親子喧嘩は夫が食います
是=了解的な意味
「……父上、なぜ、駄目なんですか?」
全 思風を睨んだ。腰を上げて、真向かいに座る青年のそばまで行く。隣に座り、向き合うように青年を見つめた。
全 思風は、うっと言葉を詰まらせる。たじろぎながら後退り。
そんな青年を前に、全 紫釉は頬をぷくぅーと膨らませた。
「納得のいく、答えをお願いします。父上」
「お、お前が危険な目に合うからだ。私は、阿釉を傷つけられるのが怖い。今回のこと、本当は、怒り狂いたいのを押さえている」
「……言ったはずですよ? 昇格試験は、怪我がつきものだと。無傷で行えるほど、柔な試験ではありません。それは父上もご存知でしょう?」
あまりにも子煩悩な物言いに、全 紫釉の感情は振り切れてしまう。
にっこりと微笑んだ。けれど目は笑っていない。
爛 梓豪からは「ひょっ!」という、悲鳴が聞こえてきた。それを無視し、全 思風だけに意識を向ける。
「仙人を目指す者の誰もが通る道ですよ? それとも父上は……」
絶対零度の微笑みが消え、長いまつ毛の下に哀しみを作った。
「私から、命綱を奪うおつもりですか?」
「……っ!?」
全 思風は、ハッとする。唇を噛みしめ、弱々しく首を左右にふった。
そして何か言いたそうにしている爛 梓豪へ、苦笑いを送る。
「私が仙人を目指すのには、しっかりとした理由があります。それは、仙人のみが読むことのできる秘伝書です」
秘伝書とはその名のとおり、秘密にされている書物のことだ。機密事項に触れることが多く、名のある仙人しか読むことを許されない代物でもあった。
その秘伝書を必要とする事態になっているのだと、少しばかり声を震わせてしまう。
「あなたの陰の力、そして母上の陽の力。このふたつが、私の体の中で強く反発しあっています。その結果として体調を崩したり、喘息を起こしてしまうんです」
相反する力を制御するため、そのやり方が載ってる秘伝書を求めていた。それが、全 紫釉が仙人を目指す理由に他ならない。
「だからこそ、この場所で立ち止まるのは嫌です。できることをやって、それでも無理だったら諦めます! だけどまだ、そこにすらたどり着いてません。足掻けるだけ足掻いて、頑張りたいんです」
だからお願いしますと、全 思風へと拱手した。
すると、爛 梓豪が隣までやってきて、一緒に拱手する。
姿勢をただし、全 思風へと丁寧に頭を下げた。
「──陛下、約束いたします。俺、爛 梓豪が……」
グイッと、全 紫釉の肩を抱きよせる。
「命にかけても守ってみせます。どんな辛いことが起きても、苦しい出来事が待っていたとしても、絶対に守ってみせます。だからお願いです」
そっと。誰の視界にも入らない袖の中で、ふたりは手を握った。
「……爛清」
全 紫釉は照れながら目頭を熱くさせていく。彼の男らしい指、そして広い肩幅。それらをその身で感じながら、胸の奥から迫ってくる熱を感じた。
──嬉しい。私のために立ち向かってくれることが、こんなにも嬉しいことだったなんて。やっぱり、この人を好きになってよかった。
はしゃぎたくなる気持ちを抑える。
爛 梓豪と父を交互に見て、深呼吸をした。
「……父上、心配してくれていることは存じています。でも……」
──父上だって知っているはずだ。私が母上そっくりな性格で、頑固者だってことを。
一度言いだしたらテコでも動かない。それを遂行し、解決するまで、是が非でもやり遂げる。それが冥王の妻と、その子の堅物な一面の現れだった。
すると負けを認めたようで、全 思風の強張った表情は困惑に変わっていく。苦笑いしながらため息をついて、爛 春犂に肩をたたかれていた。
「父上、それから叔父上」
ふたりを注視し、腰をあげて彼らの後ろへと向かう。そしてふたりの手に触れた。
「大丈夫。私は、もう子供ではないんです。守られてばかりの弱い子供は、もういません。強くなったとは言わないけれど、それでも私は……」
爛 梓豪と目を合わせる。彼は頑張れと、頷いていた。
「彼とともに、仙人になる道を選びました。だから、その道を歩かせてほしいんです」
大切な家族の手を取り、両頬に添える。
「父上、叔父上、私が元気になったら、一緒に母上のお墓参りへ行きましょう。それから野宿もして、町へ買い物にも行く。私は、これを目標に頑張ります。だから──」
認めてくださいと、穏やかな声で彼らに話をした。
爛 春犂は両目を見開きながら軽く頷き、全 紫釉の頭を撫でる。
全 思風は感極まって、息子を抱きしめた。グスッと鼻をすする音を出しながら、全 紫釉の胸の中で頭をぐりぐりさせる。
「ふふ。父上、ときどき甘えん坊ですよね?」
いいこいいこしてあげた。すると全 思風は全 紫釉のひざ裏へと手を伸ばした。
「え? ち、父上?」
そのまま横抱きにされ、爛 梓豪へと渡されてしまう。彼の上に座るかたちになった全 紫釉は、きょとんとした。
「……やれるだけ、やってみなさい。ただし、ひとりでは行くな。爛 梓豪、それから黒無相と白無相を連れていけ」
呼ばれたふたりの妖怪は青年へと拱手する。
それを確認し、爛 梓豪を直視した。
「爛 梓豪、約束してくれ。この子を、絶対に守ってほしい。私にとってこの子は妻の忘れ形見であり、絶対になくしたくないんだ」
「……※是。言われなくても、必ず守り抜きます。阿釉は俺にとって、一番失いたくない存在なんです」
お任せくださいと、全 紫釉を横抱きにしながら宣言する。そして全 紫釉の額に軽く口づけをした。
全 紫釉は溶けるほどの眼差しで、彼にされるがままに喜ぶ。
──爛清とまた、一緒にいられる。どうしよう。嬉しくて……
彼の首に両腕を絡め、ギュッと抱きついた。
「ぐえっ! 阿釉、苦しい! 苦しいから!」
彼を締めつけようとも、全 紫釉は離れることをしない。笑顔を崩すことなく、幸せを噛みしめていった。
□ □ □ ■ ■ ■
全 思風を含む大人たちは、橋 鈴藤の父親の行動について調査すると言って洞房を後にした。
残ったのは白月、白無相、そして新婚のふたり。彼らは机を囲み、昼食を開始しした。
「ほら。阿釉、お望みどおりに、たくさん作ってやったぞ?」
「うわぁー! さっそく頂きましょう!」
机の上には豪華なたくさんの料理が置いてある。青椒肉絲をはじめとした、炒飯や回鍋肉などだ。それらを四人でわけ合いながら、小皿に入れて食べていく。
けれどそれのほとんどが、全 紫釉のお腹の中に消えていった。向かい側に座る人の姿が見えないほどに、皿が積まれていく。
爛 梓豪は顔を青くして、うぷっとなっている。白月こと黒無相、そして白無相のふたりは絶句していた。
「ふうー。食べました。あ、爛清、おやつは杏仁豆腐と桃饅、それから、ごま団子お願いします!」
「まだ食うのかよ!?」
無限胃袋の恐ろしさを、改めて実感するさんにんだった。
そんな彼らは食事を終え、全 紫釉が捕らわれていた場所について話し合う。
「──私がいたあの部屋、音や声が残響していたことが気になります」
茶杯の中に烏龍茶を注ぎ、ゆっくりと飲んだ。
「壁をたたいてみたのですが、空洞になっているような気がします」
「空洞? つまりは、内壁と外壁の間が空いてるってことか?」
「おそらくは。残響していたことからも、何かがある可能性は高いと思います」
──専門家じゃないから、詳しくは知らない。だけど普通の建て方にすれば、それは起きないはず。そうなると……
スッと立ち上がる。
「何かしらの秘密がある。そう、考えるのもありかもですね。まあこれは、ただの勘でしかありませんが」
洞房の前まで進み、扉に手を伸ばした。すると背後から爛 梓豪の「よし。じゃあ、行くか!」という、明るい声が聞こえる。
「その前にこの服、着替えないとな?」
「……あっ」
ふたりは互いの服装を確認した。どちらも結婚衣装を着ていて、とても調査をしに行くような格好ではない。
やがて彼らは、ぷっと、吹き出してしまう。手を握りるふたりの笑い声が、洞房の中に響いていった。