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「過去との決別と前進」①

 あの日から生きる希望を失った。大切な人と無我夢中に取り組んできたものを僕から奪ったあの日。どれだけ憎んだか。どれだけ悲しんだか。どれだけ忘れたかったか。周りの奴らに分かるわけもない。いや、分かってほしくもない。僕の気持ちなど。

 世界中を見れば、僕より不幸な人がたくさんいることだって、年をとればとるほど分かってくる。でも、それとこれとは話が違う。

 どれだけ世界中で飢餓で苦しんでいる人がいようが、病気で苦しみながらも生きている人がいようが、戦争で関係の無い人々が何人と死のうが。それは僕にとって見れば、関係の無い他人の不幸。他人がどれだけ苦しんでいようが、それと自分を比べたところで幸せになるはずがなかった。


 あの出来事の後、ある奴は言った。

「お前は何とか生きているから良かったじゃないか。」

 お前に何が分かるんだよ。何も失ったこともないお前に。ただただ耳障りだった。けれど決して口に出すことはしなかった。相手は僕と同じ子ども。単純に悲しそうにしている僕を憐れんだ言葉だと分かったから。反射的に何も失ったことないお前と決めつけしまったがそうでない可能性だってあるわけだから。何より、心配してくれる人を失いたくは無かったから。反射的に口から出そうになっていた言葉を飲み込んだ。

 他にもある奴は言った。

「生きてるだけラッキーだと思って、辛いかもしれないけれど前を向いて生きていこうよ。」

 ふざけんな。僕の大切な人と短い間だが熱中していたものを失ってラッキーだと。僕にとってみれば自分が死んだことと同然だった。話にならない。怒りを通り越して、何も言えなかった。こういう能天気なやつもいるんだな。なんで僕みたいな奴から不幸にさせていくのかな。目の前に不幸になっても立ち直れそうなやつがいるじゃん、神様。そう妬んだりもした。けれども、離れようとはしなかった。こんなクソみたいな奴でも、いつか僕の心の穴を埋めてくれるかもしれないからと存在しないかもしれない希望を抱いていたから。

 他にもこんな言葉をよくかけられた。

「かわいそうに。」

 なあ。そう思うのならお前が僕の立場に代わってくれるのか。僕はいつでも代われるぞ。夢も希望も大切な人も失った日々よりもひどい人生なんて、お前この年で送ってないだろう。だから、いつでも代わってやるよ。そう思ったけれど、代わる手段がないのだから怒りをぶつけることもできない。折角、悲劇のヒロインのような扱いをされて慰められる状況にあるというのに、それを手放して周りから石を投げられるような奴には進んでなりたくないからね。僕、男だけど。

 あとの奴らはほとんど見て見ぬふり。まあ、それが正解だろ。特に関わりも無い奴が悲しんでいたところで慰めるのに適切な言葉など見つかろうものが無いのだから。ましてやこの年齢だし。変なこと言って、僕に怒りを買うことも怖いだろうしな。簡単に加害者になって、自分が非難の的になるというのは誰の目にも見えるだろう。

 だから、よく声をかけてきた奴もいるもんだと思った。怒りを感じる言葉もあったが、彼らの表情は心から心配してそうな顔だった。しかし、人間、相手の心のうちまで分かることはできないから、それが真実とも限らない。でも、今の歳で考えがあって、声をかけてくる奴がいるのなら逆に会ってみたいわ。

 それから、当時の小学校の担任にはこんなことを言われたよ。

「辛かったな。でも、そのお前の気持ちは俺も含め周りの奴らもすべて分かってあげられるわけでは無い。だから、俺のこの言葉も含めお前にとってみれば誰が言っているんだという気分になるかもしれないが、みんなお前のこと心配しているんだ。そのことだけは分かってあげてくれ。別に今分かる必要はない。お前の心の中にゆとりができたときに気づくことが出来れば俺はいいと思う。とにかく今は自分の感情に正直になれ。」

 やっぱり大人だからかな。そりゃそうみたいな無難なことしか言われなかったが、まあその通りだとは思う。でも、先生の言うように周りの奴らのことを今受け入れられるゆとりは心に無いんだ。いつの日か、心にゆとりができたのなら僕のような経験にあった人を助けられるようになれればいいなと思った。


 あの日から数年が経った。時間が僕の心の傷を癒してくれると思っていた。けれど、その傷は今日まで塞がれることは無かった。ただただ、時間が経つだけだった。

 どちらかというと、日常の中であの日の出来事を急に思い出し、その度に傷がえぐられる。いつまで経っても心にゆとりは生まれなかった。前を向ける日はやって来なかった。

 それでも、周りの人の中には傷が塞がれていなくても、前を向いて生きている人もいるというのに。その人たちと自分の違いを見るうちに情けないなと思いながらも、傷が痛んで前に進んで歩いていけない日々が続いた。だから、傷が塞がらないままでも前に進み続ける人々のことを参考にして、前を向いてみようと思った。けれど、彼らを見れば見るほど無理やり頑張って生きている感が感じられて余計に自分が辛くなるだけだった。

 

 まずは、おばあちゃん。亡くなったおじいちゃんは僕にとってはおじいちゃんだけれど、おばあちゃんにとっては夫のわけだから、当然ながら僕よりも長い間人生を共にしてきたでしょう。僕の目の前に映っていた二人の様子はいつまで経っても笑顔で会話している様子しか思い出すことはできない。それは勿論、孫の前だから演じていただけかもしれない。だから、本当の感情は分からない。けれど、あの日、おじいちゃんを亡くした日以降、一気に老けた気がした。老けたというか生気が無くなったという表現のほうが正しいのかもしれないが。

 でも、葬式や法事が過ぎていく度に少しずつ生気を取り戻していったように感じた。勿論、あの日から年を取ったから全く老けていないわけでは無いけれど、少しずつ目に光がこもっていっているように感じられた。

 それでも、知っているよおばあちゃん。おじいちゃんの話になると悲しそうな顔になるの。それを周りに見せたくなくてすぐに元に戻そうとすることも。また、家に置いてある遺影を見て涙を流していたことも。

 だけど、少なくとも僕の前では今まで通り笑っているおばあちゃんを凄いと思うよ。でも、当たり前のことかもしないけれどおばあちゃんがおじいちゃんを亡くして悲しんでいる姿を見て安心したよ。結婚して二人でいる時間が長くなると、気持ちが離れていくような人たちだってたくさんいるわけだから。僕らの前で見せていた姿は本当の二人の姿だったんだろうね。そうであるなら、もっと見たかったよ。少なくともあんな形でおじいちゃんを亡くすとは思ってもいなかったから。


 ねえ、お父さん。あの日、初めてお父さんがしっかりと涙を流しているところを見た気がするよ。ドラマや映画でももしかしたら泣くことがあるのかもしれないけど、それを決して子供の僕に見せないお父さんが、周りを気にせず泣いている姿が印象的だったよ。そりゃそうだよね。お父さんにとっておじいちゃんは父になるわけだから。僕にとっても最高のおじいちゃんだったけれど、お父さんにとっても最高の父であったんだろうね。

 思えば、僕がバスケを始めたのもお父さんがバスケをやっていたからで、お父さんがバスケを始めるきっかけもおじいちゃんがやっていたからなんでしょ。3世代に渡ってバスケをやり続けたわけだ。でも、今回の件で、おじいちゃんは亡くなり、僕はもうバスケをできるような体では無くなってしまった。

 僕のせいであの日の出来事が起こったわけじゃないけど、なんかごめんね。もっとお父さんにバスケをやっている姿を見てほしかったよ。もっと知らない技を教えてほしかったよ。もっと1on1やりたかったよ。できるなら今すぐにでもしたいよ。でも、もうできないんだ。ごめんね。

 お父さんが地域のミニバスのチームのコーチをやっていることもあって小さいころからボールに自然と触っていたんだろうね。気づいたらバスケをやっていたよ。偶々、向いていたんだろうね。やればやるだけ上手くなって。それにお父さんもおじいちゃんも喜んでくれてさ。でも、もうあの姿を見せることはあの日以降できなくなったよ。

 それでも、ミニバスのコーチを続けていること尊敬しているよ。僕はもう自分ができないから人がやっていることを見ているのが辛くなったんだ。だから、お父さんがコーチを続けているの純粋に凄いと思うよ。でも、練習の時間になって家を出るときに、僕とお母さんで見送るけど、そのときに僕の方を見て悲しそうな悔しそう顔をするのはどうしてなの。

 あの日以降、少し会社にいる時間が長くなったのはなんとなく気づいているよ。お父さんも忘れたいのかな。そりゃ、実の父が亡くなったんだから、何か別のことに打ち込んで忘れたくもなるのかな。僕の気持ちを分かってくれる人もいないかもしれないけれど、お父さんの気持ちを分かってくれる人もいないんだもんね。誰もあの日に亡くなるなんて思ってもいないし。病気も罹ってなかったもんね。


 ごめんね、お母さん。いつまでも迷惑かけて。あの日の事故の影響で制限される僕の行動範囲。どこに連れて行ってくれるのもお母さんで。でも、その先は学校か病院か。今まで、よくミニバスの練習場所や試合会場に連れて行ってくれることもあったけど、あの時のような楽しそうにしている僕じゃなくて。

 今まではさ、バスケの練習で着ていた練習着や当番で回ってくるビブスの洗濯。そんなことに迷惑かけたよね。でも、なんだかんだ文句を言いながらも練習や試合に行ってくる時は笑顔で、

「行ってらっしゃい!」

 って言ってくれて、それに僕だけか時たまお父さんも一緒に、

「行ってきます!」

 って言ってさ。近所のおばさんに、

「今日も元気ね。バスケ頑張ってくるのよ。」

 なんて言われるのが日常でさ。お母さんも時間があれば応援に来てくれて。嬉しかったよ。でも、そんな日はもう二度と戻ってこないんだ。ごめんね。

 お母さんにとっておじいちゃんは義父に当たるのかな。血は流れていなかったけど、楽しそうにリビングで話している光景が日常だったよね。でも、その光景もあの日を境に見られなくなったんだよね。

 お母さんが流した葬式での大粒の涙。それは今でも忘れないよ。実の子では無い人にもそう思ってもらえるおじいちゃんを僕は誇りに思ったよ。

 あの日からお母さんも仕事している時間が長くなったよね。勿論、僕の怪我などでお金がかかるというのもあるかもしれないけれど、お父さんと同じように仕事に打ち込まないと思い返してしまうのだろう。


 僕は結局あの日から何も手がつかなくなっていた。だからだろうか、いつもあの日のあの瞬間を思い出し、おじいちゃんがこの世にもういないことを再確認して傷つくのだろう。でも、あの悲劇を忘れたくないという思いもある。そんな矛盾の中で生き続けている。何度か、おじいちゃんに会いに行こうとした。けれど、おばあちゃんや両親のことを思うと取り出したナイフや紐をしまいに行った。


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