内包した悪魔
毎日のように悲惨なニュースが流れてくる。
俺は新聞は読まない。
ほとんど大きな事柄はネットニュースで概要を確認する。
下手な雑誌の記事は何も信用できない。
ドキュメンタリーと評した番組でさえ、現実を知っていると美化されていると感じるからだ。
幼稚園の集団に車が突っ込んだ..
殺人事件..連続殺人事件..
これをどう掲載しているか?は関係なく
現実的な事実なのだろう。
ほとんどの人達は、これらを他人事として、熱中症注意喚起とほぼ変わらない危機感だけを感じて読むだけなんだろう。
俺もそうだ。
そう読む人達を誰も責めることはないだろう。
読んでは忘れ
2000年を振り返る...どこかの番組が取り上げ見る。
(この事件ってもうこんなに経つんだね)
そんな言葉だけで、事件の結末よりも時の速さに驚く
現在の死刑囚は106人らしい
これを多いと感じるのか?
それとも少ないと感じるのか?
別に俺は死刑判決推奨者でもない。
公正の可能性もあるだろう。
永山基準..
何も反論もない。
こう書いている俺は、もし自分にこんなにも残虐で悲惨な事に巻き込まれたら?と
自分に問いかけたからだ
もし自分の大切な存在をこうされたら?
何年..何十年..の時間を使い。
死刑判決の報告を聞いてオサマルのだろうか?
想像でしかないが恐らくオサマラナイ。
昔見た映画の、怠惰の罪で廃人にされたビクターという男を連想した。
彼を診察した医師のセリフ
ーーー強い光でもショック死をするだろう。
ーーー彼は十分に苦痛を味わった。
ーーーさらに地獄を見るだろう。
客観視の医師が発した言葉のはずだが
シチュエーションが違えば悪魔がこのセリフを放っても、何も違和感はないだろう。
オサマラなかった場合
俺は悪魔になってこのセリフをいう事になるのだろうか?
その時、俺は永山基準で、どう判定されるのだろうか?
失ったものは戻らない
復讐は何も生まない
よく聞くセリフだ
正義とは?
悪とは?
そんな難しい事、俺には分からない。
だが俺は大切なものが奪われた場合
悪魔になることなど
なにも躊躇わない事はわかっている。