町は村の上に立つ
直前まで青空だったはずなのに、今では厚い灰色がかかった雲が集まっていた。遠くの空では雷が鳴り、少しずつ近づいてきているよう。
「自らを銀妃と呼び、枌洋の村を悪夢に染めたそうです。その後は國を二分するような内戦が起き、最後は人間と仙人たちが協力して解決したと聞きます」
後にこの内戦は【國絶ち】と呼ばれるようになった。
そしてその内戦の中で、幾度も耳にする名は銀妃。結局、正体すらわからないまま、内戦とともに仙人たちのなかで語り継がれていく。
「私たちが仙人昇格試験に使っているあの山……崑崙山は、内戦の終わりとともに銀妃が分離させたとも言われています」
「……マジかよ」
「内戦に参加していた叔父上たちから聞いたので、信憑性は高いかと」
あくまでも噂でしかない。他にもたくさん銀妃という者についての伝承が残っているのだと、全 紫釉は淡々と話した。
「……崑崙の話はともかく、この町が出来る前は、枌洋の村だったというのは本当の話です。あなたたち、鬼園の王家は代々、村の怨念を鎮めるための役目を担っています」
鬼園の城主は、怨念を鎮めるに相応しい能力を持っている。
冥王いわく、その能力があるからこそ、呪われた地を町として発展させることができた。
ここが鬼の字を有しているのも、鬼ならば怨念よりも強い。そんな単純な理由で作られたのだと、肩をすくませた。
「爛清、あなたの本名は鬼 梓豪ですよね?」
驚き続けている彼を見つめる。
爛 梓豪はうっと言葉を詰まらせ、視線を逸らした。
「まあ、な。お師匠様に、鬼の字は余計な混乱を招くから使っては駄目って言われたんだ。町の外にいる人間は鬼を恐れる。ましてや鬼園の町出身でなければ、鬼の名字なんてつかないからさ」
鬼を名乗った瞬間、鬼園の者であると知られてしまう。そうなれば、かなりやりにくくなってしまうのではないか。
それを危惧した彼は、爛 春犂の爛を借りて、爛 梓豪と名乗るようになった。
一気に語って喉が乾いたのか、烏龍茶をがぶ飲みする。ぷはぁーと言いながら茶杯を置き、腕組みした。
「俺、自分の故郷のことなのに、何も知らなかったよ」
「それは、仕方ないと思いますよ? このことは、城主になったときに伝える決まりになっていますから」
「へえ……あれ? だったらそれ、今、教えちゃっていいことなのか?」
「…………はっ!」
「あー……うん。駄目なやつだったか」
「叔父上からは、黙っていろって言われてたんです。それなのに……」
全 紫釉は頭を抱え、机の上に伏せる。約束を忘れていたことへの恥ずかしさから、耳の先まで真っ赤になってしまった。
「天然な阿釉らしさがあっていいと思うぞ? ……うん」
そう言いつつも、彼の視線は泳いでいる。
慰めにすらなっていないそれを受け、全 紫釉はガバッと顔を上げた。涙目になりながら彼を睨み、頬をぷくぅーと膨らませる。
「うっ! い、いや……あは、あはは。あー! えっと、そう、だ! 阿釉は、何でそんなこと知ってるんだ?」
困り果てた彼の口から出たのは、ごくごく当たり前の質問だった。
けれど全 紫釉は答えることなく、再び机に伏せる。
──爛清の優しさが、今は心にくる。でも……
伏せながら神妙な面持ちになった。
──今の質問は当然のものだ。枌洋の村についてはこの町の城主、それから冥王。そして、叔父上たちしか知らないこと。私が知っているという時点で、正体が明るみに出てしまう。そうなったら……
こうやって、楽しく爛 梓豪とお喋りもできなくなるだろう。
それを考えた瞬間、目尻に涙が溜まっていった。
ふと、足音が近づいてくる。顔を上げれば、そこには着替えを取りに行っていた橋 鈴藤がいた。
東屋まで来ると、彼らに着替えを渡す。
渡された着替えを見れば、どちらも水色の華服だった。
「お? お揃いっぽいな」
「…………」
「……? 阿釉、どうしたんだ?」
「…………」
「おーい! 阿釉ーー?」
「お揃い……」
全 紫釉は彼からの呼びかけを無視する。水色の華服をギュッと抱きしめ、頬を赤らめた。
──どうしよう。爛清とお揃いの服といだけで、顔が火照ってしまう。嬉しい。恥ずかしいけど、とっても嬉しい。
彼に気づかれないように、高鳴る鼓動を隠す。けれどすぐに咳払いして、さっさと着替えようと立ち上がった。。
「ん? ああ、そうだったな。濡れたままじゃ風邪引いちゃ……ひょーー!」
そのとき、爛 梓豪が奇妙な叫び声をあげる。彼は真っ赤になった顔を両手で隠していた。けれどちらちらと、指の隙間から何かをのぞくような仕草をしている。
彼の不思議な声にびっくりした全 紫釉は「え? え?」と、濡れた服を探る手を途中で止めた。
「ひょーー! 目の保養、ありがとうございまーーす!」
「……え?」
全 紫釉の肌は水に濡れている。そして衣が肌に貼りついて透けてしまっていた。線の細さはもちろん、しなやかな体格までハッキリとわかるほどだ。
極めつけは、薄着がゆえに見えてしまっている乳房。銀の髪が体全体に張りついてしまっているせいか、余計に乳房の形を強く見せていた。
雪のように白い肌と銀髪、そして濡れた体が重なり、とても神秘的で儚い脆さを生んでいる。
そんな、全 紫釉の今の姿を直視できないのだろう。爛 梓豪は池の中に頭を突っこんではお尻を出していた。鯉たちにつつかれても気にならないようで、ガボガボと何かを言っている。
「……爛清」
全 紫釉はあきれた様子で、ため息をついた。橋 鈴藤と顔を見合わせ、やれやれと肩をすくませる。
しばらくして着替え終わると、さんにんは東屋の椅子へと座った。
爛 梓豪と全 紫釉が隣同士に座り、向かい側に橋 鈴藤がいる。
「──それで阿釉、お前何で池の中に飛びこんだんだ?」
「……そ、れは」
全 紫釉はギュッと、膝の上で両手を拳状にした。バツの悪そうな表情で、汗ばむ手を強く握る。そして意を決して、彼を注視した。
「……お、お見合いって、言ってたので」
「え?」
「お見合い? いや、確かにするって言ったけど。いや、てか。今、してるけど……」
胡座をかきながら腕を組み、眉をよせる。
そして舌足らずかつ、言葉足らずな全 紫釉にもう一度尋ねてみた。
「……わ、私は、あなたが、誰かとお見合いすることが、嫌なんです」
「んん? え? な、何で?」
思ってもみなかった答えに、彼は肝を抜かれているよう。両目を見開き、きょとんとしてしまっていた。
「…………っ!」
──どう、答えたらいいんだろう。私が爛清に、一方的に好意をよせているだけだから、好きという気持ちを伝えることができない。したとしても、気持ち悪いって思われるだけ。
関係性も変わってしまうのだろう。そう思うだけで、全 紫釉は本当の気持ちを伝えることができなかった。