社交会
昨日の宣言通り、日が高く登った時間にヴァレットは店に現れた。扉のベルが小気味よくカランカランと鳴る。
「あ、いらっしゃ…こんにちは?」
こう言う時はなんと挨拶するのが正解なのだろうか。ヴァレットが店に来る前から緊張でソワソワしていた私はつい疑問系で声をかけてしまった。
「準備はできているか?」
挨拶も無しの問いかけに、私はコクコクと頷いた。昼間の外に出かけるなんていつぶりか分からない。父からはいつも「出かけるなら早朝か夕方にしなさい」と念を押されているのだ。
昨日の夜は緊張でよく眠れなかった。着て行くものを決めるのだけで何時間かかっただろうか。睡眠が十分ではないと目元の隈が物語っている。だが長く時間をかけただけあって、今日の自分は、自画自賛してしまうほどバッチリ決まっている。
最近買った青を基調としたワンピース。シンプルな形でいて袖の部分がレース状になっているのがお気に入りだ。サングラスをしていてはもったいないのだが、もはやそれは生活の一部だ。
カランと音が鳴り、ヴァレットが店を出るのが分かった。小走りでそれに続くが、肝心なことを忘れていた。杖を持ってくるのを忘れている。
「あ、あの、ヴァレットさん」
声をかけるが返事がない。すでに外に出てしまっているようだ。私は店の扉を押し開け、顔を少しだけ外に出した。
「ヴァレットさん!」
控えめに声を張ると、少し離れたところから返答が返ってくる。
「どうした」
「あ、居た。すみません、ちょっと待って…」
杖を取りに戻る、そう言いかけたがふと口籠った。
一緒に歩く人が居るなら杖は要らないのでは?
小さい頃から「お前は見た目と違って行動が極端すぎる」とよく言われていたが、その片鱗がこの時も顔を見せていた。
今日はヴァレットさんが居るし。それに、久しぶりの明るいうちの外出で杖なんて持ってたくない。
私は自分自身に言い訳し、近くにいるはずのヴァレットへ手を伸ばした。
「手を、手を取ってくれませんか?」
良い伝え方が分からない。変な言い方になっていないかとジルは軽く首を傾げた。
「……服でもいいか」
少しの間の後に、妥協案が返ってくる。流石に外で手を繋いで歩くわけにはいかないだろう。
「あ、はい、全然それで大丈夫です」
断られなかったことにホッとし、手をフラフラと声のする方に彷徨わせた。手に当たったヴァレットのものらしき服を掴む。
「それでは、よろしくお願いします」
ペコリと軽く頭を下げる。多分ヴァレットも首肯した、のだろう。それは手から伝わってくる振動で予測するしかなかった。
******
いつも店の中から聞いている街の喧騒が、直に耳に届く。耳を覆っていた手をいきなり離した時のような鮮烈さを感じていた。
「なぜそんなに嬉しそうなんだ」
唐突にヴァレットから声をかけられた。
「えっ顔に出ちゃってました?」
私は開いた方の手で頬を押さえる。雑踏から聞こえる人の会話があまりにも久しぶりで、心地よくて、ついつい鼻歌を歌いそうになるほど上機嫌になっていた。最後にこんな人通りが多い日の街に出たのはいつだったか。顔がにやけるのも仕方がない。
「すみません、楽しくて」
そう言いながらついふふっと笑いが漏れる。肌に感じる日光の暖かささえ、肌が焼けることなど気にならないほど気持ちが良い。
「……」
ヴァレットから帰ってきたのは無言だ。何か失礼なことを言っただろうか?顔が見えないので判断のしようがない。どこで機嫌を損なうようなことがあっただろうか、と逡巡していると、今までヴァレットの服を掴んでいた私の手が軽く振り払われた。
「えっ」
「1人でも歩けるだろう」
いきなりの冷たい言葉に、私は足を止めた。止めざるを得なかった。
何も‘’見えない‘’のだから。
「ヴァレットさん?」
不安に震える声で呼ぶが、返事はない。頼りない声は雑踏に吸い込まれていく。
大丈夫、置いていかれるはず無い。すぐ戻ってきてくれる。だって、だって……。
混乱する頭で考えるが、思考が続かない。だって、何だ。ただの客と店員ではないか。
「はっ…はっ…」
呼吸が荒くなる。酸素が薄い気がする。
「お、置いてかないで……」
もう一歩も踏み出せない。私は自分を抱えるようにしてその場に座り込んでしまった。暑さとは違う理由の汗が背中を伝う。
数分だったのだろうか、誰も声をかけてこなかったことから考えると数秒だったのかもしれない。目は見えないはずなのに視界がグルグルと揺れている感覚を我慢していると、いきなり後ろから肩を掴まれた。
「おい」
ヴァレットの声だ。
「具合が悪いのか?」
息が切れていて質問に答えることができない。肩を軽く揺すられ、私の顔からサングラスがポトリと地面に落ちた。
「あ……」
日を受けてキラキラと輝く瞳。だがそれは街の人々や目の前のヴァレットさえ映していない。精巧に作られた義眼だ。
「だ、大丈夫です……ごめんなさい……ちゃんと説明しなかった私が悪いんです」
「だが店ではあんなに……」
ヴァレットは素直に感じた疑問を口にした。確かに、私は店の中だと何の不自由もなく行動できていた。
「あれはお店の中なので……」
自分でも言葉足らずなのはわかっているが、落ち着くのに精一杯でそれ以上言葉を紡げない。
「……」
ヴァレットは無言のまま、また私の手を彼の袖まで持っていった。掴めという事だろう。申し訳なさと、手を離してしまわないかの緊張で、それからは双方一切喋る事なく仕立て屋に向かった。何も見えない私には彼が今どういう感情なのか分からない。面倒臭い女だと思われているのかもしれない。
思えば、初対面の時からヴァレットには嫌われているようだったのだ。今更好感度を気にしていても仕方がないか。自分を納得させようとするが、同時に自分が幼い頃のことを思い出していた。幼少の頃から私のことを嫌いだと言う人は一定数いた。この目のせいなのはわかっていたので、特に躍起になって立ち向かうことはしなかったのだが、大人になってもやはり、他人に嫌われることは怖い。
店を出た時の高揚感は霧散し、体の節々がギシギシと強ばる感覚が全身を支配している。手先が冷えて固まった頃、2人はデイビーの待つ仕立て屋に到着した。
店に着き、ドレスの仕立ては問題なく終わった。デイビーさんの手腕にはびっくりだ。私の好みも聞いてくれた上に、社交会に間に合う程度に無駄を削る。何度か仕立て屋の店主と論争していたが、最後には硬い握手を交わしていたので、どうやら良い妥協案が出たようだ。
そうこうしているうちに日が落ちて、私の視界も普段通りに戻っていたが、最後までヴァレットの顔を見る勇気が出ることはなかった。
******
嫌なことがある時の時間の速さは異常だ。気づけば私は素敵なドレスを見にまとい立派な馬車に揺られていた。人生で一度も着たことのないドレスはテンションが上がるものだが、正直言うと御者席に座り馬の筋肉を見つめていたい。こんな目をしている割に、随分とアウトドア、と言うかお転婆に育ったものだ。小さい頃、父と母に毎回怒られていたのを思い出した。
「店主」
自分のことを呼んでいるのだと気づかずに、返事が少し遅れる。
「あ、はい。なんでしょう?」
声をかけてきたのは向かいに座るグレイだ。彼も今日のために用意した服を着ている。白を基調としたもので、騎士に見えなくもない。コートが体にピッタリと合っていて、普段より更にスタイルがよく見える。私に服の知識がないのでなんと表現したらいいか分からないが、これはどこの女性もほっとかないだろう。
なぜ相手が見つからないのか、不思議でならない。性格の問題か?
私が失礼なことを考えていることに気づかず、グレイが楽しそうに声をかけてくる。
「向こうに着いたら私は常にそばにいれるわけじゃないが、デイビーをお前に付けて置く」
グレイは私の横にいるデイビーさんを顎で指した。他の護衛2人は、グレイが馬車が狭くなるからと嫌がったので、別行動らしい。男の貴族に三人も護衛が付くと言うことはグレイは相当上位の貴族なのだろう。だがそこまで深く踏み込むつもりもない。あえて詳しくは聞かないことにしていた。
「デイビーさんに“見た“結果をお伝えしたら宜しいですか?」
「ああ。全部記憶してくれるから、後日結果を聞くとする」
デイビーさん優秀すぎる。私の隣に座るデイビーさんを思わず見つめる。今日の彼女は、変装の庶民服を脱ぎ、護衛専用の服を纏っている。グレイの服を騎士“っぽい”と言うなら、彼女は完璧に騎士だ。金色の髪の毛を半分後ろに流し固めている。そこらへんの男の人よりかっこいい。体の周りにうっすらとバリアを張っているかのような気迫を感じる。
「あ…の…今日はお願いします…」
緊張で声が滑らかに出ない。グレイみたいな美形も心臓に悪いが、美しい女性も同じように体に負担がかかる。深呼吸するのも憚られるほどだ。顔が火照るのが分かる。
「はい。よろしくお願いします」
「は、はい」
ハキハキとした声で返された。ついでに爽やかな笑顔も。
私は眩しいものを見るように顔を手で覆った。普段限られた人としか付き合いがない私には刺激が強すぎる。
「店主、お前はまた変なものを付けているな」
グレイは私の顔を手で示す。
「あ、これは顔をみられては困りますので……」
先日の仕立ての時に、お店の人に頼んで用意してもらったものだ。顔全体を覆うように濃いめのベールを着けている。社交会ということは、この辺の貴族が集まるのだろう。私の顔が広く知られてしまえば、必然的に厄介な客も増えるということだ。それは本業にも差し支えてしまうのでできればご遠慮願いたい。
「これを機に店の名を売れば良いものを」
勝手なことを言ってくれる。厄介な客はグレイだけで勘弁だ。
「本業は宝石店ですので」
無難な答えを返す。グレイはその答えに納得したのか、座席に深々と座り直した。
未だ夢の中にいるようで、馬車の内装や2人の服をチラチラと観察していると馬車がゆっくりと停車した。
「着いたな」
グレイが姿勢を正し身嗜みを整える。私も、ドレスの皺になっているところを気持ちばかり手で伸ばし、馬車の扉が開くのを待った。
コンコンー。
軽くノックの音が響き、すぐに扉が開かれた。外に立っていたのはヴァレットとリックだ。手を借りることなくデイビーが先に地面に降り、私が馬車から降りるため手を差し出してくれる。まるでお姫様になったかのようだ。
「ありがとうございます」
お礼を言うとデイビーは軽く会釈を返す。そのまま馬車がつけた建物に目を移すと、私はハッと息を飲んだ。普段の街からどれほど離れているのかわからないが、全く別世界に来てしまった感覚に襲われていた。首を傾けなければ建物のてっぺんまで視界に収めることができない。豪華なホテルのようにも見えるが、きっと誰かが所有している建物なんだろう。玄関にはかなりの人が集っているが、それでも十分な広さを認識できる。
「間抜けな顔になってるぞ」
後ろからグレイの意地悪な声が聞こえた。ベールをつけているのだから、正確な表情は分からないはずなのに。
私はムッとして背筋を正し、大勢の人で溢れかえっている玄関ホールに向かった。
大広間に入った途端、痛いほどの視線が私に向けられたのがわかった。グレイが女を連れてきたことで話題を一気に持っていったのだろう。やはり彼はモテるのか。
周りの視線が痛かったのは、グレイが私のことを周りに紹介するまでのことだった。紹介されてからは、御令嬢たちが我先にと私の前に集まり始める。悩める女性たちは占いと名のつくものにとことん弱いのだ。
「お、落ち着いてください」
気づけば近くにグレイはいない。ヴァレットを伴って挨拶回りに行ってしまったようだ。
「私とリックが捌きますので、ジルさんは落ち着いて対応お願いします」
焦っていた私をデイビーさんが宥めてくれる。いつのまに用意したのか、小さい机が一つと、向かい合わせになるように椅子が二脚置いてある。ありがたく座らせてもらい、まず先頭に並んでいる御令嬢に声をかけた。
そこからは本当に怒涛だった。デイビーさんとリックさんが2人で捌いても捌いても次が来る。もう何時間喋っているかわからなくなり始めた頃、やっと並ぶ人数が減ってきた。ぶっ通しで喋っていたので、声はガラガラだ。定期的に飲み物をもらってはいたが、明日は1日喋るのを控えたほうがいいだろう。
「ジルさん、お疲れ様でした。もうある程度捌き切ったので、終わりにいたしましょう」
デイビーさんのその言葉に、私はありがたく甘えさせてもらった。体力に自信はあったが、これほど一度に沢山の人を“見た”ことはない。軽い目眩も覚えていたので、デイビーさんに断り外の空気を吸いに行くことにした。
*******
ここが誰の所有している建物なのか知らないが、庭まで拘っているのは素人の私でも分かった。社交会の開催が夕方からで良かった。今やすっかり日も暮れて、庭の花々がくっきりと見える。
庭自体は縦長の作りになっているのだが、端の方には生垣で区切られている小さい箱庭のようなものも多数点在している。貴族たちが秘密で使う個室のような役割も担っているのだろう。
私はしばらく庭を眺め歩き、手頃なベンチを見つけ座った。少し遠くに大きい噴水があるのが見える。徐々に登り始めた月に照らされて神秘的な輝きを放っていた。とても幻想的だ。
「ふう……」
疲れと、庭に対しての感動も相まって、自分で思ったより大きめのため息が出た。明日から普通の生活に戻ることを考えると、本当に夢の中の出来事のようだ。喉の痛みと肌に感じる夜気だけが私をこの世に繋ぎ止めている。
水の流れる音を聞きながらぼーっとしていると、後ろの生垣からヌッと人影が出てきたのに気づいた。
「あ、ヴァレットさん」
普通の御令嬢だったら叫び出していたところだ。その登場の仕方は頂けないが、まあ私が言ってあげることも無いか。
「ん?ああ」
淡白な返事。顔色を伺っても、相変わらず機嫌が悪い、のか?どちらとも判断がつかない無表情だ。
「あ、もう帰る時間ですか?」
「いや、もうしばらくかかる」
慌てて立ち上がろうとするが、そう言われてしまうとまた座り直すしかない。だがまだ時間があるならヴァレットさんは何をしにきたのだろう?
不思議に思い、ベンチの近くに立つ彼の顔を見るが特に何かを話す気配がない。
「あの、私に何か言いたいことがあるんですよね?」
思い切って聞いてみる。嫌われていたとしてもこの一件で関わればその後は赤の他人なのだ。私は思い切って声をかけてみた。
とりあえず座ってください、とベンチの隣をぽんぽんと叩き促すと、ヴァレットさんは案外素直に座る。体が大きいのでベンチが一気に小さくなったように感じた。
「……君は、目が見えるのか」
数拍間を開けて質問が降りかかる。少し責めているような口調に感じるのは気のせいではないだろう。
その質問を聞いて、私はようやく彼が何に怒っているのかに気がついた。
「私もしかして説明してなかったですか!?」
普段は周りに勝手知ったるみたいな人たちしかいないのですっかり失念していた。初対面の人には説明をしなくてはいけないのに、思いがけない事ばかり起こるので頭の片隅に追いやられていたようだ。
「説明不足で本当に申し訳ありません……私のこの目、なのですが」
そう言ってベールを剥がし、自分の目元を指さす。今日は夜の青空のように濃いいろの二つの義眼がキラキラと月光を反射していた。
「陽の光を認識できないんです」
「陽の光?」
理解が追いつかないヴァレットがオウム返しする。
「説明が難しいんですが、陽の光が当たっている所は暗く見えるんです、なので太陽が登っている間はほとんど何も見えないんですよね。太陽光を遮って仕舞えば問題は無いのですが」
自分の目をマジマジと見つめる視線に耐えきれず、私はベールをさっと元に戻した。
「それが原因で、私が気づかずに失礼を働くことも多々あります。きっと皆さんにも不快な思いをさせましたよね、大変申し訳ありませんでした」
ゆっくりと頭を下げる。だがヴァレットからの返答はない。不思議に思い頭を上げるが、相変わらずの無表情。私の話を理解したかどうかの判別もつかない。
他に彼の気に触るような出来事があっただろうか。私はうーんと首を傾げた。
「申し訳ない」
先ほどの私のように、ヴァレットが突然頭を下げる。私は驚きで目が点に、もとい、目を見開いた。
「な、なぜ謝るんですか?私何もされていませんよ」
私が謝罪されるようなことなどあっただろうか。慌てて頭を上げさせる。自分より大きい人に頭を下げさせるのは何だか居た堪れない。
「君が無礼を働いたなどとんでもない。謝るのは俺の方だ。申し訳ないことをした」
ようやく顔を上げてくれたと思ったら、重ねて謝罪をしてくる。
「えっいや、特に謝られるようなことは……」
「先日、仕立て屋に行く時のことだ」
「あ、あの時のことは……」
そういえばそんなこともあったか。あれは勝手にパニックを起こしたこちらが悪いのだ。それに、説明をしていなかったのが主な原因だろう。確実にヴァレットのせいではない。
「あれは全面的に私が悪いんです、謝らないでください」
「しかし……」
苦笑をこぼしながらそう伝えるも、ヴァレットさんは納得が行っていないらしい。彼は心に仮面を付けてはいるが、無感情と言うことでもないようだ。
「あ、良いこと思いつきました」
ぽんっと手を打つと、ヴァレットさんが首を傾げた。大きい体でそういう仕草をされると、少し可愛いと思ってしまう。
「このままでは収集が付かなそうなので、代わりに、と言ってはなんですが、あの我儘坊ちゃんの手綱をしっかり握っててください、とお願いしたいです」
まずい。失礼なことを言ったか、と最後の方は声が尻すぼみに小さくなってしまった。周りに他に誰もいないよな、とキョロキョロと庭を見渡す。
良かった、誰もいないようだ。
「承知した」
静かに聞いていたヴァレットさんは、失礼な物言いに怒ることもなくコクリと神妙に頷いた。
無表情のまま。
彼がふざけているのかわからないが、その様子がとても面白くて、私の笑いの琴線に触れてしまった。
「……ふっ……あははははっ!ご、ごめんなさ、っふっくくく……」
思わず大口を開けて笑ってしまい、慌てて口を塞ごうとするが、もはや手遅れだ。我慢しようとすればするほど面白い。
「別に、大丈夫だ」
先ほどからの失礼な態度にも、ヴァレットさんは無表情を貫いている。ただ呆れているのかもしれないが。
ひたすら肩をプルプルと震わせ、一通り笑い終わった私は顔を赤くしながらヴァレットさんに再び謝罪した。流石に笑いすぎた。良い歳をして恥ずかしい。
「落ち着いたか」
「は、はい、すみません……」
恥ずかしさで小さくなり俯く。笑ったことと、羞恥心で体が熱い。まだ知り合って間も無い人に私がゲラだと知られてしまった。父から何度も注意されているのだが、一度ツボに入ってしまうと自分でも止められないのだ。
「そ、そろそろ帰る時間ですかね……」
気まずさからそう言ってから気づいたが、もう皆んなぼちぼち帰り始める時間だろう。
「そうだな、子守に戻るとするか」
立ち上がろうとしたところにヴァレットさんの独り言とも言える小さな言葉を拾ってしまった私は、それからまた笑いと戦うことになった。この人は私が思っているより随分ユーモアをお持ちのようだ。
その後迎えに来たデイビーさんたちと合流したのだが、笑いすぎてぐったりする私と、無表情のヴァレットさんをグレイが訝しげに見比べていた。本人もいるので詳しく説明するのはやめておこう。
帰りも彼らと同じ馬車に乗り込み、店の近くで降ろしてもらった。今日の御令嬢たちの情報はデイビーからグレイに伝えられるので、私の役目はこれで終わりだ。
報酬はまた後日、と言い残してグレイたちは颯爽と帰っていった。疲れている様子だったのは私だけのようだ。普段から社交会に慣れているグレイたちは特に疲労の跡は見られなかった。
店兼家に着いた私は、最後の力を振り絞りドレスを脱ぎ捨て、普段なら着る寝巻きを着ずにベッドに倒れ込んで泥のように眠った。
ありがとうございました!