結界崩しと、結婚式
結婚式を挙げる。敵を欺くためとはいえ、そのような約束をしてしまった。
提案した全 紫釉も、相手を選んでしまった爛 梓豪ですら、言葉を詰まらせてしまう。正確にはふたりとも、照れてしまっているようだった。
──ど、どうしよう。偽りだとしても、爛清と結婚できるって思うと……
胸の奥から落ち着きがなくなってしまう。手汗はもちろん、高鳴り続ける鼓動。異常なまでに熱くやってしまった身体など。自身のあらゆる部分が、爛 梓豪という青年のためだけに、嬉しさで爆発しそうになっていた。
「……あ、あの……っ!?」
『姫様』
覚悟を決めて彼に気持ちを伝えようとした矢先、脳に直接ある人物の声が聞こえてくる。
それは子供の声だった。
「……白月」
声の主に覚えがある全 紫釉は、すっと目を細める。数秒前までしどろもどろしていたとは思えないような、固い表情になっていた。
「白無相と連絡は取れましたか?」
『はい。もう、隣にいます』
「え? もう? は、早いですね……」
脳に響く白月のかん高い声と同時に、爛 梓豪の「ひょーー!」という驚嘆するようなものまで混じっている。
「……あー……爛清は臆病者なので、驚かすのもほどほどに。ですよ?」
それを聞いて、頬の筋肉が少し緩んでいった。苦笑いしかできなくなっていく。
『驚かして、ません。この人が、勝手に、怯えているだけ』
そう話す白月の声は、段々と涙混じりになっていった。
「……まあ、彼のそれは常なので。……それよりも白月……いえ、黒無相、それから白無相」
直前までのワイワイとした声など消えている。全 紫釉から放たれるのは冷めた声と、美しい調べだけだった。
脳に直接響くのは、ふたりの妖怪たちによる「はい」という声だけ。
「この建物全体の大きさ、わかりますか?」
そう告げると、彼らは押し黙る。けれど数秒もしないうちに、大人の男の声がした。
『──そうですねぇ。しっかりと計ってないので、確かなことは言えませんが……軽く見積もって、姫様の自室の半分ほど。でしょうか。はい』
声の主は、白月こと黒無相と対を成す、白無相だ。彼は建物だけでなく、庭や池など。敷地内にある、あらゆるものを含めて伝えてくる。
全 紫釉は軽く頷いた。
「……わかりました。もういっそのこと、敷地内すべてを、結界の対象としてしまいましょう。ふたりとも、準備をお願いします」
テキパキと指示をだす。そして爛 梓豪へと向き直り、左手のひらを差し出した。すると彼も右手のひらを出し、すっと合わせる。
「爛清、ここから出たら、準備が大変ですね」
『あはは。お袋を、どう説得するかが一番の問題だけどな…………阿釉、早くお前に会いたいよ』
「私もです」
触れることのできない爛 梓豪、そして彼の姿を目に焼きつける全 紫釉。ふたりはそっと手を離し……
感触すら味わえない互いの唇を、そっと合わせた。
■ ■ ■ □ □ □
ふたりがともに気持ちを確かめ合っている横で、白月こと黒無相と、相棒の白無相は頷きあう。
白月ではなく黒無相として、子供は糸を指に絡ませていった。
子供に習うように白無相は、錫杖を用意する。そして体を浮かせ、爛 梓豪たちから離れていった。
「……ん? 何をするんだ?」
妖怪ふたりの行動に気づいた爛 梓豪は小首を傾げる。そばにいる黒無相が指を器用に動かしながら、糸を巻きつけていることに興味を持った。子供の指先をのぞきこみ、興味津々に両目を瞬かせる。
すると……
『爛清、今から彼らがこの建物に貼られた結界を破ります。結構大きな音がすると思うので、耳を塞いでいてください』
映像だけの美しい人、全 紫釉に教えられた。
彼は素直に両耳を塞ぐ。瞬間──
黒無相は屋根の上で踊りだした。両手の指すべてを動かしながら、足や体を使って舞う。
白無相は錫杖で何度も屋根をたたいていた。そして黒無相の動きに合わせるように、錫杖を持ったまま両手を前に出す。
「──さあ、始まりますよ。我ら、白と……」
「──僕たち、黒の……」
白と黒。ふたつの色を持つ彼らが、声を重ねた。
不思議なことに、最初はバラバラだったふたりの動きが、今は合わさっている。そして──
「──相乗結滅、発動!」
ふたりの体から、とてつもない衝撃波が生まれた。そのとき、耳をつんざくような音が響き渡る。
爛 梓豪はこれでもかというほど眉をよせ、額に汗を流した。
──やっべぇ。思った以上に耳にくる。阿釉は無事か!?
全 紫釉へと視線をやる。けれど全 紫釉は平然とした顔で微笑んでいた。
「…………あ、あは、は」
から笑いしか出てこない。それでも耳を塞ぐことを忘れずに、終わるまでそれは続いた。
しばらくして、不快としか言えなかった音が消える。耳から手を離し、黒無相たちを見ようと顔を上げた。一段指、建物の東側に、異変が起きる。
「……え!?」
建物の屋根がグニャッと曲がった。かと思えば今までなかったはずの、新しい部屋が具現化したのだ。
驚いた彼は黒無相たちとともに、その部屋へと向かう。そして……
「阿釉! 阿釉、ここにいるのか!?」
窓、そして入り口すらない部屋の壁をたたいた。爛 梓豪は腰の小刀を手に取り、壁に突き刺そうとする。そのとき──
「……あ」
部屋の壁が淡い光とともに溶けていった。そして中から銀髪の美しい人、全 紫釉が現れる。
「阿釉!?」
全 紫釉はその場に座っていた。顔色が悪く、意識は朦朧としている。
彼は愛しい銀髪の人の頬に触れ、ホッと胸を撫で下ろした。そして横抱きに、優しく声をかける。
「……待たせてごめんな? もう、大丈夫だから。帰ろう」
「……はい」
ふたりは互いの温もりを確かめゆように、抱きしめ合った。両者の目尻には涙が溜まり、どちらもが愛を語り尽くしていく。
爛 梓豪が全 紫釉の手を握り、少しずつ絡めてった。全 紫釉はそれに逆らうことなく、そっと目を閉じる。
そしてふたりは……
熱く、甘く溶けるような口づけを交わした──
† † † †
鬼園の町は、朱の提灯に染められていた。
町に住む人々、そして妖怪たち。誰もが手に提灯を持って、城へと向かっていた。
城の入り口の扉を開ければ、三段重ねになった朱い提灯、橙色の灯籠が屋根からぶら下がっていのが見える。
天井のいたるところには赤い傘が飾られ、水置き場には蓮の花があった。
朱の柱や壁、床には同色の絨毯が敷き詰められている。
そんな豪華絢爛な部屋の前に、爛 梓豪が立っていた。
長い黒髪は、銀色の飾りで華やかに仕立てられている。首には銀の飾りを。両肩には金色の衣を垂らしていた。
服は普段使いしている紫色の華服ではなく、朱を主体とした衣装に身を包んでいる。
斜め後ろには青い漢服を着た、ふたりの侍女がいた。そのふたりが彼より先に進み、扉を開ける。
そして少し進むと、銀髪の儚げな姿をした人がいた。爛 梓豪の想い人、全 紫釉だ。
透けるように輝く銀髪には金色の冠がつけられていて、より一層、全 紫釉の儚さが増す。
うっすらと化粧を施した顔や、紅をつけた唇からは、色香を放っていた。微笑むたびに妖艶さが浮き彫りになり、爛 梓豪は言葉を失ってしまっている。
爛 梓豪と同じ朱の服の上に、銀色の薄い布を着ていた。
どうやら他者を惑わすほどの蠱惑さがあるようで、付添人の侍女たちの目は溶けてしまっている。
爛 梓豪はゴクッと唾を飲みこんだ。けれどすぐに我へと返り、強く咳払いをする。全 紫釉の手を軽く握り、銀色の髪を撫でた。
「……すっげえ、きれいだ」
「お、男にきれいとか……そんなの……あっ」
彼は全 紫釉の左手の甲に、軽く口づけを落とす。そして姿勢を正して全 紫釉の左隣へと並んだ。
「さあ、行こう。阿釉と夫夫になるために」
「……はい」
ふたりは侍女たちの前に出て、奥へと進んでいく。彼らの手は握られていて、ずっと離れることはなかった。




