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「乖離」⑤

 授業が徐々に始まっていくが、やはり自分の性に合っていたのだろう。数学の授業は前向きに受けることが出来た。たとえ、授業中では分からないにしてもその日のうちに大学内の図書館に行くなどして自分自身で解決していた。その姿に新しくできた友人からは、

『真面目過ぎじゃない?大学受かったんだし、もっと遊んだら。』

 なんて言われたが、今までそういう生き方をしてきていなかったものだから彼らの気持ちが分からなかった。数学以外の授業でも、高校よりも難易度が桁違いに難しくなり、あまり興味のない授業を受けるのは嫌になってきた。それでも単位を一応とるためには何とかしないといけないという思いで嫌々受けていた。

 大学生になるとサークルに入ることも考えたが、あまり興味のあるものが無かった。それよりはバイトをしてお金を稼いでみようという気持ちの方が強かった。それで、今までの経験を生かして個別指導塾の講師をバイトとして始めた。なんだか、昔は教師になることに対して親が大変そうな姿をしているのを見ていたので絶対になるもんかと思っていたが、同じような人に勉強を教えるというバイトをするというのは冷静に考えると可笑しいなと思えた。

 しかし、幸か不幸か塾講師という仕事は僕に合っていたようだった。何より生徒の子が分からなかったところが分かったようになって喜んでいる姿を見ると、自然と笑みがこぼれたからだ。それに対して、生徒の子が不思議そうな顔をするもんだから、それ以降はあまりしないようにしていたのだが、今度はそれに気を取られて真顔で接してしまいもう少し笑顔で接してあげてと塾長に注意を受けた。難しいなと思いながらもそれ以降はそのアドバイスを気にしていると生徒も心を許してくれたのだろうか。些細なことでも質問をしてくれるようになった。その変化に塾の講師をやってみて良かったと素直に思えた。

 

 最初のうちは大学の授業にどれだけ付いて行くことが出来るか不安だったことと、バイトをすることが初めてだったということもあってだいぶ余裕のあるシフトを組んでもらっていた。それも大学生にもなって友人とどこかに行って遊ぶという時間を作ったほうがいいと勝手に思ったからだが、大学で出来た新たな友人たちも僕と同じようなタイプであまりそういうことをしたことが無かった。どちらかというと勉強ばかりしていて、大学生になって初めて自由に遊ぶという奴の方が多かった。それで少しずつ世間が思う大学生の遊びに適応していく友人も増えていったが、僕はどちらかというとそれについていくのが苦痛になっていた。

 両親は教師ということもあり、二人とも真面目だ。その血を完全に引き継いだのであろう。どうしても大学という場所を学問を学ぶ場所、研究する場所としか捉えることが出来なかった。大学生の本分は勉強ということが自分の中の根っこにあり、授業中に遊びに行くという彼らについて行くことが出来なかった。それよりも、彼らについて行かない真面目に授業を受ける奴らと一緒にいたほうが気分が良かった。

 それからというもの、彼らから誘われる遊びの約束を断る口実を作るという目的もあって、塾のバイトのシフトを増やすことにした。それは僕にとって、めんどくさい時間を過ごさなくていいということと、性に合うことに集中することが出来るという変化であり一石二鳥であってやって良かった。心の健康を守れたような気もするし。


 ただ、それからの塾のバイト中、不可思議な現象に見舞わされることになる。それに若干怯えながらも今日も塾のバイトに向かう。最初の方は生徒にどう思われるか不安に思っていたこともあって塾に向かうまでは憂鬱に思っていたのだが、それは慣れと共に無くなった。その矢先にこの現象だ。正直、塾講師のアルバイトが向いていなかったら辞めていたかもしれない。そう思いながらも自転車を漕いでいると塾が見え、指定の場所に自転車を止める。

 塾に入り、塾長に挨拶をして授業の準備をして、授業の開始を待つ。同じように授業の開始を待つ生徒と少し談笑しながら。

 キーンコーンカーンコーン。

 そうこうしていると、授業の開始の合図が鳴る。それで心を入れ替えて、授業に集中する。この時間は摩訶不思議な現象を自然と気にしなくなって、目の前の生徒のことを気にしているので気分が楽だ。塾のバイトを始めて少し経って、教えることも教えた相手が成長していく姿を見ることも好きということが分かったので、この時間が好きだった。しかし、集中していると自然と時間が過ぎるのは早く感じるもので終了の合図が鳴る。

 キーンコーンカーンコーン。

 それと同時に帰っていく生徒たち。

「先生、今日もありがとうございました。」

「はーい。今日もお疲れ様でした。」

 そんなやり取りをしながら帰っていく様子を見る。その時だった。彼らの中には自分で家に帰っていく人もいるが勿論、親が送り迎える家庭もある。それで生徒の親さんが車から降りて、子供に向かって言う。

「今日もお疲れ。今日はどうだった?」

「今日も楽しかったよ。」

 そんな会話が聞こえてきて、頬が自然と緩んでいると視界が急に暗転する。最初は慌てていた自分も何回も繰り返される現象に慣れてきたのだろう。今日もまたこれか。そう思って心の中でため息を吐いていると視界がはっきりとしてきた。


 今日は一体どんな状況なんだろうと思っているとどうやら大きめの公園にいるようだった。正確には公園といっていいのか分からないような地面がほぼ全て芝生で、そこにレジャーシートを敷いて僕は座っていた。というのも、いつもと同じく現在の僕ではなくもっと大人になったような、正確には30代後半から40代前半のような僕。それが何故分かったかというと、前の同じ現象で偶々、この現象内の自分の姿を鏡で見たからだ。けれど、今日もいつもと同様、思考は僕だが体の自由は奪われたままで、思うがままに動かすことが出来ず勝手に動く。

 そうして、状況を整理しているうちに手にサンドイッチを持っていることに気づく。それと同時に目の前では小さなこの現象内の我が子、それも双子が無邪気に遊んでいる。ただ、顔も彼らの顔だけが靄がかかったかのように分からない。しかし、分かるのは彼らが我が子であるということと愛情を確かに持っているということ。この矛盾と思える状況に本来の自分は恐怖を感じながらも、現象内の僕は特に何も思っていないようだ。それは今現在隣に座っている女性に対しても同じ。

 彼女の方を向いてもそれは我が子同様の状況。顔と名前に靄がかかったように分からない。それでも、今まで繰り返されてきた現象を通して彼女が僕の妻であることが分かっている。少なくともこの不可思議な現象内の話ではあるが。それに対して、この不思議な現象自体には恐怖を感じているのだが、現象内に存在している我が子や妻に対しては恐怖や他人のようなどうでもいいという感情をこの現象内でも現実でも感じることは無かった。まるで、本物の家族であるかのように僕はどちらでも自然と認めていた。

 そうして現象内の僕がぼーっとしているのを不安に思ったのだろうか。隣にいる妻が声をかけてきた。

「あなた、大丈夫?いつも仕事で忙しいというのに休日も子供たちや私の我儘を聞いて碌に休めていないのじゃないの?」

「いや、大丈夫だよ。むしろ、皆の笑顔が見られて僕は嬉しいんだ。それにこうして、子どもは親に対しては言いたいこと、やりたいことが自由に言える環境じゃないといい家族とは言えないと僕は思っているから。」

 その言葉は本心であるとともにどこか過去の自分もしくは環境を後悔しているように思えた。それは現象内の僕も心からこの発言をしているし、隣にいる妻も理解してくれたのだろう。

「そうだったわね。大丈夫、その心の傷は?」

 よくこの現象内で妻から言われる「心の傷」という言葉。これに対し現象内の僕は理解しているのだが、現実の僕は何のことか全く分からない。しかし、そんな僕を無視するかのように決まってこう答える、現象内の僕は。

「いや、この傷は死ぬまで忘れてはいけないんだ。君にも僕らの子にも感じてほしくないからね。ずっと心の底から笑っていてほしいから。」

 それに対して、妻は複雑そうな顔をしながらも言う。

「あなたは毎回そう言うけど、いつまでもそれに囚われていてはあなたが苦しくなるだけ。でも、あなたの隣には私がいるから。私たちは私たちなりの幸せな家庭をみんなで築いていきましょう。」

 そう顔に靄がかかっていながらもどこか優し気な笑顔で話していることが伝わってくる。妻の言葉に現象内の僕の心は救われる。そうして二人の時間を過ごしていると、退屈になってきたのか我が子が走ってこちらに向かってくる。

「もう、いつまでお昼ご飯食べてるの?」

「遊んでくれるって言ったじゃん。」

 そう不貞腐れた態度で近づいてくる愛しい我が子。その姿に対して、妻と笑って急いで食べて子供たちのもとへ向かおうとした時だった。

 現実に戻る合図かのように視界が一瞬にして暗くなる。


 やっと、この不思議な現象から今日も戻れると安心して目を開ける。そうすると、僕は塾の中にいた。視界が変わる前の姿勢で、かつ時間は過ぎていない。この後も授業はあるので、この現象を忘れるかのように次の授業の準備をする。初めてこの現象にあったときはぼーっとしすぎて塾長に心配されたから。

 しかし、僕は気づいていなかった。この現象が起こるたび、どこか心の奥底にあったことを忘れていっていることに。


 「ただいま。」

 今日のバイトも終わり、下宿先に帰ってきた。勿論、一人暮らしなので何も言葉が返ってくることは無いのだが、いつごろからかそれが習慣化してしまった。

 大学の授業に塾講師のアルバイト、そして摩訶不思議な現象。それに疲れて動きたくない体を無理やり動かしながら、夕飯を準備し食べて風呂に入り、ベットにダイブする。スマホで時間を確認すると、とっくに日をまたいでいた。それに自然とため息が出ながらも明日の予定を思い出す。明日は幸運にも1限の授業は無いため比較的遅くまで寝ることが出来る。その事実に気づき、安心して意識を手放した。


 プルルル、プルルル、プルルル、プルルル...

 いつもは聞かない音に目を覚ます。普段は大学に遅れないようにアラームを設定しているのだが、アラーム音とスマホの着信音を混同しないように変えているので、何だろうと思いスマホに手を伸ばすとお父さんと表示されていた。何時だろうとスマホに表示されている時間を見ると7時。あまりこういうことを思いたくはないのだが、せっかくもっと寝ることが出来たというのにと少し恨みながら電話に出る。

「お父さん、こんな早くから何?昨日遅くまでバイトだったからもうちょっと寝たかったのだけれど。」

 そう少し怒りながら出るとなかなか話しださない父。それに不思議に思い、

「お父さん、どうかしたの?」

 そう言ってみるが、なかなか返事が戻ってこない。それにイライラして、

「お父さん!お父さん!聞こえてるのならまず返事をして!!!」

 そう大きな声で言ってしまった。それに対して、やっと反応したが父の声は今までで聞いたことが無いほど弱々しかった。

「和真が...和真が...」

 そう繰り返す父。それに思わず、

「和真がどうかしたの?」

 そう聞き返して父から絞り出された言葉に僕は受け入れることが出来なかった。

最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

「夢見の時」シリーズは、私にとって初めて執筆した小説でした。そのため、なかなか筆が進まない時期もありましたが、目標としていた10万字を超える作品を書き上げることが出来たのは、読んでくださった皆様のおかげです。

これからも新たな物語を紡いでいこうと思っています。またどこかで、皆様と物語を通じて出会えることを楽しみにしています。そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。

改めて、ここまでお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。

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