「過去との決別と前進」⑤
そこから、家への帰り道は小学校の頃の通学路と全く同じ。でも、この道を実際歩いたのも4年ぐらいかな。それでも、なんだか懐かしさを覚えた。そんな感じで歩いているといつの間にか家の目の前に立っていた。
昔はあったはずの庭のバスケットゴールはもう片付けられて。それが一つうちの目印でもあったのにね。
カバンの中の鍵を取り出してドアを開ける。
「ただいま。」
そうすると、奥の方から小走りで近づいてくる音が聞こえる。
「おかえり。ゆうちゃん。遅かったじゃない。おばあちゃん心配したんだから。とりあえず、中に入りな。」
遅くなったことを怒るわけでもなく、ただ心配してくれていたおばあちゃん。
「ごめんね。遅くなって。」
そう自然と声が出る。そうすると、驚いたように振り返る。
「別にいいのよ。ゆうちゃんが無事に帰ってこれば。手を洗ってらっしゃい。夕飯出来ているわよ。」
そう言われ、洗面台に向かっていく。
手を洗う際、目の前の鏡を見るとすごい泣き顔だった。しまった。そもそも遅く帰ってきたというのに、こんな顔で帰ってきたら余計に心配かけてしまったな。そう反省するも、もう遅そうだ。
洗面台から、食事を食べる部屋の途中にあるお仏壇のある部屋に行き、今日もおじいちゃんに無事に学校から帰ってきたよという報告をする。天国でいつまで泣いているんじゃと笑われているかもしれないけれど。それほど、僕にとっては大切な人だったんだよ、おじいちゃん。
そう伝え、夕飯が用意されたテーブルに座っておばあちゃんが座るのを待つ。お父さんとお母さんは今日も夜遅くまで帰ってこないだろう。あの日から仕事の日はそれが続いた。だからおばあちゃんと二人っきりで食事をとる機会が増えた。
おばあちゃんが座ったのを確認して、
「いただきます。」
そう言って食べ始める。ただ、なかなかおばあちゃんは食べ始めない。どうしたのかなと前を向いてみるとおばあちゃんが真剣そうな顔で聞いてきた。
「学校でなんかあったのかい?帰ってくる時間は遅いは、帰ってきたと思ったら泣き顔でおばあちゃん心配したんだよ。」
そんな質問になんて答えようか迷っていると、
「別に答えづらかったら、無理に答えなくてもいいんだよ。話せるときになったら話してくれればいいから。」
そう言い、食べ始めるおばあちゃん。でも、おばあちゃんの「話せるときになったら話してくれればいいから。」という言葉に素直に話そうと思ってしまった。あの日突然、おじいちゃんを失ったのと同じようにいつまでおばあちゃんと話せるのか分からないから。
「ちょっと話が長くなるのだけど大丈夫?」
そう前置きをしてから今日学校で起きたことを正直に話し始めた。本来なら、学校で勝手に昔のことを思い出して泣いたわけだから話しにくい話のはずだけれど、おばあちゃんの包容力が発揮されているのかすらすらと話すことが出来た。そのときの優しい顔が僕を救ってくれる。昔からそうだよね。辛いことがあった後もおばあちゃんが優しく包んでくれて。ありがとう。
「話してくれてありがとう。ゆうちゃんの本心を聞けて嬉しいよ、おばあちゃんは。そして、そんだけおじいちゃんのことを思ってくれて。」
僕の話が終わった後に、そう涙ながらに語りだす、おばあちゃん。
「今まで、おばあちゃんも心配してたんだ。勿論、お父さんもお母さんも。おじいちゃんが死ぬ瞬間に同じ場所にいたのはゆうちゃんだし、おじいちゃんのことを好いていたのも知っていたし。何よりゆうちゃんが一生懸命努力していたバスケができなくなった。ゆうちゃんにとってみれば、一気に不幸が同時に2個やってきたわけだよ。正直おばあちゃん達もどう対応してあげたらいいのか分からなかった。」
ここで、おばあちゃんは一休みにお茶を一口飲む。
「だから、今までおばあちゃんもお父さんたちもなるべく、このことについてはゆうちゃんの前では話さないようにしてきたよ。勿論、ゆうちゃんが時々辛くなって物に当たったり、叫んでいたりしたのは気づいていたけれどね。でも、それを一切おばあちゃんたちの前では見せなかった。今日、こうしてゆうちゃんが話してくれなければ、おばあちゃんたちの方から話題に出すことは難しかったわけだから。ありがとね。でも、ごめんね。今まで向き合ってあげられなくて。」
「いや、十分助けてくれていたよ。でも、叫んでいたりしたのバレていたんだ。その後に、みんなと会っても何も言ってこないから知らないと思っていたのに。なんか恥ずかしいな。」
「そりゃ、ゆうちゃん。部屋は違うけれど、同じ建物内に住んでいるんだからみんな気づいていたよ。でも、最初はみんなで止めようかと話し合っていたさ。けれど、ゆうちゃんのことだからどうせ外とかでは本来の自分を曝け出さないんだろう。だったら、本当は物に当たるのは辞めてほしかったけれど、家の中だけでそれが収まるのならそれでもいいと思ったんだよ。」
「そっか。ありがとね、気を遣ってくれて。でも、今日思い返してみて、そしておばあちゃんに話してみて少しスッキリしたよ。これで、もう物に当たらないし叫ばないよ。そんな状態の僕をおじいちゃんは望んでいないだろうしね。」
「そう思ってくれるなら嬉しいよ。でもね、家族には本心で話してくれていいんだからね。本来の自分でいてくれていいんだからね。それが家族だとおばあちゃんは思っているから。辛くなったらいつでも言うんだよ。おばあちゃんはいつまでも、ゆうちゃんの味方だからね。」
「本当にありがとう。少しでも前を向いて生きてみるよ。」
そう言うとおばあちゃんは満足したのか微笑んだ。
いつも通り夕飯を食べ終わった後は、おばあちゃんと一緒に食器洗い。これは昔から変わらない習慣。それが終わった後、洗面所で歯を磨こうとしに行こうとした時だった。
リビングの棚に置いてあるおじいちゃんの遺影が少し傾いているように感じた。それを直そうと手を伸ばした時だった。
一瞬視界が暗くなり、当たり一辺が白い場所に僕はいた。視界が暗くなるのはあの事故当時もそうだったので一瞬身構えたが、とりあえず存在はしているようなので一安心だ。手足を確認するが欠損しているようなところはない。実感もある。ただ、あの当時におった怪我による動かしにくさは変わらずのようだった。
そうこうしていると、奥の方から誰かがやってくるようだ。決して目が悪いわけでは無いのだが、それをはっきりを見ることが出来ない。それでも、ゆっくりと近づいてくる。そうして、まだ近くではないが確信できる、近づいてきたのが誰か。おじいちゃんだ。亡くなったあの日の服装のまま。
「おじいちゃん!」
そう叫び走ろうとするが、足が痛んで走れない。それでも、徐々にではあるがその距離は縮まっていく。
「おじいちゃん!!!」
もう一度、さっきより大きな声で叫ぶ。
「僕だよ。悠志だよ、おじいちゃん。聞こえてるのなら返事してよ。」
「ん?ゆうちゃんか。元気だったか。すまんな、あの日に死んじまって。」
「それはしょうがないよ。でも、こうしてまた会えたことが嬉しいよおじいちゃん。だけれど、ここはどこなの?」
「そう言ってくれると嬉しいな。もう少し長生きしたかったわ。そうすれば、もっとゆうちゃんと話せたのだろうからな。ここはな、【夢見の空間】と言われる場所じゃ。夢とも現実ともとれる不思議な場所じゃ。それはな、人々の心の内にあるものによって見えるものが違うそうじゃぞ。」
「そうなの?それじゃあ、僕がおじいちゃんに会いたいと思っていたからここに来たってこと?」
「フハハハ。それなら、おじいちゃんも嬉しいわ。ただ、それだけじゃないだろう。ゆうちゃんもいつまでも過去に囚われているのではなく前を向こうとしているのじゃろ?」
「うん。」
「あの日からずっとおじいちゃんのことを思ってくれていたことも嬉しい。けれどな、それやバスケができないことに引きずられて、しんどそうな顔をしているゆうちゃんの顔を見ているのは辛かったわ。それは仕方のないことかもしれなけれどな。」
そう、僕の目を見て優しい声で言ってくれるおじいちゃん。
「だからな、辛いかもしれないけれど、今日思った前を向こうとする気持ち忘れるんじゃないぞ。安心しなさい。現実にはおばあちゃんやお父さん、お母さんとゆうちゃんにとっての絶対の味方がいる。そして、上からはおじいちゃんが見ているから。ゆっくりでいいから、立ち止まってもいいから、前を向いて頑張るんじゃぞ。」
「うん。」
「もうそろそろ、時間じゃからこれだけは伝えておくぞ。慌てて会いに来なくていいからな。できるだけ長く生きて酸いも甘いも経験して、その思い出をいつの日かおじいちゃんに伝えにこればいい。首を長くして待っているから。じゃあな、ゆうちゃん。頑張るんじゃぞ。」
「うん。待たね。おじいちゃん。」
そう伝え終わった瞬間、また視界が一瞬暗くなった。
目を開けたときには、再び僕はリビングの棚の前にたっていた。ふと、前を見てみるとおじいちゃんの遺影はいつも通り綺麗に揃えられていた。
自分でもよく分からない不思議な時間だったが、記憶があるので実際に起こったことなのだろう。なんだか、以前のようにおじいちゃんに背中を押された気がして心が温かくなった。
そうして、少しおじいちゃんの遺影の前で少し佇んでいたが、はっと思い自分の部屋へ歩いていった。行く前におじいちゃんの遺影に向かって、ありがとう、そう心の中で伝えておいて。
自分の部屋に入って、奥の方に仕舞っておいた箱を取り出す。その中には、使い古された小さなバスケットボールが入っていた。
本当は、あの日から数日後、もうバスケができないことが分かってから捨てようと思っていたのだが、お母さんに止められていた。
『それは悠志が今まで頑張ってきた思い出が詰まっている物なんだよ。悠志が今辛くて、バスケに関するものが見たくなくて、それを捨てたくなる気持ちもお母さん分かるよ。でも、一時の感情で今まで大切にしてきたものを捨てようとするのは違うと思うよ。今はそうは思えないかもしれない。けれど、また悠志が踏ん切りがついて前を向けるようになったとき、これは必要になると思うよ。』
そう、お母さんの一生懸命な説得に折れて仕方なく置いておいたのを思い出す。あの時は何言ってるんだと心の中では思っていたが、今はお母さんに感謝したい。
今ならこのバスケットボールを手にとって、昔の楽しかった思い出も、辛かった思い出も受け入れられる。以前なら心がしんどくなって投げ出しそうになったが、今は心にそれを受け入れられるゆとりが生まれているのかもしれない。
そうして、随分の間、昔使っていたバスケットボールを触れて再び昔を振り返っていると、下の階から話し声が聞こえてきた。どうやら、お父さんとお母さんが仕事から帰ってきて夕飯を食べているようだった。そんなにも長い時間、バスケットボールを触れていたのかと自分でも呆れてしまうが、その間に1つの決心をしていた。それは昨日まで、自分の中では思いもよらないことだった。
下の階に降りていくと、テレビの音が聞こえてきた。どうやら、スポーツニュースの時間のようだった。
「それでは、スポーツの時間です。今日はもうすぐ始まるサッカーのインターハイに向けて突如として出てきた新星、町田海斗選手に密着してきました。」
そこまで、聞いてからリビングのドアを開けた。あの事故がなければ今ごろ自分もニュースで特集されていたかもしれないという、無謀にも思えるタラレバを考えたしまうが、今なら笑ってやり過ごせられる。けれど、その状態を知らないのかお父さんは慌てて、テレビのチャンネルを変えようとした。
「変えなくて大丈夫だよ、お父さん。もう大丈夫だから。それよりも、2人ともお帰り、お父さん、お母さん。」
「おう、ただいま。」
「うん、ただいま。どうかしたの?」
そう、普段とは少し違う僕の様子に心配する2人。
「まあ、ちょっとお父さんに頼みたいことがあるんだ。今週末のミニバスの練習に僕も連れて行ってほしいんだ。駄目かな?」
「どうしたの、急に?もう悠志はバスケを出来ないんだよ。それなのにどうして見に行きたいの?」
そう聞いてくるお母さん。お父さんはいつも通り寡黙で、ただ、その目はしっかりこちらを見ていた。
「実はそろそろ過去と踏ん切りついてさ。でも、前を向こうと思っても自分には今までバスケしかなかったんだ。だから、もう一度、その熱量を間近で感じたいんだ。見学することしか出来ないけれど。」
「そうか。それなら、別にいいぞ、俺は。でも、邪魔だけはするなよ。」
そう言いながらも嬉しそうな顔をするお父さん。それを見守るお母さんとおばあちゃん。
どうやら、僕らは昔のように前向きな家族に戻りつつあるのかもしれない。そこに、おじいちゃんはいないけれど、きっと天国で見ていることだろう。
それにおじいちゃんと約束したんだ。現実か夢の中なのか分からないところだけれど。もう一度会うときに笑顔で会えるよう。これから、再び新しい僕の人生が始まる。
この決心は、その第1歩になるだろう。