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「暗闇の中」⑤

 キーンコーンカーンコーン。

「やっと終わった。さあ、帰ろー。」

 そう忌々しい声が隣から聞こえてくる。結局あの後も塾長に向かって言ったって仕方のない愚痴ばかりを言い続けた康介君。二度と同じ時間に授業を組んでほしくないと思いながらも、自分でどうにかできる問題では無いので、顔に出さないように帰宅の準備をし始める。授業終了の合図が鳴る前から準備をしていたのかもう席を立つ康介君だったがこっちに近づいてきた。

「和真君またね。」

 まさか声をかけてくるとは思わなかったので一瞬対応が遅れたが、

「康介君、またね。」

 そう言いなんとか苦痛な時間は終わった。

「塾長またねー。」

 そう軽い感じで挨拶をしながら出ていく康介君。

「康介君。またね。次は時間通りに来るんだよ。」

 そう塾長も軽い感じで挨拶をした。その感じに少しイラッとしたが、まあ変わることは無いだろうと思いながら俺も塾長に挨拶しようとした時だった。

「康介、今日の塾はどうだった?ちゃんと、授業受けた?」

「適当に受けた。でも、隣に知らない子もいて楽しかったよ。」

「そっか...迷惑かけてないだろうね?」

「迷惑なんてかけてないよ。少しおしゃべりしたぐらいだよ。」

「はあ。そっか。まあいいや、早く車に乗りな、帰るよ。」

 そう言われ、帰っていく康介君。そこで諦めたらだめだよ、お母さんと思いながらも、人様の教育方針だからあんまり口出ししないほうが賢明だろう。まあ、うちも人のこと言えないぐらいには不思議な家族だからなあと思いながら、自動ドアの向こうを見てぼーっと立っていると不思議に思ったのか塾長が声をかけてきた。

「どうかしましたか、和真君?」

「いいえ、ちょっと考え事をしていて。」

「そうですか。それでは気を付けて帰ってくださいね。」

「はい、お疲れ様でした。」

「お疲れ様でした。」

 そう言い塾から出ていくと、少し風が強く寒く感じる。しまったな、上着を1枚持ってこれば良かったと思ってももう遅い。自転車の鍵を外して、普段なら当たり前だが乗って家まで帰るのだが、なんだかそういう気分じゃなくなっていた。


 暗い中に一人で自転車を引きながら家を目指す。効率的に考えたら乗って帰った方がいいというのにそうしない。これからのやらなければいけないこと。特に親から課された勉強を今日中にやっておくためには絶対に自転車に乗って帰った方がいいのだが、何故だかそうしない。この暗い中、ゆっくり歩きたい気分に不思議となっていた。

 それは何故か。それは十中八九康介君の言葉が頭の中から離れないからだろう。

「何のために勉強をするのか?」

 そんなことを考えたことのない自分にとって、盲点にも思える疑問。それは気づいたときから机に向かって勉強していた生活が俺の中での普通になっていたからであろう。でも、本来はそうではないのだ。

 現実的にも、多くの子が小学校に入ってほぼ強制的に勉強という物に向き合わせられる。それまで、幼稚園や保育園などでは元気に遊んでいたり、周りの子と仲良くしていれば許される時期から急に評価項目が追加される。勉強という名の多くの子にとってなじみのない物が。

 そう考えれば、康介君の疑問も当然のことなのだろう。勿論、その中でも向き不向きがあって、たまたま勉強が合っている子がいるのであれば俺のように疑問も思わずに黙々と勉強をするのかもしれない。けれども、他人の考えなんて分からないから、もしかしたらそういう人たちの中でも、康介君のような疑問を持っている人がいるのかもしれない。

 なんだか考えているうちに怖くなってきた。自分がその疑問を持たずに親に言われたことをただただ信じてやり続けてきたという事実に。兄も疑問を持っているのかどうかは分からないが、同じような生活を続けているということに。

 そう思いゆっくり歩いて帰るのが嫌になってきて、自転車にまたがって立ち漕ぎで家を目指す。なんだか恐怖のようなものを感じて吐き気を感じてきたから。


 気づきたくないことに気づいたためかいつもよりも速く自転車を漕ぐことが出来た。それでも家を見て電気がついていないのを見るとまだ誰も帰ってきていないのだろう。

 自転車を片づけ、一応防犯のつもりで周囲を見渡し誰もいないことを確認してから鍵を開けて家に入る。

「ただいま。」

 一応、そう言ってはみるが返ってくる言葉は無い。それはいつも通りなので別に問題は無い。

 家について安心したのか、玄関で少しぼーっとしてしまう。いつもなら、そんな時間も勿体ないと思ってすぐに手を洗って片づけをするというのに。康介君が言った疑問が頭を離れない。どうかしてしまったのだろうか、そんな気持ちに陥る。こんな時にたまになる暗い空間の中に入っていけたらいいのに思ってしまうがそう都合よくなるものではないらしい。だけれど、何故か動かない足。

 どのくらいの時間立ち尽くしていたのだろう。ハッと思って動き出す。なんだか、いつもより体が重いなと思いながらも学校から帰ってきた時と同様に洗面所で、手と顔を洗い、うがいをする。そうして、目の前の鏡をふと見たとき自分でも見たことないようなやつれたような顔をしていた。だけれども、自分にはどうすることもできないので、いつも通り自分の部屋に塾用の鞄を置いて、1階に戻ってくる。


 そして、冷蔵庫の中にある母が作り置きしてある夕飯を自分の分用意して、1人でテーブルに向かって「いただきます」と言って食べ始める。

 いつもなら成長期だからかもっとご飯やおかずをよそうというのに、そんなに食べる気分でも無かった。

 いつもなら食べながら勉強のことを考えたりするというのに、そんなことは微塵も考えずにただ箸を動かすだけ。

 気づけば食べ終わって、気怠いような感じがしながらも使った食器を洗って決められた位置に片づけておく。そんな時、キッチンから夕飯を食べていたテーブルを見てふと思い返す。最後に家族みんなでご飯を食べたのはいつなんだろう。いつも思いもしないのに。康介君がお母さんと塾から帰っていく様子を見たからだろうか。なんだか今日は自分でも変だなと思って、先に歯磨きをして風呂に入ることを決める。

 そうして再び洗面所にきたがやはり、鏡に映る自分の顔はなんだか覇気が無かった。ただ、何故だか一筋の涙が目からこぼれていた。こんなこと今までなかったのに。そう思いながら切り替えて歯を磨く。

 いつも以上にやることが遅いなあと思いながら、嫌な予感がするから先に風呂に入ることにする。いつもなら、少し勉強をしてから入るというのに。


 そうして、着替えている間にお風呂にお湯を溜めておく。いつもなら時間が無駄だからシャワーで済ませてしまうというのに。

 着替えて、シャワーで頭から順番に洗っていく。それと共になんだか今日起こったことがフラッシュバックしてくる。そして何故だか分からないが止まらない涙。自分ではどうしたらいいのか分からない。だから、とりあえず体もさっさと洗って湯船に浸かろうとする。お湯の中に入れば、心も体もリラックスするはずだから。

 そう思って湯船に浸かって体をあずけてみるが流れる涙の量は変わらない。何がおかしいのか俺には分からない。だから、とりあえずそのままでいる。もしかしたら時間が何か問題を解決してくれるかもしれないから。

 ただ、どのくらい経っただろう。この不思議な感覚が変わることは無かった。だから、諦めて身体を拭いて少し早いがパジャマに着替え自分の部屋へ向かう。途中チラッとリビングを確認してみるがまだ誰も帰ってきていないようだった。


 なるべくいつも通りでいたいと思い、親が用意したリストを見て無我夢中になって手を動かす。まるで見たくもない物から離れるように、見たくもない現実から離れるように手を動かす。それでも、心から消えない不思議な気持ち。だから、いつも以上に真剣になって取り組む。普段の自分に戻るために。

 

 そうして、何かから逃げるように勉強に取り組んでいると、いつの間にかびっしりと書いてあった親が用意したリスト内のことは終わっていた。時計を見るといつもと大体同じ時間だった。はあ、寝るかと思い片づけをしてベットに横たわる。

 目を閉じて寝ようとするが、何故だか頭の中に声が響き渡る。

『勉強したところで何かなるの?俺それが分かんないんだよね。でも、誰に聞いても納得いく説明してくれる人いないんだ。聞いた瞬間口答えせずにやれ!だって。なんなんだろうね。』

 今日の康介君の声だ。そうして、もう聞かないだろうと思っていた声まで聞こえてきた。

『何か自分の中で特別なのものというか、大事なものがないと人間って簡単に壊れるからね。』

『自分を大切に生きるんだよ。』

 小学校に入りたての頃に聞いた悠志さんの声だ。もしかして、今の自分って悠志さんが忠告してくれていた状態になっているのかな。そんな不安が頭を駆けまわる。でも、そうなったところで自分にはどうしようもないんだ。

 唯一続けてきた勉強だって康介君の質問に答えることができなかったし、悠志さんの言っていた自分の中の特別なものも分からない。


 いったい自分って何なんだ。そんな考えが頭の中を支配する。


 だからだろうか。なかなか寝付けない。でも、親がいつか言っていた。寝ないと学んだことが頭の中に定着しないと。それがあって、目をつむっているのに、寝ることが出来ない。どうすればいいんだ。そう不安に駆られ目をつむってはあけて時計を見る行為をしているうちに、疲れたのだろうか。いつの間にか俺は意識を失っていた。


 ピッピッピッ、ピッピッピッ、ピッピッピッ、ピッピッピッ...


 何かが鳴っている音がすると思い起きてみるとどうやら朝のようだ。いつもならアラームよりも前に起きられていたというのに、昨日からなんだかおかしいと思いながらも今日も学校へ行くために、親の言いつけを守るために準備をし始める。

 心が壊れ始めているということに気づかないまま。

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