別視点
ヴァレット視点です
彼女を見かけたのは、まだ秋の気配を残す晴れの日だった。
いつもの主人の我儘。今庶民の間で流行っている菓子が食べたいとのことで、なぜか俺が街に使いに出されている。
確かこの変か。店の場所を簡単にメモしたものを見ながら周りを見渡すと、少し歩いたところに目当ての店の看板が見えた。どうやら店の前に客の列ができているようだ。並ぶのは構わないが、遅くなるとまた主人に文句を言われそうだな。
「ふう」
軽くため息をつき店の方へ歩き出そうとしている時だった。
「あっ」
ドン、と軽い衝撃が体に伝わる。誰かと肩がぶつかってしまったようだ。
「申し訳ない」
反射で謝りつつ今しがたぶつかった相手を見やると、華奢な体が目に入る。自分は女子供によく怖がられるので、しまった、と思った。
「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません」
だが相手は特に怖がった様子もなく柔らかい声で返された。
俺は相手の顔を見て1人納得した。彼女は目が見えていないのだ。手には長い杖を持ち、行く道に障害物がないか確かめながら進んでいたのだろう。それを俺が横から邪魔してしまった。
「どこかへ行くなら手伝いを……」
そう言いかけたが、すぐに小さい手で制されてしまった。
「いえ、本当に大丈夫です。では」
自分が偏見などを持っているとは思っていなかったが、盲目の者はもっと気が弱いような人が多いのではないかという勝手なイメージを持っていた。だが目の前の女性は違うようだ。背筋を伸ばし、しっかりと歩んでいる。
去っていく小さい背中を、俺はぼんやりと見送った。
******
「占いに行きたい」
何も知らされていない俺らに朝一番に主人が放った言葉だ。
「グレイ様、いきなり申されても……」
「いや、行くぞ。決めた」
一度諌めようとしたデイビーが顔を覆っている。こうなってしまっては彼が頑として譲らないことは分かっていた。もう結婚していてもおかしくない歳なのだが、どうにも行動が幼いままだ。だが彼の家庭環境を知っているだけに強くは言えないのだが。
「わかりました。ですが帰ってきたらしっかりお仕事してくださいね」
デイビーが母親のように苦言を呈す。
「はいはい」
まるで聞いていない。それに仕事といっても彼が担当しているのはほんの一部だ。彼の父親も、あまり仕事を割り振りたくないのだろう。一応王家筋の家系なのだが、先が思いやられる。
******
主人が言う占いの店に着いたのは空に日が高く登った頃だった。見た目は普通の宝石店のようだ。ガラス張りの棚に綺麗にアクセサリーが並んでいる。占いと称して高い石などを法外な値段で売り捌いているのだろうか。
疑念を抱きながら店に入ると、つい先日見かけた顔を見つけた。その時と変わらず、濃い色のサングラスをかけている。
「いらっしゃいませ」
店員然とした態度の女性にリックが話しかける。内容を聞いていると、この人が店主であり占い師らしい。あっさりと占うことを了承され、席に案内される。
そこで違和感に気づいた。彼女は目が見えているのではないか?特に手を彷徨わせることなく自分で椅子をひき座っている。それにサングラス越しではあるが、確実に目があっているような気がするのだ。
途端に胸の中でモヤモヤしたものを感じた。これは、苛立ちだろうか。幼少からこれまで、自分の感情を完璧にコントロールする術を叩き込まれていたのに、なぜかどうしようもない苛立ちを感じてしまう。
あの時街で会った時も、心配する自分を馬鹿にしていたのか。それとも同情して欲しくて目が見えないふりをしていたのだろうか。
考えれば考えるほど苛立ちが募っていく。
主人にその後を任せ、デイビーとリックと共に店の入り口に立つが、思考は止まらなかった。
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初めて彼女と会った日のように陽の光が燦々と降り注ぐ日、俺は彼女を店まで迎えにきていた。
「あ、いらっしゃ……こんにちは?」
外出用の服を着た彼女が小首を傾げてこちらを見つめる。黒い髪が艶々と光って揺れていた。
準備が出来ていることを短く確認し、先に店を出る。早速歩き出そうとしたのだが、彼女が着いてこない。
「ヴァレットさん!」
焦ったような声に振り向くと、彼女はなぜか店の入り口で周りをキョロキョロと見回している。
「どうした」
「手を、手を取っていただけませんか?」
何を言っているのか。一瞬思考が止まった。この女は何か勘違いをしているのではないか?今日はそういう目的で出かけるのではない。
だが、こちらが了承しないと一向に動き出す気配がなかった。服でもいいかと聞くと、なぜか有り難そうな顔をされた。
袖に微かな重みを感じながら道を歩く。仕立て屋まではすぐだ。
「ふふっ」
後ろから小さい笑い声が聞こえた。見ると上機嫌な彼女の姿が。頬を上気させて口元を緩ませている。
何がそんなに楽しいのか。彼女に騙されていたように感じていた苛立ちを、俺は本人にぶつけてしまった。彼女を道に置き先に歩き出す。目が見えているのだ。俺の後を着いてくればいいだろう。
数秒歩いて、後ろに彼女の姿が無いのに気づいた。もしかして機嫌を損ねてしまっただろうか。それはまずい。もう協力しませんなどと言われてしまえば主人から罰を喰らうのは俺だ。
後ろを振り向くと、少し離れたところに彼女を見つけた。だが様子がおかしい。しゃがみこんでいる。具合でも悪くなったのか、それともこれもただの芝居か?
本当に具合が悪かった場合を考えて、俺は小走りで彼女の元へ戻った。
具合が悪いのかと聞いても弱々しい息遣いしか帰ってこない。過呼吸になりかけているようだ。つい肩を揺すって意識の確認をすると、彼女のかけていたサングラスが地面に落ちた。
「あ……」
思わず、と言う体で彼女がパッと顔を上げる。だが彼女の瞳は俺を捉えてはいなかった。どこか、俺を通りすぎて遠くの方を見ているようだ。彼女の目は街の彩りや空の青を反射してキラキラと光っていた。虹彩は透き通る深い青。だが、それは人間の瞳にしてはやけに“綺麗すぎ“た。
彼女の目は、見えていない?
◦ 混乱した俺はつい本人に確認を取ってしまう。帰ってきた答えは、「店の中だから」と言うもので。慣れている場所なら勝手が違う、ということだろうか。だが実際彼女の目はガラスで出来ているのだ。そう言うことなのだろう。俺は少しの疑問を残しつつ無理やり納得することにした。
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社交会当日、俺は主人につき挨拶回りに奔走していた。いかんせん人が多い。顔と名前を覚えない主人に、貴族の名前やプロフィールを耳打ちするのだけで一苦労だ。
一通り挨拶が終わったところでリックが交代でやってきた。ありがたく護衛を代わり、俺は少しだけ、と庭に休憩に出ることにした。本来ならやってはいけないのだが、リックが主人に付いているなら安心だろう。
庭に設置されている噴水に癒しを求め歩いていると、ベンチを通り過ぎようとしたところに声をかけられた。
「あ、ヴァレットさん」
占い師の彼女だ。仕事を終え休憩しているのだろう。軽い返事をしてその場を去ろうと思ったが、何かがおかしい。
今、なぜ俺が声を発する前に俺だと分かったんだ?
「あ、もう帰る時間ですか?」
「いや、もうしばらくかかる」
そう答えている間も脳内は混乱している。彼女に直接問いただしていいものか。いや、こういうプライベートに踏み込むのはいかがなものか。だがどうしても気になってしまう。
逡巡しているうちに、彼女の方から何か言いたいことがあるのかと聞かれてしまった。このモヤモヤしている気持ちをこの先も持ち続けるくらいならいっそ聞いてしまおう。俺は素直に聞いてみることにした。
帰ってきたのは意外な答えだった。陽の光を認識できない、とベールを捲り上げて説明してくれる。昼間と違い、しっかり目が合っている。青のガラスの瞳は、夜の光を反射して陽の下とはまた違う美しさを讃えていた。
いつも青色なのだろうか。他の色に変えるときもあるのか。
ベールがさっと戻され、浮遊しかけていた意識が戻ってくる。話を聞いていると、迷惑をかけていたなら申し訳ないと、彼女の方から謝られてしまった。謝らなければいけないのは俺の方なのに。
そもそも彼女の体質は不思議なものなのだ。そこに思い至らなかった自分が情けない。先日はとても失礼な態度をとってしまった。
自分からも謝り頭を下げると、彼女は焦った様子で頭を上げさせた。
双方謝り続けて収集がつかないことを見越したのか、彼女は妥協案を提示してきた。あの自分本位の主人の手綱をとれ、と。なんとも耳が痛い。
彼女も主人に振り回された被害者なのだ。そう言いたくなるのも仕方がないか。
「了承した」
そう返すと、彼女はなぜか肩を震わせて笑い始めた。徐々に笑いが大きくなっていく。普段の彼女は落ち着いている印象だったので意外だ。こういうのをゲラと言うのだったか。
俺はしばらく笑い続ける彼女を見ていた。こんなに楽しそうに笑う人が少し羨ましい。厳しく躾けられた自分が最後に大きく口を開けて笑ったのはいつの頃だろう。
一通り笑い終わった彼女が、耳を赤くして俯いている。小さい声で謝られるが、俺は別に構わなかった。人の笑い声がこんなに心地いいものとは、今の今まで気づかなかった。
もっと聞いていたい。
彼女が落ち着いたのを確認し、立ち上がりかけの一言が彼女をまた笑わせた。少し、ほんの少しだが、面白いおもちゃを見つけたような気分になってしまった。こんなので笑ってくれるとは。2回目の爆笑は残念ながらすぐに落ち着いてしまい、俺は主人の元へ戻るまで、彼女の笑い声を脳内で反芻していた。
ありがとうございました!