かたちの記憶
彼女は山登りが趣味だった。
荷物の重みを分け合うように、いつも同じリュックを背負っていた。
金具には傷だらけのカラビナ。学生のころに買った安物で、使い古しすぎてもう艶もない。
それでも捨てられなかった。
どんな荷物を吊るしても、一度も壊れたことがなかったからだ。
ある日、下山して道具を片づけているとき、ふと違和感を覚えた。
カラビナの形が、少し丸い。
いつもはもう少し細長かったはずだ。
気のせいかと思い、軽く指でなぞると、金属がわずかに温かかった。
翌朝、また少し形が違っていた。
今度は逆に、縦長に伸びている。
昨日の丸みが消え、まるで握った形を記憶したようだった。
数日後、彼女は試しにカラビナを写真に撮った。
翌朝、それを比べてみて息をのむ。
角度だけでなく、輪の中の空間の大きさまで違う。
金具が噛み合う部分の位置が、数ミリずれているのだ。
不安になって棚にしまい込んだ。
けれど翌日には、リュックのベルトに戻っていた。
どこかが噛み合うたびに、小さく金属が鳴る。
まるで呼吸のような音だった。
夜、眠る前にもう一度確かめる。
見慣れた金属光が、部屋の灯りを跳ね返していた。
形は……昨日より、またわずかに違う。
指先で触れると、少しだけ開いた。
そしてそのまま、彼女の手を挟むように閉じた。
指を抜こうと力を込めたが、びくともしない。
冷たいはずの金属が、手のひらの熱を吸い上げていく。
音がする。
かすかな金属音が、心臓の鼓動に重なった。
朝、彼女の部屋にはリュックがひとつ置かれていた。
カラビナはいつもの形に戻っていた。
ただ、輪の中に小さく指の跡のような凹みがあった。




