隣の席
杖は私の歩幅を決めている。
歩く速度、曲がる角、疲れた脚の休ませ方までを。外出から帰るときはいつも、廊下の灯りを頼りにゆっくりと足を運ぶ。生活の細い規則の一つだ。
ある夜、杖をついた拍子に耳の端で小さな笑い声が跳ねた。
子どものもののようで、楽しげに弾む。最初は向かいの家のテレビかと思った。
だが、居間の明かりを入れると、椅子の隣に小さな濡れた足跡がひとつ、きれいについていた。
泥や葉の跡ではなく、まあるく水を弾いたような跡だ。
私は靴底を拭き、いつも通りに夕飯を済ませた。
誰かのいた痕跡を確かめることはしなかった——確かめれば何かが変わる気がしたからだ。
拭けばきれいになるし、笑い声はたまにしか返らないから、翌日に必ずあるとは限らない。跡はその夜だけ見つかることもあれば、翌朝には消えていることもある。
椅子は二脚、私の隣にもう一つ。足跡はいつもその隣で止まり、そこに子どもが座るつもりでいるような気配だけを残す。
私はその気配に応えるほど寂しかったのかもしれない。だから新聞紙を一枚、椅子の隣に広げておいた。子どもが濡れた靴で座ってもいいようにと、無意識にそう思ったのだ。
それから、たまに笑い声が返る。
必ず帰ると椅子の隣に足跡がついているとは限らないが、ある晩、新聞紙の上に小さな影が落ちているのを見つけた。紙の上に、丸く濡れた跡が一直線に並んでいる。
足跡は椅子の脇で止まり、その先端がほんの少し折れていた。誰かが座るために体の向きを変えたように見えた。
私は椅子に腰掛け、杖を膝に立てた。
部屋は低く、暖かい灯りに包まれている。笑い声は聞こえなかった。けれど、隣の新聞紙の湿りは、私の膝先にまで伝わっているような気がした。
手を伸ばすべきか、いや、手を伸ばすと何かが終わる、そう感じて引っ込める。
朝になったとき、足跡は消えていた。
だが枕元には小さな靴が一つ、乾いたままで置かれていた。座るつもりだったのは誰なのか、夜の間に誰が帰ったのか、はっきりとは分からない。
ただ、隣に席があるという事実だけが残る。
私は杖を握り直し、いつもの速度でまた外へ出る。帰ると、きっとまた、椅子の隣に同じ濡れた跡がついているのだろう。誰かがそこに座るつもりらしい──それが、日々の音に溶けて、私の足取りを少しだけ軽くする。




