変質者を量産する国から転生して、男性不信だから、婚約破棄してくれていいのに
「少しくらい良いではありませんかぁ」
女の舌足らずな媚びた声がする。
「やめろよ」
男は嫌そうな素ぶりを見せるものの、本気で嫌がっている風でもない。
イヤよ、イヤよも、好きの内ってか。
ここは年頃の貴族の紳士淑女が集う学び舎の庭園にあるガゼボ。
そのガゼボを一組の男女が占領していて、イチャついていた。
生物クラブのフローラは、ガゼボ下の花壇に、今が旬の初夏の花々の水やりと観察をしていたところだ。
この王立学園はもうすぐ長い夏休みに入る。夏休みの間は管理人が手入れをしてくれるだろうけど、暇な時には観察に来ようかしら、などと考えていたのに。
不埒な輩がとんだ邪魔をしてくれる。
フローラは水やりが終わると、タンタンタンと軽快に階段を上がり、ガゼボへ向かった。
「ようやくボンキュッボンの美女を見つけたのね?
だったら早く婚約解消してよ。貴重な夏休みにまで、アンタと茶会だの、観劇だの行きたくないし、アンタの貴重な時間だって奪いたくないんだから」
フローラはイチャついていた男の方へ向かって、嫌味ったらしく、吐き捨てるように言うと、
「やぁ、可愛げのない婚約者殿。んー、確かに彼女はナイスバディなんだけど、バカなんだよね」
ゾッとするくらいの中性的美しさ湛えた男が、気怠そうに答えた。
「侯爵夫人になる人間は見かけだけでなく、頭も良くないと。そう、君のようにね。フローリー」
フローラは男に愛称で呼ばれて、ゾワッと鳥肌を立たせた。キモい。キモすぎる。
「な、なんですって!?」
バカと呼ばれた、ご令嬢が男に絡みつけていた腕を乱暴に解いた。
「んー?本当のことでしょ?学期末のテスト、○がちっともなかったんだって?
そのオツムの程度で、いくら豊満な胸を押しつけられてもねぇ・・・
その点、僕の婚約者は可愛げが全くないけど、オール満点だからさ。さすがは神童」
遠回しに侮辱されたご令嬢は顔を真っ赤にさせて、ベンチから立ち上がると、プリプリしながらガゼボの階段を降りて行く。
フローラはため息をついてその後ろ姿を見送ってから、ジョーロに残った水を男の頭からかけた。
あら残念。びしょ濡れになれば良かったのに。
大して水が残っていなかったわ。
「フローリー、ひどいよ。いくら僕が水も滴るいい男だからって」
「気持ち悪いから、私をフローリーって呼ばないでって言ってるでしょ!
それから、なるはやで婚約解消してちょうだいっ」
フローラは空になったジョーロを手に、ガゼボから逃げるように走り出した。
男は髪にかかった水滴をふるふる払いながら、
「んー、それは無理」
と呟きつつ、ベンチにゴロリと寝転んだ。
*****
男爵家の次女フローラが、社交界きっての美少年で、『麗しの天使』と異名を持つ侯爵家の嫡男、ルカ、12歳と婚約を結んだのは6年前の10歳のときである。
フローラは幼少期から神童と呼ばれて、男爵の家格にも関わらず、婚約の打診がひっきりなしにあった。
それもそのはず、フローラは時空を超えて生まれ変わった、いわゆる転生者。
生まれ変わる前にいたところは、小国ながらも最先端技術で経済大国だったシマグニ。
メガベンチャーの有能社長秘書だった彼女は、26歳という若さで突然、過労死してしまったのだ。
ところが、その魂はあらゆる知識を持ったまま、これまたとある王国の男爵家の赤子に生まれ変わった。
フローラと名付けられた花のように可愛らしい少女は、小さい頃から数ヶ国語を操り、計算させれば誰よりも正確で早くこなし、文字を書かせれば大人顔負けの達筆ぶりで、天才少女とも神童とも呼ばれるようになる。
さらに貧乏男爵領の赤字経営をV字回復させていたので、国内外問わず、ラブコールは凄まじかった。
そんなフローラを見事に射止めたのが、良質な鉱山を所有する侯爵家。フローラの母親が無類の宝石好きだったのが運のツキ。
神童と天使による、世紀のカップリングは貴族社会を大いに沸かせた。
だが、当の本人たちは、初見の茶会で泥仕合を展開させていたのである。
その時のルカの第一声が、
「何だ子どもじゃないか。僕はセクシーなお姉さんが好きなのに、童顔ペタンコか。この世も末だね。ああ、麗しの天使も泣くに泣けないよ」
12歳男児が何をほざくか、と顔を引きつらせる母親たちをよそに、フローラも負けじと言い返す。
「まぁ!それは良かった。私もアンタと婚約なんて御免被りたいわ。アンタのその顔、虫唾が走るったら。何が天使よ。堕天使じゃない。きも」
あの茶会の場が凍結したのは記憶に新しい。
ところで神童フローラには、最大の欠点がある。
生まれ変わる前にいたシマグニは、豊かな国であったと同時に、変質者も量産していたので、フローラは大の男ギライだったのだ。
シマグニの少年たちは学校教室で、女子の誰それの胸が大きいだの何だのと無神経、無遠慮に話していたし、青年になったらなったで、誰それとヤッただの何だの、自慢しまくる。
女を取っ替え引っ替えするゲスな男がいる一方、いつまでたっても童貞をこじらせ、自分の好みの女の子の顔写真に、理想のカラダを合成したり、あるいは性行為をしている合成写真を作って悦に入る。
かと思えば、人の上に立つ男性たちが、女性に強引な性接待を強要したり、少女の食べ物の中に体液を混入させたり、着替えや用足しの隠し撮りをする。
変質者量産国から、不貞、浮気、が日常茶飯事の無節操王国に転生してしまった哀れな神童。男ギライが加速するのは無理もなかった。
どんなにルカがシンメトリーの端正な美男子だろうと、ラピスラズリのように美しい瞳の持ち主であろうと、さらさらのシルクブロンドの髪をなびかせようと、麗しの天使と呼ばれようと、全く心がときめくことがなかったのである。
*****
「フローラ、夏休み前の年度末学園パーティー用のドレスが侯爵家から届いているわよ」
学園から郊外寄りの屋敷に馬車で戻れば、母親が目をキラキラさせて言ってきた。
「さすがは侯爵家ね。素晴らしい意匠のドレスよ」
母親と自室に向かい、トルソーに着せられたブルーのデイドレスを見て、フローラはゲンナリした。
麗しの天使の瞳に合わせたブルーか。キモい。
アイツが学園のホールをちゃんとエスコートするのかも怪しいし、厚顔無恥な痴女集団がアイツにまとわりつくのも目に見えている。
うん、よし、サボろう。年度末パーティーの参加は任意だし、成績には関係ないから。
*****
パーティー当日、フローラは朝早くから乗馬服を着て、馬車に乗り込み、ある山へと向かっていた。
順調に進んで、休息も取りつつ、夕方前には無事に目的地に到着した。
一応、ブルーのドレスはカバンに詰めている。
侯爵家の婚約者として、領主らと領地視察をしている際、鉱山だけではなく、活火山も見つけてしまったのだ。
転生者フローラにとって、採掘される宝の原石よりも、こちらの方が何万倍も良い。
そう、それは天然温泉!
シマグニでも疲れた心身を癒すため、暇さえあれば温泉に通っていたっけ・・・
明日から夏休み。侯爵家のお屋敷にしばらく滞在させてもらう許可は、侯爵家にも実家にもだいぶ前から取ってある。
「うん。ちょっとぬるいけど、長湯できるわね」
そして少しずつ手を掛けて、完成させた簡易小屋に入ると、乗馬服を脱ぎ、護衛や侍女たちと一緒に、フローラ自作の揃いの湯浴み着を着て、湯につかった。
アイツの婚約者としての唯一のお手柄は、女性からなるフローラ専用護衛団を結成させたことだ。侍女は当然、女性騎士、女性御者。神童フローラの世話をするのは全員女性。
だから、頻繁に皆で温泉に入りに来る。
貴族社会に揉まれて、疲れた心身を癒すのは温泉に限るわぁ。
「ババンバ、バンバン、バーン、はーっいい湯だなっと」
シマグニ流温泉マークを刺繍した手拭いを頭に乗せて、フローラは鼻歌を歌う。
「ほんと筋肉痛にも効きますね」
女騎士が湯の中で、自身の手足を揉みながら言う。
「日が昇ってから沈むまで、いや日が沈んでも、社交シーズンの時は、夜中までクタクタになるまで働かされて、たまに温泉でもつからなくては、もうやってられませんよ」
御者や侍女もフローラの御付きになって良かったと、しみじみ語っている。
「ところで本当にパーティーサボって良かったんですか?」
侍女が聞いてきたが、フローラはうんうんと頷いた。
「いいの、いいの。アイツが痴女たちとベタベタ馴れ合っているのを眺める時間なんていらないわ」
「ルカ様はおモテになりますからね」
女性御者も言う。
「いつだったか、ルカ様の座ったクッションが欲しいと、馬車に突撃して来た令嬢もいたとか。
ルカ様の御者が呆れておりました」
「ルカ様の耳垢でも良いから欲しいと言うご令嬢もいるとか」
女騎士もウンザリした様に言い、フローラはうえっと舌を出す令嬢らしかぬ表情をした。
「キモいわ。まるで痴女ホイホイよね。
まぁ、その中から新たな婚約者でも見つかればいいけど。
婚約解消しても、私は領主様の秘書にでもなって、侯爵領で働かせて貰うわ。
侯爵領の土地は本当に素晴らしいもの。きっとまだまだ未開の温泉があるわよ」
鉱山のそばに活火山あり。いや、活火山のそばに鉱山があり。
「随分と楽しそうだね」
「ええ。極楽、極楽よーっと・・・あ」
憮然とした表情で岩に座り込むルカの姿があった。
「全く、パーティーサボって、どこへ行くかと思ったら」
「おぼっちゃま!」
侍女はアワアワと動揺して、両手で胸を隠す仕草をする。
大丈夫よ。このお揃いの湯浴み着は透けないから。
「あら。どうしてここが分かったの?」
フローラはちっとも動じない様子で尋ねた。
「僕がフローリーのことを分からないはずがないでしょ。頻繁にここへ通っていたのを知っていたから、男子入山禁止にしたんだけど?」
「アンタは入ってきてるけどね」
フローラは面白くなさそうに言う。
「侯爵一族はいいに決まっているでしょ」
ルカは呆れたように返した。
「それより、今日は収穫があったのかしら?
天使様のお眼鏡にかなうセクシーダイナマイトは見つかった?
とっとと浮気して婚約解消してよ。慰謝料くれ、なんて言わないから安心して。
愛人でも隠し子でもどんどん作ってちょうだい」
「うーん。残念だけど、学園にはいなかったねー。
そうこうしている内に、僕は卒業だったし」
「あ」
フローラは失念していた。自分はこれから夏休みに入るが、2つ年上のルカは今日で卒業だ。
学園はシマグニのような卒業式はないので、ついうっかりしてしまっていた。
そうか。ルカにとっては、今日が最後の学園パーティーだったのか。
だからあのブルーのドレスか。
「婚約者を放置して、温泉三昧だなんて、ひどい人だね」
「そうなの。私、ひどい人なの。だから婚約解消して」
ルカはため息をついた。
「却下」
「何でよ!そもそもアンタが言ったんじゃない!
自分は年上のお姉さんが好きだって!
童顔ペタンコはお呼びでないから、地獄の果てへ落ちて行けって!
さっさと解消して、お互い自由になりましょうよ」
「一体、いつの話してるの。それに地獄の果てへ落ちろ、なんて言ったこともない。勝手に話をねつ造しないで」
ルカはフローラの両脇に手を突っ込んで、強引に湯から上げた。
ザバン!と湯が飛び散り、温泉マーク入り手拭いが、湯の中へ落ちる。
「ちょっと!何するのよ!」
ずぶ濡れの湯浴み着のフローラをルカは抱き寄せた。
「ちょっ・・・離してよ。変態っ」
「変態で大いに結構。放置した詫びと、卒業祝いをもらわないとね」
ルカは湯浴み着をはだけさせる。乳房がポロリと現れて、フローラはカッと頬を紅潮させた。
ルカもごくりと唾を飲み込む。
「・・・ホント童顔の割に、着痩せしてるんだよね」
「よしてよ、この変態っ」
両手でルカの胸を押して離れようとしたが、ルカはガッチリとホールドして、フローラを離さない。その上、鎖骨の下あたりに唇を押し当てて、思い切り吸いついてきた。
「い、いった!」
フローラが慌てて離れると、胸元に赤い花びらが咲いている。
げげっ!キスマークッ!
急いで着崩れた湯浴み着を直した。
「このくらいで許しておこうか。本当はもっと凄いこと、シタいとこだけど」
ルカがにこにこしながら言う。
「な、なん・・・・」
真っ赤になったままフローラは口をパクパクさせた。
「そ、そういう事はっ!ボンキュッボンのお姉さんと!す、すればっ」
「だからそんな人いないって何度言えば分かるの」
「い、いっつも痴女侍らせているでしょ」
フローラが気まずそうにチラリと侍女たちを見ると、侍女たちは何も見てません、と言わんばかりに、こちらに背中を向けて湯に入っていた。しかもちゃっかり温泉手拭いを頭に乗せている。
「勝手にまとわりつかれてるだけで、僕自ら手を出したことはないけど?」
「ないけど?って!どのツラ下げて言うってのよ。
毎日毎日、飽きもせず、懲りもせず、痴女たちを両腕に絡ませて気色悪いったら。それを不潔って言うの。
ふーけーつー!さぁ、ご一緒に。ふーけーつー」
「もう、うるさい。ちょっと黙って?
しかもホラ、湯冷めするから。取り敢えず、温まって着替えて。
屋敷に帰ったら、じっくり話し合おう」
ルカは再び、フローラを温泉の中に戻すと、先に屋敷に行っているから、と手をヒラヒラさせて去って行った。
*****
侯爵家のカントリーハウスは、それはそれは壮大で、婚約者であるフローラの私室までちゃっかりある。可愛らしくも高級な家具に囲まれたフローラの私室は、完全にルカの母親の趣味だった。女の子がいない侯爵夫妻は、フローラが可愛くて、可愛くて仕方がないようである。
その部屋で、温泉でツルツルすべすべになった肌にオイルを馴染ませ保湿ケアするフローラ。
せっかくツルピカになったと言うのに、ルカと晩餐をすることになり、化粧をして例のブルーのドレスを着る羽目になる。
何だか侍女たちがご機嫌な様子だ。うきうきとフローラの支度に取り掛かっている。
社交シーズンになると、領主夫妻もタウンハウスに行ってしまうので、屋敷に主の誰かがいるというのは、嬉しいのかも知れない。とりわけ、麗しの天使がいるのだから、使用人たちもテンションが上がるのだろう。
ブルーのドレスを優雅に揺らしながらダイニングに向かっていると、使用人たちの感嘆する声が聞こえた。
「ほんとフローラ様は可愛らしいわねぇ!」
16歳の神童フローラは、童顔で少々、いやかなり幼く見える。シマグニだったら、下手したら小学生と間違えられるかも知れない。
ふんわりしたハニーブラウンの巻き髪。今はハーフアップにしてもらっているが、ツインテールにして、ランドセルを背負ったら、正に女子小学生。
くりくりうるうるしたライトブラウンの瞳。形の良い肉感的な桃色の唇。身長も標準より、やや低め。でも実は脱いだら凄いのは、先ほども証明済み。
ダイニングルームに入ると、ルカはすでにテーブルについていた。向かいの席に座るのかと思ったら、なぜか横にカトラリーがセットしてある。
なんでよ。きも。
「フローリー、すごく可愛いよ。それにドレスがとても似合う」
ルカ自ら椅子を引いてくれ、フローラは無言で椅子に座る。ルカに対しては、めちゃくちゃ口が悪いフローラであるが、高位貴族子女にも劣らないマナーは習得しているのだ。
のだが・・・なぜに私はルカの膝の上に座っているのでしょう?
助けを求めるように執事や侍女を見れば、誰も見てはいませんと、知らないふりをされた。
「あのう、ルカさん?食事のときは椅子に座って、自分で・・・」
「だーめ。今日は僕の卒業祝いだからね。僕の好きにさせてもらう」
「・・・サヨウデゴザイマスカ」
ルカに食べさせてもらっているため、いつもより随分と時間が掛かって、デザートまで辿り着く。
高級な肉や魚を食べても、ちっとも味わえなかった。
食べずらい。居心地悪い。しかも尾てい骨あたりに何かが当たってるって、もしや・・・。いや、何も考えまい。感じまい。
地獄の晩餐が終わり、やれやれようやく自室に戻れる、と思ったところ、ルカにお姫様抱っこされた。
「え・・・?」
「夜はこれから。たっぷり可愛がってあげるからね?
覚悟して?」
「・・・はい?」
フローラはゾクリと総毛立った。何事?
暴れて逃げようとしたが、急に身体に力が入らなくなる。
「ま、さか。何か、盛った?」
「んー。眠剤を少々」
冷笑を浮かべるルカにフローラが固まる。
「な、んで・・・眠り薬・・・?」
「えー、だって、すぐ逃げようとするじゃない。
言ったでしょ?ゆっくり話し合おうって。
大丈夫だよ。長旅の疲れもあるだろうから、少し眠るといい」
ルカが言った途端、フローラの瞼が重くなってきた。
「・・・ルーぅ・・・フローリー、にぇむい、の」
突然、フローラが幼女のような口調で言いながら、ルカの首にぐっと両腕を回して、それから段々と瞼を落としていく。
「うっ・・・フローリーの幼児言葉、ほんとヤバい。眠剤盛ると、いつもフローリーは人格変わるんだから。よしよし、良い子だね。僕の腕の中で安心してお休み」
ルカはフローラの唇に思い切り吸いついた。
「やっとこの日が来た。今日はフローリーの秘密を暴くんだからね」
深い眠りに落ちるまで、ルカの呟きがフローラの耳に届いてくる。
みんざい盛ると、じんかく変わる?
ひみつを暴くってなぁに?
フローラが意識を手放し、ぐったりとその身をルカに預けると、ルカは端正な顔に妖しい笑みを浮かべ、足早に自身の寝室へ向かうのだった。
いつもありがとうございます!
申し訳ありません。
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