53.沈黙の少年は触手を駆る その一
先生が地下洞窟ダンジョンに消えてしまってから、1年が経った。
僕は明日、1つ歳を重ねて、16歳になる。
あの日、僕は崩れ行く地下洞窟を抜け、母さんとセレスティアさんと一緒にノマリ村へと逃げ帰った。
ゴブリンの巣とティレジア教団の壊滅を聞いた村の皆は、僕達の事をとても心配していてくれて、怪我の手当てや食料の差し入れ、服や装備をくれたりして、凄く親切にしてくれた。
母さんは村の皆から、ゴブリンを退治した英雄だって讃えられて、感謝されていた。
僕もセレスティアさんも、同じように沢山の人達から感謝された。
……だけど、僕の心は晴れない。
だって僕はあの場にいて、何も出来なかったから。先生たちが居なかったら、僕は今頃生きていなかった。
先生たちが消えてしまった事で、僕の心にはぽっかりと穴が空いてしまったような気がする。
本当に称えられるべきなのは、先生と、竜王さまなんだ。
そんなモヤモヤした思いを抱きながら、僕は今日も、先生を探して森を彷徨う。
~~~
僕は、先生が最後にいた大空洞へと向かった。
と言っても、地下洞窟ダンジョンは崩れ去り、大空洞への入り口は閉ざされていてもう何も無い。
元々あったゴブリンの巣や、大樹の木の洞どころか、大樹そのものが、ダンジョンの崩落に巻き込まれて無くなっていた。
それでも、僕は行かずには居られなくて。
「先生……」
僕は宙を見上げながら呟く。
大樹の跡には、もうあの巨大な触手の化物はいない。
先生たちの姿も無い。
ただ、大樹の跡の周辺には、ところ狭しと闇夜暴狂が展開した異空間が残っている。
時折、異空間からあの暗闇の手がひょっこり出てくる事がある。まあ何もせずにすぐ引っ込むんだけど。
でもこれは、先生と竜王さまが戦った証だ。
先生たちが、あの邪神を倒してくれた跡。
僕がそんな傷心地味た気持ちで異空間を見上げていたら、森の中で何かの気配を感じた。
「ん?」
その気配が何であるか、先生に教わった魔力感知を駆使して探って見れば……
「……はぁ」
僕は溜息を吐いた。ああ、こいつらか、と。
見知らぬ気配に少しだけ何かを期待していた僕は、勝手に落胆し、気分を害された気持ちになって、渋い顔をして振り向く。
「ギッギッギッ……」
「ギッヒヒ……」
そこに居たのは、手斧と弓矢を持った二人組のゴブリン。
何とも汚らしい装いで、生意気にも弓矢の切っ先を僕に向け、嗤いながら僕に敵意を向けて来ている。
「まだ居たんだ」
僕はそう言って腰布に備えた杖を抜く。
握った杖を前に構え、直ぐにでも魔術を放てるよう頭の中で術式を用意する。
それですぐに、ヒュっと風切音が聞こえた。
ゴブリンが僕に向けて矢を放ったんだ。
だけど、僕は臆する事もなく術式を構築し終え、魔術を発動させていた。
「【茨】」
僕の片腕に発生した1本の茨が、飛んできたゴブリンの矢をバシンと地面に叩き落とした。
今更、矢の1本や2本飛んできたところで驚きはしない。
あの時、先生に任されて邪神の大量の触手を捌いた経験に比べれば、ずっとずっと楽。
「ギィッ!?」
「ギギ!?」
ゴブリンたちは矢を落とされるとは思っていなかったらしく、驚いていた。
何も対した事はしていない。そんなに驚くような事じゃない。
僕はそう思いながら、
「うーん、まだ遅い……」
と、ポツリと呟いた。
矢を叩き落とした事じゃない。魔術の発生速度の問題だ。
先生の術式構築はもっと速かった、もっと自然だった。
先生はまるで手足を動かすかの如く、何の前動作も感じさせずに魔術を発動させていた。
僕はまだそれが出来ていない。
でも、先生は言っていた。
毎日コツコツと修練を続けていれば、追いつける、って。
だから、焦らない。
焦らなくて良いんだ。
「反復と継続、地道に、地道に……」
僕はそう自分に言い聞かせるように言いながら、片手を上げ、弓を構えているゴブリンに狙いを定めた。
「茨、貫け」
僕が茨にそう命じたと同時に、茨の先端は僕の腕をシュッと離れ……
「ギャッッ!?」
一瞬のうちに弓ゴブリンの喉を貫いた。
弓ゴブリンの断末魔と共に、ビシャっと森の木々にゴブリンの汚らしい血が飛び散る。
「まず1つ」
僕は淡々と言いながら、次の目標へと手を向ける。
「ギギギッ!?」
手斧を持ったゴブリンは、一瞬遅れて弓ゴブリンが死んだ事に気付いたようだ。
弓ゴブリンはとっくに消滅し、戦利品の小さな魔紫石に姿を変えている。
恐らく、この手斧ゴブリンは僕の茨の切っ先を目で追えなかったんだろう。
でも、先生の触手はもっと速かった。
音よりも速く、鞭のようにしなやかに、風を切って自在に動いていた。
それも1本だけじゃない。
僕は見た。あの日、邪神と戦った時に先生が見せた本気の魔術を。
先生は百数本の厄介者の手を、全て同時に、指先よりも繊細に動かして見せた。
あの時、僕は先生の厄介者の手を一時的に借り受けて操ったが、先生のように多数の触手を満足に動かす事は出来なかった。
魔術の多重処理に、思考が追いつかなかったんだ。
あれから1年、僕はずっとあの時の感覚を追いかけて鍛錬を続けてきたけれど、未だに先生の触手と同じように茨を操る事は、出来ていない。
僕はまだまだ、先生の足元にも及んでいない。
「もっともっと、修練しなきゃ……」
そんな事を呟いていたら、手斧を持ったゴブリンが僕に背を向けて一目散に逃げ出し始めた。
「ギヒイイーッ!」
「あれ?逃げちゃった?」
僕は悲鳴を上げて逃げていくゴブリンを見ながら、手を降ろす。
追いかけて倒しても良かったんだけど、今日はそんな気分じゃない。
「まあ、ゴブリン一匹なら村の自警団に任せちゃってもいいかな?」
僕はそう言いながら、片手の茨を解除し、握っていた杖を腰布に差し戻した。
1年前のあの日、邪神との戦いを終えてノマリ村に帰った後、母さんが1人で村周辺のモンスターを退治していた事が村の皆にバレた。
原因はセレスティアさん。
母さんが村長さんに邪神とティレジア教団の説明をしている時に、セレスティアさんがポロっと口を滑らせたんだ。
今まで何も知らなかった村長さんは、セレスティアさんの話を聞いて凄く驚いたけれど、すぐに村で自警団を作る事に決めたらしい。
村は自分たちで守ろうって、母さんばかりに頼っては居られないって。
そんな村長さんの話を聞いた母さんは、最初は危険だから自分に任せておけば良いって止めたんだけど、村の若い人たちに剣術を教えて欲しいって真剣に頼まれて、断りきれず了承したみたい。
でも今は、凄くイキイキとした顔で村の皆に剣術を教えている。
元聖騎士団教官の血が騒いだんだろうか?母さんは村の若い人たちに中々厳しい稽古をしているようだけど、不思議と脱落者は居ないって。何でだろうね?
そんな訳で、僕はゴブリン見逃すつもりだったんだけれど……
次の瞬間、ゴブリンが逃げ込んだ方向から蜂蜜色の光が輝き出した。
そして輝きと共に、バキバキと森の木々をなぎ倒しながら大きな何かが出現した。
「……うわ、琥珀魔石持ちだ、まだ残ってたんだ?」
僕は少し驚きながら敵を見上げる。
現れたのは、巨躯の金属製の魔物。
1年前のあの日、先生たちが邪神と戦う前に遭遇した、大きな斧と盾を持った巨大な体躯の鋼鉄のモンスター。
鎧の胴体部分には、ティレジア教団の証である不気味な"閉じかけ瞳"の紋章が刻まれ、頭部の兜からはゴブリンの目玉と口だけが飛び出した異様な姿。
アイアンゴーレムとゴブリンの合体した、"ゴブリンゴーレム"だ。
ゴブリンゴーレムは、この1年で全滅したハズだった。
ノマリ村にセレスティアさんの報告を受けた聖騎士団がやってきて、徹底的に琥珀魔石持ちのゴブリンを排除したんだ。
だけど、どうやら完全には排除し切れて居なかったみたい。
「まあ、セレスティアさんのやることだからなあ……」
僕はセレスティアさんの詰めの甘さに苦笑いする。
あの人、悪い人じゃないんだけど、やっぱりちょっとポンコツだと思う。
そんな事を思っていたら、ゴブリンゴーレムは僕を見下ろしながら、
「ギャッギャッギャッ!」
と勝ち誇ったように笑い、大きな斧と盾を構えてゆっくりと近付いて来た。
「ムカつくなアイツ……」
こっちを見て嘲笑する敵に不機嫌になった僕は、ムッとした表情で悪態を吐いた。
どうやらアイツ、あの姿なら負けない思っているらしい。舐められている、ってやつ。
確かに、ゴブリンゴーレムは、一般の人、例えば村の自警団なんかだと対処のしようが無い相手ではある。
このまま放っておけば、村に被害が出るかもだ。
勿論、そんな事は母さんが許さないだろうけど。
でも僕は魔術士だ。
闇魔術士バクタ・ナガラに師事を受けた、1人の魔術士。侮って貰っちゃ困る。
それに、先生の教えを受けた今の僕を嗤うと言う事は、先生の教えを嗤ったって事だ。
こんなモンスターが先生を嗤うなんて、そんなのは僕が許さない。
「じゃあ、目にもの見せてやろうっかな」
僕は不敵な笑みを浮かべながら、また杖を腰布から取り出し、ギュッと握って戦闘態勢に入った。
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