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第9話:花火の季節(恋愛もの)

 昭和二十年代の夏、夜空にはじける花火の音が町中に響き渡っていた。浴衣姿の人々が笑い声をあげながら川沿いに集まり、あたりはざわめきと活気で溢れている。その中に、美智子もいた。


 当時十八歳の彼女は、紺地に小さな朝顔の柄が散らされた浴衣を身にまとい、肩越しに風になびく黒髪が涼しげに揺れていた。普段は控えめな性格の彼女だったが、この日は特別だった。友人に誘われ、花火大会に来ることを決意したのだ。


「みっちゃん、あっちに焼きそばの屋台があるよ!」


 親友の節子が笑顔で声をかけると、美智子も思わず笑みをこぼした。「じゃあ、行ってみようか!」彼女の声には、普段とは違う高揚感があふれていた。二人は人ごみを縫うように走り、屋台へと向かっていった。


 焼きそばを買い、二人で分け合いながら歩いていると、突然、大きな打ち上げ花火が夜空に咲いた。目の前でぱっと開いた火の粉がまるで金色の雨のように降り注ぎ、見上げる美智子の瞳が輝いた。


「わあ、きれい……!」


 思わず声を漏らす美智子の横顔を、誰かがじっと見つめている気がした。ふと横を向くと、少し離れた場所に立っていたのは、隣町から来たという青年、広瀬洋一だった。何度か顔を合わせたことはあったが、話したことはほとんどない。それでも、彼の目がこちらを見つめていることには、すぐに気づいた。


「洋一さん、どうかしたの?」


 気がつけば、美智子は自分から声をかけていた。普段なら決してできないことだったが、花火のせいか、心が大胆になっている気がした。洋一は少し驚いたように目を見開き、それから照れたように笑みを浮かべた。


「ああ、いや……その浴衣、似合ってるなと思って」


 その一言に、美智子の顔がぱっと赤くなった。夜の暗さに紛れてわからないと思っていたが、胸の奥が不思議な熱で満たされていくのを感じた。


「ありがとう……」


 美智子は、照れ隠しに口元に手を当て、そっと微笑んだ。彼の視線が何となく気恥ずかしくて、ふいに歩き出したくなり、「少し一緒に歩きませんか?」と彼を誘った。二人は川沿いをゆっくりと歩きながら、他愛もない会話を交わし始めた。


 洋一は、都会での仕事に憧れていて、いずれは東京に出るつもりだと話してくれた。美智子はそんな彼の夢を聞きながら、眩しいような気持ちで彼を見つめた。自分とは違う世界を見つめる彼が、とても遠くに感じられる一方で、何かに引き寄せられるような気持ちも抱いていた。


「美智子さんは? これからどうしたいとか、あるの?」


 ふいに問われ、美智子は少し考えた。自分の将来について、具体的に考えたことはほとんどなかったが、その時、素直に胸に浮かんだ想いを口にした。


「……私は、誰かと一緒に、笑い合って生きていけたらいいなって思うの」


 その言葉を聞いた洋一が、少し驚いたような表情で美智子を見つめた。彼の瞳には、まるで彼女の内面を深く覗き込むような光が宿っていた。


「いいな、それ。俺もそんな風に思える人が見つかるといいな」


 その一言が、まるで告白のように美智子の胸に響いた。二人の間に何とも言えない沈黙が流れ、夜風が二人の浴衣の裾をそっと揺らしていく。遠くで響く花火の音も、今では心地よい背景音のように感じられた。


 ふと、美智子は無意識のうちに、洋一の袖を軽く掴んでいた。そのことに気づいて、急いで手を離そうとしたが、彼の手が優しく彼女の手を包み込んだ。


「少し、このまま……」


 洋一の声は、ほんのわずかに震えていた。彼の手の温もりが、美智子の手のひらから全身へと伝わっていく。その瞬間、彼女は自分の心の中に湧き上がる何かを抑えきれなくなり、そっと彼に微笑みかけた。


「……はい」


 それだけの言葉で、二人の間に何かが静かに結ばれた気がした。その夜、空には無数の花火が咲き乱れ、二人の姿を照らし続けていた。そして、美智子の心には、この瞬間が一生忘れられない記憶として深く刻まれたのだった。


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