。
揺れ方が、よりはっきり異常だった。
影の先端が、指の形になっていたのだ。
五本、とは言い切れない。だが尖った突起がいくつも揺れ、
ライトの角度では説明できない位置に影が伸びていた。
スピーカー本体は、ただの四角い箱なのに。
その夜、音を止めてみた。
止まったのは部屋の空気だけだった。
影はまだ揺れていた。
ゆっくり、ゆっくり、何かの呼吸に合わせているように。
壁からそっと目をそらし、スピーカー本体を確認した。
ただの箱。何も変わっていない。
でも影を見ると、まるで人の肩のラインのように盛り上がって見えた。
四日目。
ライトをつけた瞬間、影が明らかに違っていた。
スピーカーの影が――人の形に近づいていた。
肩がある。
首のような細い影が、その上にすっと伸びている。
顔までは形になっていない。
だが、壁に貼りついた“何かの気配”が、こちらに向かっているのが分かった。
呼吸するように揺れていた影は、ライトを消しても消えなかった。
翌日、試しに音楽を流した。
影は、曲のリズムを完全に無視した動きをした。
まるで、そばで、誰かが囁いている声だけに反応しているかのように。
その日の深夜。
そっと部屋に戻ったとき、ライトを点ける前から気配があった。
壁のほうから、誰かが立っているような圧。
怖くてライトを点けた。
スピーカーの影は、完全に人型になっていた。
細長い肩、横にわずかに広がる腕の形。
顔の部分だけが、真っ黒な穴のように抜けている。
音楽は流していない。
それでも影は揺れていた。
まるで、私の呼吸を真似るかのように。
そして、気づいた。
影の肩が、昨日よりも少しだけ近い位置にあったことに。
あれからスピーカーには触れていない。
コンセントも抜いた。
なのに、部屋に入るたび、影は少しずつかたちを変えて近づいてくる。
さっき、ふと壁に視線を向けた。
影が、手の形になっていた。
指先が、壁からこちらへ伸びようとしているみたいに。
――たぶん、あと数日で届く。
私は今、スピーカーを見ないようにしながら、この文字を打っている。
壁のほうで、影だけが揺れている。
音のない世界で、私にだけ聞こえる何かに合わせるように。
あれは何を“聴いて”いるんだろう。
そして、何をしようとしているんだろう。
考えないようにしても、わかってしまう。
――あの影、もうすぐ私と同じ形になる。




