48.邪神ティレジア その一
俺たちは礼拝堂の先にあった薄暗い空間に放り出された。
それで俺はてっきり硬い床に叩きつけられると思っていたのだが、いつまで待ってもその衝撃は来ず、それどころか俺たちの身体は何故か宙に浮いていた。
「うおおっ?ん?何だ?」
(うわわっ!?何か巻き付いてっ!?)
アカツキが戸惑いの声を上げる。
よく見れば、俺たちの身体に何本もの触手が巻き付いていた。
「おっ?触手だねえ?……って、なんだここ?」
俺は触手に巻き付かれながら顔を上げる。
隠し通路の先の部屋は、部屋と呼ぶにはあまりにも広すぎる大空洞だった。
壁が薄っすらと光を放っている。ヒカリゴケだろうか?
さっき触手に引っ張られている最中にセレスティアの照明魔術が消えてしまって暗いのだが、闇魔術士である俺は暗闇に耐性があり、この程度の弱い光でも周囲の状況がよく見える。
「……なんだ、アレ?」
俺の視線の先には、見た事も無い程の大きさを誇る触手の化け物がいた。
この触手の化け物は、洞窟の壁面を覆い尽くし天井から床を繋ぐ柱のようにして鎮座していた。
恐らく、アレが俺たちを襲っている触手の親玉だろう。
「な、何よコレっ!?気持ち悪いっ!」
「ひっ!?纏わりついて来るっ!?」
アリシアが驚愕の表情を浮かべ、セレスティアが恐怖の声を上げた。
まるで巨木のように太い触手が何本も蠢き、そこから枝分かれした細い触手が伸びて来て俺たちの身体に絡みついていた。
細い触手は俺たち3人を宙吊りにしながら、セレスティアのワンピースの下に入り込み、アリシアの作業服の中にもぐり込み、俺のケープを縛り上げている。
2人はなんとか抜け出そうと藻掻いているが、触手が手足に絡みついて満足に抵抗することもできない。
『ちいっ!厄介な!闇魔術士!だから言ったであろうっ!』
(ううううっ!?動けないっ!?)
「でっけ……」
怒鳴る竜王と困惑するアカツキを余所に、俺は触手の親玉を見て思わず呟いた。
とにかく大きい。大きすぎる。こんな生物は見たことが無かった。元の姿の竜王よりも大きい。もう洞窟と言うより、触手の親玉の腹の中と言ったほうが正しいぐらいだ。
そして、極めつけがあの巨木の如き柱のど真ん中に在る不気味な"閉じかけの瞳"だ。ああ、あれだけ目立ちゃレリーフにもしたくなるわなってくらいの。
(母さん!セレスティアさん!)
「うそっ!?服の中に入ってくるっ!」
「ひっ!?どこを触ってっ!?ひぃんっ!?」
(うわっ、うわっ、うわっ!?)
俺たちは為す術なく、触手の化け物に絡め取られていた。
俺とアカツキの身体中を触手が這い回り、アリシアとセレスティアも同じく身動きが取れない状態で拘束されている。
「こんのぉっ!」
触手の不快感に耐えられなくなったのか、セレスティアがボロボロの剣を触手に向かって力いっぱい振り下ろした。
しかし、損傷した彼女の剣は、パキンと言う金属音を上げて敢え無く折れてしまう。
「ああっ!?剣がぁっ!?そ、それならっ!【輝閃弾】ォ!」
セレスティアは、今度は必死の形相で手のひらから光弾の魔術を放った。
しかし、その輝閃弾は触手に当たるなり何も無かったかのように消滅してしまう。
「そんなっ!?効いてないっ!?き、教官、助けてくださいっ!?」
光の魔術が効かない事を悟った彼女は悔しそうに顔を歪ませながら、アリシアに助けを求めた。
「ダメっ!?この触手も切れないっ!?」
「ええっ!?」
アリシアの悔しそうな叫びを聞いて、セレスティアが更に驚きの声を上げた。
アリシアは闘気剣で触手を斬りつけたのだが、先程の俺の触手のように薄皮1枚切り裂くだけで精一杯で、それ以上斬り込めなかったのだ。
「ふーむ?この触手、俺の触手と同じで、光る闘気や魔術を消失させる性質があるっぽいですね?つまり、闘気剣を操るアリシアさんと、光魔術を使うセレスティアには天敵みたいな存在という……」
「ナガラ殿!呑気に解説してないで抵抗して下さい!」
俺がセレスティアに怒鳴られていると、より触手の密度が高い奥の暗がりに、人の気配がする事に気付いた。
(だ、誰か居ますっ!?)
アカツキも気付いた様子らしい。
「んんんーっ?あれは……?」
俺は触手に巻き付かれながら目を凝らすと、暗闇の中に俺たちと同じ様に、触手に巻かれている何者達がいた。
その連中は、松明の弱い光に照らされながら、黒いローブを着て、フードを深く被っていた。
連中の顔は見えなかったが、口元しか見えない連中は、狂気に満ちた笑みを浮かべている。まるで何かの快楽に溺れているような、恍惚とした表情だった。
「あれは、ティレジア教団、かしら……?あっ?なに……?この化け物、は……?」
「じ、じゃあ、アレが邪神ティレジアッ!?ひいっ!?」
アリシアとセレスティアも触手の親玉の存在に気付いたらしい。
圧倒されたように語るアリシアに、時折悲鳴を上げながら忌々しげに呟くセレスティア。
その声に反応したのか、触手の奥にいた教団の信者たちが一瞬こちらを見た。
信者たちの目は血走っており、明らかに正気では無い様子だ。
「ティレジア様……どうか我が身を、終焉の火に捧げる喜びを……」
信者の男たちは狂気に満ちた声で祈りを捧げ始めた。
俺はその異様な光景に思わず眉をひそめる。なぜかと言えば、信者たちのローブの下からは、明らかに女物の下着がちらりと見え隠れしていたからだ。
「……なんであのおっさん達、女装してんだ?」
『あ゙ーっ!?気色の悪い!闇魔術士ィ!?貴様ぁ何を呑気にしておるかぁっ!?』
「いや、だってアレ明らかに可笑しいじゃん?だって、いい歳こいたおっさん共が、ローブの下にブラジャーにパンティ着込んでるんだぜ?どう見ても変態だぞあれ?」
(先生っ!触手!触手がーっ!?これ気持ち悪いですーっ!)
竜王とアカツキが触手の触感に悲鳴を上げているが、比較的触手の感覚に慣れている俺は、遠くの信者達の方が気になっていた。
「うっ!あっ……あああっ!」
と、突然、うめき声と共に信者たちの身体が異様な変化を見せ始めた。
彼らの筋肉質な腕が徐々に細くなり、骨ばった体つきが滑らかに変わり始める。うっとりとした表情を浮かべる信者たちは恍惚とした声を上げながら、その体を邪神の力に委ねていく。
「ティレジア様……この肉体を、どうかそのお力に染め上げてください……」
信者たちの胸元が膨らみ、しなやかな曲線が現れる。
急に髪が伸び、荒々しい顔の輪郭も次第に女性らしい柔らかさを帯び、まるで時間を巻き戻されたかのように女体化していく。
オッサンだったはずの姿が変わり果て、彼らはティレジアの名を唱え続けながら、うら若き女性の身体に生まれ変わったのだ。
「う、うっそぉ……!?女になった?さっきまでオッサンだったのに?」
俺はその光景に言葉を失った。
さっきまで女物下着姿の変態集団だったものが、今や下着姿の美女集団に早変わりだ。驚くに決まってる。
「ウフフフ……」
「アハハハ……」
それで信者たちはチラリと艶かしい視線を俺たちに向けて、見せつけるような狂信的な微笑みを浮かべてきやがった。
君たちもどうだい?とでも言いたげなその目。いえ、お断りします。
「ティレジア様……この肉体と魂を、どうかあなたの御手に……」
信者たちは、触手に巻き付かれたまま、狂気と恍惚に満ちた表情で邪神を讃え続け、 祈りの声は次第に歓喜の叫びへと変わっていく。
「皆あれ見て見て、あそこのオッサン達、皆女に変わっちゃったんだけど?」
「だからナガラ殿ぉ!冷静に観察していないで抵抗してくださいっ!ひぃんっ!?やだぁっ!?気持ち悪いぃっ!?」
「大丈夫、俺は慣れてるから!」
「ナガラ先生っ!?慣れてるとかそういう場合ではないでしょっ!?ひゃああっ!?もうなんなのよぉっ!?」
ドヤ顔サムズアップする俺の横で、セレスティアとアリシアが触手に揉みくちゃにされ涙目になりながら叫ぶ。
まあ気持ち悪いよねえ?でも俺は平気、だって触手使う側だもの。色々試してる内に、まあ慣れた慣れた。まあこの辺は触手に対する経験値の違いってところか?それはさておき。
「ティレジア様!どうか、この穢れた肉体を浄め、新たな器へと変えてくだされ!我らを至福の終わりへと導きたまえ!」
信者の元オッサン、今や美女に変わった1人が恍惚とした声でそう叫ぶと、邪神ティレジアの口と思われる箇所がパックリ開いた。
その箇所……と言うか空間を見た俺は、見覚えのある光景に驚きの声を上げる。
「あ゙ーっ!?あれ暗闇の手の異空間じゃねーか!?」
邪神ティレジアの口内に広がっていたのは、俺が闇夜暴狂で暗闇の手を召喚した際に発生した、真っ暗闇の異空間だったのだ。
「あっ?」
驚く俺の見ている前で、邪神の触手が動き、異空間の中に信者の1人を放り込んだ。
「喰ってる、のか?」
目を凝らして見ていると、案の定、彼?の身体は異空間に触れたとたんにまるで霧散するかのように細かく分解されていき、 無数の断片となって闇の中に消え去っていく。
それでも、 彼?はその最後の瞬間まで 幸福に満ちた表情を浮かべ、
「ぁぁぁ……ティレジア様の中で、我が肉も魂も、一つに溶ける……溶けて逝くぅ……」
と恍惚の吐息をこぼしていた。
「……おいおい?何がそんなに嬉しいんだ?喰われてんだぞ?」
困惑する俺を余所に、他の信者達も次々と異空間に飲み込まれていく。
だが、どいつもこいつも恍惚の表情を浮かべ、
「ティレジア様ぁ……」
「あぁ……」
「この新たな姿で……神と共に……」
「逝くぅ……これが、至福の終わり……」
と、熱っぽい声を上げて、触手によって異空間に投げ込まれ、そしてバラバラになってその命を散らしていく。
「なぁにあれぇ……」
戸惑いの声を上げる俺。
邪神とやらに身体ごと喰われておいて、死の淵まで悦んでいるのは、気が狂っているとしか思えない。
そんな彼らが次々と邪神に喰われながら、歓喜に満ちた表情で、教義を説くように声を上げ始めた。
「この肉体を変えることで、我らは穢れを捨て去り、ティレジア様の純粋なる器となるのだ!これこそが至福の姿、終焉に向かう我らの証!」
「性を越え、新たな肉体に生まれ変わり、清らかな器として神に捧げられる……ティレジア様に抱かれ、真の安息を得る時が来た!終わりの瞬間、我らは神と一つとなる!」
異空間に吸い込まれていく中、信者の一人が笑みを浮かべたまま、俺たちにも聞こえるように叫んだ。
「お前たちもいずれ気づくだろう……終末の訪れこそが救いなのだ。この新たな姿で、ティレジア様の元で全てが終わり、そして全てが始まる!」
そして、そんな彼?も異空間に触れた瞬間、肉体がばらばらに分解されていく。しかし最後まで、幸福と狂気が入り混じった笑顔で呟き続けていた。
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「全てが終わり、全てが一つに……ティレジア様の御元で……永遠に……」
その言葉と共に、邪教徒の彼ら?は闇に呑み込まれ消え去った。残されたのは、邪神ティレジアことクソデカい触手の化け物と、ソイツの触手に絡まれてる俺たちのみ。
「うげぇ〜、終末思想ってやつ?やっぱカルトは怖いねえ……」
(せ、先生っ!?呑気に見てる場合じゃないと思いますっ!?)
『何とかせんかぁ!たわけぇっ!』
「教官っ!教官っ!?こ、こういう時どうすればいいんですかあっ!?」
「お、落ち着きましょうセレス!こ、こう言う時は……ひゃんっ!?こ、こらぁっ!そこは駄目よぉっ!」
呑気に邪教の儀式の感想を言う俺とは別に、アカツキと竜王と、アリシアとセレスティアの4人が叫ぶ。
アリシアの何とも艷やかな声を聞けて、俺はちょっと満足している。うん、奥さんの艷声、イイネ!いや、そんな事を思ってる場合じゃねえ。
あの信者達が全員喰われたって事は、次はつまり俺たちって事な訳で。
案の定、邪神がギョロっと眼球を動かし、俺たちに視線を合わせ始めた。
「"閉じかけの瞳"がこっちを見た……?うおっ!?」
(せ、先生っ!?)
俺の身体が触手に持ち上げられ、ゆっくりとティレジアの口が近づかされていく。
アリシアはセレスティアと一緒に触手に絡まれ、身動きが取れないままだ。
マズい、何か対抗策を練らないと。
「ヤッベ、こりゃ喰われる!」
『判断が遅いわぁっ!』
怒鳴る竜王に構わず、俺は思考を巡らせる。
「厄介者の手は乗っ取られるし……沼化阻害はそもそも規模が……幻想誘惑は効くか怪しいし、ってかコイツ精神あんのか?ダメだな精神系は……」
『何をブツブツ言っておる闇魔術士ィ!何か策は無いのかァ!?』
「うるさい、黙っとけ、今考えてる」
竜王がまた俺に怒鳴る。
人が考えてるってのに、普段何もしないクセにうるさいんだよコイツ。
勿論、俺だってただ元オッサン連中が異空間に喰われて行ったのをぼーっと見ていた訳じゃ無い。
カギはあの異空間だ。ティレジアの口に展開している真っ暗闇の異空間。あの異空間は飲み込んだモノを問答無用で分解する。あそこにティレジアをぶち込められれば……勝てる。何故かそんな確信が俺にはあった。
しかし困った事に、俺にはそれが出来ない。
今の俺の触手は、先程から俺の意思とは無関係に蠢き、邪神の触手と一緒になって俺の身体に巻き付いている。
どうもティレジアの触手に捕まっている事で、何かしらの魔術的干渉を受け、俺の術式制御を上書きされているようだ。
「術式を乗っ取られているのであれば……普通の魔術じゃダメだな……他に何か無いか?他に……あっ?」
考え込んでピンと来た。1つだけ手段がある。
要するに、乗っ取っても意味の無いヤツを、俺が制御出来ないヤツを呼べば良いのだ。
「よしッ!一か八かだ!」
「ひいいいっ!?ナ、ナガラ殿!?何がです!?」
「制御出来なきゃ良いっ!」
「はぁっ!?」
セレスティアが恐慌を起こしそうにながら俺に聞いてくる。
俺は彼女に軽く答えてから叫んだ。
「魔術を創る!あの異空間と!俺の厄介者の手と!昨日のアレのイメージだ!」
『何ィ!?』
(えええっ!?魔術を作るって!?)
「何を言ってるのっ!?」
竜王とアカツキ、アリシアの困惑の声。
だが、俺の頭の中には既に1つのイメージが湧き上がっていた。
それは、ティレジアの口に広がる異空間と、俺の持つ厄介者の手の魔術、そこに、昨日セレスティアと戦った際に偶然発動させた暗闇の手を合わせたようなイメージ。
要するに、昨日の闇夜暴狂の術式を、言うこと聞かないあの暗闇の手達を、この場で新たに再現しようって訳だ。
『この土壇場で魔術を作るだとォ!?貴様正気か!?』
「うるせえ!しょうがないだろぉ!?昨日のあの術式、思い出せないんだから!だったら1から作る!無いなら作る!」
(ほ、ホントにそんな事出来るんですかっ!?)
「基礎とイメージさえありゃ出来る!それが魔術士ってモンだ!覚えとけェ!アカツキィ!」
(は、はいっ!)
俺はそう言ってアカツキに見せ付けるように思考を巡らせ始めた。
「イメージは……来たァ!」
俺は頭に浮かんだイメージを元に、新たな術式を構築していく。
俺の両手の先で、魔力が渦巻き始めた。
そして俺はそのイメージを言葉へと、詠唱文へと変えていく。
「術式……構築ヨシ!詠唱文……生成ヨシ!うっしゃあ!これで行くぞ!」
そう叫ぶと、俺は両手を前へと突き出し、詠唱を始めた。
「暗黒の大天使アスモデに願う!深淵の彼方に潜む虚無の申し子達よ、その手で空を裂き、其の腕で現世を蝕め!【闇夜暴狂】!」
俺がそう叫んだ瞬間、俺を中心に禍々しい魔法陣が出現し、間もなく俺の背中から一斉に多数の闇の触手が飛び出した。
そして闇の触手の先端がまるで人間の手のように変化し、俺に纏わりついているティレジアの触手をブチ破りながら、指先をゆっくりと俺の目の前の空間に食い込ませていく。
「よっしゃあっ!闇夜暴狂!成功だァ!」
土壇場での一か八かの魔術が成功し、俺はガッツポーズした。
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