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断捨離OLが異世界に行ったらどうなった?

作者: ほしくず
掲載日:2025/06/19

前世の名前はまりだった。


27歳、独身。

そろそろいい年。


趣味は断捨離。

特技も断捨離。

ストレス解消法はもちろん、断捨離。

捨てることで心が整う。

ミニマリストとはまたちょっと違うんだけど、所有しないということが好きだった。


私のワンルームマンションは、いつもすっきりだった。


冷蔵庫の飲み物は水と無調整豆乳だけ。

ベジタリアンてわけじゃないけど、お肉はあまり食べてなかった。

洗面台の上には歯ブラシが1本。もちろん歯磨き粉はあったけど、あとは小さな石鹸。タオルは3枚くらいで、すぐに洗って乾かして、また使う。炊飯器も電子レンジもテレビもない。


全部、「使わないから」という理由で捨てた。


「どうしてそんなに物を減らすの?」って、よく聞かれてた。

そのたびに私は答えた。

「モノって、感情を引きずるでしょ? 見れば思い出す。そういうの、いらないの」


一度、友達にもらった誕生日プレゼントのマグカップを「使ってないから」って手放したら、泣かれた。

あとでそりゃそうかと反省したけど、もう、友達ではいられなくなってしまった。


彼氏の革ジャンを「趣味が合わない」って理由で古着屋に売りたいと言った時は、さすがに大喧嘩になった。


最後の彼氏とも服でもめて別れた。


「俺のパーカー、どこ?赤いの」

「もう着てなかったじゃん。しかも似合ってなかったし」

「えっ……またかよ……お前、俺のこともそのうち捨てるだろ?」

「……うん、かもね」


彼は出て行ってしまった。

嫌いじゃなかったんだけどな。

たぶん、私が悪い。

でも、そうなの。

ごめんね。


……それでも、私は内心スッキリして、ひとりで鍋を食べた。


白菜と豆腐だけの、シンプルな味噌仕立て。

鍋というより、大きい鍋でつくったお味噌汁に近いかもしれない。

でも、これが好きなんだからしょうがない。 


だからその次の日に、信号無視のトラックに撥ねられたということは、もしかしたら人生そのものを断捨離するタイミングだったのかもしれない。


次に目を覚ましたとき、私は絢爛豪華(けんらんごうか)なベッドの上にいた。


金糸の刺繍(ししゅう)(ほどこ)されたカーテン、その向こうに差し込む朝日。

古臭いけど豪華な内装、遠くから聞こえる鳥のさえずり。まるで、昔話のお城みたい。


……素敵。

緑の景色が見える。

私の部屋からは、南側を遮る嫌なビルしか見えなかったから。

つまり、ここは私の部屋ではないってことだ。


素敵。

部屋は物が多いけど……。


思わず顔をしかめたそのとき、すぐそばで泣きじゃくっていた女が、突然顔を上げて叫んだ。

「ああっ!お嬢様!セシリア様が 目をお覚ましに……!」

痛む頭を押さえつつ、私は黙ったまま、ぐるりと部屋を見渡した。

壁にかかる大きなタペストリー。

意味のわからない彫刻。

美しいレースで縁取られたカーテンをみて私は思った。


ああっ、また捨てなければ、と。







リバフォンテ伯爵家の令嬢として生まれ変わった、まり——いや、セシリアは、すぐにこの世界の「貴族の常識」に辟易していた。


使用人たちは毎朝、いろいろな気遣いを持ち込んでくる。

「お嬢様の髪には、春花の香油を」

「毛皮の敷物が届きました。まだ寒さもありますので足元が冷えませぬよう」

「朝食前には蜂蜜湯をひと匙」

……誰も彼もが、何かを当然のように差し出してくる。

必要かどうかなんて、聞かれたことは一度もない。


毎朝の服選びにしばらく。

午前は銀糸と金糸を使い分けて刺繍するお稽古。

午後は王都の令嬢たちとお茶会。

詩の朗読、茶葉の銘柄当て、そして名家の令息の噂話などなど。


やばいわ。

全部、面白くないわー……


毎日、心を削るように、貴族令嬢としての生活を続けること二年。


せっかくの異世界だけど、全く楽しめてないわ。

ああっ、まり時代のシンプルライフが恋しかった。

あの、緑の遮光カーテンと畳んだ布団、小さなテーブルと椅子。

お気に入りの観葉植物一鉢しかない部屋が懐かしくてたまらない。

素朴な味付けのお料理に、水だけの食事が恋しい。

早朝のランニングもできないなんて。


転生当初、セシリアが断捨離癖(だんしゃりぐせ)を出すたびに、「物の価値をご存じない!」「家の格が落ちます!」と使用人が大騒ぎした。


「これは代々受け継がれたタペストリーでございます!」

「じゃあ、前の代までで十分じゃない?私はいらないわ」


あるとき使用人が「ついていけません」と泣いて父である伯爵に暇乞(いとまご)いをしたため、以後、セシリアは必死に自分を抑えてきた。


そんなふうに我慢をしながら暮らしていると、ある日、セシリアは父親に呼び出された。

父親は、貴族らしい貴族で、誠実でなかなか善良な男だった。

なので、大抵のことは、納得がいかないことでもいうことをきいていた。


「セシリア、お前の縁談が決まった。エンド侯爵家の当主、ジークフリード殿だ」

この世界では結婚が早いから。もうそろそろだろうとは思っていたけど、まさかあのジークフリード様とはね!


どうだと言わんばかりの父親の顔を見て溜息が出そうになったのをこらえた。


まさか、まさかの、ジークフリード様とは。


彼は貴族令嬢たちの間で「王国一の美男」「貴族界の太陽」などと呼ばれている若き侯爵だ。

確か二十代後半のはず。


背が高く、燃え立つような赤髪に深い碧眼(へきがん)、彫刻のような顔立ち。

女性に不自由したことは一度もないらしい。

結婚しないのは、軍務に集中すると称しているからだそうだ。

確かに、王国の東は不穏らしいとの噂だけども。


もしも結婚できたなら、貴族令嬢の羨望(せんぼう)の的となること間違いなし。今後十年は話のタネなる、素晴らし縁談を、父が持ち込んできたのだ。


……でも興味ないわー。


ジークフリード様とは何度かパーティーで顔を合わせたことがある。


顔はいい。

声もいい。

性格もよさそう。

聞くところによると、性格はまじめらしい。

悪い話は全くない。

ただ、融通が利かないとか、そういう話は聞いたことがあるかもしれない。

軍が大好きで、いつも、訓練に明け暮れているとも。


でも、私はちょっと嫌いなことを耳にしていたのだ。

それは、権威をひけらかす、装飾過多(そうしょくかた)な軍服。

近寄ったときの香水のきつさ。

あからさまに上級貴族としての正しい振舞(ふるま)いを行う男。



父の勧めを断れるはずもなく、婚礼の準備はトントンと進んで行った。


王都の社交界でも有名な、富裕で美男子な青年貴族との婚約である。

知り合いの令嬢たちには大層(たいそう)(うらや)ましがられたが、セシリアの心は沈んでいた。


なぜならば、人柄はともかく、侯爵家は古くからの名家だ。

……であるからには屋敷には歴史ある家具や宝物が、さぞかし沢山(たくさん)あることだろうと考えていたからだ。


他の令嬢が聞いたら、喜んでしまうのだろうが、セシリアは、沈んでいた。


セシリアはこの結婚に対して少しも希望を持っていなかった。


「ああっ、こんな結婚をするくらいなら北国の修道院に行けないかしら」とまで考えていたのだ。

よくある、悪役令嬢が事後に送り込まれる修身の地。


「断罪されていないけれども送り込んでくれないかしら」と。


こっそりとため息をつくセシリアの心とは無関係に、結婚式の準備が進む。


そして迎えた結婚式当日。


式場となっている、王都の火の神の神殿に祝福の鐘が鳴り響く中、完璧な貴族である夫と誓いの口づけ終えて、神に誓いをし終わったしたその時、急使が神殿に飛び込んできた。


「侯爵様!敵襲です!全軍に招集がかかりました!急ぎ王宮へ!」


静まる神殿。


「セバス、婚礼は終わりだ。我が妻を屋敷へお連れしろ」


彼は、冷静に家令にそう言った。


「花嫁殿。申し訳ないが、一大事のようだ。名残(なごり)惜しいがこれにて失礼する」


家令にそう言い残すと、ジークフリード様は礼服のまま、差し出された剣を手に取り、馬へと向かった。


残されたセシリアは、途方に暮れる参列者と、床に落ちた無数の花びらの中で、ひとりぼんやりと立ち尽くしていた。


そんな中、セシリアは、何の気持ちを持つこともなかったジークフリードに初めて好印象を持った。

全てを放り出して戦地へ向かう姿に。







エンド侯爵ジークフリードが、王太子と共に、領軍を率いて東部の戦地へ向かってから半年が経った。


セシリアは新米ながらも、侯爵夫人らしく、穏やかに、慎ましく、できる範囲で務めを果たしていた。


——大人しく待つ。

——勝手な行動はしない。

——格式と体面を守る。


前世で過ごした人生経験を活かし、全てをあるべきように心がけて、そつなく、女主人としての役割をこなしていった。


彼女を補佐する、家令のセバスは、代々侯爵家に仕えていて、忠実なだけでなく、温和で賢く、若くして一人で屋敷を守ることになったセシリアをよく助けてくれていた。


そんなある日、セシリアは屋敷に立ち寄った出入りの商人から、夫であるジークフリードの軍が東の前線で苦戦しているという話を聞いた。


北と東から同時に攻め込んだ獣人の軍を迎え撃った王太子率いる王国軍は、散々に打ち破られ敗走し、王国の東部は大いに荒らされているというのだ。


そして……(わが)がエンド侯爵軍が(こも)る砦は敵中に孤立し、食糧も装備も底をつきかけているらしい。それが二か月前の話だそうだ。

東から、王都まで噂が伝わるには、時間がかかる……。


セバスにそのことを問うと、セバスは顔をしかめてそれを肯定した。


「申し訳ありません、奥様……」


セシリアを悲しませぬために伝えていなかったのだという。

セシリアはそのことを責めず、そのかわり、これから戦況の情報が入ったときには詳しく教えてくれるようにセバスに頼み込んだ。


セシリアはセバスを下がらせた後、館の大広間で紅茶を飲みながら、小さくため息をついた。


「何か……私にできることはないかしら」


夫の軍は孤軍。補給がままならないそうだ。

ということは、武器が足りない、冬服がない、馬も倒れてしまう……


東国の厳しい戦地である。寒々しい野営地の風景が浮かんでくる。


何もない、みすぼらしい兵営。


何もない。

素敵。


……いや違う、危険で苦しいのよ。

素敵じゃないわ。


飢えと恐怖で苦しむ兵士。

胸がドキドキしてしまう。


いえ、ちがうわ。胸が苦しくなってしまう。


ねえ。

籠城戦(ろうじょうせん)て究極の断捨離(だんしゃり)なんじゃないかしら?などと考えるセシリアは、やはりどうかしているのであろう。異世界に転生してから、約三年の間、断捨離生活から離れすぎたせいかセシリアは少しおかしくなっているのかもしれない。


いけないわ。

今は王国の危機なのよ。

夫と、領地の民が兵となっている軍の危機。


かわいそうな兵士たちに、送ってあげたい。

温かな毛布、干し肉、弓矢の一本でも。

でも、そのためには、お金が必要だった。


「お金……ああ、そうよね。ないわよね……侯爵家も戦費で火の車ってセバスも言ってたし……」


セシリアはぽつりと呟いた。

ふと、目に入ったのは、今、自分が座っている椅子。


それは、金の装飾に、赤いベルベット。

肘掛けは象牙。重たくて、正直座り心地は最高だ。


「……あったわ。お金。今、わたしが座っているこれ」


セシリアは、そっと椅子に手を置いた。







「でも、だめよ。新しく嫁いだばかりなのに、勝手に家財を売るなんて……」


セシリアは屋敷をうろうろしていた。


ぶつぶつ言いながら屋敷中をうろついているので大変気味の悪い様子であるが、しかし、結婚式直後に夫と離れ離れになってしまった少女であるならばそういうこともあるだろうと、家臣たちは遠巻きに見ていたのだ。


そんな風に見られているとはつゆ知らず、屋敷を歩くセシリアの目の前の壁には、先代の国王の肖像画があった。


名君と呼ばれたルチアーノ王はいまだに人気がある。

名のある画家によって描かれたこの豪華な肖像画はきっと高く売れる。


「……いけないわ。きっと怒られる。先代陛下のご肖像画よ。陛下の肖像画を家に飾るのは貴族の誇り。だめよダメダメ、これを売るなんてまさかそんな」


……しかし、である。

彼女の心の奥で、何かが、そっと頭をもたげた。


——絵も、今となっては誰に見せるわけでもないし。

——そういえばあの部屋の椅子も使ってないわよね。

——わたくしが決断すれば、兵士も助かるし、皆が喜ぶのではないかしら?


そう、これまでセシリアは侯爵家の女主人としての誇りで無理やりに押さえつけていた断捨離への欲望を、夫を助けるという大義名分と結びつけてしまうという禁断の組み合わせを思いついてしまったのだ。


——武器と食料を運ぶのよ。

皆も喜ぶし、国は守れるし、私も嬉しいし。


そう、私も嬉しい。

とても嬉しい。

さっぱりしてね。


軍の危機を救うこととセシリアの喜びは全く関係ないのであるが、一度そのことを考えてしまったセシリアの思考はもう止まらなかった。


だめかしら、いいかしら、だめかしら、いいかしら。

いいかしら、いいかしら、いいわよね。

きっといいわ。

いいはず。


その晩、セシリアが目をらんらんと輝かせ眠れずに過ごしたのはこれまで我慢していた断捨離欲が目を覚ましてしまったからであろう。


そしてついに我慢できなくなったセシリアは翌朝目覚めるとすぐにセバスを呼んだ。







「セバス。ひとつ相談があるの」


早朝のことである。

セシリアは部屋に忠実なる家令を呼び出した。


セバスは五十を過ぎ、白髪混じりの頭をした均整の取れた体格のまじめな男で、眉間に深い皺を刻んだまま、控えめに一礼した。


「奥方様、いかがなされましたか」


「率直に言うわ。戦地で、夫の軍の補給が足りていないと昨日、聞いたでしょ。食料も装備も、十分には届いていないと」


「……はい、確かに、そのように報告が届いております」


セシリアは悲しげな眼差しを向けて言った。


「必要なのは、物資。弓矢と槍と食べ物。あと元気な兵士。そしてそれらジークフリード様に届けるには、たくさんのお金が要る。……でも、侯爵家から出せる予算は、もうほとんど残っていないのでしょう?」


「はい。侯爵閣下の出陣準備に多くを割きました。戦況が長引けば、さらなる支出も避けられませぬ」


セシリアはゆっくりと立ち上がり、部屋の壁を見た。古い絵画、彫金の施された棚、使われていない椅子。


「ねえ、セバス。この屋敷には、使っていないものが多いわ。それを、少しだけ処分して……戦地へ食料を送る費用にできないかしら」


セバスは固まった。


「……奥方様。侯爵家の品々は、いずれも貴重なものでございます。家具や宝物の処分は……慎重にすぎるほど慎重に行うべきです」


「わかってるわ。勝手なことをしたくはないの。ただ……ジークフリード様が困っているのなら、何かしたいの」


セシリアは言葉を選びながら、視線をセバスの目に重ねた。

セバスがセシリアを見ると目が赤く腫れており、ひどく疲れている様子であった。

セシリア夫人が軍の危機を知ったのは昨日である。

セバスはセシリアに知られぬように隠してきた事実を、あの口の軽い商人のせいで知られてしまったのだ。この若い新婚の夫人は、おそらく、夜を眠れずに過ごしたのであろうことが見てとれた。


セシリアは、新婚生活などまるでないままに、ジークフリードと離れ離れとなって、家族とも離れただ一人、嫁ぎ先の女主人として侯爵家を守っている。


年若い令嬢でありながら、落ち着いた振る舞いで、家臣たちを落ち着かせ、自身は贅沢などせずつつましく、夫の帰りを待つ実に素晴らしい貴婦人である。


そのセシリアが目を赤く腫らし、セバスにそれを願い出たのである。


「ほんの少し。使われていない物から売りましょう。記録は全部残すから」


少しの逡巡の後、結局、セバスはその言葉に従うことにした。

「……承知しました。まずは目録を作成し、売却先についても私が責任をもって調整いたします」


「ありがとう、セバス」

深く頭を下げるセシリアの背に、セバスは小さく息をつきながら、頭を下げ返した。


「それで、セバス、まず手始めに私の部屋のものから売りましょう」

「えっ!セシリアさまの部屋、からでしょうか」

「そう、絶対そうしましょう。それが一番いいわ」


なんと健気な。

屋敷の者に心配させぬよう、一番目立たぬ自分の部屋から手を付けるのか。

セバスは目の奥に熱いものがこみ上げるのをかろうじてこらえ、この貴婦人の言葉に従うことを誓った







「セバス。この燭台(しょくだい)も処分しましょう」


セシリアが指さしたのは、以前、侯爵家が王家から(たまわ)った大きな金細工の燭台(しょくだい)だった。花と獅子の紋章が絡み合い、美しく豪奢(ごうしゃ)であるが、セシリアとしてはなくても一向にかまわない、全く気に入らない物体である。


「セシリア様、これは先代が侯爵位をいただいた時に、記念に作らせた品でございます。王家の工房にて、特別に——」


「だからこそよ。国のために作られたものなら、今また国のために使うべきだと思うの」

「……かしこまりました」


ゆっくり考えると、まったくよくわからない理屈であった。

何言ってるんだと、セバスも気付けばいいのだが、しかし、あまりにも真剣にセシリアが言うので、セバスは一礼し、燭台の処分の手配をすべく商人を呼び出すことにした。


いまや、彼には何の迷いもなかった。

セバスが敬愛するジークフリード様を、おなじく助けようとする健気な若妻の行動を全力で支えると誓ったのだから。


数日後、大きな燭台が運び出されたあと、そこにはただ石の床が残った。

セシリアはそこに視線を落とす。


何もない。

美しい。

実にいい!いいわ!

あまりにも良すぎて、自分に歯止めが効かなくなっていることを、セシリアはわかっていなかった。


「セバス、あの大広間の壁の彫刻は売れるかしら?」


完全に調子に乗っているセシリアである。


「ビンチ師の作品です。人気がありますので売れます。ですが売ったが最後、二度と買い戻せないかもしれません」


「それでもそうしてちょうだい。お金が足りないわ」


セシリアは無表情でセバスに告げる。


……感情を出さないように、こらえていらっしゃる。

セバスは若き女主人セシリアを敬慕(けいぼ)のまなざしで見つめていた。


セバスの見立ては当たっている。

無表情のセシリア。

確かにセシリアは感情を抑えているのだが、しかしそれは悲しみの感情ではなかった。


(物が減るたびに、部屋が広く、軽くなる。空気が澄んでいくような気がするわ)

(とてもすがすがしい)

そう、セシリアは大いなる喜びの感情をこらえているのである。


夫のため国のため、民のため。

強くゆるぎない大義名分を得て、その協力者も得たセシリアは、いまは断捨離の鬼と化していたのだった。


「あっ、そうだセバス、西翼の奥の部屋の絨毯(じゅうたん)もどうかしら」

「あれも売りますか——海を渡った西の国の逸品なのですが」

「売らなければ、注文した槍五百本の代金が足りないわ、だからあれもお願いよ」

セバスは、記録帳に次々と項目を書き加えながら、ふと手を止めた。


「奥方様。先ほど第二便が戦地に届いたとの報告がありました。毛布と干し肉、矢束と外套(がいとう)、すべて無事に渡ったと。兵から礼状も届いております」


「わたくしの手紙をジークフリード様は読んでくれたでしょうか」

「侯爵様からのお返事が届いておりますよ」

「ああ、よかった。ご無事なのね。本当によかった。でも、怒ってないかしら。勝手に家の物を売ってしまって…」

「怒るだなんてとんでもない。奥方様……侯爵様が(こも)る砦に我が家が雇った傭兵部隊が突入し、物資を運び込んだときには、守兵たちは万歳をして泣いて喜んだそうです」


「そう、それならいいのだけど……」


あのイケメンが無事で嬉しいし、屋敷の品物が売れるのも嬉しい。


喜んでくれているならもっと売っても大丈夫よね。


しおらしくセシリアは微笑んだが、その目はすでに次の余分なものを探していた。


王家からの贈り物も、先祖代々の記念品も、今の彼女にとってはただの対象物である。


——削ぎ落とした先に、本当に必要なものが残る。

——それが無。そして美。無は美しい。

——命は生まれそしてまた星へ帰る。

——命の灯はかりそめの空間に漂う幻。


セシリアは断捨離があまりにも絶好調なため、全く意味の通らない言葉を口走るようになっていた。

心が訳の分からぬ地点まで到達しそうになっている。

要するに、うかれていたのだ。


「セバス。第三便の準備もお願いね」

「はい、奥方様。次は広間の絵画を——」

「頼むわ、そしてあの花瓶も」

セバスは目を伏せて、一礼した。


そのころ、王都では清貧の賢夫人が話題となっていた。

もちろんセシリアのことである。







第三便の荷馬車が王都を出た翌朝、セシリアは食堂の椅子に座り、松葉茶を飲んでいた。

日本でまりだった頃に登山やキャンプに行った時によく飲んでいたものだ。

松の葉を煮るだけの簡素な飲み物。

とても王都の名門貴族が飲むようなものではないのだが、近ごろセシリアは愛飲していた。

そして松葉茶以外に、テーブルの上には何もない。

飾りものは全て無くなった。

だいぶ理想のおうちに近づいてきたとセシリアはほくそ笑んでいた。


もはやただの「売れる物ハンター」と化したセシリアは今日も屋敷の中で獲物を探している。


「セバス、この椅子はいらないんじゃないかしら」

「奥方様、……大丈夫でしょうか」

「大丈夫。私が立っていればいいのだから。お願いするわ」

「かしこまりました……」

セバスが帳面に筆を走らせる音だけが、静かな広間に響いていた。


セシリアはセバスと一緒に屋敷を歩いて回り、何もなくなった部屋、壁、床を見つめて、ひとこと、ぽつりと呟いた。


「……もう何もないわね」

その言葉のあと、彼女の口元にふっと微笑みが浮かんだ。

抑えきれず、自然にこぼれたものだった。


(……よく通る風。光もよく入る。すっきりしていて、なんて気持ちがいいのかしら)


セバスはそれを見て、目を伏せた。

——ああ、なんと……。

夫は戦地にいて死の危機が迫っている中、ただ一人、夫と軍を助けるべく孤軍奮闘する年若い女主人がセシリアである。


先祖伝来の貴重な財貨を売り払い空っぽになった部屋を見つめ、それでも健気に微笑もうとするその姿は、彼には涙ぐましいものに見えた。


セバスがセシリアに大きな勘違いをしている中、王都でもセシリアに勘違いする人々が増えてきていた。


最初、王都で噂になっていたのは陰口であった。


「侯爵家の若妻が、家具を売っているらしいぞ」

「家を潰す気か? 愚かだな」

「家臣も親戚もみんなが止めているのに無理やり売り払っているそうだ」

「馬鹿な嫁を持ったもんだ、侯爵家も終わりだな」


悪意ある貴族たちは悪く触れ回り、心ある貴族たちは心配をしていた。

セシリアの実家からも、何度もそれをたしなめる手紙を送ってきていた。


だが、二度、三度と物資搬入を受けた侯爵軍の(こも)る砦に、同じく(こも)る別の貴族たちから感謝の便りが届き始めてから、世間のセシリアを見る目が変わってきたのだ。

送り込まれたのは、弓に矢、槍は言うに及ばず、寒い冬を越すための毛布、腹を満たす肉や体を温める酒だけでなく、血をきれいにする青い果物まで。


そして、それらを決死の覚悟で運び込んだ、補給部隊が引き上げる際に、砦を守る騎士や戦士たちから預かった手紙がそれぞれの故郷にある家族に届き始めたのだ。


手紙にはみな、「侯爵家からの補給が無ければ全滅必至であった」と書かれていた。彼らは侯爵家から届く物資こそが命の源だと、手紙で褒めたたえていた。


その便りを受けた家々から、エンド侯爵家に礼状と進物が届き始めた。


ついには、東部戦線の司令官である王太子自身がこの補給の報を王家に奏上したという。

いわく「侯爵家の私財を投げうった助けが無ければ前線はとうに崩壊している」と。


もはや、これは一貴族家の範疇(はんちゅう)を超えた行いだった。


それで、評価が変わった。


これまで陰口ばかりを叩いていた都の雀たちはあっという間に手のひらを返し、「エンド侯爵家の夫人が聖なる行いを為している」と鳴き始めたのだ。


その噂は、じわりと上流階級の耳に広がっていった。

「王国の盾エンド侯爵家の若妻が屋敷の家財を次々と手放して、武器と食料にしてすべて戦地へ送ったそうよ」

「しかも自分の部屋から始めたんですって。なんというお覚悟……」

「夫人はリヴァフォンテ家の出らしいぞ」

「あの忠義の家の娘か!よい嫁をもらったものだ」


社交界のあちらこちらで、セシリアの名は密かに『貴族の鏡』として語られ始めた。


この国は東西に長い。

東の国で危機が起こっても西の諸侯にとってはあまり影響のない出来事であることが多く、今ひとつ、諸侯が一致して協力することが無いのだ。

そんな中、西の貴族リヴァフォンテ家から嫁いだセシリアが名門貴族の名誉と財を捨て、夫と軍を救うべく奔走する姿を、人々は知り始めたのだ。


実際には、貴族は家を守るのが第一なので、セシリアの行いは、貴族の常識に照らして考えれば非常に愚かな行為である。

それでも、初夜も過ごしていない若妻が最前線で身を危うくする夫を想い身を切る、そのひたむきな愛は人々の心を打った。


セシリアは、めったに人前に現れない。


それは、セシリアが人づきあいが嫌いなだけなのだが、壮麗な衣服を売り払い、木綿の簡素な服に身を包んでおり、それを恥じていまは貴族の社交を行っていないというのが、人々の噂となった。


それを聞いた王都の貴族の娘たちは胸を痛め、セシリアに(なら)って粗末な衣装に身を包むようになった。老女たちは十数年前の戦乱の時代を思い出し倹約を始めたし、一部の青年将校たちは「家よりも愛を選ぶ。そんな妻は貴族失格だ。だが美しい」と言い感嘆した。


そして、なによりも侯爵と共に戦地にある戦士たちの家族は、身代を削り援助を続けるエンド侯爵夫人セシリアに深く感謝をしていた。


それらの声は、しかし、まだセシリアの耳には届いていない。

のんきなものである。


セシリアは今日も元気に家具を売る。


「セバス。あの食器棚……もう中は空よね?」

「はい、奥方様。飾り皿と銀器は先週に売り払いました」

「だったら棚もお願い」

「はっ、畏まりました」


そんなセシリアのもっかの悩みは、「そろそろ売るものが無い」ということである。

売るものが無い屋敷の最上階にセバスを連れて上ったセシリアは、窓から外を見渡した。

広く美しい庭園が見える。


(そろそろ、人員もぐっと減らしてしまおうかしら)

(いよいよ屋敷自体も売り払う時が来たわ)

(屋敷が売れたら、数人の家臣だけに絞って、簡素な山小屋暮らしなんてどうかしら)

(あああ、楽しみすぎるかも。山小屋で寒さに震えて寝たいわ)


「セバス、あちらが東ね」

「はい、東です」

セシリアはセバスを傍らに、東を見つめていた。


セバスにはわかる。

東にはエンド侯爵ジークフリードがこもる砦があるのだ。

夫を想い、東の空を見つめる若妻の姿に、セバスは思わず(ひざまず)きひれ伏しそうになってしまうのであった。


(王都の屋敷が終わったら、夢の山小屋生活しかないわね)

(あのあたりの、山なんかどうかしら。南向きの斜面のほうがいいかしら)

(人員整理して、屋敷も全部売って)

(それから領地の物も売って)

(もうちょっとだわ、頑張らなきゃ)


まだ売り足りないのであろうか。


(ごう)の深い女である。


断捨離というよりも、もはや、何でも売ってしまうことが神からの使命であるかのように狂ってしまっているセシリアであった。







王都の侯爵の屋敷にある、家具、美術品、宝物、壁飾り、床材に至るまでを売り尽くした頃、セシリアは決断していた。


「残念ですがそろそろ、この屋敷も売りましょう」

「な、なんと!屋敷までも・・・無念です」

「屋敷が売れたら侯爵領に戻りましょう。まだ売れるものがあるわ」


セバスは息を飲んだ。

王都の屋敷をすべて手放し、それでも足りない軍資金を、今度は領地の城から捻出するというのか。


先祖伝来のこの屋敷を手放すことになるとは……と悔しさに震えるセバスをセシリアが慰める。

「セバス、人は城、人は石垣、人は堀という言葉があるわ。城も物も、人さえ残せば何とでもなるのよ。侯爵様と、領民こそが宝なのよ。大丈夫。私を信じて」

「お、奥方様……」

「人さえ残せば、よ。セバス。侯爵様と領民が残るために、最善を尽くしましょう」


そう言ったのは武田信玄だったろうか。

そんなことはどうでもいいのである。

なんか思い出したから言っただけなのである。

ああ、セバス。売らせて。

突き進むセシリア。楽しくてしょうがない様子である。


なにも無くなった空の部屋を、一人、寂しげに見ていく若妻の姿があった。

残り少なくなった屋敷の家臣たちは悲し気に見ていたが、セシリアは単に、さっぱりした部屋を見ながら気分よくお散歩しているだけなのである。


セシリアは、異世界に来て幸せの絶頂を感じていたのであった。







そんなセシリアに、数日後、商人からの知らせが舞い込む。


「奥方様!屋敷の買い手が見つかりました」


早い。

まさかの早さでエンド侯爵家の御用商人がやってきた。


「まあ、早かったわね」

「はい……それが——買い手は、西の大貴族、ヴェルディナ侯爵家です」

セシリアはまばたき一つせず、ただ首を傾げた。

「まぁ、ヴェルディナ侯爵が……で、おいくらで?」

セバスは商人に渡された帳面を開き、数字を指差した。

「な、なんと!奥方様、こちらをご覧ください!——相場の、およそ三倍にて即金。加えて、しばらくのあいだ奥方様がこのまま屋敷に住み続けてよい、との条件が付いております」


「…………え?」

セシリアより先に、絶句したのはセバスだった。


「なんと、なんと、これは……売却というよりは借財のような契約で、そう、まるで、支援そのものです。この契約であれば、金が足ります!!領地の屋敷や宝物に手をつけずとも!」


「……ちっ」

「え?」

「いえー、なんでもないわー。なんてありがたいことでしょうー、たすかるわー」

「はいっ、奥方様!」

嬉しそうに頭を下げたセバスの前で、セシリアはちらりと、東の空を見た。

(領地の城の宝物……すごく楽しみにしてたのに)

それは誰にも言わなかった。


そしてさらに数日後——


屋敷を売った資金を使った第四便の補給部隊の編成が進む中、屋敷に飛び込んできたセバスは、息を切らしながら叫んだ。

「奥方様! 義勇軍が——義勇軍が我が部隊に合流するとのことです!今連絡がありました!」

「え?」

セシリアは、薄い松葉茶の湯気を見つめたまま、顔だけ向けた。

「西方の諸侯が、自ら志願して砦への補給部隊に加わるとのことです!有力な騎士たちです!それだけでなく、神殿も動きました! 王国神殿から聖騎士団も加わると!」

「……まあ、すごいのね?」

「六神殿から何十人も参加してくれるのですよ! 聖騎士たちが! 奥方様の行動に感銘を受けてのことです! 王宮も驚いていると!」

「えっ、そんなに?」

「はいっ!」

セシリアはカップを置き、ぽんと手を叩いた。

「それじゃあ、もっと物資が必要ね、やっぱり領地の城を売らないとー」

「奥方様、義勇軍の皆さまは手弁当でやってきてくれるのです!」

「えっ?」

「食料、戦費、すべて自前で参加するとのことです!みな、王国を救うべく立つとのことです!国が動いたのです!」

「え、じゃ、じゃぁ戦費は追加で準備しなくてもいいってこと?」

「もちろんです!」

「領地のものを売らなくても大丈夫ってこと?」

「もちろんです、奥方様」

「……なんと嬉しいことかー、神に感謝をー……」

「奥方様、あまりのことにお声が小さくなってしまっておりますね!夢ではございません! 皆が奥方様を救国の聖女と仰ぎ、今、王都に集っておるのです!」


セバスの顔は感動に濡れ、背筋が伸びている。

ついに奥方様の行いが認められたのだ。


「本当に良かったです!神に感謝を!」

「本当によかったわー、神にかんしゃをー」


セバスは喜びのあまり立ち尽くすセシリアを愛しげなまなざしで見守るのであった。







第四便の補給軍は、王国西部の有志貴族と、王国六神殿の聖騎士団を加えた強力な部隊となった。

高い戦意を持っていた彼らは孤立していたエンド侯爵軍に物資を届けると、そのまま勢いに乗って獣人軍の主力部隊を粉砕し、王国軍は一気に前線を押し上げた。


戦機がきたのだ。


長い戦いの末に物資不足に弱る獣人軍の状態を見極めた王太子は、戦線の一角が崩れたこの機を逃さず総攻撃を指示した。


その先鋒には、砦に(こも)り防戦を続けた侯爵軍がいた。

二年の長きにわたり、絶えることなく物資が届いていたおかげで、士気と戦力は健在だったのだ。

彼らは、これまでの借りを返すとばかりに強力な攻撃を行い、獣人軍を攻めに攻め立てついに打ち破ったのだ!

さらに、エンド侯爵とその軍勢は敗走する敵を追い続け、ついには獣人王国の南部の主城を攻撃し、陥落させてしまった。

この一戦で、獣人達は城を捨て逃げ去り、この戦争は終わった。


完全なる勝利であった。


そして、獣人の王城からは数え切れないほどの財宝が発見された。

この獣人王国南部の要衝である城には金銀、宝石、香料、絹、書物、陶器……想像を超える量の富が、何百年ものあいだ蓄えられていたのだ。

王国軍はそれらを全て奪い取って凱旋した。


凱旋の途中、王太子は大勝利の原動力となった、前線を支え続けた勇将——エンド侯爵ジークフリード・グロッケンホルツに、戦利品の中から多くを褒賞として授けることを決め、それを発表した。


王太子はエンド侯爵家が、最前線を支える侯爵とその軍を救うためにすべての財を売り払っていたことを知っていたのだ。


いまや、エンド侯爵夫人セシリアは、木綿の粗末な服に身を包み、庭木の葉を煮出した薄い茶をすすって暮らしているという。歴史ある名門侯爵の夫人としてはあり得ない境遇である。


しかも夫人の実家や友人たちが金や物を援助をしても、それらもすべて戦地に送っていたというのだ。


彼女はすべてを送っていたのだ!


エンド侯爵が送って来る食料で命をつないでいた、貴族も騎士も平民兵も、それを聞いて涙せぬ者はいなかったのだ。


夫人は、他人の者となった家具もなにも無い、寒い屋敷で少ない家臣と震えて過ごしているのであろう。

急ぎ、急ぎ、彼女に報いねばならない。

そして、その褒賞はもちろん、セシリアが軍を救うために支払った全てを上回るものでなければならない。


いまだ戦地から帰還する途上の王太子から、王都への急使が発せられたのだ。







王都のエンド侯爵の屋敷。


静かな朝。

セシリアはいつものように松葉茶をすすっていた。


そこへ、セバスが駆け込んできた。

「奥方様!ご報告を!」

「どうしたの?」

「急使です!お味方大勝利でございます!侯爵様はご無事です!そして全財産が戻ってきます!」

セバスは一枚の目録を広げ、感極まった声で叫んだ。


「え? もう一度言って?」


なに言ってんのかしらこのおじさん?

怪訝(けげん)そうな表情でセシリアは聞きなおした。


「奥方様!侯爵様はご無事で、すでに帰途についています!お味方は大勝利だそうです!そして 以前に売り払った家財一式、すべて買い戻しても——」


セバスは拳を握りしめ、目を潤ませながら叫んだ。


「おつりが出るほどの褒賞(ほうしょう)をいただいたのです!わが家は! 王太子殿下から、直々に!」


「……あ、そう……ふうん……」


「屋敷も家具も財宝も、全て戻ってくるのです!奥方様!全て戻ってきます!」


セシリアは松葉茶を一口すすり、目を閉じた。


「全部?」

「はい!全部!」

「ぜーーーんぶ?」

「ぜーーーんぶです!奥方様!奥方様!これでようやく元の生活に! 万歳! 王国万歳!」

「う、うーーーーーん、ばんざーい、ばんざーい……」


セバスが部屋を駆け出していったあと、セシリアはぽつりと呟いた。


「……人さえ残せば、何とかなるのね……」


その後、王都に凱旋した侯爵とその軍は、侯爵夫人セシリアの前に勢ぞろいし、セシリアの名前を連呼し万歳を叫んだ。

大歓声にこたえるセシリアは、いつものように静かに微笑んでいたという。


そして、皆の協力により売り払った全ての家財を取り戻し、離れてい家臣たちも全員が戻り、さらには嫁入りした当初より、さらに家財が増した屋敷で暮らすセシリアに、しかし、不満な様子は()()()なかった。


なぜならば、戦から戻ったジークフリードが、かつてとは変わっていたからだ。


長く砦に(こも)り獣人の軍に囲まれていたせいで、粗末な衣服を着て、硬い干し肉とお湯をすすりながら、兵と同じ寝台で眠る生活を続けた彼は、贅沢(ぜいたく)を好まぬ男になっていたのだ。


そして倹約と貯蓄の大事さを知った彼は無駄遣いをしない男にもなっていた。

余計なものは買わず、王宮の宴でも水しか飲まず、服は木綿、装飾は最低限。

その変貌ぶりには誰もが驚いた。


そのことに最も驚いたのはセシリアであった。そして彼女にとってそのことは非常に喜ばしいことであったのだ。


「……とっても素敵、うふっ」


そして、セシリアの気持ちがジークフリードに向いたように、ジークフリードの気持ちもセシリアに向かった。


エンド侯爵ジークフリードは、二年の厳しい籠城戦の中、戦地から遠い王都から、誰に批判されようとも軍に補給を送り、支え続けた若い妻に心から感謝をしていた。

彼女が発した補給部隊がやって来る度に砦は喜びに包まれ、生気がよみがえったことを彼は一生忘れることが無かったのだ。


エンド侯爵夫妻は、その後も贅沢を好まず、つつましく暮らし続けた。

家具は最低限、使う部屋も限られていた。

装飾は避け、食卓には一輪の花だけが添えられる——それが、二人にとっての贅沢だったという。


宝物は屋敷の奥にしまい込み外には出さず、戦に備える。

王国を守った“英雄夫妻”は、質素倹約の象徴になった。


感想、誤字報告ありがとうございます。

また、読んでもらえるように頑張ります。


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― 新着の感想 ―
当代でも名将と賢母として名を馳せ、旦那は兎も角、夫人のほうは勘違いの名声で讃えられる訳ですが、後世ではもう、取り返しつかないくらいの聖母に祀り上げられそうですね(笑)
また主人公が転生後にちゃんと我慢が出来たのは 日本での自分の所業を振り返った時に後悔は無いが 周りの人には申し訳ない所があったという反省もあったのかなと思いました
読み終えてから、また読み直して 序盤の日本の生活の描写が 主人公はぶっ飛んだ人なのを説明するパートだったことに気づきました 最後ハッピーエンドで終われたのは 私利私欲でわがままをするのではなくあくま…
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