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「忘れられない白衣姿」④

 気になって取ってみると、タイトルは「手術室」。シンプルなタイトルだが、それゆえだろうか。謎に内容が気になるので、読んでみようと表紙を開いた。その時だった。あの手術の時の全身麻酔のような、急に視界がブラックアウトするような感覚に襲われた。



「渡辺先生、渡辺先生、大丈夫ですか。」

 気づいたときには、そう隣の本来知らない女性から声を掛けられていた。ただ、何故かその声はいつも聞いているような気がした。まるで、いつも俺の仕事を手伝ってくれる秘書か部下のように。まだ、本来学生だから社会のことなんて分からないから想像上のことなんだけどね。

「大丈夫だ。オペを再開する。」

 自分では、言おうとも思ってもいない言葉が自分の口から発せられる。オペ?何の話をしてんだ。俺は小説を読んでいたはずなのに。そう思ったところで視界は下を向く。そこには人が手術台の上に寝ていて開胸され、心臓が見えるようになっていた。医療ドラマはよく見ていたが、本物の心臓を見るのはもちろん初めてで吐きそうになるが、そうはならなかった。自分の口から出てくるのは、助手の医師や看護師に対する命令や要望。そして、要望した手術器具をもらいながら、さも当然かのように動く自分の手。

 手術の全貌が分かっているかのように綺麗な手さばき。素人目からでもわかる一切無駄のない動き。それについてくる、周りの人たち。

 この不思議な状況が自分を中心に起こっていることに未だに納得がいかない。ただ、現実でないことは確かで、それでも俺は俺であること。どんだけ、自分が他事を考えようと自然と目の前の手術のことに集中する謎の強制力が働く。今何をしても変わらないということが分かったのでなるがままにしてみる。

 全く知らない人のオペを自身が執刀しているはずなのに、この人の情報が頭にあるという不思議な状況。よく分からないはずの言葉ばかりが手術室を飛び交っているというのに、それを全てわかりながら適切に対処している自分。自分が何なのか分からなくなってきた。

 しかし、現実ではないはずなのに、この人を助けないといけないという気持ちが湧いてきた。ただ、自分にできることは勝手に動く手と視線を感じるだけ。

 少し思うのは、俺が昔手術を受けたときも執刀医の先生はこんな俺を助けたいという気持ちでやっていたのかなと思った。もし、俺にも目の前で起きているような技術があるなら、たくさんの人を助けることが出来るのかな。そう子供のような考えになってしまうが仕方ない。ずっと、心の奥底には、あの病気を治してくれた先生に尊敬の念を持っているのだから。写真を撮ったわけでは無いが、白衣姿の担当医の写真が今も心に大事にしまわれている。

 俺がなりたいのはこれなのかな。

 そう思った時だった。

「ふう。これで終わりかな。閉胸は頼める?」

「はい。任せてください。お疲れ様でした。」

「お疲れ。」

「「お疲れ様でした。」」

 手術は終わったらしい。勝手知ったるように扉を出て、必要な処置をしておく。そうしてある程度身だしなみを整えてから、手術室を出る。そこには、執刀した手術を受けた患者さんのご家族さんが祈ったような様子でベンチに座っていた。

「先生。手術は?」

「ご安心ください。成功しました。もう少ししたら手術室から出てみえると思いますよ。それまでもう少しお待ちください。」

「先生、ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

「先生、ありがとう。」

 そうご家族の方に言われると、自分がしたことなのだが、実際には自分の力ではないわけで。でも、そんな状況であってもウルっとくるものがあった。

「それでは、失礼します。」

 そう言って涙がこぼれるのを患者さんに見せないように立ち去ろうとしたその時だった。

「先生。ありがと。」

 そうバスケットボールをもった小さな子が声をかけてきた。何故バスケットボールを持っているんだという気持ちにもなったが、なぜだかしゃがんで、その子の頭を撫でた。

「どういたしまして。もうちょっとしたら、またおじいちゃんとバスケできるからね。それまでたのしみにしているんだよ。じゃあ、またね。」

 そう、自然と言葉が出た。そうして、小さな子が満足したような顔になったのを確認して他のご家族の方に会釈をして、立ち去った。

 そして、曲がり角を曲がる瞬間だった。

 また、視界が暗転した。


 

 そして、気が付けば元居た図書館の同じ場所にいた。唯一違うのが手元に「手術室」という本が無いということだった。近くにある時計を見る限り時間も変わっていないようだった。

 なんだか、今日は図書館でこれ以上本を読む気にならず、駆け足で図書館を出た。無性に喧騒を感じたくなって、普段は行かないショッピングモールのフードコートを目指した。


 そこには、自分のような学校帰りの高校生で賑わいを見せていた。しょうもないことで笑っている、周りのことをまったく気にしないその様子に普段は苛立ちを隠せないのだが、今日はそんな場所にいたかった。それもあんな摩訶不思議な現象を体験したからに違いない。

 高校生になったときに買ってもらったスマホで先ほどの現象を検索しようと思ってみてもなんと検索すればいいか分からない。試しに、「夢 現実」などと検索してみるが自分の求めていた解答は得られなかった。それもそのはずだろう。そもそも自分は寝ていないのだから。そう勝手に自己解決して、頭の中の話題は次のことに変わっていった。

 医者か。将来の選択肢として考えもしていなかった。それは、手術を病気で治してもらった時には考えたこともあったが、医学部に合格すること自体が狭き道。それ故に、そこから先のことを考えたことも無かった。幸いにも、今の自分のいる高校は極稀に医学部に行く学生を輩出するということを思い調べてみることにした。ちょうど、明日進路希望調査を行うって担任も言っていたし丁度いいや。そう思い医者について調べてみることにした。


 気づけば、周りで騒いでいた高校生もいなくなっていて、自分のスマホの充電もあと25%ぐらいになっていた。急いで窓から、外を見るとだいぶ暗くなっている。

「やべ。急いで帰らないと。」

 いくら、高校生になったからといって門限が伸びたとしても、事前申告がない限りはできるだけ早く帰ってくるのが両親との決まりだった。そうして、走ってショッピングモールの駐輪場まで向かい、自転車に乗って自宅を目指す。

 いつもと違う帰り道にどの道で帰るのが1番早いか考えていると昔通っていた小学校の横を通っていくルートが近いだろうと思った。


「お、小学校が見えてきた。踏切もちょうど上がるし、タイミングいいな。」

 そう思い、スピードを上げる。その時だった。部活帰りの中学生だろうか。急に道の左端から右端に行こうと歩き出した。勿論、自転車は左側通行。それ故に、中学生を右側から抜いて行こうとしたから、危うくぶつかるところだった。だからだろうか。

 「危ねえな!前見て歩け!」

 そんなきつい言葉がつい出てしまった。はあ。あんな言い方しなくてもいいのに。ごめんな。そう思いながらも通り過ぎる。横には昔通っていた小学校。懐かしいな。久しぶりに父とキャッチボールでもしてみるか、そんな感傷的な気持ちにさせてくれる。


「ただいま。」

「おかえり。遅かったじゃない。何かあったの。」

「いや、図書館で面白い本見つけてさ。時間忘れて読んじゃって。ごめんね。次から気を付けるよ。」

「本当にね。連絡ないから心配したわよ。さあ、夕飯出来ているから手洗ってきて。」

 母に本当の話をすることはできない。何かの宗教にでもハマったのかと心配してしまうかもしれないからね。


「いただきます。」

「いただきます。今日はどんな本読んできたの。」

 この会話は俺が高校生になって図書館に入り浸るようになってから、夕飯の間はずっとこれだ。でも、今日の摩訶不思議現象のせいで本なんて読めてないというのにね。どうしよう。

 「医者の話かな。難病の患者さんを自分の腕で救うって感じの話かな。なんだか読んでいるうちに小学校のときの手術のことを思い出しちゃってさ。」

「懐かしいね。まあ、でもあれ以来痛くなってないのでしょ。」

「うん。本当に感謝してもしきれないよ。そうだ、明日進路希望調査を行うらしいんだけどさ、医学部系統書いてもいい?」

「そりゃいいよ。陸の人生なんだから。でも、分かっていると思うけど、狭き道だよ。」

「分かっているよ。でも、最近やり切って「無」だった自分の中にまたやりたいことが見つかったんだ。とりあえず挑戦してみるよ。」

「それならいいさ。まあ、でもできるのなら国公立の医学部にしてよ。私立は高いから。」

「そうだね。頑張るよ。」

 

 摩訶不思議な経験だったけれど、自分の中に欠けていた情熱を向ける先が見つかったような気がした。今の自分にとって、あの出来事はもうどうでもいい。何故なら、自分の向かう道が見つかったのだから。

 そう思えたら行動するのは早かった。今までの経験上、人より早く動き出すというのは、後の人生に大きなアドバンテージをもたらすと分かっているから。今回の医者を目指すということも、絶対に僕よりスタートラインに立っている人だっているだろう。でも、そんなの関係ない。

 今までの人生、人よりもスタートラインが後ろのことの方が多かったのだから。

 とりあえず、明日のロングホームルームで進路希望調査を行うので、それに書くであろう志望学部や大学を調べようと思い、スマホを取った。


 

「行ってきます。」

「気を付けてね。」

「最初から気張ってると後から疲れるからな。ほどほどにしとけよ。」

「分かったよ。じゃ。」

 そう言って、家を出る。普段はもっと遅く出るというのに。目的は学校にある自習室で授業が始まるよりも前に自習をするため。それぐらいの努力を今から始めないと他の人間に勝てないことぐらい分かっているから。前回の高校受験のように半年で何とかなるものじゃないくらい昨日調べていただけでも嫌というほど分かった。

 でも、なるって決めたんだ。俺をあの痛みから救ってくれたあのお医者さんのように。親切な医者に。摩訶不思議な経験で感じた、どんな難しい手術でも己の腕で成功させる患者に頼られる医者に。

 理想像は今まで以上にはっきりした。だったら、今まで通りに、誰よりも貪欲に努力を積み重ねるだけなんだ。

 そう強い意志を心に抱き、自転車をこぎ始める。その目は新しい目標が決まったからか分からないが輝いているように見えた。

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