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第2話 なつめ

113033人目・ナツメ


「ええっと。初めまして、かな。私の名前は伊藤です。よろしくね」

 その先生は自分のことをそう名乗った。

「はい・・・よろしくお願いします」

 私は落ち着かない自らの心を体現するかのように、部屋の中をきょろきょろと見回した。


 ――なんだか、病院って感じがしないわ。


 私が今いるのはカウンセリングルームと呼ばれるところなのだが、ここはその名前にそぐわないような内装なのだ。


 戸棚にはティーセットや、ブランデーが置いてあり、本棚には伊藤さんの趣味の本(山野草とか盆栽の本)らしきものがあり、壁には立派なハト時計や、昔の映画のポスターなんかが貼ってある。

 それにテレビや据え置きのゲーム機、冷蔵庫なんかもあって、まるで自分の家みたいだ。


「――で、こっちの彼が石川君ね」

 伊藤さんの紹介で、石川という男の人が「こんにちは」と私に明るく挨拶した。

「ナツメちゃんは彼の趣味が何か知っているかなあ?」

 伊藤さんはのんびりとそんなことを尋ねた。


「え、知りません」

 石川という名前だって今知ったばかりなのに、趣味なんて知っているわけがない。

「だよねえ。あ、こっちの女性は小林さんね」

 小林と呼ばれた女の人がぺこりと会釈した。色白で、線が細く、とても綺麗な人だ。和風美人という感じ。


「ん、なに?小林さんが気になる?」

 伊藤さんが私の視線に気がついて尋ねる。

「いえ、別に。綺麗な人だなあって思って」

 私は思わずそんなことを言っていた。

「ほほう。だってさ。良かったねえ」

 伊藤さんがにやにや笑いながら小林さんに声を掛けると、小林さんは私にそっと微笑んで「ありがとう」と返した。


「ナツメちゃんだって、とってもかわいいけどねえ」

 伊藤さんはしみじみと、まるで身内のおじさんのような温もりのある声で呟く。

「そういえば、彼女は陸上で国体にも出たことあるんだよ」

 伊藤さんは自分のことのように自慢げに言った。


「ええっと、走り幅跳びだっけ?」

「短距離です」

 小林さんは苦笑しながら答えた。

「あ、そうだったっけ?」

「先生、この間も聞いてましたよそれ。ボケるにはまだ早いですよ」

 石川さんがからかうように言った。


「いやあ、私も歳だよ。年々老いを感じるもの」

 伊藤さんは溜め息をつきながら呟いた。

「ところで、キミは自分の病状について知っているかな?」

 私は唐突な話の変化に面食らう。

「はい、一応は」

「自覚は、ある?」

「それが、ないんです」


 私はそれ以外に何も言うことができず、ただその気まずさに、黙って体を縮めるしかなかった。


「ふむ。この間はユウゴ君って子が同じ症状で来たけれど、キミは彼のことを知っているかな?」


「・・・いえ、知りません」

ユウゴ?私と同じ症状の子がいたのか。私は勝手に自分の症状は珍しいものだと思っていたけれど、そんなこともないのだろうか。


「ふむ。じゃあ『胡桃』、という名前に心当たりは?」

「胡桃・・・ですか。ないと、思います」

 そう、ないはずだ。そんな知り合いはいない。


 しかし、何かが心にひっかかった。それが何かはわからないけれど、胡桃という名前の響きは、私にはとても身近なものに感じられた。

「うーん。そうかい」

 伊藤さんはそう言うとそのまま黙り込んでしまった。小林さんがキーボードを叩く音だけが部屋に響いている。

「・・・でも、何だか知っているような気もします。全く記憶にはないですけど」

「ほお」


 伊藤さんの目が鈍く光った。それは嬉しさを感じながらも、同時に倦怠感も覚えているような、そんな感じの光だった。

「ところで。キミ、仕事がない日はなにをしているのかな?」

 伊藤さんは話を変えた。


「私は・・・絵を描くのが好きなので、大抵スケッチブックに何か描いてます」

 そういう話題なら、私でも気楽に話せることが出来る。

「へえ。それはなに、家で描くの?」

 伊藤さんは冷めたコーヒーをごくりと飲みながら尋ねる。

「はい。あとは動物園とかに行ったり、少し電車に乗って遠出して描いたりしてます」

「ほお、そりゃいいね。動物園もあるというのは初めて聞く話だ」

 私は伊藤さんの「初めて」という言葉に疑問を抱いた。


 初めてってどういうことだろう。動物園はこの近くにあるのに。

 伊藤さんはここら辺の人ではないのかな。もしかしたら遠くからこの病院に通っているのかもしれない。


 しかし、職場の近くにある動物園の存在くらいわかっていそうなものだけど。でもこの人は変わっていそうだから、そういったことに興味がないのかもしれない。


「動物園には何がいるんだい?」

「何って、ゾウとかライオンとかカバとか・・・」


 私にはその質問の意図がよくわからなかった。この人は動物園に行ったことがないのだろうか。なぜこんな当たり前のことを聞くのだろう。


「ふんふん。キミは何が好きなのかな?」

「私はクジャクが好きです。あと、キリン」

「なるほどなるほど。ふむふむ」

 伊藤さんは頷きながら、思わせぶりに石川さんと目を合わせた。

「いい話が聞けたよ。ちなみに私はフラミンゴが好きだよ」

「・・・フラミンゴですか」


 何だ、行ったことがあるんじゃないか。


「うん、彼ら片足だけで立って寝るんでしょ?感心しちゃうよねえ」

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