謎だらけの役所
蘇州・山塘街に着いたその日の夜、全 紫釉は夢を見ていた。
朱い毛並みに、つぶらな瞳の愛らしい鳥が飛んでいる。この鳥は四神の一角にして、南を守護する朱雀だ。
ふわふわと翼を羽ばたかせて飛ぶ朱雀だったけれど、尻尾がかなり短い。ときおり、バランスを崩して地面に落ちていた。それでも踏ん張って飛び続ける。
やがて椿が咲き誇る湖へと到着。透明で美しい湖の周囲に咲く椿の花は赤や白、桃色など。かわいらしい色の花が多かった。
蛍火だろうか? 地上から淡く輝くものが出て、空へと昇っていく。
『…………』
朱雀は羽を休めるために、地へと座った。ピーと、かん高い鳴き声を発し、無数に浮かぶ淡い光をジッと見ている。
そのとき、草木の中からひとりの子供が現れた。
髪色は朱い。前髪が非常に長く、目を隠してしまっていた。ボロボロの布を服代わりに着ていて、素足だ。
『…………』
朱雀は子供を威嚇することなく、慣れた様子で隣に置く。子供と笑いあい、ともに淡い光を眺めていた。
けれど……
『……ピッ!?』
子供までもが、その淡い光の中へと溶けていく。
朱雀は大きな眼に涙を溜めながら、行かないでと縋った。けれどそれも虚しく、子供は帰ってこない。
しばらくすると、朱雀は力なくその場に寝そべってしまった──
□ □ □ ■ ■ ■
「…………ゆ」
誰かが、全 紫釉の体を揺らす。
「……あ……ゆ……阿釉!」
「……ふみゅう?」
聞き慣れた声に呼び起こされ、全 紫釉は目を開けた。寝ぼけ眼な目を擦り、ふあーと、上品にアクビをかく。
「阿釉、大丈夫か!?」
「……爛清?」
思考が働くようになると、全 紫釉は彼と視線を合わせた。
「阿釉、本当に大丈夫か? 何か、うなされてたっぽいけど……」
爛 梓豪に、優しく頬を触られる。全 紫釉は彼の太くてささくれたった指を握り、穏やかに微笑んだ。
「阿釉は体弱いんだから、あんまり無理をするなよ?」
彼はホッと胸を撫で下ろして、地につくほどに長い銀髪を指で掬う。蜘蛛の糸のように細い髪はさらさらと、彼の指から離れていった。
「ふふ。ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。それよりも……」
昨日、幽霊の話で怖がっていた人と同一人物とは思えないような頼もしさがある。それを言葉にしながら、彼を見つめた。
「うぐっ! ゆ、幽霊は、昼間はあんまり活動しないだろ? だから大丈夫なんだよ」
「……そう、ですか」
全 紫釉の深紅の瞳が深くなる。彼を見ながら、本当に視ているのは爛 梓豪の後ろ……肩付近だ。
──どうやら爛清は、幽霊に好かれやすい体質のようだ。
肩の近くには、目玉のない町娘の姿がある。彼に助けを求めているのか。それとも、悪戯をしようとしているだけなのか。それはわからないけれど、全 紫釉にとっては邪魔者でしかなかった。
目玉のない町娘を睨めば、彼女は慌てて爛 梓豪から離れていく。
「うん? 阿釉、どうしたんだ?」
「いいえ。何でもありません。それよりも、これからどうしましょう?」
この町でやることはいくつもある。朱雀の捜索に加え、なぜか他町よりも多い幽霊たち。その原因を突きとめたいと、全 紫釉は口にしてみた。
「うう……幽霊、かぁー」
幽霊が大の苦手な爛 梓豪にとって、この町は地獄そのものなのだろう。視る力はなくても、幽霊がいるという話だけで倒れてしまうぐらいだ。
──うーん。後者に関しては、爛清抜きでやった方がいいのかも。幸いにも、白月が一緒に来ているし。夜にでもあの子と一緒に原因を探るのもあり、かな?
黙って宿屋を出たと知ったら、彼は怒るだろう。それでも、幽霊が多い原因を知りたいという欲求の方が強かった。
ある意味で全 紫釉は、この場にいる誰よりも好奇心旺盛とも言える。無鉄砲ではないけれど、周囲の人々を驚かせる行動力を持っていた。それがいかんなく発揮されると、爛 梓豪でも手を焼くじゃじゃ馬へと変貌する。
本人はそれを理解していない。猫のような自由人さで、容赦ない言葉の棘を飛ばす天然。それが全 紫釉だった。
──よし。夜中になったら爛清を置いて、町の探索に繰り出そう。
くくくっと、少しばかり悪い顔をした。
「……阿釉、何か企んでないか?」
「いいえ。何も。それよりも、これからどうするんですか?」
役所に、青秀山へ入る許可を取りに行くか。それとも、別のことをするのか。
それを彼に問いかけた。
「え? いや……ここまで来たんだし、青秀山へ入ろうぜ? ゆ、幽霊がいたとしても、清めの塩があれば何とかなる! うん!」
半ば無理やり言い聞かせているかのよう。それでも逃げるという選択肢はないらしく、恐くても行くという前向きな返答だった。
そんな彼の頭を撫で、全 紫釉は「では、行きましょうか」と、微笑んだ。
蘇州・山塘街の役所は、宿屋を出てすぐの曲がり角を右に進めば目の前にある。
道には酒や醤油瓶を引く馬が歩いていた。井戸で水を汲む人たちもいて、生活感溢れてる場所のよう。
「あ、ありました。あの建物が役所です。迷わずに来れましたよ! ふふ。私だって、やればできるんです」
役所は、宿屋からあまり離れていない場所にあった。何なら、宿屋から見える位置にすら建てられている。
「……ああ、まあ、うん。そう、だな」
全 紫釉の喜びに、爛 梓豪は何とも言えない苦笑いをしていた。
そんな彼の微妙な表情に気づくことなく、全 紫釉は建物を直視する。
建物の門は緑色で、出入り口はかなり狭かった。門からのぞく建物は一般家屋に近く、真新しさはない。
「……ここが役所? 何か、言われないと役所ってわからないぞ、これ……」
「ああ。ここの役所は、貴族が担っているそうです。屋敷の一部を役所用に改良したと聞きますよ?」
「ふーん……」
ふたりは門前にいる兵に話をした。すると兵はふたりを訝しげな眼差しで見て、中へと入っていってしまう。
あまりいい印象を持たない兵に、爛 梓豪は口を尖らせた。
「何だよあれ。失礼なやつだな」
「仕方ありませんよ。貴族が役所を担うということは、自ずと傲慢な人たちの集まりになってしまうと思いますよ?」
偏見だったとしても、あながち間違いではないはず。全 紫釉は乾いた笑みを浮かべた。
「……ひょっ! 阿釉が怖い……」
そうこうしていると兵が戻ってくる。ふたりを中へと案内するからと、前を歩いた。
門の中へ入ると、少しばかり大きな庭が見える。池はないけれど東屋や、橋はあった。朱い橋を渡り終えると、廊に入る。
廊下を進むと、ひとつの部屋に辿り着いた。兵はふたりに、この部屋で待つように指示をだす。
「……質素な部屋だな」
爛 梓豪は興味津々に見て回った。空間を仕切る囲塀もなければ、物を閉まったりするための架格すらもない。
唯一あるのは宝座と呼ばれる、豪華な椅子だけだった。
「……本当に、何だここ? 客人をもてなすような部屋じゃねーだろ?」
「まあ私たちは、客人ではありませんし。それよりも、かなりチグハグな家ですね」
彼のように見て回るわけではない。それでも一ヶ所だけがどうしても気になるため、それの前に立った。
「この窓を見てください」
窓は複雑な形に切り取られている。頭があり、翼もあった。そして長い尻尾のようなものまで掘られている。
「この窓は多分、鳥ですよ」
「鳥? ……あっ! 朱雀か!?」
「はい。ただ、ここまで細かく掘られているとなると、特注品のように思いますね」
ふたりは鳥の形をした窓を眺めながら、この建物全体の、不釣り合いな場所を語りあっていった。