聞き取り調査開始
全 紫釉たちは、試験会場となる【温風洲】に着いた。
山茶花や睡蓮などの花びらが舞う美しい街で、彼らはさっそく調査に乗りだす。
「俺が子供たちに会ったのは、この辺りだ」
顔を突っこんだ木箱が目にとまった。蓋を開けた瞬間、生ゴミの匂いがあたりに充満していく。
「ちょっと爛清、そんな意味のないことをしないでください!」
右手で鼻を摘みながら、左手で彼の首根っこを引っぱった。へらへらと笑っている彼を睨み、深いため息をつく。
──本当にこの人は、何がしたいのだろう? 私は、この人を理解できるのだろうか?
ふたりは、試験を上り詰めて行くうえで必要な相棒に選ばれた。けれど爛 梓豪という青年のおかしな行動だけは、理解に苦しむ。
現に今も、こうして木箱に顔を突っこんでしまっていたのだ。その行動が意図するものとは何か。
全 紫釉は真剣に考えた。眉間にシワをよせては唸る。爛 梓豪を横目に見れば、再び木箱に顔を突っこんでいた。
「…………」
頭痛を覚えそうになるのを堪える。今度は首根っこではなく、お尻を引っぱたいてやろうかと意気込んだ。そのとき──
「あー! あの兄ちゃん、また木箱あさってる!」
かん高くて幼い声が、少し離れたところから聞こえてくる。
全 紫釉は黒い衣を急いで被り、彼から離れた。
瞬間、子供たちは目を光らせ、枝を持って彼へと突撃を開始する。うおーと叫びながら、木箱からはみ出している爛 梓豪のお尻へと、枝の先をブスッと刺した。
「ひょーー!」
彼は奇妙な叫び声をあげる。慌てて木箱から顔を外し、子供たちを睨んた。
子供たちは全 紫釉の後ろへと隠れるように逃げる。
「い、一度ならず、二度までも……お前ら! 俺の尻が割れたらどうしてくれる!?」
「元から割れてるでしょう?」
子供たちを庇いながら、全 紫釉はあきれた。尻もちをついている彼へと手を貸して、腰を上げさせる。
「……と言うか、あなたは何をしていたんですか?」
木箱に顔を突っこんだ挙げ句、見知らぬ子供たちに弄ばれた。何と情けないことかと、彼の頬を軽くつねる。
爛 梓豪は華服の汚れを払いながら、子供たちを指差した。
「今回の課題は多分だけど、この子たちの親のことじゃないかと思ってさ。だから出会ったときと同じことをすれば、来てくれるかもって思ったんだ」
「え?」
そう教えられ、全 紫釉は後ろに隠している子供たちを見張る。
子供はさんにん。皆、似たような顔立ちをしていた。
「……あなた方が、仙人たちに調査依頼を出したのですか?」
子供たちを泣かせないよう、優しく質問する。
すると、子供たちの中で一番体格のよい男の子が頷いた。男の子は十歳前後か。
両隣には、女の子と男の子がひとりずつ並んでいる。どちらも背が小さく、五、六歳ほどだった。
「俺ここで、八卦鏡なくしたんだ。阿釉が取ってったあれな」
「……ああ、あれですか」
「そうそう、あれな。ってか、何で持ってちゃったわけ?」
長い黒髪を払いのけ、両腰に手を添える。全 紫釉を見つめる瞳は好奇心の塊ように、キラキラ輝いていた。
「ああ、深い意味はありません。叔父上の物だったので、盗まれたのかと思って……」
「えー? 俺、お師匠様から、直に貸してもらったんですけど? ……って、あれ? 叔父上?」
はたっと、彼の動きがとまる。笑顔が絶えなかった表情は一転し、額に汗を流していた。
「……爛 春犂は、私の叔父上ですよ」
「ひょ……ひょーー!」
もはや口癖としか思えない奇妙な声をあげ、爛 梓豪は真っ青になっていく。しまいには四つん這いになり「嘘だろ」と、念仏を唱え始めてしまった。
「……話、進めても?」
「ううー。どうぞ」
一向に進展すらしない課題に、全 紫釉は痺れをきらす。落ちこんだままの彼をよそに、子供たちへと向き直った。
子供たちは爛 梓豪へ、残念なものを見るような視線を送っている。
そんは子供たちと目線を合わせるように、腰を曲げた。
「あなたたちのお母様が亡くなったときのことを、知っている限りで構いません。教えてもらえますか?」
黒い衣の下からのぞくのは優しく、美しい笑みだ。
一番大きな子供は全 紫釉の美しさに顔を赤らめ、何度も頷く。
「お、おれらの母ちゃんさ。食堂ではたらいてたんだ。だけど……」
子供たちは、ぽつりぽつりと話してくれた。
父親と離縁した後、母親は女手ひとつで子供さんにんを育てていた。
彼らの母親はいつものように、元気に仕事場の食堂へと向かった。けれど昼頃、鼻血を流して倒れてしまう。急いで医者に見せたものの、原因がわからず……鼻血をとめる薬を用いたけれど、それでも助けることができなかった。
職場でもある食堂に落ち度があったのではないか。子供たちは抗議した。けれど職場の者たちは子供の戯れ言として捉えているよう。
どんなに訴えても、相手にすらしてもらえなかった。
困りはてた子供たちは、仙人へ依頼をだす。仙人が市民の依頼を受けてくれるかどうかは、わからなかった。それでも國を治める皇帝という存在よりは、手が届くのだろう。
「ちかくに住む兄ちゃんが、そう、教えてくれたんだ」
子供たちの両目は、どんどん涙が溢れていった。女の子は母親を呼び続け、男の子は会いたいと願っている。
一番年上であろう子供も母親が恋しくてたまらないのだと、涙ながらに語った。
一通り聞いた全 紫釉は、爛 梓豪と視線を合わせる。泣く子供たちから少し離れた場所に行き、彼と話し合った。
「……どう思う?」
爛 梓豪は街を囲う外壁へと背をつけ、腕を組む。
「わかりません。聞く限りでは、何かしらの病気が発症したとしか……」
「病気? でも子供たちは、母親は病気ひとつしてなかったって言ってたぞ?」
全 紫釉の言葉に矛盾を覚えたのだろう。首を傾げては、両目を見開いていた。
全 紫釉は首を左右にふり、真っすぐに彼を見据える。
「病気は、突然やってくる場合もあります。昨日まで元気だった人が、突然倒れてしまう。というのは、珍しいことではないかと」
「あー……確かに、そうだな。でもさ? 鼻血を出してってのが、引っかかるんだよなぁ」
これに該当するような病気はあるのだろうか。専門家ではない彼らにとって、これ以上は手詰まりとなっていった。
「…………実際の現場を見ないと、何とも言えませんね」
「ああ。そだな。俺もそう思う」
よしと、爛 梓豪は自分の両頬を軽くたたく。
「俺、あの子たちに詳しく話を聞いてみるよ。それから母親がいなくなった今、どうやって暮らしてるのかも気になるしな」
一歩、また一歩と、全 紫釉の横を通りすぎていった。子供たちの元へと行き、家に案内してくれと頼む。
子供たちは不安な眼差しだったが、彼の無邪気な笑顔を信用していった。彼の手をとり、こっちだよと案内をする。
「阿釉、お前はどうするんだ?」
「そう、ですね。私は……鼻血を流してというのが気になるので、それについて少し調べてみます」
「……そっか。わかった。じゃあ、どこで待ち合わせする?」
「目的地となる食堂でいいと思います。調べていくうちに、嫌でもそこへ行かねばならないでしょうから」
そう言って、踵を返した。背中越しから彼の「阿釉、また後でな」という、明るい声が聞こえる。
それを刻み、全 紫釉は衣を深く被って彼とは別行動を始めた。