「過去との決別と前進」②
公立の小学校に入学し、そのまま地域の中学校に進学したため特に勉強を頑張る必要も無かった。だから、あの日から中学生になった今でも授業中は上の空で先生の話を聞いていた。そうすると、自然と授業にもついていくことが難しくなる。成績は日々下降していく。そのため、面談等でも指摘はされるが、心に大きな穴が開いた僕にとって何も刺さるものは無かった。
結局、勉強したところで大好きだったおじいちゃんが戻ってくるわけでもない。もう一度バスケができるわけでもない。その現実は、僕を勉強しようという気にはさせなかった。
今日も、学校が終わった後に個別に先生に呼び出された。もう少しで受験生にもなるのだから、勉強をしないとまずいと言われた。正直、将来に明るいプランが見えてこない僕にとって、進路を考えることが苦痛になっていた。けれど、先生にぐちぐち言われるのも癪なので、適当に流しながらその場を終えた。
いつも通り、帰るために靴箱に向かうのだが、先生に呼び出されたため体育館の近くを通らなくてはならなかった。先生に呼び出しを食らっていたせいで、部活の始まる時間まで学校に残ってしまった。普段なら、自分がスポーツをするのができなくなったので、人がやっているのを見たくないため部活開始前に帰宅するのだが。はあ。やってしまった。
既に憂鬱な気分になりながら職員室のとなりの小部屋から出る。なんとか相談室のような名前だった気がする。何回も面談や相談、呼び出しで利用したのに全く覚えられない。そうして、靴箱に向かうとともに近づいてくる体育館。
ダンダン、ダンダン。
昔よく聞いていた音が聞こえてきた。あの頃は自分で生み出していた音だが、今聞こえてくるのは他人がドリブルをしている音。体育館が近づくにつれ、その音も大きくなっていく。それに呼応して胸が締め付けられる。けれども、帰るためには前に進まなければならない。だから、辛くなってきても少しずつ前に進んだ。まるで、あの事故の後のリハビリの時のように恐る恐る。
ダンダン、ダンダン、ダンダン。
ただ、無情にも大きくなり続けるドリブルをつく音。昔は大好きだったはずなのに、今は聞きたくない。慌てて両手で耳を塞ごうとするが、それでも漏れ出て聞こえてくる音。吐き気がしてきた。そのためか、靴箱とは逆の方向にあるトイレへ向かおうとする。急ぎたいけれど、もう僕の足は走ることはできない。だから、今できる限りの早歩きで向かう。あれから数年経つというのに、急ごうとするほど警告を伝えるように痛む足。それでも、今は逃げるようにトイレへ向かう。何とか、あの音も小さくなってきた。
男子トイレの洋式のところに入って座り込む。吐き気は収まったが、震えが止まらない。周りに誰もいないことが確定しているだろうからか、声を押し殺して涙だけが流れる。
本当は今だって、バスケをしていたはずなのに。試合に出て活躍して、それをおじいちゃんを含めた家族全員が見に来ているはずなのに。
あの日にその予定は全て崩れ去った。今思い出したくないのに、その思いに反して脳は昔を思い出させる。映画のように、映像が流れだす。
擦り切れたフィルムのように、画質の悪い、解像度の悪い映像から始まる。
場面は、家の庭にあったバスケットゴールとその前にいる小さいころの僕とまだ若いおじいちゃんが映し出されていた。若いといっても60代ぐらいだと思われるが。
『ゆうちゃん、今日もバスケやろうか。』
もう聞けないと思っていたおじいちゃんの優しい声が頭の中に響き渡る。
「おじいちゃん!おじいちゃん!僕だよ。悠志だよ。声が聞こえるのなら返事してよ。」
思わず、そう大きな声を上げてしまった。けれども、今自分が見ているのは、自分の中にある思い出。そして、学校のトイレにいることを思い出して、人にバレないように口を手でふさぐ。けれども、物音はどこからも聞こえてこない。幸運にも誰も周りにいなかったようだ。ふう。そう一安心していると映像は続く。
『うん。でも準備運動してからね。前、急に動いておじいちゃん腰痛めたでしょ。おばあちゃんに怒られたの覚えてないの?』
『ハハハ。そうやね。あんときはしっかり怒られたからね。簡単な体操をしてからしようか。』
そんなこともあったなと思いながら、懐かしさで涙が止まらない。あのときは、心配したな。
『今日こそは、シュートを決められるようになるんだ!』
『お、そうだったな。ゆうちゃん、ドリブルは得意だけど、シュートはお下手だもんな。』
『もう、なんでそういうこと言うの?シュートはこれからだもん。』
『ハハハ。そうだな。まずはおじいちゃんが見本を見せるからな。』
そうだったな。最初はドリブルにハマってシュートは全然できなかったもんな。そうして、毎回おじいちゃんが手本として打ってくれる。それは綺麗な弧を描いてリングに入る。それは今流れている映像でも同じ。
『おじいちゃん、毎回綺麗にすぽって入るよね。コツとかあるの?』
『うーん。とにかく毎日シュートを打つことかな。そうしたら、ゆうちゃんに合ったシュートフォームも見つかって、おじいちゃんみたいに毎回シュートが決まるようになるよ。』
『もう、毎回それじゃん。』
『フハハハ。仕方ないじゃない。おじいちゃん、それでシュートが入るようになったんだから。だから、見ていてあげるからシュートを打ってみなさい。』
『うん、分かったよ。見ててよ!ずっと。』
『ああ、勿論だとも。』
懐かしいなあ。こんな毎日がいつまでも続くと思っていた。時間が過ぎるのも忘れて、淡々とシュートを打ち続ける。それでも、なかなか入らなかったんだよね。で、しょげた僕をおじいちゃんが励ましてさ。そして、また打ち続けて。そしたら、今度、
『ご飯だよ!!!早く戻ってきなさい!!!』
って、おばあちゃんに怒鳴られてさ。で、それをたまに5分ぐらい無視して家に入ったら玄関に鬼のような表情をしたおばあちゃんが立っていて、二人してよく怒られたよね。
「ねえ、おじいちゃん。ずっと見てくれるって言っていたじゃん。何でいなくなったんだよ。」
おじいちゃんとの二人きりのシュート練習が映像で流れていく中で、そう呟いてみる。今度は誰にも聞こえないように。けれど、もうバスケできない体になってしまったから関係ないのかな、そう後ろめたい気持ちになっていくにつれ、場面は変化していく。
次の場面は、車の助手席にいる場面だった。運転席には父が、後部座席にはおじいちゃんが座っていた。
『シートベルトしめたか。んじゃ、行くぞ。』
初めて、父が指導しているミニバスのチームに見学しに行く日だったかな。僕が勝手なことをしないようにおじいちゃんが見張り役で付いて来ていたんだっけ。
『にしても、急に見に行きたいって言いだしたな。なんか、あったのか?』
『うーん、僕っておじいちゃんとお父さんのバスケしか見たことが無いから他の人がバスケやっているところを見たいなあって思ったから。』
『そうか。まあ、あんま分からんと思うがチームの練習だから邪魔するなよ。親父もちゃんと悠志のこと見ていてくれよ。親父は悠志には甘いからな。頼むよ。』
『そう心配せんでも大丈夫じゃ。わしも時と場合は分かっとる。』
『本当かいな。』
『ようはじっとしていればいいんでしょ。』
『お前はバスケに関してはそうじゃないから心配してるんだよ、こっちは。』
その言葉に笑いが起きる車内。そうだったかな。まあ、でもバスケに熱中しすぎて宿題とか学校からもらった大事な書類をお母さんに渡すのを忘れてよく怒られたっけ。しかし、バスケができなくなったあの日からはそんなこと無くなったけどね。
そう思いふけるうちに場面は、車を降りて体育館に向かう場面になっていた。
『これが、体育館っていう建物?』
『そうだ。ここで毎週の土日に練習を行っているんだ。』
『へえ、いいなあ。』
『悠志も、小学生になったらな。』
『いいの?』
『まあ、そこら辺は今日の練習の様子を見て考えればいいんじゃないか。ゆうちゃんが入ってみたいって思えば入ればいいと思うし。特に見る前からいろいろ考えても仕方ないとおじいちゃんは思うぞ。』
『そっかぁ。うん、そうするよ。』
そう言ったところでおじいちゃんに頭を撫でられる。最後におじいちゃんに頭を撫でてもらえたのっていつだったかな。そう思い返してみてもなかなか思い出せない。年を取るにつれて頭を撫でられるのが恥ずかしくなったけれど、今思うと恥ずかしがらずにもっと撫でてもらっていれば良かったとさえ思う。
そう考えているうちにも映像は進んでいく。お父さんは昔から挨拶や礼儀を大事にしていた。それもあってか体育館に近づくにつれてお父さんに挨拶にしに来る当時の僕よりも大きな子たち。懐かしいなあ。中には一緒にプレーした先輩もいるけれど、今はこんな状態だから会いに行っていないんだよな。元気かな。
そうしているうちに父を含め、コーチとチーム全員で練習の準備をしていく。僕とおじいちゃんは、言われた通りに邪魔にならないように体育館のステージの上で座っている。
『集合!』
一番上の学年の子とも思われる声で集合する子供たち。コーチを前に学年ごとに整列しているようだった。
『おはよう。』
『おはようございます!』
『よし、今日も練習を始めていくぞ。怪我だけ無いようにな。うっしゃバスケ楽しむぞ!』
『オー!』
そう言って始まる練習。当時の僕には知らないものばかりか隣にいるおじいちゃんに練習の内容を質問する。全員で声を出しながらストレッチをして、アップをして、基礎練習へ。その後は、1対1や3対3など、集団での練習も増え最後は試合へ。
今まで、おじいちゃんやお父さん相手に練習しているぐらいだけだったから、チームでの練習に憧れを抱いたし、子供の試合ながら始めて間近で見る試合に興奮した。
目が釘付けになっているうちに時間は過ぎていき、練習は終わって片づけをし、各自挨拶をして帰っていく。
場面は帰りの車内へ。
『どうだった?』
『みんなで練習するの楽しそうだった。お父さん、僕も小学生になったらミニバスのチームに入ってもいい?』
『いいぞ。でも、やるのなら、しっかりやれよ。俺は親子だからって容赦しないからな。』
『それは分かってるよ。別に僕もバスケ好きだし。練習を通して上手くなれるならいいよ。』
『フハハハ。覚悟が決まっとるようだな。でも、ゆうちゃん、チームに入るまでにシュートだけはもう少し上手くならんとな。今のままでは笑われるぞ。』
『うう。分かってるよ。もう少し毎日のシュート練習の本数増やしてみるよ。でも、おじいちゃん見ていてよ。』
『当り前じゃろ。孫が頑張っているところを応援しないじいちゃんがどこの世界にいるんだ。ただ、一番はバスケが好きなままでいることだからな。やるのなら楽しみなさい。』
『分かったよ。』
そこで場面は変わろうとしていた。
ごめんよ、おじいちゃん。もう、バスケが好きじゃなくなっちまった。おじいちゃんと約束したのに。もうおじいちゃん亡くなった後だから知らないかもしれないけれど、バスケできない体になっちゃったんだ。天国で見ているか分からないけど。それから、人がバスケを楽しそうにやっているのを見ることが出来なくてさ。情けないよね。ごめんね、約束守れなくて。