新たなる謎
爛 梓豪が仙人昇格試験に合格し、一か月ほどがたった。
けれど仙人になったばかりの彼は、つねに時間に追われるようになり……
「……も、もう、やだ……」
持ち前の美しい黒髪はボサボサ。整ってた顔には、疲労の色だけが浮かんでいた。
背中を丸めながら、牀の上へ寝そべる。ギシッと音をたてる牀すらも気にならないようで、ぐったりとしてしまった。
見上げた空は暗く、どっぷりと暗闇に染まっている。月は出ているものの、星はひとつも見えなかった。
「仙人様が、こんなに忙しいなんて……聞いてない」
修行者たちはたくさんいるのに対し、仙人の資格を持つ者はほとんどいなかった。試験が難しいということもあるが、適性がなければなれない職業。それが仙人であった。
幸いにも爛 梓豪は、たった一回の受験で合格することに成功した。
──確かに仙人にはなったけど……こんなに忙しかったなんて。人手不足とは聞いてたけどさ。
彼の師匠にあたる爛 春犂もまた、仙人である。彼はその男から、無理難題を押しつけられていた。
妖怪退治はもちろん、修行者たちの喧嘩の仲裁、さらには野良犬やネズミ駆除まで。仙人でなくてもできる仕事を与えられてしまっていた。
毎日、馬車馬のように働き、誰もが寝静まった時刻に帰宅する。
それを一ヶ月ほど繰り返していた。
「体のいい、雑用係じゃん」
ぐすんっと、いじける。
「──爛清、帰っていたんですか?」
精神力だけがひたすら削られていくなか、聞き慣れた声がした。牀に預けていた体を起こし、声のする方を向く。
「阿釉!」
するとそこには彼が愛してやまない美しい青年、全 紫釉が立っていた。黒い衣に身を包んではいるけれど、その見た目から神秘的な儚さが伺える。
「お疲れ様です爛清」
「阿釉ー!」
「わっ! ……本当に、お疲れのようですね?」
愛しい人へ抱きつき、すーはーと匂いを嗅いだ。
──相変わらず、阿釉はいい匂いがするな。これは薔薇、か?
いつも、何かしら花の香りを漂わせる全 紫釉を、ギュッと抱きしめる。
「聞いてくれよ阿釉、お師匠様がさ……って、阿釉、何か顔色悪くね?」
ふと、愛しい人の唇が紫色になっていることに気づいた。
全 紫釉を見れば、あちこちに泥がついている。
「この泥は?」
「ああ、これですか? 実は……」
全 紫釉は、よく通る声で説明を始めた。
□ □ □ ■ ■ ■
「あなたが仙人の仕事をこなしている間、私は白月とともに、ある山へと行っていました」
「山?」
「はい」
素直に頷き、茶杯の中にある烏龍茶を静かに飲む。そして眼前に座る彼を直視した。
全 紫釉は銀髪を耳にかけ、長いまつ毛に影を落とす。興味津々に目を輝かせて耳を傾ける彼に、優しい笑みを送った。
「その山には、不思議な鳥が住んでいると言われています。その鳥は、朱色の羽毛を持ち、怒ると焔を吐くそうです」
「へえ……そんな鳥、いるんだな? ……で?」
続きを期待しているのだろう。そわそわとしながら、話をねだってきた。
「その鳥は私の予想どおりならば、四神の朱雀だと思います」
「ふーん。神獣ねぇ…………え? し、んじゅう?」
きょとんとしたかと思えば、声を荒げて立ち上がる。
「四神って確か、東西南北を守護する、神の使い……だっけか?」
東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武。東西南北に一体ずつ存在する神獣が、四神とされている。
五行説を用いて、中央に麒麟や黄龍を加えて五神と呼ぶ場合もあった。
「朱雀は朱い羽毛に覆われた、尻尾の長い鳥です。地域によっては、赤虎という朱い体毛の虎に置き換えられていたりもしますね」
淡々と。それでいて、少しばかり憂いた瞳で語る。
朱雀は四方の内、南方を守護する鳥である。夏の暑い時期になると現れては、人々を災いから守るとされていた。幸福を呼び、平安を招く鳥とも言われている。
「その朱雀の目撃情報があったため、私は出向きました」
おとなしく話を聞き続ける彼に向かって、真剣な面持ちで話した。
すると彼は小首を傾げ、腕組みをする。
「……ちょっと待てよ。夏を象徴するって言うなら、今、現れるはおかしくないか? だって今は真冬だぞ?」
彼の言うとおりだった。
夏に姿を見せるはずの鳥が、真逆の季節に現れるというのはおかしいことではないか。爛 梓豪は机をトントンと指先でたたきながら、疑問を表した。
全 紫釉は烏龍茶を飲み、茶杯を置きながら肯定する。大きな瞳に宿る深紅色を、より深くさせた。
「だからこそ私は、白月とともに出向いたんです。ただ……」
腰をあげ、窓を開ける。ぱらぱらと降る雪が、風に乗って部屋の中へと入ってきた。それでも窓を閉めることをせず、外を眺める。
──寒い。でも、雪が降っているから当然か。
銀の髪が風に揺れた。手で押さえながら空を眺め、ふうーとため息をつく。
「もうひとつ。朱雀以外にも、気になることがありました」
「え?」
彼に背中を向けながら、透き通る声で告げた。
「──出たんです」
「出た?」
彼の声に応えながら振り向く。静かに頷き、蝋燭をふたりの間に置いた。
「出たって……何が?」
突然置かれた蝋燭を見て、何だと首を傾げる。
そんな彼を凝視しながら、全 紫釉は窓の外を指差した。
ふたりは窓まで近づき、外の景色を眺める。そこには人々の活気ある姿、豊かな自然が生み出した山々があった。
「……嘘だって思うかもしれませんが、私は確かに見たんです」
「見たって、何を?」
「…………」
全 紫釉は窓を閉める。部屋の中央にある机まで戻り、正座した。姿勢を正して背筋を伸ばす。
「幽霊です」
「……んん? 幽霊? 何でそんなものが? ってか、朱雀と関係ないような?」
彼の意見は尤もだった。神獣と幽霊など、結びつく箇所がまったくない。たまたま浮遊していた幽霊を見ただけではないか。
もしそうなら、議題にするほどのことではないだろうと苦笑いした。
「たしかに幽霊なんて年がら年中、そこら中にいます。でも朱雀が、その幽霊と仲良く歩いていたんです」
朱雀がふわふわと浮く姿は、とてもかわいい。けれど幽霊と楽しく会話をしていたという事実は、とても驚く光景だった。
全 紫釉は悔しそうに、クッと拳を握る。
「幽霊ごときが、あんなにかわいい朱雀の隣を歩くなんて……」
「おーい、阿釉? 本音がただ漏れだぞぉー?」
「はっ! ……こほんっ。失礼しました。と、ともかく! 私は、その幽霊の正体を突きとめようと思っています」
銀の中に混じる黒髪の部分を、自分の指に巻きつける。唇を尖らせ、少しばかり不貞腐れた。
「…………だから爛清、私と一緒に幽霊の正体、突きとめてみませんか?」
「えー?」
彼の手を握り、両目をキラキラさせる。好奇心で子供っぽくなる瞳と、少しばかりの期待を胸に、全 紫釉は彼を半ば無理やり連れ出した。