幽霊なんて怖くないもん!
旅に出た翌日、山を登り降りして、昼頃にようやく蘇州・山塘街についた。
町の出入り口は、大きくわけてふたつある。ひとつは正規門だ。楼閣を基盤とした家屋が二階に建つ、石積みの門となっている。
馬やロバをはじめ、他國の商人の目印でもあるラクダが行き交いしていた。
その門を潜れば、人々で賑わう大通りが待っている。大通りの両端には朱の屋根や壁、柱がある建物が並んでいた。
そこから少し先に進めば、切妻屋根の店舗がいくつも並んでいる場所に辿り着く。店内が丸見えではあったけれど、人々はそれを気にすることなく食事を楽しんでいた。
そんは町中には運河が流れている。舟もあり、そこで商売をしている人がいた。客たちはこぞって枇杷を買い、酒のツマミにしているよう。
「いらっしゃい。枇杷が安いよー」
「酒はあるかい?」
赤い提灯が揺れる町の中、活気溢れる人々の声が飛び交っていた。
「──へえ、活気ある町だな。ってか、商人が多くないか?」
ロバの紐を引きながら、爛 梓豪はキョロキョロと周囲を見渡す。
「禿の最南端にある町ですからね。ここを超えてしまえば、ほぼ他國です。貿易商たちが多いのは、それが原因ですね」
「……ふーん。あ、そうだ阿釉、これからしばらくの間泊まる宿屋はとうするんだ?」
予約していないぞと、ロバの紐を適当な木にくくりつけた。そして物色するように、町中を見る。
全 紫釉は彼の行動を咎めることをせず、ただ、微笑んでいた。そして宿屋については、すでに予約済ということを教える。
「私たちが泊まる宿屋は、塘江区というところにあります」
「どこだそれは?」
「え? ですから、塘……」
「いや、だから。それは、町のどこにあんの?」
「…………」
全 紫釉は腕を組み、うーんと唸る。首をひねって、空や地面に視線を移した。やがて、ある場所を指差す。
「……きっと、あっちです!」
指差したのは正門の方向で、方角で言うならば西だった。
「…………阿釉?」
彼に、訝しげな眼差しを向けられる。
全 紫釉は視線を逸らした。何事もなかったかのようにロバを撫で、子供の頬をムニムニする。
「おいこら、阿釉」
「……わ」
「わ?」
「私が、わかるわけないじゃないですか! 東西南北!? そんなの知りませんよ! 向こうとか、こっちとかでいいじゃないですか!」
ひととおり喋ると、わっと泣きだした。
爛 梓豪は何かを察した様子。一緒にいる子供に視線を向け、頷き合う。
「阿釉、白月が場所を覚えているみたいだから、安心しろ。な?」
苦笑いをしながら、全 紫釉の肩をたたく。
全 紫釉は顔を上げ、彼の華服の袖で涙を拭いた。彼からは「あ、こら!」という声が聞こえる。けれどそれを無視し、ロバの背中を撫でた。
「……方角なんて、なくなればいいのに」
「何てことを言うんだ」
「…………」
しばしの沈黙の後、ふたりはプッと吹きだしす。笑い終わると彼らは白月の案内に従って、宿屋へと向かった。
□ □ □ ■ ■ ■
宿屋の部屋に着くなり、彼らは各々でくつろぎ始める。
爛 梓豪は床に寝っ転がって大の字になった。
全 紫釉は行儀よく椅子に座り、烏龍茶を飲んでいる。
白月は牀の上で牡丹と戯れていた。
三者三様、各々がくつろげる方法でのんびりと羽を伸ばしている。そんなおり、全 紫釉が爛 梓豪に、あることを伝えた。
「あの爛清、ずっと気になっていたのですが……その包みはいったい?」
「……ん? ああ、これか?」
背負っている大きな布を開く。するとそこには塩や札はもちん、蝋燭や数珠といったものまで入っていた。それらを自慢げに語り「準備いいだろ?」と、胸をはる。
「………? えっと……なぜ、そのような物を? 幽霊というか、霊体には効果があるものばかり……あっ!」
わかりましたと、笑顔になった。
「あなた……幽霊が怖いんですね?」
「ぎくっ!」
「…………え!? 本当に!? 私たち仙道は、妖怪だけでなくそれらも対処しなくてはならないんですよ? それなのに、幽霊が怖い?」
「ギクギクッ!」
彼は視線を逸らした。額から汗を流し、下手くそな口笛を鳴らしている。
そんな彼に、全 紫釉は軽い目眩すら覚えてしまった。
──嘘でしょ? 恐いもの知らずで、大物相手にも怯まない爛清なのに。それなのに……否が応でも、立ち向かわなければならない相手の幽霊を怖いって。無名の道師ですら、遭遇率がかなり高い幽霊と戦うというのに?
この体たらく。
人は誰しも、何かしらの弱点はあるだろう。それはもちろん、全 紫釉にもあった。ただ、それを抜きにしても、妖怪よりも遭遇率が高い幽霊を怖がる仙人など……初めてだった。
「……えー? あなた、それでよく一緒に来ようなんて、言いましたね?」
あきれしか思い浮かばない。頭痛を覚えるほどではなかったにせよ、ため息だけが出てしまった。
「うっ! し、しかたねーだろ。子供の頃に墓で遊んでたら、幽霊に出くわしてさ。魂をよこせ! って、追いかけ回されたんだ」
「普通は、墓で遊びませんよ?」
半分、自業自得ではないだろうか。墓という場所は、死者を安らかに眠らせるところだ。そんな場所で遊ぶなどと、好奇心以前の問題なのだろう。
──本当にこの人、昔から変なところがあったんだなぁ。うーん。少し、試してみるか。
悪戯心を隠し、苦笑いで堪えた。少し強めの咳払いをして、彼を見つめる。
「……あのですね? …………あっ」
「……? ど、どうした阿釉?」
全 紫釉は彼の、後頭部付近を注視した。
つられて彼が振り向く。けれと何もなかっので、すぐさま視線を全 紫釉に戻した。
「あ、阿釉? ど、どうしたんだよ?」
頬を引きつきかせながら、声を震わせている。何もないのに脅かすなよと、笑った。
「……あ、いえ。あなたの後ろに、首のない兵…………が……」
「ひょーー!」
バビュンッという効果音が見えそうなほどに素早く動き、彼は牀の上に丸まってしまう。その反動で白月と仔猫は放り出されてしまった。
それでもお構い無しに華服の上着を脱ぎ、顔を隠してガタガタと震えてしまう。
それはあまりにも素早くて、全 紫釉は言葉を失ってしまった。床に落とされた白月を助ける。
子供は丸くなって怯えている彼を指差し、「姫様、あの人、情けないよ?」と、容赦ない一言を放った。
「……本当に、苦手なんですね?」
──まさか、ここまでだったなんて。
もう一度彼を見る。怒った牡丹に、華服の上からネコパンチを食らっていた。
それを少しだけ羨ましいと思いながら、全 紫釉は彼が先ほどまでいた場所に視線を走らせる。
そこは一見すると何もない。けれど……
蒼い花を具現化させ、淡く光らせた。瞬間、首のない男の姿が現れた。うっすらと透明で、背後の景色が映ってしまっている。
その男へ拱手し、美しく微笑んだ。すると男は蒼い花に誘われるかのように、天へと昇っていく。
それを見送ると、踵を返して彼を直視した。
未だにガタガタと震え、ひたすら「無理無理」と、念仏のように唱えている。
「……前途多難ですね」
彼の情けない姿よりも、幽霊に怯える心。それが心配の種となり、今回の旅は無事に成功できるのだろうか。
そんな不安だけが、全 紫釉を脱力させていった。




