全 紫釉《チュアン シユ》の正体
洞房の奥で目を回している爛 梓豪をよそに、ぞろぞろと人が入ってきた。
先頭を牛耳るのは翳を彼に投げた本人であり、母親の鬼 伊橋だ。隣には彼の幼馴染み、橋 鈴藤がいる。
続いて入ってきたのは拳をお見舞いした男、爛 春犂だ。彼はその場にいる誰よりも、額に血管を浮かばせている。
後ろには、妖怪の白無相と黒無相がいた。
そして最後に現れのは、三つ編みの端麗な顔立ちの青年だった。
黒無相こと白月は、全 紫釉の元へ真っ先に駆けよる。子供らしく無邪気な笑顔を浮かべながら、全 紫釉へギュッと抱きついた。
白無相はひたすら涙を流して「姫様、おめでとうございます。はい」と、祝福の言葉を投げている。
「ふたりとも、ありがとうございます。あ、牡丹と躑躅は、元気にしてますか?」
白月の頭を撫で、もちもちとしている頬を何度もつついた。
「うん。してます、よ」
白月は、たどたどしい言葉で頷く。
「ふふ。そうですか。……えっと……」
何とも平和なことか。いいや。平和ななのは全 紫釉だけ。それを知っていたので、奥で行われている惨劇に目を向けることができなかった。
背後から聞こえてくるのは偽りの伴侶でもある彼の悲鳴、そして叔父と鬼 伊橋による叱咤か。ときどき橋 鈴藤がふたりを宥めるような声がするが、振り向くのを躊躇った。
──爛清、すごいお説教されてる。まあ、私も同罪のようなものだから助けたいと思うけど……
勇気をだして腰を上げる。ふと、そのときだ。全 紫釉に、何かの影が落とされる。何かと顔を上げれば、そこには三つ編みの青年が立っていた。
三つ編みの青年は穏やかな笑みを浮かべ、全 紫釉の頭を撫でる。
すると、今までじゃれていた白月が離れた。そして白無相と一緒になって青年へと膝をつく。拱手をしながら、声を揃えて「この度は、おめでとうございます」と、男へひれ伏した。
「……ああ。お前たちも、ご苦労だったな」
青年の声は低い。けれど優しさに溢れていた。
「話は聞いた。よからぬことを企む大人のせいで、お前が危険な目にあったそうだな? それで、この結婚式を決行したとも、な」
そこまで言うと、全 紫釉の体を軽々と持ち上げる。そしてギュッと抱きしめた。
「お前は、愛する妻そっくりだからな。最初この格好を見たとき、妻が生き返ったのかと思ってしまった」
「……そんなわけ、ないですよ。母上は、もう死んでますよ?」
こてんと、小首を傾げる。銀髪を揺らしながら、大きな瞳で青年を見張った。
「……んんっ! やっぱり、我が子はかわいい!」
「は? ちょっ……ち、父上!?」
グリグリと。たかが外れたかのように、全 紫釉を甘やかす。抱きしめたまま頬ずりをして、かわいいかわいいと連呼した。
「もう! 父上ー!」
奥では、爛 梓豪の絶望に満ちた悲鳴が。洞窟の中央では、父による必要以上の愛情にげんなりする全 紫釉の怒声が木霊していた。
ある意味では阿鼻叫喚な場所と化す。
そんな収集のつかない状態が数分続き、ようやくふたりは解放された。どちらもがボロボロになっていて、髪や服は乱れている。
ふたりは互いの情けない姿を目にし、ともに笑いあった。
騒がしかった洞窟内は静かになる。
丸い机を中心に、彼らは座っていた。机の上には人数分の茶杯が置かれていて、温かい烏龍茶から湯気がたっている。
「……まずは、この方の紹介をせねばならんな」
最初に話を切り出したのは爛 春犂だった。青年の方へと体を向けて拱手する。すると鬼 伊橋までもが、男と同じように頭を下げた。
「此度は、大事なご子息をお預かりしておきながら、かのような危険な目に合わせてしまったこと。誠に、お詫び申し上げます」
白月たちも深々と、青年へ謝罪する。
青年は片手を軽く挙げた。
「お前たちが悪いわけではない。そう聞いているのだから、そこまで気を負う必要はない」
「はっ! 寛大なお言葉、感謝いたします!」
青年はふっと微笑み、全 紫釉をに視線をやる。
「挨拶が遅れたな。私は全 思風、全 紫釉の父にして、冥界をつかざとる王だ」
全 思風はほくそ笑んだ。爛 梓豪を見定めるかのように視線を向け、スッと目を細める。
爛 梓豪は、青年の持つ強大な力に気づいたのだろう。体の毛をぞわりと立たせ、情けないまでに全 紫釉の後ろへと隠れた。
「…………爛清」
怯える彼の頭を撫で、父へと向き直る。
「父上、あまり彼を怖がらせないでくれませんか?」
「うん? 私ごときに怯えているのかい? ……あはは。私で怯えていたら、阿釉の夫などやれないだろう? 何せ阿釉は、怒ったときの怖さが私と比べものにならな……」
「父上、その口を絞めていいですか?」
「……は、はい。すみませんでした」
全 紫釉の笑顔に恐怖したようで、青年は一気に顔を青ざめさせていった。
「……まったく。爛清、これは言い訳になってしまいますが、私は冥王の息子です。あなたの母上でもある鬼 伊橋よりも、立場的には上になります」
そこまで伝え、下を向く。長い髪で顔を隠し、目尻に涙を溜めた。
──ああ。ここまで言ってしまったから、彼はこの結婚を後悔するだろうな。だって私は、自分の母上よりも上の存在なんだから。地位など関係ないと言ってくれたとしても、身構えてしまうかもしれない。
今までのように、気さくに話しかけてくれないのだろう。どこか距離のある接し方になってしまうはず。
爛 梓豪という男は、目上の人に対してかなり礼儀正しい。それは全 紫釉であっても、相棒であっても、そうなのだろう。
何気ない、楽しい日々が終わる。
全 紫釉は、そう確信してしまった。けれど……
「やっぱり、阿釉はすげーや!」
彼は身構えるどころか、今までのように接してくる。全 紫釉の手を握り、ワクワクの心を瞳いっぱいに乗せていた。
「何かあるとは思ってたけど、冥王の息子だなんて……きれいなだけじゃなく、賢いのも頷けるよ!」
「……か、畏まったりしないのですか?」
「うん? 何でだ?」
彼の手を握り返す。潤んだ瞳で爛 梓豪を見つめ、きょとんとした。
「……んんっ! 阿釉、かわいい!」
この言葉にら真っ先に頷いたのは、全 思風だ。白月や爛 春犂たちまでもが、何度も頷いている。
それを見た爛 梓豪は、にんまりとした。胸をはって「そうだろ、そうだろ。阿釉は、めちゃくちゃかわいいんだ」と、全 紫釉に抱きつく。
「阿釉、俺さ。何となく、そうじゃないかって思ってたんだ。お袋が頭下げてた時点でさ。ああ、阿釉は、俺よりも偉い立場の奴なんだ……って」
だからといって、接し方を変えるつもりはないとも言った。
それを聞き、全 紫釉は一瞬だけほうける。それでもすぐに笑顔になった。彼の優しさや素直さに甘えるように、勢いよく抱きつく。
「うわっ! あはは。阿釉、どうしたんだよ?」
「……ぐすんっ」
──嬉しい。やっぱり爛清は、本当にいい人だ。大好き。
この人を好きになってよかった。心の底からそう思えた。
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一通り話が終わり、彼らは今回の騒動について意見を出していった。けれどわからないことだらけだったので、意見が纏まらない。
それを承知の上で、全 紫釉はあることを持ちかけた。
「──え? もう一度、あの建物に? 阿釉、理由聞いてもいいか?」
誰よりも先に疑問を持ったのは爛 梓豪だ。彼は全 紫釉の普段を知っている。積極的ではないにしろ、自分から危ないところへは行かない。そんな性格だった。
だからこそ、自らまた、窮地に立たされるような場所に赴くということに疑念を持ったのだろう。
全 紫釉は一同の視線を浴びながらも、ハキハキとした口調で答えていった。
「……あの部屋。私が捕まっていた、あの部屋。どうにもあそこが気になります。声や音が響くほどの空間……あそこに、何かあるような気がしてなりま……」
「駄目だ」
そのとき、全 紫釉の言葉に上乗せするかのように、低い声が轟く。声の主は冥界の王にして全 紫釉の実父、全 思風だった。
青年は眉をこれでもかというほどによせながら、怒りに身を任せているよう。そして、怒気にも似た気配を垂れ流していた。




