ふたりだけの時間
卯の刻=午前六時
辰=午前七時
殭屍の群れを葬ることに成功した全 紫釉たちは、青秀山で野宿することになった。
朱雀と融合し、体力を使いはたした全 紫釉は、その場にいる誰よりも眠気を訴えている。座りながらうとうとと。膝の上に仔猫と鳥を乗せながら、頭を振り子のように揺らした。
子供の白月ですら焚き火の用意をしているというのに、この体たらく。けれど誰も全 紫釉に文句を言うことはなかった。
甘やかしているわけではない。ただたんに、先の崖で使った術。あれの反動のようなものとして、体力を削り取られていたのだ。
皆がそれを知っている。そのため、最年長の黒 虎明ですら全 紫釉が休むことを咎めたりはしなかった。
「阿釉、眠いなら寝てもいいぞ?」
気遣う爛 梓豪の両手には、どこからか捕ってきたたくさんの茸がある。けれど……
「……爛清、それは毒茸です。というか、ほとんどが食べられませんよ?」
眠気を押し退けながら、ぼーとした口調で教えた。指差した茸は虹色で、明らかに怪しい見た目をしている。
「ひょっ!? そうなのか!?」
困ったなぁと苦笑いした。すると白月が彼の袖を軽く引っぱり、茸を全部食べると言いだす。
「え!? い、いやでもこれ、毒茸ばかりだぞ?」
心配になったようで、全 紫釉に視線で助けを求めていた。
全 紫釉は重たい瞼を擦りながら、大きなあくびをする。そして「毒は妖怪にとっては最高の栄養だから、大丈夫ですよ」と、声を小さくしていった。
「そうなのか? ……へえ。初めて知った。……まあ、いいや。じゃあほれ。一応、火は通せよ?」
籠ごと子供へと渡す。
それを見ていた全 紫釉は目を擦った。そして彼らの楽しそうな姿、声を子守唄に、静かに両目を閉じる。
□ □ □ ■ ■ ■
冬の朝はとても冷える。※卯刻だったとしても、明かりが必要なほどに暗かった。それは※辰であっても変わらない。多少は明るくなってはいるものの、それでも暗闇が大半を占めていた。
そんな辰の刻、全 紫釉は、ふっと目を覚ます。
「……ふみゅう?」
寝惚け眼を擦った。暖房代わりにしていた子供が腕の中にいないことに疑問をもちながら、ゆっくりと脳を覚醒させていく。すると……
「…………え?」
すぐ目の前……口づけができてしまいそうなほどの距離に、爛 梓豪がいた。彼はすやすやと眠りこけているようで、全 紫釉が動いても反応すらしない。
「……え? え? あ、あの、ば、ばく……」
──え!? な、なぜ彼が私の目の前に? しかも、私を抱擁しているって……ど、どうなっているんだ!?
顔が真っ赤になっていく。心臓の音はバクバクと、緊張よりも恥ずかしさのせいで、とても早くなっていた。手や額からは汗が洩れ、冬の寒さなど吹き飛ばすような熱が生まれる。
大切で、大好きな人に抱きしめられている喜びを胸に、恐る恐る顔を上げた。
爛 梓豪の艶のある黒髪と端麗な顔が、全 紫釉の胸の鼓動を高鳴らせていく。
黒 虎明ほどではないにしろ、引き締まった体をしていた。腕は太く、服の上からでもわかるほどには筋肉がついている。指も太く、男らしい。
──……いつもこの体で、私を守ってくれる。優しくて、暖かくて……やっぱり私は、彼のことが……
世界一、愛している。
そう、思わずにはいられなかった。ついつい頬が緩み、火照った顔で彼を包み返す。彼の長い黒髪を少しだけ手に取り、自分の銀髪と絡めてみた。
どちらもが長く、美しい髪だ。けれど全 紫釉の髪の方が細い。絡ませようとしても、すぐにほどかれてしまった。
そのことにムッとし、意地でもふたりの髪を交互に結んでいく。やがて、ぐちゃぐちゃではあるけれど、何とか三つ編みになった。それを見て満足気に鼻息をたてる。
「……あー……阿釉、もう、いいか?」
「…………え?」
名を呼ばれたので顔を上げてみた。するとそこには、何とも言えないような表情をしている爛 梓豪がいる。彼は苦笑いをしながら、肩をすくませていた。
全 紫釉の顔は、みるみるうちに真っ赤になっていく。それは愛する人に抱きしめられていることからくる嬉しさではく……
「……っ!?」
髪の毛で遊んでいたことがバレたから、だった。
「……な、な……い、か……お、起き……」
いつから起きていたのか。それを口にしようとしても、恥ずかしさで脳がぐるぐると回ってしまった。
彼はそんな全 紫釉の言いたいことを悟ったよう。頬を軽く掻き、困ったように笑った。
「えっと……阿釉が、俺の髪を弄りだしたあたり、かな?」
「……っ!?」
──ほぼ、最初からじゃないか!
頬を膨らませ、彼の厚い胸板をポカポカたたく。
「いや、だって。阿釉が、すっげぇかわいいことしてたからさ。俺的には、かわいい姿を見ていたいなぁって……」
真面目な顔で、屈託なく語った。
「……っ! わ、私は、あ、あなたの欲求を満たすためにやったわけではありません」
素直になれず、口を尖らせてしまう。
「あはは。それは、悪かった」
「…………」
無邪気で、子供っぽい彼の笑顔を見て、全 紫釉は胸の高鳴りを再び甦らせた。
──ああ、やっぱり。やっぱり私は、爛清のことが好きだ。
彼の胸板に顔を埋める。爛 梓豪に優しく抱きしめられながら、彼の指と自分の指を絡めた。
「んん? はは。どうしたんだ阿釉? 今日はいつになく積極的だな?」
「わ、わかりません。でも……あなたに包まれているって思うだけで、本当に嬉しくて……」
胸が早鐘を打つ。今もなお、感じる激しい心の震えに、ついつい頬を赤らめてしまった。
穢れを知らない純潔の乙女のように恥じらいながら、彼に向かって微笑む。
「ひょーー! めっちゃ、かわいい! 阿釉がかわいい! かわいいがすぎる!」
横になりながら全 紫釉を抱きしめた。裏表のない笑顔と、言葉を全 紫釉に与えていく。
「ああ、こんなにかわいいお嫁さん貰えて、俺はなんて幸せ者なんだ」
「お、およ……わ、私たちは確かに結婚しましたけど、それはあくまでも疑似であって……」
──違う。本当は、あなたと夫夫になりたい。でもあれは、敵を欺くための芝居だ。
ぐっと、喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。愛する人と永遠に添い遂げたい。けれどこの関係は偽りでしかなかった。
そのことに胸を痛め、目尻に涙を溜める。すると……
「おいおい阿釉、俺はちゃんとお前に愛してるって言ったはずだぞ? その言葉に嘘はないし、俺は本気で阿釉と将来を歩みたいって思ってるんだ」
「……爛清」
彼と目を合わせる。そして笑顔を向けてくる彼に、唇を重ねていった……
のだが。そのときすぐ近くから、大きな咳払いの音が聞こえてきた。何だとふたりは顔を上げ、火の消えた薪を見つめる。そばには黒髪の大男、黒 虎明が座っていた。
男の隣には白月が仔猫を膝に乗せて、食事をしている。そして頭に朱雀を乗せていた。けれどその鳥は眼を細め、しゃくれ顎になっている。
『わたしはいったい、何を見せられているのかしらね?』
カーぺッと、がらが悪い態度になっていた。そしてふたりに向かって、軽く焔を吐く。
全 紫釉と爛 梓豪のふたりの慌てる声が、山中に響き渡っていった。




