雨
グレイに計画を伝えてから二週間ほど立っただろうか。夕方近くに店の扉が来客を告げた。
入り口を見ると、大きな体が見えた。あれは間違いなくヴァレットさんだ。
「あら、こんばんは。お一人ですか?」
「今日は報告だけしに来た」
奥の席に誘導しようとしたらやんわりと制された。
「報告と言いますと?」
「例の計画だが、無事遂行できそうだ」
この単語だけ聞いてると、まるで軍事作戦でも聞いているようだ。なんと物騒な。
「それは良かったです。このまま上手くいくと良いんですが」
「そこはグレイ様に委ねるしかないな」
あの調子だと、成功するかどうかは五分五分というところか。いや、6:4……7:3……。先行き不安だ。
考え込んでしまってうんうん唸っていると、サングラスがずり下がっている事に気づかず、カシャンと床に落としてしまった。先日落としてしまった時に丁番の部分が緩んでしまっていたのだろう。
「あっ」
慌てて拾おうとしたが、私より先に大きい手が床からサングラスを拾い、こちらに差し出してくる。騎士ならではの素早さだ。
「す、すみません。またお見苦しいところを……」
出来るなら義眼などマジマジと見たいものではないだろう。私は目元を隠しながら、ヴァレットの方に手を出す。
だが一向に指先にサングラスらしきものが触れる感覚がない。
「あの、ヴァレットさん?」
呼びかけるが反応が無い。
「……なぜ隠す」
「え……」
目元を隠していることを言っているのだろうことはわかるが、なぜ、と言われても困ってしまう。
「えっ…と。気持ち悪いから、ですかね」
「俺がか?」
「えっ!?そうじゃなくて!」
予想外の言葉に思わず手を退けてアルバートを見つめる。目の前のヴァレットは髪の毛こそボサボサと乱雑にしているが、どこも気持ち悪いところなど無い。鼻筋は通っているし、無表情じゃなかったら、きっと感情を豊かに表すだろう眉毛。黒髪に似合う濃い緑の瞳。顔に大きくかかる傷跡は、きっと名誉の傷なのだろう。それが更に彼を騎士らしく見せている。
「ヴァレットさんは、全然気持ち悪くない、です」
まじまじと見つめてしまっていたことに気づき、焦って下を向く。耳が熱い。
「では何が気持ち悪い?」
「私が、です。こんな目ですからね……」
幼少から散々気持ち悪いだのなんだのと言われて育ったのだ。父やビル、数少ない友達はそんなことないと励ましてくれていたが、自分が不思議な力で視力を半端に保持している分、心ない言葉はあながち間違いではないと分かっていた。
早くサングラスを返して欲しい。そう思いつつも、顔を上げるのが怖い。
「君の目は綺麗だ」
「え?」
思わぬ言葉にパッと顔を上げてしまう。突然の事に理解が追いつかない。
「周りがどう思うかは自由だが。俺は気持ち悪いとは思わない」
無表情から発せられた言葉で、彼は本質に仮面を被っている。その言葉を信用するには彼のことをまだ何も知らないのだが、それでも。
嬉しいと思ってしまった。
「ふっ…うう……」
目頭が急に暑くなり、気づけば涙が頬を伝い床にポタポタと落ちていた。
「す、すみませっ…家族とか友達意外にそんな風に言われたこと…なかったので……嬉しくて。ぐすっ」
必死に涙を拭う。これくらいで泣いてしまうとは、自分でもびっくりだ。
「気にしない」
落ち着いた声で返されるが、大の大人が泣いていては格好がつかない。
「も、もう大丈夫です」
まだ鼻をグズグスと言わせながらではあるが、涙はかろうじて引っ込んだ。少し落ち着いた私に、ヴァレットさんはサングラスを差し出す。
「ありがとうございます」
褒められたことは嬉しいのだが、涙やらでぐしゃぐしゃになった顔はきっと見苦しいだろう。サングラスを受け取った私はサッとすぐにかけ直した。
「社交会は明日だ。また後日報告に来る」
私が落ち着いたのを見届けたヴァレットは、手短に業務連絡を終え主人の元へと帰っていった。
夜寝るときに、今日あった出来事を反芻して身悶えするのはいつ以来だろうか。日が登る頃まで寝付けず、次の日寝不足でぼーっとしているとお客さんに体調を心配されてしまった。
*******
今日は雨だ。店の中から聞く雨音は良いBGMになっている。昼ごろから降り始めたのだが、きっと今日はもう止まないだろう。
最後のお客を見送ってから何時間立っただろうか。もう来店はないかと、カウンターで細々と雑務をこなしていた。そろそろ閉店にしても良いかもしれない。
看板をひっくり返そうかと立ち上がりかけた時、思いがけず店の扉が開いた。
「いらっしゃ……」
言い慣れた言葉が途中で消えた。扉を開けて現れたのは、ビショ濡れの男。しかも社交会帰りのようで、立派な服を着込んでいる。雨に濡れていては台無しだが。
「グレイ様!?ちょ、ずぶ濡れじゃないですか!今タオル持ってきますから」
「先に、話を……」
急いでタオルを持ってこようとしたのに、なぜか引き止められてしまう。
「好きな人でもできました?話なら後で聞きますから、まずは乾かさないと」
自宅に繋がる扉に手をかけた時だった。
「俺を!……俺を見てくれ……」
初めて聞く必死な声に足が止まる。グレイの方を振り向くと、なんとも情けない顔が濡れた髪から覗いていた。どこから1人でここまであるいてきたのか。後ろから遅れて到着したヴァレットが息を切らして立っていた。
いつも好き勝手に振る舞うグレイが、周りが言う事を聞くのが当たり前なのだという態度でいる彼がこんなに苦しそうな顔をしている。
異常事態を感じた私はグレイの元へ歩み寄り、何を聞くでもなく彼の本質を見た。一度息を吐き、ゆっくりと瞬きをする。
「ぁ……」
微かに声が漏れる。グレイの本質は、最初に私が見たものとは随分と様変わりしていた。あの時は確かに幼児の姿だったはずだ。気に入らないものには腹を立て、泣き喚く赤子。だが今の彼は。
彼の本質は、ーーーーーー明らかに女の子の姿をしていた。
グレイの面影を残しつつも、確実に女の子だとわかる。年齢は8歳ぐらいか。
そうか、それなら納得がいく。見た目も申し分ない彼が、どうしても女性に好意を抱けない理由。
納得がいってしまえば、普段わがままばかりの彼の行動も、なぜか愛おしいと思ってしまった。彼はまだ成長途中なのだ。その成長スピードは凄まじいものだが、やっとこれから歩き始めるのだ。
今までの彼と、これからの彼の行先を思い、私は母性のようなものを感じていた。自然と頬が緩み、慈愛に満ちた笑顔をグレイに向ける。
扉の前に心細そうに立ち尽くすグレイに向け腕を広げると、彼は雨とは別の雫をぽたぽたと零しながら私の腕に飛び込んできた。自分の服も濡れてしまうが、そんなもの構わなかった。私より大きく、私より頼りない存在をぎゅうと抱きしめるのに必死だった。
「う、うううぅ……」
抱きしめたグレイから情けない声が漏れる。本当に子供みたいだ。早く泣き止んで欲しくて、私は濡れた髪の毛をよしよしと優しく撫でた。さらに泣き声は大きくなってしまったのだが。
しばらくそうして抱き合っていたが、そろそろ体を乾かさないと風邪をひいてしまう。だいぶ落ち着いたグレイは、照れたように頬を赤くしながら、ヴァレットを連れてさっさと店を出て行ってしまった。
また来る、とぶっきらぼうに言い捨てて。
ありがとうございました!