08.沈黙は金?そんなのはマトモに喋れるようになってから言いやがれ その一
「うー」
翌日の朝、俺は布で包んだお弁当を玄関先のアリシアに手渡していた。
弁当の中身はいつもと同じ、少しの干し肉と硬いパンを布で包んだだけの簡単なモノ。アカツキの記憶を探って、アリシアに違和感を抱かれないように出来るだけ同じものを揃えたつもりだ。
「あらアカツキ、お弁当ありがとう。でも貴方はまだ病み上がりなのよ?無理しないで良いからね?」
「あう……」
アリシアは腰ベルトに剣を収めつつ、いつものように弁当を受け取った。そして、少しだけ普段より元気の無さそうな笑顔をしつつ、俺の頭を優しく撫でてくる。
「さて、じゃあ行って来るわ。……ごめんなさい、一緒に居て上げられなくて……母さん、きっと今日も夜まで帰って来られないから……」
「うー」
出かける寸前、アリシアは玄関先で振り向いて申し訳無さそうな顔をした。
俺はそんなアリシアに向けて、いつものように手を振って見送った。
俺はこの毎朝のやり取りをアカツキの記憶を読んで知っていた。今の俺はアリシアにバレ無いよう、アカツキを演じているに過ぎない。
アリシアは村の薬草師で、日が落ちるまで村の外で薬草を採取して、それを売って生計を立てているらしい。アカツキに父親は居ない、母子家庭だ。
いくら薬草の知識があったとしても、年頃の息子を母親のアリシア1人で養っていくってのは楽じゃないのだろう。夜まで採取作業で忙しくて帰って来られないのも納得する。
〈さて、次は掃除か。しっかし息苦しいな……あと何か常に熱っぽいし……〉
俺はこの身体になってから慢性的な息苦しさを感じていた。おまけに息苦しさだけでなく風邪を引いているかのような微熱っぽさや軽い目眩まで付いてくる。
この身体、とてもじゃないが健康体とは程遠い。そしてこの体調不良がアカツキの死因に繋がったのは明白な訳で。
俺は身体の異常を感じつつも、アカツキの記憶を頼りに彼の日常をトレースする。
壁に立てかけてある箒を手に取り……
〈箒がデカい……いや、俺が小さいのか〉
俺は自分の身長より大きな箒をヨッコラと持ち、ふらつきながらも床の掃除を……
「ヴッ……ケホッケホッ……」
箒で床の掃除を始めた途端、宙を舞った埃が俺の喉に張り付いて来て、呼吸を乱してきた。
手放した箒がバタンと倒れ、余計に埃が舞う。
「ケホッケホッケホッケホッ……」
〈やっべぇ……これ死ねる……〉
俺は床に蹲って暫く咳込み続ける。
咳込みによる呼吸困難は予想以上に辛く、冒険者をやってたハズの俺が命の危険を感じる程だ。
『このたわけが、掃除くらいで何をやっている?』
人が呼吸困難で苦しんで居るってのに、この竜王は早速他人事のように脳内で文句を言い始めた。
「ヴヴッ……ケホッケホッケホッ……」
俺は竜王につい口で文句を言ってやろうとして、更に強く咳き込んでしまった。
この身体、普通にやろうとしている事が出来ない。
〈しんどい!この身体!予想以上にしんどいんですけど!?〉
『おおっ?そんなにか?』
〈そうだよ!死ねる!日常生活で普通に死ねるんだよ!この身体!〉
『う、うむ……』
俺は咳込みつつ脳内で竜王に訴えた。俺だってまさか掃除一つでここまで苦しむとは思っていない。
この辛さはアカツキの記憶を読み取っただけじゃ実感出来なかった。体験してみてやっとわかる、百聞は一見にしかずってヤツだ。それにしたってこれは酷いが。
「はっ……っ……はっ……はっ……」
暫く咳き込んだおかげか、やっと呼吸が落ち着いてきた。
俺はふらつきながら立ち上り、涎だらけの口元を袖で拭った。
〈キッツいわ……よくこんなんで今まで生きて来れたな……アカツキ……お前すげえよ?〉
俺はボロい木造家屋の天井を見上げながら、脳内でアカツキを賞賛する。これは嘘偽り無い本音だ。
俺は早々に掃除を諦め、少し早めの昼食を取ることにした。
まだほとんど動いていないが、それでも腹は減るのだ。
~~~
「んー」
俺は、テーブル前の椅子に座り、昼食を取り始めた。
昼食のメニューは、冷えた硬いパンに、前日にアリシアが作った冷えたスープ、あとは塩っぱい漬け物が少々。何とも質素だが、これがこの一家の普通の食事らしい。
……正直言って質素を通り越してド貧乏だ。肉も魚も付いておらず、冷えたスープには申し訳程度に豆が浮いており、漬け物の野菜も申し訳程度の量。こんなんじゃ、味も栄養バランスも全く期待できない。
〈量もたったこんだけ……まあ贅沢は言えないけどさ……〉
俺は貧相な食事内容に落胆する。
本来なら、俺はアウル達と共に自分で作った温かいビーフシチューをハフハフ言いながら口にかっこんでいるはずだったのだ。それがなんでこんなところで冷えた飯を食わなきゃならんのか?
しかし文句ばかり言っていても状況は好転しない。
俺は硬いパンを千切って、冷えたスープに付けてふやかしながら食べ……
「……んぶっ……えぼっえほっ……ケホッケホッケホッ……」
飲み込もうとしたパンが喉に詰まり、俺は思いっきりむせた。せっかく口に運んだパンがビチャビチャとスープに吐き出されてしまう。
非常にもったいないが、だがこれをしないともっと苦しむとアカツキの記憶が教えてくれている。
〈死ぬ!普通の食事で死ぬんですけど!?〉
『……いくらなんでも少し大袈裟であろう?』
〈大袈裟じゃねーよ!?真面目に死ねるんですけど!?代わるか!?一回この身体体験してみろよお前!?〉
『い、いや、止めておこう……』
俺は相変わらず他人事の竜王に脳内で訴えつつ、汚れてしまった自分の服を近くにあった布切れで拭う。
「ケホッケホッ……」
〈食事をすんのも命懸けかよ……アカツキやっぱお前すげえって……〉
俺はむせ込みながらまたアカツキを賞賛した。
俺はアカツキの事をただの病弱な少年だと思っていたが、どうもこれは考えを少し改めなければならない。
大人の俺がこの程度でもう弱音を吐いているってのに、アカツキはこの日常をもう十何年も続けていたのだ。
アカツキは生きることに全力を掛けていた。こんな身体でも、最期まで生きることを止めようとはしなかった。もっと生きたかったと言うアカツキの想いが、また俺の心を揺さぶってくる。
そのガッツは純粋に尊敬するし、同時にそんなアカツキの人生と身体を乗っ取ってしまっている事に同情と罪悪感も感じる。
……とは言え、今の俺がどうこう出来る訳でもない。もうアカツキは死んでしまったのだ。今は俺が生きることを優先しよう。
俺はより一層慎重に食事を再開した。
「……ふぅ……ん?」
何とか昼食を平らげたところで、テーブルに置かれている小瓶が視界に入った。
〈あれは、アリシアが作った飲み薬だっけ?〉
俺は小瓶を手に取り、キュポっと蓋を外して中を覗く。中に入っているのはペースト状になった薬草だ。
〈へぇ?ハーブ……おっ?リブレスミントじゃねーか。こりゃあ確かに喉には効くな〉
俺は薬草の匂いを嗅いで、すぐにこの薬草が貴重な物であると感づいた。
リブレスミントは天然の魔術的作用を持つ薬草で、呼吸器系の疾患に非常によく効く。ただ高山や絶壁の崖みたいな過酷な生育環境でしか育たず、非常に入手困難なのだ。この薬草が市場に出回るのは稀で、大抵は王族や高位の貴族に買い占められて終わる。
これを手に入れられるって事は、アリシアの薬草師としての腕は本物なのだろう。
「んー」
さっそく俺はキュポっと小瓶の蓋を開け、中身を少し指で掬って口に含んだ。
「ん……んー……」
リブレスミントの爽やかな香りが鼻を突き抜け、スーッとした感覚が俺の呼吸の苦しみを和らげていく。
「んー……はー……あー……」
〈おー、こりゃあ良い〉
俺はリブレスミントの薬効に感動し、つい声を漏らした。
しかし、如何に貴重な薬草と言えども薬の効果自体は一時的なモノだ。すぐにまたあの息苦しさは戻って来るだろう。
〈まあでも……これがあれば多少はマシになるかもな?……あっ?〉
俺は小瓶の蓋を閉めながら、ふと思いついた。
『どうした闇魔術士?』
〈いや、無詠唱がダメでも、もしかしたら短縮なら……あと一文字捻り出せれば……〉
『どういう事だ?何を思いついた?説明しろ闇魔術士』
〈ちょっと待ってろ〉
俺は脳内の竜王にそう返事をして、台所から鍋持ってきてテーブルの上に置いた。
『鍋など持ってきて、どうするのだ?』
〈まず鍋に水を入れる〉
俺は竜王に答えつつ、水瓶を持って鍋の中にジョロジョロと水を注ぐ。
『……それで?』
〈そしてお湯を沸かす〉
『……ふむ?』
〈ふむ?じゃねーよ、お前が沸かすんだよ〉
俺は未だに他人事のような事を言っている竜王に言い放った。
すると竜王は俺の脳内でポカーンとした顔を見せてくる。
『……なんだと?貴様、竜王である我に雑用をしろと言うのか?』
〈文句言うな!魂が癒着してんだぞ!?もし俺が死んだらてめえも死ぬんだろうが!?成り行きとは言え俺達は今や運命共同体なんだよ!少しは手伝えや!〉
俺は脳内声を張り上げて竜王を批判した。
この竜王、未だに自分は傍観者ですみたいな気分でいるらしい。だが今俺が言った通り、俺と竜王の魂が癒着している以上、俺の死は竜王の死を意味する。共に一蓮托生の身、呑気に傍観者してる余裕は竜王にも無いハズだ。
『ぬ、ぬう……一理ある……』
〈だろ!?だったらホラ!輝閃弾でもなんでも良いから出して、鍋の水を沸かすんだよ!〉
『し、仕方あるまい……』
〈あっ!ちゃんと威力は調整しろよ!?この家に鍋なんてこれしか無いんだからな!?〉
『ええいっ!いちいち煩いぞ!それくらい分かっておるわ!』
竜王は俺に囃し立てられ、しぶしぶ指示通り魔術を詠唱し始めた。
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