51.邪神ティレジア その四
「母さんっ!先生がっ!先生がっ!」
「ダメよっ!走りなさいアカツキっ!」
「ううっ!アリシア教官〜!触手はもうイヤです〜!」
「セレス!貴女はさっさと正気に戻りなさいっ!」
私は、背負われたまま愚図る元教え子に喝を入れつつ、恩師に加勢しようと大空洞に戻ろうとする息子の手を無理やり引きながら、地下洞窟ダンジョンの出口に向かって走っていた。
時折、ズシンと洞窟全体が揺れ、このダンジョンの終わりが近いことを知らせてくる。
恐らく、私たちを逃がすために大空洞に残った彼が、ナガラ先生が、あの邪神と戦っているのだろう。
思えば、彼とは不思議な出会いだった。
息子の、アカツキの身に宿った不思議な人。
最初は、彼のことをアカツキの姿を奪った悪霊の類だと思い、剣を向けたこともあった。
だけどそれは私の思い込み。
彼は一度死の世界に落ちたアカツキを蘇らせ、私がどんな手を尽くしても直せなかったアカツキの喉をたった一晩で治して見せた。
それに加え、アカツキの魔術士になりたいと言う願いを、魔術の使えない私では到底叶えられない、息子の願いまでもを叶えてくれた。
アカツキと私の、正真正銘の恩人。
私の、私たちの世界を明るく照らしてくれた人。
可笑しいわよね?彼は闇魔術士なのに。私の目には、誰よりも輝いて見えたのよ?
私は彼に何か恩返しをしたかったけれど、私には何もなくて。ただ抱きしめる事しか出来なかった。
こんなおばさんの身体でも彼は喜んでくれたけれど、受けた恩はきっと全然返せていない。
今も彼の献身に命を救われ、息子と教え子と一緒にこうやって逃げている。
セレスは私の事を英雄だなんて呼んでくれるけれど、私はそんな殊勝な人間じゃないわ。
私なんて、剣術しか出来ない、息子の病気1つ治せない、ただの母親。
英雄と呼ぶべきなのは、きっと彼みたいな人。
少なくとも、私にとっては、バクタ・ナガラと言う人間こそが英雄よ。
「だから……だからどうか、どうか無事に……」
もう一度、貴方を抱きしめさせて。
そう願いながら、私たちはダンジョンを抜け出した。
~~~
俺はただ1人……いや、厳密には竜王と魂がくっ付いてるんだから、俺と竜王と、なんだが……右手に暴走する暗闇の手の根元を宿しながら、左手の1本の触手で天井を掴み、大空洞を跳び回っていた。
風に揺れるピンク色のツインテール。可愛い教え子と同じ髪型、同じ顔と格好をして、眼下で暴れる暗闇の手と邪神ティレジアを見下ろす。
俺の身体、魔力体で出来たその身体は、薄っすらと透明になって来ていた。
もう魔力はほとんど残っていない。追加での魔術発動は無理だろう。恐らく唱えた途端に消滅する。左手の触手、コイツが正真正銘、最後の1本だ。
『闇魔術士よ』
「何だ?今更怖気付いたとか言うなよ?」
『たわけ、時間稼ぎだけで良いのか?と問うておる』
竜王の言葉を聞いた瞬間、俺の口元が緩む。
そう、ホントは時間稼ぎで良いんだ。アカツキ達が、この地下洞窟から逃げるだけの時間を稼ぐだけで。
だけど、こう言う時はあえて虚勢を張るもんだって、どっかの英雄サマが言っていたっけ。
だから俺は、竜王に向かってカッコつけて言う。
「ハッ、馬鹿言え、タダの時間稼ぎじゃ格好つかねぇだろ?引っ掻き回して!混乱させて!盤面ひっくり返す!」
『ガハハッ!よく言った闇魔術士ッ!それでこそ我が最期まで付き合う価値があるというもの!』
竜王が笑う。カッコよく。
どうやら最後まで俺の道連れになってくれるらしい。コイツ、意外と義理堅い。
「案外潔いんだな?もっとダダ捏ねると思ってたぜ、竜王サマよ?」
『フン、あまり我を見くびるなよ?』
「最初に戦った時、俺の厄介者の手にあっさり拘束されたクセに?」
『あっ、あれは貴様の魔術が可笑しいのだ!だいたい貴様の触手はなんだ!?我の鉄壁の光輝の盾を容易く無効化しおって!』
「なぁにが鉄壁だ!あんな露骨に鱗をピカピカ光らせてりゃあ、弱点ですって言ってるようなモンだろうが!デバッファー舐めんな!?」
『だから!それをあっさりと無効化する貴様の触手が可笑しいと言っているのだ!なんなのだ貴様は!?』
「知るかァー!俺はただの闇魔術士だっつーの!」
この期に及んで言い争う俺たち。
覚悟は決まってるが、イマイチ格好は付かない。困った相棒だ。
『っ〜!それは兎も角だ!あの邪神は放っておけば成長し、小童達の村にまで影響を及ぼすだろう!我らの命を賭してでもそれは阻止せねばならぬ!』
「はぁー!?そう言うのは先に言えや!どうせ退け無かったんじゃねーか!」
今更重要な事を言い出す竜王。
報連相はきっちりして欲しい、マジで。
一方、地上では暗闇の手と邪神ティレジアの戦いは更に激しさを増していた。
暗闇の手は無数に分裂しながら増殖し続けており、その数は既に数百本にも及んでいた。辺り一面に異空間が広がり、異様な光景に拍車をかけている。
ティレジアも抵抗を続けているが、その体はもうボロボロ。
ティレジアは竜王の放った光のブレスによって"閉じかけの瞳"が焼け爛れて潰れており、ヤツは視界を失っている。
それで見えない代わりにと辺りに触手を伸ばして探るように動かしているのだが、それも暴走する暗闇の手に食い破られ続けている。
ティレジアが巨大な口を歪ませ、苦し気に痙攣している。
しかし、ティレジアが攻撃を止める気配は無い。ヤツは依然として触手を振り回して暴れ回っている。
大方、暗闇の手を召喚した俺でも探しているんだろう。俺を殺せば暗闇の手が止まるとでも思っているんだろう。まあ、ヤツに意志があるかどうかもわからんのだけれど。
さて、俺としては暗闇の手がティレジアを喰い破るのを遠巻きに眺めていたいところなんだが、俺にそんな時間は残されていない。
今の俺は魔力の尽きかけた魔力体、消滅まであと何十秒、いや、何秒持つかな?まさに風前の灯火ってところ。
退いてる時間は無い。
だが、あの邪神ティレジアを放置することも許されない。
アカツキ達の村がヤツに焼かれるのなんて、見過ごして言い訳が無い。
だったら、やれる方法は1つ。
……あ~、こんなの、俺には似合わねえんだけどなあ、なんて、ほんの少しだけ思いながら。
「ああもう!じゃあ行くぞォ!」
『行けいッ!』
俺はヤケクソ混じりに竜王にニヤリと微笑みかけると、眼下で暴れる無数の触手に向けて左手の触手を飛ばした。
俺は最後の1本となった左手の触手を使い、天井からティレジアの元へ向かって跳んだ。
5本、6本、7本と、追ってくる多数のティレジアの触手を躱し、俺はまんまとティレジアの懐に入り込む。
そして俺は叫んだ。
「オラアッ!喰わせてやるよッ!暗闇の手をなァ!」
叫んでヤツの口の中へ、異空間へと自分の右腕ごと叩き込んだ。
次の瞬間、俺の右手がバラバラに分解した。ただの一瞬で俺の右手が手首付近まで無くなった。
当然だ、この異空間は中に入れたモノを問答無用で分解するのだ。
「んギィィッ!」
俺は激痛に呻いた。
右手に手首から先を無理やり引きちぎられたような激痛が走る。いや、ような、じゃなくて実際に分解されてるんだが。
だけど、俺は構わずにそのまま右腕を異空間のもっと奥へと突っ込んだ。
右肘に付いている暗闇の手の大元を、ティレジアの口の異空間に埋め込む為だ。
「イギィイイィィィッ!」
俺は痛みと苦しみで声にならない叫びを上げた。
右腕が肘の辺りまで消えた。だが構わない、構ってられない。
あと少し、あと少しで暗闇の手は異空間に入る。
『どうした闇魔術士よ!もう怖じ気づいたか!?』
竜王が発破を掛けて来る。
「ぐッ!うるせぇっ!好き勝手言いやがって!俺はな!?素敵な思い出の!バクタ・ナガラだぞーッ!」
咄嗟に出たよく分からない言葉を叫びながら、俺は右腕を更にティレジアに口の奥へとねじ込んだ。
すると俺の右腕に宿っていた暗闇の手の根元が、ティレジアの異空間内へと入り込んだのだ。
それを見た俺は、ニヤリと笑い、そして、叫ぶ。
「出てこい気まぐれ野郎共ォーッ!餌の時間だぞォーッ!」
俺がそう叫ぶと同時に、ティレジアの口の中にある異空間から、無数の暗闇の手が出現した。
無数の暗闇の手達は、ティレジアの身体を貫通するように出現し、一瞬でその巨体を蝕んだ。
ティレジアの中心から、まるでウニか毬栗の針の如く、暗闇の手が広がったのだ。
そして一度針のように広がった無数の暗闇の手達が、今度はティレジアの体を覆い始めて行く。
黒い暗闇の手に覆われて、ティレジアの巨木のような身体全体が黒くなっていく。
ティレジアの身体が暗闇の手に絡みつかれ、木の皮でも剥されるように、もぎ取られて行く。
ヤツの触手も同様だ。暗闇の手に絡みつかれ、喰われ、もぎ取られて、異空間の中へと連れ込まれ、一瞬内に分解されていく。
ティレジアはまるで悲鳴のような大きく響く音を鳴らしていた。
ヤツは抵抗しているが、無数の暗闇の手達は知ったことかと容赦なくその巨体を貫き、食い尽くしていく。
どうやらヤツも痛いらしい。
ああそうだろうとも。まあ俺も死ぬほど無くなった腕が痛いんで、痛み分けってことだろう?
やがて、ティレジアの身体が崩れ落ち始めた。限界を迎えたらしい。
ボロボロと崩れていくヤツの身体は、まるでドス黒い血の様だった。
「勝ったぞっ!」
俺は勝利を確信し、宣言した。
しかし、それと同時に俺の身体が透明になり始めた。
どうもこっちも時間切れのようだ。魔力体の消滅、魂が消え始めたんだ。
大空洞が大きく揺れる。
大空洞の巨大な柱となっていたティレジアが崩れた事で、地盤が不安定になったんだろう。
パラパラと小石が落ちて来ている。
間もなく、この洞窟は崩落する。
ああそうだ、こういうのは決まってボスモンスターごとダンジョンが消えるんだ。
お約束ってやつだ。
……アカツキ達、上手く逃げられただろうか?逃げられていたらいいな。
「疲れた……」
俺は地面に仰向けに倒れ込み、天井を見上げていた。
視界が白く染まっていく。
意識が薄れていく。
身体が、魂が消えて行く。
「……やだなあ、死ぬの」
崩れ行く天井を見上げながら、俺はポツリと呟く。
魂が消えてしまえば、もう蘇る事は出来ない。
魂が消えてしまえば、アカツキの身体に宿った時みたいに、転生する事だって出来ない。
素敵な思い出のみんなにも、アリシアにも、セレスティアにも、アカツキにも、もう2度と会えない。
「やだなあ……やっぱり、死にたくねえなぁ……死にたく……ないなあ……」
そう言いながらも、視界がぼやけて、薄れていく。
『闇魔術士よ』
竜王が俺を呼んでくる。
いつの間にか竜の姿に戻って俺の隣に立ち、どこか威厳のある、凜とした声で、俺を呼んでいた。
「何だよ……?」
『……大義であった』
「……そりゃどーも」
俺は隣に立った竜王を横目で見ながら、素っ気なく返事をした。
こんな今際の際に、たった数日一緒に過ごしただけのドラゴンに労われたところで……まあ、少しは気は紛れた……かな?
そんな思いを最後に、俺は光となって消えた。
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